【あなたが夢中のその女を殺す!】と叫んだ悪役令嬢カンヌは、前世の記憶を思い出したので、クズ男は捨ててカフェ巡りを楽しむ。新しい恋の予感がかけ

山田 バルス

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閑話1 ナンテーヌ視点 サンオリ=ポール

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 ナンテーヌ視点

 翌日の午後。
 ナンテーヌ=マルセルの屋敷は、まだ初夏の光を受けて白く輝いていた。庭園には薔薇が咲き誇り、甘い香りが漂っている。けれど彼女の心は晴れやかではなかった。

 なぜなら――昨日、恋人兼将来のパトロン候補だったサンオリ=ポールが追放されたからだ。

 サンオリ=ポール。
 あの男を、婚約者カンヌ伯爵令嬢から奪い取った時は、歓喜でいっぱいだった。しかし、彼が三男坊でアヴィニヨン伯爵家に婿入りするからこそ価値があることを知った時、残念に思った。それでも将来を考えれば「悪くない選択肢」だった。政務をせずにのんびりと過ごせそうに思えたのだ。

 だが――。

「まさか、あそこまで愚かな人だったなんて」

 ナンテーヌは窓辺の椅子に腰かけながら、うんざりしたように吐き捨てた。
 カフェでの醜態、殴りかかった相手が公爵家の御子息、しかも王弟の甥。そんな話は一夜にして社交界を駆け巡り、彼女の耳にも届いていた。

 そして今日。

「お嬢様、サンオリ=ポール様がお見えですが……」

 控えめに告げる執事の声に、ナンテーヌは目を細めた。
 まだ未練があるのか。必死に許しを請いに来たのだろう。だがもう遅い。

「……通してあげなさい。ただし、応接室に」

 数分後、扉の向こうから現れたサンオリを見て、ナンテーヌは思わず息をのんだ。
 そこに立っていたのは、昨日までの「伯爵家の三男坊」ではなかった。

 乱れた髪。土埃にまみれた靴。着ている服もどこか擦り切れ、見すぼらしい。目の下には隈が浮かび、頬もげっそりとこけている。

 何より、その目には焦燥と哀願だけが宿っていた。

「ナンテーヌ……! 君にどうしても話があって来たんだ!」

 サンオリはずかずかと歩み寄ろうとするが、すぐさま護衛の騎士に遮られる。
 彼はそれでも必死に身を乗り出して言った。

「父上に……追放されたんだ。僕はもうポール家の人間じゃない。でも……でも君さえいてくれれば、きっとやり直せる! だから、どうか……」

 その必死さに、ナンテーヌは心の底から軽蔑の念を覚えた。

 これが――私の「未来」になるはずだった男?
 伯爵家の三男坊という肩書を剥ぎ取られた途端、こんなに惨めに縋りついてくるなんて。

「……サンオリ様」

 ナンテーヌは椅子から立ち上がり、わざと優雅な仕草でドレスの裾を整える。
 冷たい笑みを浮かべながら、言葉を紡いだ。

「あなたとは、もう終わりですわ。わたくしは、貧乏人と遊ぶ趣味はありませんの」

「なっ……ナンテーヌ! 僕を見捨てるのか!? 僕は君のために……!」

「護衛。追い出して」

 その一言で、護衛たちがサンオリの両腕をつかみ、無理やり扉の外へ引きずっていく。
 彼は情けない声をあげ、必死に足を踏ん張ろうとしたが、力の差は歴然だった。

「ナンテーヌッ! 君しかいないんだ、頼む! 頼むから――!」

 その叫びは、廊下の奥へと遠ざかっていった。
 やがて静寂が戻る。

 ナンテーヌは大きく息を吐き、紅茶を一口含むと、ほっと肩を落とした。

「……ほんとうに、くだらない男」

 もう彼に価値はない。庶民に落ちぶれ、仕事もなく、縁談も絶たれた男に、彼女が割く時間など一秒もなかった。

 だが――。

「そういえば……カンヌ嬢は、今やランスロット公爵令息と良い仲だとか」

 ナンテーヌの唇が、意味ありげに歪んだ。
 公爵令息ランスロット。王弟の息子、将来有望な若者。彼の隣に立てば、自分は確実に「公爵夫人」、いや、それ以上の栄光を手にできるかもしれない。

「ふふ……。わたくしのかわいらしさがあれば、きっと奪えるわ」

 カンヌ=アヴィニヨン。確かに彼女は美しい。けれど、どこか地味で、気弱なところがある。
 一方の自分はどうだ。愛らしい顔立ち、華やかな立ち居振る舞い、そして人の心を操るしたたかさ――どれも負けてはいない。

 むしろ「公爵令息にふさわしいのは私」だと、ナンテーヌは心の底から信じていた。

 窓の外では薔薇が風に揺れている。赤い花びらが、まるで彼女の未来を祝福するかのように煌めいていた。

「公爵夫人……いえ、王妃にだってなれるかもしれないわね」

 ナンテーヌは鏡に映る自分の姿を見つめ、うっとりと微笑んだ。
 その瞳にはもう、サンオリの影など一片も残っていなかった。

 ――かわいそうな男。けれど、わたくしには関係のないこと。
 大切なのは、ただひとつ。自分の未来を、誰よりも輝かしいものにすること。

 そしてその未来の舞台には、サンオリのような落ちぶれた男ではなく、光り輝く「公爵令息」が立っているはずだった。
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