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第百四十九話 何か隠していることはないか?

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「あ…。い、今のは…、その…、」

「そ、そんなの別に気にしなくていいのに…。」

「え、いいのか!?」

慌てて言い訳をしようとしたアルバートだったがリエルの言葉に速攻で食いついた。
その迫力にリエルは少しビクッとした。

「こんな所でキスしてもいいのか!?でも、女はキスする時、もっと、こう…、ムードとかシチュエーションとか色々こだわりがあるって聞いたぞ!?こんな色気のない場所じゃなくて、薔薇が見える庭園とか、夕日が見える丘とか、満天の星空が見える夜空の下とか…、とにかくキスをする場所はそういう所じゃないと…、」

「え、ええ?いや…。まあ、女性は初めてのキスはそういったロマンを求める傾向にあるらしいけど…、」

確かにアルバートの婚約者だった頃に同世代の令嬢達とのお茶会でそんな話題があった気がする。
初めてのキスはやはり、ここがいい、こういう流れでキスをしたいとかで盛り上がっていた気がする。
その時、確かに今、アルバートが挙げたような場所でキスをしたいという意見が多かった気がする。
…別にリエルは好きな人とのキスならどこでも嬉しいのではないだろうかと思っていたが。
極端な話だが、公衆の面前とか余程汚らしい場所でなければいいというのがリエルの個人的な意見だ。

「そうだろう!?だから、お前とのキスは特別な…、」

アルバートはその時、ハッと思い出したように

「そういえば…、俺あの時、我慢できなくて、キスしてしまったけど…、場所とか何も考えずにキスしてしまったよな…。」

ズーン、と音でも聞こえそうな位に分かりやすい落ち込み方をするアルバートにリエルは思わず声を掛けた。

「あ、アルバート…。そんな落ち込まなくても…、」

「けど、お前…、初めてだったんだろ?なのに、俺ときたら…、その大切な初めてをあんな小さな暗い教会堂なんかで…、せめて、お前が好きな薔薇かネモフィラの花が咲いている所でするべきだったのに…!」

心底、悔しそうに言うアルバートにリエルは思わず苦笑してしまう。

「もう…。アルバートったら…。そんなの、気にすることないのに。
私は…、好きな人とキスするのだったら、どこででも嬉しいもの。」

「ほ、本当か!?」

「うん。わざわざ聞いたりしなくてもアルバートがキスをしたい時にしても…、いいよ。
その…、私も…、アルバートとキスするのは…、嫌じゃないから。」

目を見て言うのは恥ずかしいので途中からリエルは目を逸らし、俯きながらそう言った。
すると、おそるおそるアルバートの手が近付き、リエルの顎を掴むと、上を向かせた。
アルバートと目が合った。緊張した面持ちでいるアルバートから目を逸らさずにそのまま見つめた。
アルバートが身を屈めて、徐々に距離が近付いていく。後、少しで唇が触れそうになったその時…、

「アルバート!リエルが来ているって本当!?」

バーン!とノックもせずに扉が乱暴に開け放たれ、反射的に二人は正反対の方向を向いて距離を取った。
リエルは慌てて訪問者に見られる前にと眼帯を付け直した。

「あ!リエルー!ここにいたんだ!良かった!探す手間が省けたよー。ねえ、今から僕とチェスの勝負を…!」

扉を開けた人物は緑薔薇騎士、リオウだった。リエルを見つけるとニパッと嬉しそうに笑い、ツカツカと無遠慮に近づいたが…、ふと不穏な空気に言葉を止めて視線を向けると…、アルバートが無表情でリオウを見据えていた。

「は…?え…?何、アルバート。何でそんな怒って…、」

怒りを孕んだ眼差しとアルバートの周囲から立ち上る怒気を含んだ空気にリオウは引き攣った声を上げた。アルバートはゆっくりと立ち上がると、拳を握り締め、

「手前、歯食い縛れ。」

「何で!?」

リオウの悲鳴にアルバートは意に介した様子はなく、バキボキ、と指の骨を鳴らした。

「僕が何したっていうのさ!?そりゃ、ノックせずに入らなかったのは悪かったけどそんなんで一々、目くじら立てなくても…!」

「やかましい!手前のせいで俺は…!後、一センチ…。後、一センチだったのに…、」

最後の一言はぼそり、と小声で呟くアルバート。小声だがとてつもなく悔しそうに肩を震わせるアルバートはスッと真顔になると、

「とりあえず、一発殴らせろ。」

「何がとりあえずだよ!意味が分かんないよ!」

ぎゃあぎゃあと騒ぎだす二人を前にリエルはアハハ、と苦笑しながらもアルバートを止めようと仲裁に入った。





リオウを追い出したアルバートを前に何となくお互い気まずい空気になった。

「あ…、さっきリオウが来ている時に書類が散らばっちゃったみたいね。私…、拾うの手伝うね。」

そう言って、リエルは床に落ちた書類を拾い始めた。

「あ、ああ。悪い。」

アルバートも慌ててそれらを拾い集めた。

「ここの机の上に置いとけばいい?」

「ああ。」

リエルは拾った書類をきちんと揃えて、執務机の上に置いた。ふと、リエルはすぐ横に乱雑に積まれた書類を目にした。凄い数の書類だ。これ、全部アルバートが…?そう思いながら何気なく目を向けていると、リエルは書類の中に調査報告書があることに気が付いた。

「シーザー?」

「あ、それは…!」

アルバートがハッと気が付いた様に声を上げた。リエルが視線を向けると、気まずそうな表情を浮かべ、観念したように口を開いた。

「わ、悪い。それは…、リエルの片目の真相について調べている中でそいつに行き着いたんだ。」

「じゃあ、このシーザーって男は羊たちの救済の指導者の…?」

アルバートは頷いた。
シーザー。年齢も生い立ちも不明の謎に包まれた例の宗教のトップに君臨する存在。自らを神と名乗り、数百人の信者の支持を得る圧倒的なカリスマ性を持つ危険な思想の持ち主だ。

「ああ。前から奴の事については調べていたんだ。これは最新の報告書だ。」

アルバートは調査報告書に触れ、次いでリエルを見た。

「あのさ…、リエル。その事で伝えたいことがある。」

「私に伝えたいこと?」

「ああ。俺の考えを聞いて欲しいんだ。リエルの片目の事件は表向きは侵入者によって襲撃された時にできた傷っていわれていたが…、犯人は阿片中毒者で羊たちの救済の元信者だった男だったよな?」

「うん…。」

リエルは頷いた。そう。リエルを襲った犯人はリヒター達が捕らえたが彼は取り調べを受ける前に自殺をし、リエルを狙った動機は謎に包まれたままだ。
ただ、調べて分かったのは犯人は阿片中毒者だったことと腕に刻印があった。
そこには、羊たちの救済の象徴である羊と角、鎖が刻まれていた。
だが、その男はリエルを襲う前に教団から破門されていた経歴の持ち主だった。
阿片中毒のせいかおかしな言動が多く、トラブルも絶たない男だったらしい。

「それを知った時…、妙だと思ったんだ。」

アルバートは続けて言った。

「覚えているか?俺達を誘拐したあの女も羊たちの救済の信者だった。
それに、あいつらはリエルを狙っていたかのような事も言っていた。
その時、思ったんだ。あのいかれた集団は…、昔からずっとリエルを狙っているんじゃないかって。」

「それ、は…、」

「その表情はリエルも勘づいていたんだな。」

「…ええ。ルイも言っていたの。彼らが私に何らかの害を与えようとしているんじゃないかって。
勿論、推測でしかないからそれ以上の事はできなかったけど…。
それに、あの時私を襲った男はもう既に除籍されていたからそれ以上の追及ができなかった。」

リエルは続けて言った。

「でも…、あの男は私を魔女だと言っていた。
それに、ずっとうわごとのように魔女を殺せって呟いていた。
まるで…、洗脳されているかのような…。阿片の依存症によるものなのかもしれないけど…、それにしてはあまりにも…、」

リエルは言葉にならずに俯いてしまう。

「阿片のせいじゃない。そいつは、命令を受けてリエルを殺そうとした可能性が高い。」

リエルはハッと顔を上げた。

「調べて分かったことだが、シーザーは怪しげな術を使うらしい。暗示をかけて相手を思いのままに操るっていう一種の催眠術みたいな力だ。」

「催眠術!?じゃあ、もしかして…、」

「あの犯人もその術にかけられていたかもしれない。大方、バレそうになったら自殺するようにって暗示もかけていたんじゃないか?現にあの男は自殺したんだろ?」

「…うん。見張りが目を離した隙に…。」

犯人はリヒター達が捕らえたが尋問をする前に死んでしまった。牢の中で自らの喉を掻き切って絶命していたのだ。

「リエル。あの男はただの使い捨ての駒にされただけだ。黒幕は他にいる。そいつはお前の片目を奪っておいて今ものうのうと暮らしているんだ。
何でリエルを狙っているのかは知らないがシーザーは間違いなく何かを知っている。
もしかしたら…、誰かがシーザーに金や何らかの報酬を渡してリエルを殺すように依頼したのかもしれない。…何か心当たりはないか?」

リエルは一瞬、冷たい紫水晶の瞳を持った女の姿が思い浮かんだ。
が、すぐにそれを打ち消してリエルは首を横に振った。

「ううん。何も…。」

「俺はあるぞ。」

アルバートの言葉にリエルはギクリ、とした。

「リエル。俺は…、それがオレリーヌだと思っている。」

リエルはヒュッと息を呑んだ。喉がカラカラになり、震えそうになる唇を無理矢理動かした。

「ま、まさか…。幾らお母様でもそこまで…、」

「リエル。」

アルバートの言葉にリエルは思わずビクッとする。

「お前、何か隠していることはないのか?」

「えっ…?」

「本当は何か知っているんじゃないのか?」

リエルは一瞬、黙り込むがすぐにニコッと笑い、

「まさか!そんな訳ないわ。本当に…、何も知らないの。」

アルバートは黙ったままじっとリエルに視線を注ぐ。リエルは無理矢理口角を上げたままアルバートの目を逸らさずに見つめ返した。

「そうか。…なら、いい。」

リエルの言葉にそれ以上の追及はしなかったアルバートに内心、リエルはホッとした。



その後、リエルはどう帰ったのかあまり覚えていない。
部屋に戻ったリエルは顔を手で覆った。

「お母様…。」

怒り、悲しみ、苦しみ…。様々な負の感情が混ざり合う。
それなのに…、私は…、ギュッと手を握り締める。
私はまだ…、母を憎み切れない自分がいる。咄嗟に母を庇ってしまう位に…。

リエルは机の引き出しを開けて、箱を取り出した。
そこには、母の部屋から見つけた上等な赤い布の切れ端が納められていた。
一目見て、分かった。この素材は羊たちの救済で取り扱われている特別な布地だ。
この布は他では出回っていない。製造過程や材料も全て彼らが管理している。

これが母の部屋にあったという事は、母が彼らと関係性がある紛れもない事実だ。
つまり…、母は羊たちの救済の信者だということになる。
リエルはギュッと目を瞑る。阿片ではなく、このような危険な宗教にまで手を染めるなんて…。
お母様。貴方は…、そこまで…。
その先は言葉にならなかった。
これからする事に胸を痛めながらも立ち止まることはできないのだと思い直す。

母は既に阿片に手を出している。それだけでも大罪だ。
恐らく、母には貴族の称号剥奪、貴人塔の幽閉か修道院への強制収容生活が待ち受けている。
…この上、更に羊たちの救済と関係していることが知られれば、母の罰はもっと重くなる。

私は母の性格をよく知っている。だって、自分はずっと見てきたのだから。
母はプライドが高くて、気高い人。母にそれ以上の罰はきっと耐えられない。
母にして見れば塔への幽閉も修道院生活も絶望そのものかもしれない。
でも…、生きていればきっと…、リエルはそっと心の中で願った。

これは、私一人が黙っていればいいだけの話。それなら…、私の胸の内に秘めよう。
それに…、私は決して母の死を望んでいる訳じゃない。私は母に生きて欲しいと思っている。
どれだけ憎まれようが疎まれようが母が母であることに変わりはないのだから。
そう心の中で呟きながら、リエルは引き出しを閉まった。

この時の判断をリエルは後に大きく後悔することになる。
だが、この時のリエルはそれに気づかなかった。
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