アレキサンダー・プディングタイム・ショート

楠丸

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2章 

昭和62年のアホンダラ対策

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 手入れを全くされていない、ただ無造作伸ばしただけの長髪をし、まだ九月だというのに、コートを着ている。
黒コートの背中には、これまた無造作に、赤、青、白のペンキがぶっかけられている。手首には、そのまま凶器になるようなウニのようなリストバンド、首にはチェーン、髑髏の指輪に同じ髑髏のファッションベルト、膝、大腿部分まで滅茶苦茶に切り裂き、繊維の垂れたジーンズ、蛇柄の靴という出で立ちをした若い男で、「つもり」は分かるが、社会的に何にカテゴライズされるかが分からない。

「バイトの面接だけど」レジカウンターに立つ、リボンの髪をし、セーラーマンのイラストが描かれたピンクのエプロンを着た女子に、男はぼそりと言って、手に持った茶封筒を見せた。

「はい。少々お待ち下さい」女子は言って、奥のブースで電話応対をしている、Yシャツにネクタイ姿の店長の許へ足を急がせた。店内には、ボリュームを抑えた、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が流れている。

「募集の紙、見たんだけど、雇ってくれるの?」業務電話を終え、受話器をフックに下ろした中年の店長に、男は敬語ではない言葉を放った。声帯の細さが分かるハイトーンで、気合、やる気のようなものがまるで籠っていない声調だった。

 四十代、温和な中にも人間的強さを滲ませる人物的雰囲気の店長は、「どうぞ」と言い、男を促した。

「まず、履歴書のほうを拝見させていただけますでしょうか」デスクチェアに座った店長は、向かいのパイプ椅子に座らせた若者から、その手の茶封筒を受け取った。

 茶封筒から抜かれた履歴書。証明写真の顔は、大きく目を見開き、吠えるように開いた口からは、べろんちょと舌が垂れている。

 学歴は、去年の昭和六十一年に中学を卒業したとある。職歴欄には「ずっとバイトとプータロー」と書き殴られている。ミミズ這いの文字で、間違った平仮名の箇所が、ボールペンでぐちゃぐちゃに塗り潰されている。

 趣味。メタルきくこと。酒。

 志望動機。このバイト、チョーカンタンで楽そうだから。

 要望。きゅうーりょー20万でいいです。

 その文面、何かがここに極まれりの証明写真を見ても、店長の表情が動くことはなかった。

「ずいぶんと奇抜なファッションをされておりますが、それは何というものでしょうか」「あ、これっすか。これ、メタルですよ、メタル」まだ少年の域にある年齢であることが判明した、三沢という若者は、切り裂いたジーンズと髑髏ベルトを指し、手の指輪をかざして、得意げに答えた。

「ねえ、店長さん。レッドツェッペリンとか、ディープパープルとか、ビートルズ知ってますよね」「勿論知っております。当店はレコード店ですからね」「俺、ラウドネスとメタリカ、好きなんですよ。ディキディッ。ディキディッ、ディキディッ、ディキディッ、フオーン、ウインウインウイン、ディキディッ!」三沢はスラッシュ・メタルのリフとギターソロらしいものを口で再現し、エアギターをし、ぼさついた長髪を振り乱して頭を振りたくった。

「コンサートなどは行かれたんですか?」「これから行く予定っすよ。ここでバイトして、金稼いだら」「コンサートへ行かれたら、乗りますか?」「乗りますよ! 乗って、暴れます! 暴力はロックの象徴ですから! 他の客、殴りまくって、蹴りまくって、セキュリティの奴らなんか鼻割箸だ、ハーッ!」三沢は奇声を発して舌を出し、両手の中指を立てるポーズを取った。それを目前にした店長の表情には、依然として動きはない。

「中学を卒業されてから、アルバイトをしていたとのことですが、どういった業種を経験されましたでしょうか」「食品工場」表情を動かすこともなく、声色も変えずに訊ねた店長に、三沢は答えた。

「どれくらいの期間、お勤めでしたでしょうか」「一ヶ月ぐらいで辞めた」「退職の理由は」「だって、うるせえんだもん。たかが遅刻とか無断欠勤ぐらいでぎゃあぎゃあ言いやがってさ。そこ、俺ん家から一時間もかかるとこだったんですよ。普通、遅刻ぐらいしますよね。それでむかついたから、同じアルバイターの上履きに唾吐いて、便所にションベン撒いてやったんですよ。もう辞めるから関係ねえって思って」「そうですか」店長は履歴書をデスクに置いた。

「今、十六歳とのことですが、将来の夢は何でしょうか」「決まってるじゃないですか! 世界レベルのミュージシャンですよ! ぜってえマジソンスクエアガーデンでギグってやるって、天に誓ってるんですよ! その夢を邪魔する野郎は皆殺しっすよ! ドクターマーチンの踵で鼻っ柱蹴り追って、リストバンドで面、ぶさぶさの滅多刺し!暴力は卑怯なことなんて、大人の綺麗ごとなんですよ! 筋が通ってりゃいいんですよ、筋が! この髑髏ベルトは俺の生き方そのものだ! ロックはスピリットだぜ、ハーッ!」三沢はまた両手でファックオフポーズを取り、盛大に舌を出した。

「分かりました。では、後日、採否の連絡をさせていただきたいと思います。今日の面接はこれで終了となります。お疲れ様でした」「何、雇ってもらえるんじゃないんですか?」立ち上がり、頭を下げた店長に、三沢は納得しない顔をした。

「私は店長を任されておりますが、当店のオーナーではなく、本社から雇われている立場ですので、あなた様を採用するか否やかは、本社の人事が判断することとなります」「じゃあ、本社の番号、教えてよ。俺、かち込んで、社長に俺の採用迫りますんで。俺、マジなんすよ! マジの奴にすぐ採用出さないとかって、おかしいんじゃないですか?」三沢は「宇宙コート」の肩越しに言い放ち、ただでさえ迷惑な飛び込み面接の礼も詫びも言わずに出ていこうとした。

「やい。待ちやがれ」低い掠れを帯びた低声が、肩をびくりと震わせた三沢が足を止めた。

「こっち向けや、ガキ。もういっぺん、俺と話をしろ」店長がドスを効かせると、三沢はおずおずと向き直った。店長のほうを向いたその顔は、予想の範囲外であることが起こったことによる恐慌に硬直している。

 店長はネクタイを外し、Yシャツ、肌着を脱ぎ捨て、上半身を露わにした。筋肉の盛り上がった体には、色鮮やかな倶利伽羅が入っている。それを見た三沢は、恐怖に顔を歪めてひっと短い悲鳴を上げ、二歩、後ずさりした。

「てめえ、これをよく読め。漢字は読める範囲でいいからな」店長は言って、身体を回し、背面を三沢のほうへ向けた。

 背中には、焔が燃え盛る世界で、恐ろしい形相をした獄卒達が亡者達の舌を抜き、火責め、煮えたぎった油の大鍋に沈める責め苦を行い、針の山を歩かせ、また、体を虫に食い荒らされる様の絵柄があり、その中心、店長の背骨に沿うようにして、一文が彫られている。

 思いつきを並べる馬鹿、と。

「これを口に出して読んでみろ」「その‥思いつきを‥何するうましか?」「思いつきを並べる馬鹿だ、ボケ! 漢和辞典をよく読んで、もっと勉強しろ!」店長の怒声に、三沢は泣かんばかりの顔になり、喉から悲鳴を上げた。

「教えた通りに読んでみろ」「思いつきを、並べる? ばか‥」泣きかけている三沢は、懸命に、ぎこちない口調で言葉を区切りながら、背中の文字を読んだ。

「もういっぺんだ」「思いつきを、並べる、馬鹿‥」三沢は啜り上げながら復唱した。

「いいか。お前はな、このまま行けば、俺のこの背中の世界に、生きながら堕ちることになるんだ。それを回避するには、何が必要か言ってみろ」「‥? 努力?」「何の努力だ。音楽は、はなから努力などしねえし、才能もねえことは見ただけで分かんぞ」店長に問われた三沢は、喉の奥から小刻みな悲鳴を上げ続けるばかりになった。

「思いつかねえなら、今日だけ俺が特別に説明してやる。お前には、教養を磨くための勉強と、基礎体力を伸ばすための鍛練が必要だ。社会で生きていくための知力も、仕事をこなせるだけの体力もねえことは、見て、話して分かる。だから、この背中の言葉を、朝晩、唱題みてえに復唱しろ。でなきゃ、お前の未来は、そのベルトと同じ、髑髏だ。それに、筋が通ってりゃどうの、と言ったな。お前なんかよりも、鳶や土木で汗水垂らして働く、リーゼントや
パンチパーマのツッパリ達のほうがよほど筋が通ってることだけは、はっきりと言えるぜ」

 がたがたという不随意のタップを踏み始めた三沢の足許には尿が滴って溜まり、また、便臭も漂い始めていた。

「さっさと消えろ、アホンダラ! ぶっ殺すぞ!」凄味に満ちた店長の怒号に、三沢は脱兎の勢いで逃げ去った。

 裏返った声の悲鳴を発し、涙と鼻水、涎を流し、小便、ジーンズの裾から流した、いくつかの軟便の糞塊をフロアに置いてそぞろ走る異様な服、髪をした若者に、書店や洋品売り場から出てきた客達の、半分飛び出した目が釘付けになっていた。

 ノックが鳴り、店長は、入って、という声を中から掛けた。

「どうだった?」「決まってましたよ。なかなかでした」扉の向こうでやり取りを聞いていたらしい、リボンにセーラーマンのエプロンを着た女子店員は、彫物露わな店長の問いに、クールに答えた。

「映画、ドラマ撮影用のペイントだ。私が自分でアイディアを発案した、アホンダラ対策」「当面、続けるんですか?」

 店長はその問いには答えず、イエスともノーとも今は言わない、とばかりに笑った。
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