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第6章 甘い計略

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 話を聞こうとしたそのとき、広場の向こうからパタパタという足音が聞こえてきた。

「お父様ったら、だめだと申しましたでしょう。ひとりでお出かけになったら」
 心配気な様子で、女性がひとり駆け寄ってきた。

 よかった。ご家族が来られたのなら安心だ。

「早くに目が覚めてしまってな。お前を起こしたら悪いと思ったんだよ。年寄りは眠りが浅いから」
「もう、そんなこと、仰いますけど……」
 一通り、文句を言ってから、女性はわたしの存在に気づいた。

「あら、あなたは?」
「通りすがりの方だ。水を買ってきてくださった」

「まあ、ありがとうございます。あの、良ければお名前をお聞かせ願えませんか?」
 女性にそう乞われたが、ふと芹澤さんの言葉を思い出した。

 ――このレジデンスの上層階はほとんど芹澤の人間だよ。

 もし、ここで名乗って、彼に迷惑をかけることになっても困る。

「ぜひお礼をさせていただきたいわ」
「そんな、困ります。わたしはただ、お水をお持ちしただけですから」
「いいえ、お願い。こちらの気が済まないから」

「そんなことより、まだ冷えますし、お父様を早くお連れになったほうがいいのではないですか」

「あ、そうね」
 女性が老人の様子に気を取られているうちに、わたしはそっとその場を立ち去った。

***
 
 レジデンスに戻り、エレベーターを降りると、芹澤さんがあわてた様子でドアから飛び出してきたところだった。

「エリカ……」
 わたしの姿を見て、芹澤さんはほっと息をついた。

「宗太さん……どこへ行くんですか」
「エリカを探しに行こうと思ったんだよ」

 芹澤さん。いつもに増して、髪の毛ボサボサ。
 目の下にはくま。
 もう、イケメンが台無し。

「まだお休みだと思ってました。散歩してたんです。早くに目が覚めてしまって」

「エリカが出ていったのには気づいていたよ。でも、それからずっと帰ってこないから、どうしたのかと心配になって」

「すみません。ご心配おかけして」

「いや、良かったよ。無事帰ってきてくれて」
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