大奥~牡丹の綻び~

翔子

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第十五章 大奥炎上

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万和ばんな十二年(1937)七月

 武家から迎えた御台所・紀代子きよこの輿入れから九ヶ月が過ぎていた。

 深篤院しんとくいんの許諾を得た右衛門佐えもんのすけと西条は、早速、御中臈の中から特に見目麗しい女中を選出し、家孝に献上した。そして無事にその御中臈は身籠った。

 将軍御世継ぎ誕生に期待が上がり、幕閣と大奥は色めき立った。

 しかし、花開く思いとは裏腹に、状勢が突如一変した。

───────────────────────

 万和十二年(1937)七月二十六日、時の帝が四十七歳で崩御遊ばされた。在位十一年にしての突然の崩御に、都の民たちは悲しみに暮れたが、御所は違った。

 早々に、先代天皇の末子であられた・兼仁親王かねひとしんのうを二十五歳で践祚させ、即位礼正殿の儀は八月一日に御所にて執り行われた。実母は〈尊皇倒幕〉派の娘であり、兼仁かねひとに、「幕府は熾烈な争いを生む不届きもの」という概念を教え込ませ、倒幕意識を高めさせていた。

 京都所司代は、即位礼が江戸城で執り行われなかった事に疑念を持ち、早馬を飛ばして幕府へ天皇即位の報せを送ったものの、幕府に届くことはなかった。

 〈尊皇倒幕〉は、久我道成くがみちなり卿が急死して後は、高倉清麿たかくらきよまろ卿が意志を引き継ぎ、外様大名に対し、倒幕に向けての働きかけに奔走した。
 京都を拠点とする幕府御用人の監視を勤めるは、勘解由小路資篤かでのこうじすけあつ卿。そして、帝の側に常に侍り、多くの倒幕派の公達を丸め込むのは、冷泉為勇れいぜいためいさ卿の務めであった。

 それぞれには多くの公家衆を率い、その数は百に上る。

 一方、西国の方にも動きが見られた。特に薩摩藩と長州藩の両藩は、土佐藩の脱藩浪人の手を借り、協力する約定を交わした。世に伝わる【薩長同盟】である。
 薩長は幕府に歯向かう準備を図り、砲術、銃術の訓練などの武装準備を六年の歳月をかけて進めた。

 朝廷は、京都所司代の板倉勝孝いたくらかつたかを呼び寄せ、帝の言葉である〈勅諚〉を下賜した。帝は、恐れおののく板倉を急き立てる様に、早馬で幕府へ報せる様に命じた。

 そしてその内容は幕府を震撼させるものとなった。

江戸城・表 ───────

 三日後の夕方、京都所司代・板倉勝孝は早々に身を整えて後、登城した。急な登城を詫びながら、老中首座・松平備前守定正まつだいらびぜんのかみさだまさに取り次ぎ、将軍との面会を願い出た。

 松平備前守は不躾な行いをした京都所司代を処分する旨を告げ始めたが、板倉は慌てて弁明し、帝よりの勅諚を示した。備前守は途端に表情を強張らせ、勅諚が収まる菊御紋入りの文箱を前に深々と頭を下げた。

 備前守は将軍に急ぎ大広間へ参る様に願い出て、老中並びに江戸在番の大名たちを急ぎ招集した。ほどなく、家孝含めた三十数名の諸大名が集まると、板倉勝孝は下段に座し、勅諚を恭しく文箱から取り出した。それぞれ息を呑んで、京都所司代の動きを注視した。

 張り詰める空気の中、板倉勝孝は震えながら、書状に記されている三箇条を読み上げた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一、長年に渡る天皇家・公家への冒涜を謝罪し、大政を奉還すべし事。奉還の後は新政府として、天皇家・公家・薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥後藩、そして、加賀藩が国を治め、都から江戸へ遷都する王政復古の大号令を発する事とする。

一、徳川家は将軍家としての身分を剥奪すれど、宗家としての存続は特別に認める。ただし、五十年にも上る歴史ある公家を断絶へと追い込んだとがとして、毎月百両を支払うべし事。

一、大政奉還後はひと月の内に江戸城を明け渡す事。武装解除、広間・御殿・女中らの住居を一掃すべし事。立会人以外の者がいた場合は速やかに立ち去る事。

 他に例外なく、これら勅諚を遵守すべし事と心得、速やかに対処すべからむ。大政奉還に異議を唱えた場合、各藩志士を江戸城へ差し向けて戦闘態勢を持って攻撃する所存。

 勅諚内容閲読し日から十日の内に返礼されたし。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「なんと、不埒な!」

「徳川の歴史を何と心得おるか!」

「外様も外様じゃ! 何故、公家衆らと手を交わす!?」

「戦じゃ! 戦じゃ! 公家を潰すぞ!!」

 よくもいけしゃあしゃあと、こちらに非が無いとでも言う様な老中たちの態度に、松平備前守と将軍相談役・樋口越前守ひぐちえちぜんのかみは同じ幕府の人間でありながら、呆れてものも言えなかった。

 他ならぬ、公家の頭角の責は幕府にあると考えていた二人は、この日がいつか来るのではないかと恐れていた。

 勅諚を読み終えた後、板倉は先帝の崩御と先々帝の末子である親王が即位したことを報告すると、老中たちは更に色めき立ち、即位礼が江戸城で行われなかった事に対し「幕府を蔑ろにしている!」と、恐れ多くも帝に対し罵り始めた。

 備前守と越前守が堪えきれずに反論しようと膝を立てると、家孝が「控えよ!!」声を張り上げ、騒ぎを制した。論争を繰り広げていた老中たちが一斉に将軍に対して平伏した。
 老中たちを見下ろしながら家孝は言葉を続けた、

「戦はせぬ! 大人しく我らの非を認め、大政を奉還しようと余は考えておる」

「公方様、それはなりませぬ!!」

「三百三十年続いた幕府を公方様御自らが潰されるおつもりでございますか!」

 また続々とふてぶてしい論争を試みようとする老中たちに、越前守はとうとう口を開いた、

「無礼者! 公方様に対し不躾な振る舞い、慎まれよ!」

 家孝は越前守を見て頷き、再び老中に向かって口を開いた、

「勅諚にも書かれておる通り、我が祖父の代から続いて参った公家への断絶に瀕する行為は目に余る物であったと聞く。御記録書にその現状がすべて事細かく記されており、これまですべてに目を通して参った。まったく哀れな行いであると余は思うた。潰し合いを起こさなければ、斯様な次第には至らなかったのじゃ……。末代の責任として、余がすべてを請け負う」
 
 将軍としての責任を果たそうとする家孝の立派な姿に、備前守と越前守は感激した。ところが、老中たちを見ると、苦虫を噛み潰したような形相になっている。家孝は徐に立ち上がった、

「余に不満がある者は即刻、国元へ戻り、戦支度でもなんでもすれば良い! しかし、決して徳川の旗を掲げるでないぞ! 戦を起こそうとする者らに、我ら徳川は一切の責任を持たぬ。誰が死のうとな!」打ち震える老中を見て、家孝は落ち着き払った声になった。「余は何も、徳川の家名を存続させるためにしてるのではない。そち達や民らの命が長らえる様に政権を朝廷へ返上するという事を、努々ゆめゆめ忘れるでないぞ!!」

 将軍に在位してわずか四年。弱冠十七にして勇ましいその御姿に老中たちは恐れ入り、怯み上がった。

 今まで若輩将軍と見くびっていた節もあり、老中たちは、我々と民たちの為に誇りや官位を捨ててまで徹するその大きな姿を拝して、感涙に至る者が現れた。

「板倉」将軍に直に呼ばれ、板倉勝孝は畏まって両手を付いた。「今宵は休むが良い。明朝には勅諚の返答を早馬で朝廷へ奉るよう取り計らえ。良いな?」

 そう労いの言葉を述べた後、家孝は備前守と伊勢守に今夜中に勅諚の返礼をしたため、それを御念書とし、明日朝早くに帝へ提出する様に改めてそれぞれに命じた。三人は恐れ多く感じ入りながら畳に額を付け「ははあー!」と平伏した。

 慶長八年(1603)神君家康公が初代将軍に就任してから三百三十四年を経た現在。長らく続くであろうと思われていた徳川政権が終焉を迎える事になろうとはと、他家から養子で入った家孝は心が深く抉られた様な気分になった。

────────────────────

 大政を奉還すること、それはすなわち、大奥の終わりをも意味していた。

 五日後、大奥千五百人の女中たちの行き先をどう対処するか、表向の頭だけでは考えきれず大奥総取締である右衛門佐に相談を持ち掛けて来た。
 右衛門佐は初めて、大政奉還という幕府の政の事の重大さを知り、早急に報せなかった事に対し幕閣たちを叱責した。

大奥・新座敷 ───────

 老中のくだらぬ質疑応答を早々に退け、右衛門佐はすぐさま新座敷へ渡り、事の次第を説明した。

「大政奉還……?」

 深篤院しんとくいんは驚愕し、思わず右衛門佐の前に座し膝を突き合わせた。右衛門佐は暗い表情になって言葉を続けた、

「度重なる公家の断絶に痺れを切らした〈尊皇倒幕〉派が、新しい天子様を恐れ多くも利用し、武家政権を朝廷へ返上せよとの勅諚が昨夕、早馬で都より届いたそうにございます……」

「そのような……では、幕府はどうなるのじゃ? 幕府は亡くなるということか?」

「将軍家としてではなく、宗家として継続する事は許されたそうにございますが……大政奉還を宣言された後は、この城も明け渡せと」

 深篤院は項垂れた。徳川が永遠に続くであろうと思っていただけあって、心にぽっかりと穴が空いた様だった。右衛門佐は両手を付いて、諭すように言った、

「公方様は、大政奉還を施行する旨を、朝廷に向けて返礼と御念書を奉りました。表方は早々に武装解除とご老中方のこれからの事を話しておられるそうにございますが……この大奥の行く末について苦心しておられるそうでございます……」

「大奥千五百人の女中のをどうするか、自分たちで考えよということか。表方の頭だけでは心許ない故、姉上に一任したということか?」

「お察しの通り……」

 深篤院は考えた。大奥の主は本来、御台所の務めであるが、女中たちを差配し守る事が急務なこの時に、紀代子を頼る事は出来なかった。

 その後に聞かされた、勅諚の内容に目を見張った。そこには〈加賀藩〉の名が連ねられていたのだ。

 表向は一気に手の平を返し、御台所を敵視するようになっていた。それは大奥でも同様だった。噂が広まりやすいこの大奥では、大政奉還について他言無用だと右衛門佐が諭しても、風の様に内情は知れ渡り、身も世もない様子で身支度を整え始める者まで現れた。御台所付の女中たちは加賀方を残して、一斉に紀代子の元から離れた。

 それは、経った三日の間の出来事であった。

 深篤院はこの大奥を閉ざすのは己の役目と心得、右衛門佐に対し、奥女中たちを御座之間へ集めるよう命じた。


万和十二年(1937)八月五日

大奥・御座之間 ───────

 襖を外し、次之間・二之間・三之間・御小座敷・入側・縁側・庭に至るまで、御目見得以上から御目見得以下までの女中らが集まり、何がどうなるのかと隣同士、慰め合っていた。

 やがて深篤院が現れると、皆が一斉に頭を下げた。

 上段の下座では、紀代子が俯きながら座しており、その顔は片身狭い思いに打ちひしがれている様に見受けられた。深篤院が彼女を一瞥してからしとねに座ると、奥女中たちはゆっくりと顔を上げ深篤院の言葉に耳を傾けた。

「朝廷と幕府、双方に起きたる此度の混乱は、皆も存じておろう。徳川幕府は将軍家としての機能を失い、この江戸城も……明け渡せねばならぬ次第となってしまった。それに従い、この大奥も……間もなくこの世から消え失せるであろう」

 深篤院がそう声を張り上げた後、女中たちは慌てふためき、嘆声をあげ、悲鳴まじりのざわめきが広がった。女中たちの中には、実家を失い、この大奥で骨を埋める覚悟を持った者もいる。その者たちにとっては、大奥が無くなるという事は人生の終わりを意味しており、失意の念に陥った。

「静まれ!」

 右衛門佐が命じると、騒ぎはぴたりと止んだ。深篤院は表情を変えることなく、背筋を正したまま言葉を続けた、

「朝廷がこの江戸城に入り、天子様がこの国を御統治遊ばされる。この城は新政府の物となるのじゃ。よって我々は、ひと月もしない間にこの城を立ち去らねばならない」

「大御台様! 私達の身はどうすればよろしいのでございまするか!!」

「私に寄るはございませぬ……どうか……お助けくださいませ!」

「大御台様!!」

 泣きわめきながら訴える女中たちを、深篤院は憐憫れんびんの情を込めて見つめ、励ますように宣言した、

「私が一心を持って取り計らう! 寄る辺ある者はそこまで送らせ、無い者にも……然るべき先を見つける! 最後の一人に至るまでじゃ!」

 強く放たれたその言葉に、奥女中たちの表情が強張った。それぞれの心に響いて安堵したのか、はたまた不安からなのかまでは分からなかった。

「ここにおる者は皆、徳川の家族じゃ……。血の繋がりは違えども、共に大奥ここで寝起きをして参った同志じゃ……。お互い、争いを起こして参った者たちも手を取り合い、この徳川家の未来を……誇りを携えて子々孫々へ伝え行ってもらいたい……。これが、私の命じる、最後の勤めと心得よ!」

 女の業が渦巻く大奥に違和感を持って参った三十六年前の頃とは違い、深篤院は大奥に愛情を持って閉ざす事を最後の仕事とし、奥女中らの行く末を見守ると誓った。

 御座之間に会した全大奥女中は深篤院の言葉に感涙し平伏した。

 その後、深篤院は右衛門佐と共に千五百人に及ぶ奥女中たちと一人ずつ面会を重ね、これから先の事を熱心に聞き入れ、行き先手配に奔走して行ったのだった。
 それと並行して、手の空いた者たちに、自分たちの身支度を整え終えてから大奥内の清掃と後片付けに取りかからせた。

 それと同じ頃── 表では、徳川家孝が諸大名に向かって〈大政奉還〉を宣言した。十日前の家孝の言葉に心打たれた各々は反対や批判もせず、ただじっと両手を付いていた。何も実行せずに押し黙ることしか出来ない事に悶々としながら、悔し涙に暮れた。
 
 また京では、京都所司代によって【大政奉還上奏書】を天皇へ奉った。その三日後、帝は奏上を勅許し、八月二十日に家孝は将軍職を辞した。

 そして、勅諚の通り、帝によって【王政復古の大号令】が発せられ、江戸幕府が廃止。同時に、摂政・関白等の廃止と三職(総裁・議定・参与)の設置、諸事神武創業のはじめに基づき、至当の公議を尽くす、と宣言遊ばされ、新政府が樹立した。

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大奥・新座敷 ───────

 大政奉還後に行われたある朝の総触れ、家孝は深篤院の座敷を訪ねるやいなや、座敷の外で両手を付いて叩頭した。

「どうしたのですか、藪から棒に。御顔を上げなされ」

 深篤院は肩に手を添えて頭を上げさせようとするが家孝は頑として動かなかった。やがて啜り泣く声がした、

「お許しください、義母上……徳川を……私の代で終わらせてしまいました……私をお許しくださりませ!!」

「其方のせいではない。それは、そちが一番よく存じておろう。先々代が犯された罪を其方が将軍として事を終わらせた……それだけの事じゃ」

「しかし幕府が──」

「幕府が亡うなったとて、徳川の家は残る。きっと、其方の義父上──家正公も同じ道を選んだに相違あるまい。三百数十年続いた地位よりも、家臣と民の命を選ぶでしょう。貴方は間違った事をしておらぬ。この私が保証する」

「義母上……」

 深篤院は、人払いをして二人きりになると、ゆっくりと膝を進め家孝を抱き寄せた。突然のことに驚いた家孝だったが、細い背中に腕を回した。深篤院は彼の背中を優しく叩いた。

「其方はよくやった。良う頑張ったなぁ、家孝」

 初めて褒められ、家孝は深篤院の胸で声をあげて泣いた。

 十三の歳から重い責務を背負い、誰にも心の内を明かさず、苦しんだことだろうと、深篤院は哀れに思い、涙を受け入れた。こうして、心と身体に纏わりついたしがらみから解き放たれた今の二人は、大御台所と将軍という肩書きは無くなり、ただの祖母と孫と成り代わったのだった。

────────────────────

 女中たちの落ち着く先が無事見つかり、後は城を出る日を待つばかりだった。深篤院、右衛門佐、中川の三人は小さな酒宴を縁側で開いた。飾る必要もなくなり、それぞれ打掛を脱いで小袖姿のまま、夜の闇を照らす満月を眺めた。

「寂しゅうなるのう……」

 深篤院がふと呟くと、中川は主の盃に銚子を傾けながら応えた、

「そうでございますね……」

 一口飲み、流れる酒が喉に染み渡るのを感じながら深篤院は中川に訊ねた、

「そなたはこれからどうするつもりじゃ? 実家へ帰るのか」

「私は深篤院様と共に生きて参りたいと存じまする」

 深篤院の問いに中川は徐に両手を付いて言った、

「それでよいのか? 今からでも遅うはない。家族を持つ気は無いのか?」

「いいえ……深篤院様が仰せ遊ばされたように、私は貴女様の家族の御一人として付き従いとう存じます。それに──」

「それに?」

「龍岡様に言われました。何があろうとも、宮さんをお守りするようにと」

「龍岡が……そうか」

 久しぶりに乳母の名を耳にし、深篤院は熱いものが込み上げてくるようだった。これは酒によるものなのかは定かではないが、龍岡と共に過ごしたこの大奥を去ることになる日が来ようとは思いもよらず、深篤院は悲しみとも安堵とも取れぬ感情を洗い流すように酒を呷った。

 銚子が空になると、中川が新たな酒を貰いに立ち去った。ふと右衛門佐を見ると酒のせいか、頬がほんのり桃色を帯びており、都に居た頃の正子を思わせた。

「姉上様は、どうされるのですか?」

 姉上と呼ばれて一瞬肩を揺らし、いくらか躊躇したが右衛門佐は指摘するでもなく淡々と応えた、

「家孝様に願い出て総取締の座を退き、鷹司家へと戻ろうと思う。そこで周輔ちかすけと共に暮らし、鷹司家を護ろうと考えておる。今、文を書いておる所じゃ」 

 周輔とは、右衛門佐が産んだ鶴松のことだ。今年十九の歳となり、鷹司家の当主となっていた。深篤院はゆっくりと頷き、肴に手を付けながら言葉を添えた、

「よろしくお伝えくだされ。おたあさんにも、おねいさんにも」

 ああ、と返事をした後、右衛門佐は我に返ったようにふっと顔を上げた、

「そなたも参るが良い」

 深篤院は唐突な発言に驚き、肴を取りこぼした。

「されど姉上……私は──」

 江戸城を出て後、深篤院は家孝と共に暮らす事を考えていた。正室である紀代子は未だ頼りなく、加賀方である以上、離縁の話が幕閣内で進んでいると聞く。正室がいないとなれば宗家には纏まりが必要になる。そのため、深篤院が奥向きの取り締まりを買って出たのだ。

「家孝様も許して下されよう。そなたはもう大御台所ではないのじゃ、一生、重圧に押さえ込まれてばかりでは心が休まらぬというもの。ひと月ぐらい家を空けたとて問題なかろう。時には羽根を伸ばすが良い」

「そうですね……たまには羽目を外すのも一考ですね!」

 深篤院は無邪気に笑った。側室が子を産めば御家は安泰となる、しばらくの間屋敷を留守にしたとて、誰が深篤院を咎めようか。そう思うと深篤院は楽しみが増えるようで嬉しくなり、残りの銚子を自身の盃に傾けて口に運んだ。
 姉を再び見やると、じっとこちらを見つめ、ふっと唇を緩めた。深篤院は首を傾げた、

「何ですか? 姉上」

「いや、そなたはいくつになっても、幾年時が過ぎようとも変わらぬと思うてのう」よほど飲み過ぎたのか? 深篤院は思ったが、そう言った後でこちらに向き直り、真っ直ぐと見て来た。「そなたはそなたのままでおればよい。幼いころから辛い思いをして参ったのじゃ。お互い……新しく生き直そうぞ」

 姉からの言葉に、深篤院は祖母・万寿子の事を思い出した、

 「いずれ、そなたたちが分かり合える日が必ず来ようぞ」

 出立前夜、祖母がそう言って励ましてくれた。

 鷹司の邸で喧嘩別れをし、大奥で再会を果たすも、鷹司の再興のためとはいえ家正と情を結び、子を宿したことで新たな軋轢が生じ、二人の間に深い溝が横たわった。
 しかし、どのようなことが二人の関係を割こうとも、二人が姉妹であることは紛れもない事実であり、こうして時を経て、主従関係を築きながら互いを思いやった。

 こうして分かり合えたことに、この上ない幸せを感じ、深篤院は再び笑いかけた。右衛門佐も満面の笑みで返し、ここまで細い目になる姉を見るのは初めてのことで、更なる喜びに浸った。この時間が永遠に続ければいいのに、そう思ったのだった。


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 ~火事と喧嘩は江戸の華~

 この言葉が残るほど、江戸の町では火事が日常茶飯事だった。時に被害は江戸城までをも焼き尽くしてしまう。この年、江戸城開城が目前という日に、再びその悲劇が影を纏って迫って来ていた。

万和十二年(1937)八月二十一日

 家孝の側室の一人がめでたく、男児を出産したその夜深く。

 深篤院が玄孫の誕生に胸高鳴ったまま布団に足を入れると、部屋の外から女中らの騒ぎ声がした。何事かと思ったのも束の間、【火之番】の女中が慌てて新座敷の障子を開け放った。

「深篤院様! 火事にございます! お逃げ遊ばせ!!」

「火元はどこじゃ?」

「御座之間にございます!! さぁ、早う!」

 深篤院は家孝、側室とその御世継ぎの身を案じ、慌てる中川に被布を着せられながら更に訊ねると、長局には類焼が無いため、安全に避難できたとのことだった。深篤院は安堵する間もなく、位牌と普賢菩薩を風呂敷に纏め、新座敷を飛び出した。

 新座敷は火事の際の非常口・下御鈴廊下の御錠口からほど近い為、逃げおおせる事が出来た。

 ところが、逃げて来た女中たちが「御台様御不在」と叫んでいるを聞き、深篤院は居ても立っても居られず、梅御殿へと逆走して行った。
 止める女中らを振り切り、中川と大女おおおんなの下女二人を従えて、煙が舞う中を突っ切った。袖で口元を覆いながら深篤院は梅御殿へと足を進めた。板廊下が熱くなりかけ、畳もざらざらとして居心地が悪かった。そもそも、梅御殿は火元である御座之間に近い所だ。日は廻っている恐れがあるが、深篤院は紀代子を救い出そうと、顔を覗かせて来る、煌々と燃える炎と灼熱に大きく咳をして耐えながら突き進んで行った。

 すると、御対面所へ向かおうとする人影に遭遇した。下げ髪を垂らし、打掛を羽織った寝間着姿の紀代子だった。深篤院は大声で呼び掛けた、

「紀代子殿! 何をされておる、逃げるぞ!!」

 紀代子はゆっくりとこちらに顔を向け静かに微笑んだ。不思議な反応をしたかと思うと、途端に座り込んだ。辺りはバチバチと音を立て今にも天井が崩れ落ちそうだった。

 深篤院は早足で駆け寄り、紀代子の元にようやく近付けて立ち上がらせようとした。しかし、歳を取ってひ弱になったからか、深篤院は成す術も無く尻餅をついてしまった。後ろから中川が慌てて駆け寄り、肩を抱いた。

 遠くで崩れる音がした。恐怖と熱さの中、深篤院は紀代子に駆け寄ると、小さく呟いていた、

「綺麗でございますねぇ……大御台様……」

 業火に盛る大奥を見回しながら紀代子は不敵な笑みを浮かべた。深篤院は彼女の肩を叩いて訴えた、

「何を言うておる! 死にたいのか、そなたは!?」

 すると、紀代子は虚ろな目を深篤院に向けた、

「私が火を付けましたのに、何故逃げる必要がありましょうか?」

 衝撃の発言に深篤院は目を丸くした。そして気付くと、紀代子の頬を叩いていた。予想だにしていなかった行動に、中川と下女は驚いた。
 叩かれた衝撃で廊下に突っ伏した紀代子を見下ろし、深篤院は下女に「連れて行くのじゃ」と命じた。下女は頷き、「失礼仕ります」と言って紀代子を軽々と持ち上げ、一行は火の中を掻い潜り、下御鈴廊下へと向けて走った。

 深篤院と紀代子は、清水家の屋敷へと避難した。側室や命からがら逃げおおせた奥女中らはそれぞれ田安家・一橋家の屋敷と吹上御殿へと散り散りになった。


清水家・上屋敷 ───────

 腰を落ち着かせる暇もなく、深篤院は紀代子と二人きりになり、屋敷内の一室で向かい合って座った。火中で聞いた、紀代子のについて理由を問い質そうと思ったのだ。既に夜も更けており、休ませてあげたかったが有耶無耶にするわけには行かなかった。

「紀代子殿……先ほど申されたお言葉についてお聞かせ願いませぬか?」

 お言葉、という部分では深篤院は語気を強めた。もはや聞き捨てならなかった言葉に、優しく訊ねる必要がないと考えたのだ。着物も顔も煤だらけになった深篤院は同じく髪も乱れ、煤けた顔の紀代子に厳しい目を向け続けた。俯いたまま、紀代子は掠れた声で語った。

 加賀藩前田家当主は五年前から〈尊皇倒幕〉に加担しており、此度の輿入れを好機と捉えて、娘である紀代子を江戸城へ送った。機会をうかがって、江戸城に火を付け、新政府に引き渡せなかった咎を負わせ、御家断絶に陥れようという算段だった。
 紀代子は、初めから乗り気ではなかった。むしろ、大奥に入る事を楽しみにしていたと話すので、深篤院は思わず頬が緩みそうになった。しかし、前田家から付き従って来た梅村に監視され、彼女を含めた三人の女中が密命の主犯となり事を起こした。多額の費用を衣裳に費やし、傍若無人の限りを尽くした。そして、昨夜、御座之間に火を付け、自分らもろとも焼き死んだという。

 全てを明かした後、紀代子は大きく息を吐いた。深篤院は外に控えていた中川に茶を出すよう命じた。やがて二人の前に茶が出され、ひと息つくと、

「初めから倒幕派ゆえ、御命を絶とうとお思いになったのですか?」深篤院が矢庭に問うと、紀代子は力なく頷いた。「何故そのような事を」

「何故? 私は父からの命で大奥へ上がった罪人でございますよ? 罪人自ら命を絶って誰が悲しみましょうか」

 己を罪人と認める紀代子に深篤院は気の毒に思った。

「家孝様が悲しみまする……」

「子を儲けようともせぬ私など必要とは思われませぬでしょう……罪人の子など」

「それゆえに、御子を産みたくないと……そうお考えになったのですね?」

「私が子を産めば……前田家は付け上がりまする。徳川家の縁戚としての力を更に持ち始め、幕府を終わらせに掛かるやもしれぬと考えたのです」

 深篤院は理解した。紀代子は図らずも徳川家を護るため、家孝との子を儲けず辛抱して来たという事を。江戸城を燃やしたのは深篤院にとっては許されない行為ではあったが、家孝を、そして徳川家を誰よりも大事に想ってくれている事を知れ、この様な事態になってもなお、心が暖かくなった。

 深篤院は目を瞑ってしばらく考えてから優しく諭すように言った、

「お城に火を付けたのは……私にとっても、家孝様にとっても、他の女中や役人らにとっても決して許されぬ行為です。されど……紀代子殿が努めて徳川のために御子を儲けなかったことを聞けば、どれほど喜んでくださるでしょう……」

 紀代子は天井を仰いでから顎を引いて訴えた、

「大御台様は、何故さように良い方ばかりをお考えになるのですか? 私が火を付けるよう命じたのでございますよ……子を持ちたくない理由が、偽りだったとしたらどうされます?」

「偽りでは無いと私は信じております。元を辿れば、梅村ら加賀方が犯したる事。紀代子殿が命じたのでは無く、前田家が指図した事です。紀代子殿ご自身が責めを負う必要はありませぬ」

 紀代子は深篤院をまっすぐ見つめた。その目には涙が溢れていて、深篤院はいたわしく思った。手を重ねると、紀代子は拒むことなく握り返した。その瞬間、深篤院は嬉しくなった。

「家孝さまは……許して下さるでしょうか……」

 力なく言う紀代子に深篤院は励ました、

「きっとお許しくださいます。私が請け合いましょう。という貴女様のご発言は下女と中川しか知り得ませぬ。特に下女の二人には他言せぬよう言い含めておきましょう。火事の原因は御座之間の煙草盆の不始末……そう用人たちにも報せておきます」

 深篤院は紀代子の瞳を見続けて言った、

「紀代子殿、そなたは生きるのです。そして新たに生まれ変わる徳川を護って参りましょう。もう将軍家ではなく、政権も力も持たぬ徳川家はただの大名に過ぎなくなります……されど、きっと平和な日々が訪れましょう」

義母上ははうえ……」

 嫁いで、まだ一年と満たない間に、縛られた心がようやく解放されて、紀代子は唇をわななかせながら滂沱ぼうだの涙を流した。初めて深篤院を義母と呼んでくれたことと共に、初めて心が通じ合えたことに喜びを隠しきれない深篤院は、彼女の背に手をそっと押し当て、全てを受け止めた。

───────────────────────

 空が白み始めると、様々な報せが深篤院の元に届いた。
 
 この火事により、江戸城本丸は全焼したが幸運にも延焼は避けられ、午後には西ノ丸・二ノ丸へ移れるとのことだった。

 火元である大奥は悲惨な状況であったという。
 当番・非番の御広敷御用人、御広敷番や伊賀者、添番の男の役人から、部屋方、奥女中に至るまで百余人の者たちが大火傷を負った。死傷者は例の加賀方の三人のみで、紀代子が救い出されたことによって疑いは晴れ、深篤院は役人たちに離縁の件は破談とするよう内々に伝えた。

 家孝、そして側室と御世継ぎとも再会出来、深篤院はほっと胸を撫で下ろした。
 その時には、紀代子と共に身なりを整え、対面之間で集った。産まれたばかりの子を慈しむように眺める紀代子の背にそっと手を添えて頷いた。その後聞いた話では、家孝としっかり話をしお互いに持った疑念はようやく晴れたという。
 
 そして、最後の不安の種は右衛門佐だった。火事から半日も経っているというのに何の音沙汰も無かった。中川に各避難場所に向かわせると、しばらくして慌てて駆ける音がした、

「深篤院様……右衛門佐様が!!」

───────────────────────

「姉上様らしいのう。さすがは大奥総取締じゃ……」

 御座之間からの出火。火之番は直ちに右衛門佐に伝えに走った。着の身着のまま、右衛門佐は大奥の女中たちを起こし、脱出するように命じて回った。

 四之側棟から御殿へ引き返すと、そこは既に火の海と化し、逃げ遅れた二人の女中が庭で彷徨っているところを発見した。右衛門佐は打掛と小袖を二人に覆い被せて、己の身より女中を庇うように出口へと誘導した。御広敷の御錠口に差し掛かったところで、焼けた天井が落下。右衛門佐は女中を前に押し出し、その下敷きになって怪我と火傷を負った。

 深篤院の下段には、救われた二人の女中が啜り泣きながら平伏している。自分たちを責めているのだろうが、深篤院は恨むつもりも叱責するつもりも無かった。たった一言「そなたたちが生きていてくれてよかった」と告げて立ち去らせた。
 
 そっと亡骸に寄り添い、手に触れると予想以上に冷たくなっていることに驚いた。

 医師からは、手を尽くしたが火傷の度合いが酷く死に至った、とにべもなく言われた。なぜすぐに報せてくれなかったのかと責め立てたかったが、そんな力は残っていなかった。

「姉上、姉上? 京へ帰るのではなかったのですか……? 周輔と共に、鷹司を護るのではなかったのですか」

 何度呼びかけても何度囁いても、目を開けてはくれなかった。身体中にある火傷の痕が痛々しく、涙が止めどなく溢れた。

「私を……迎えてくれるのではなかったのですか? 姉上! あねうえっ……」

 右衛門佐改め鷹司正子── 享年五十六。

 前将軍の側室にして大奥総取締という異例の二十一年が悲しい結末で幕を閉じた。最後の最後まで大奥総取締として女中を護ったという事実に、深篤院は誇りに思いながらも、京へ帰る望みが潰えてしまったことに、悔しさと悲しみで身体が掻きむしられるように苦しかったのだった。


つづく

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