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3 魔女の下僕
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「……出てきなさい」
棺の中で横たわっていた男が、ディアナの命令で目を開ける。
灰色の目だった。
年は二十代の半ばか。黒い髪に、やや日に焼けた肌。垂れ目ぎみでまつ毛が長い。鼻が高くて彫りの深い造りは精悍と言えるのだろうが、労働に縁のない貴族や頭でっかちの黒魔術師を見慣れているディアナには粗野な印象に映った。
だが、もっとも気になるのは顔ではない。棺から出てきた男が床に足をつけてしゃんと立つと、ディアナは長い溜息を吐いた。
「でっか……」
男は、かなり上背があった。十五歳で身長の伸びが止まったディアナは、相手の顔を見るために真上を見上げるようにしなくてはならない。
その上、戦場で敵兵と同時に魔女等とも戦うハンターだっただけあって、引き締まっていながら全体的に厚みがある。
「こんなの何に使えっての?」
魔術における傀儡人形は、生きた人間から意思を奪い、人形のように従わせるもの。
だからその寿命はもともとの健康状態にかなり左右されると、使ったことのないディアナでも知っている。魔女は仏頂面のまま、ひとまず男の身体を検分し始めた。
灰色の目は虚空を見つめるばかりで、身体のあちこちを触ってもなんの反応もしない。だが自分の二倍はあろうかという太い手首をおさえてみれば、規則的な脈拍とぬくもりを感じた。確かに生きた人間なのだ。
それにしても、アルフとやり合ったにしてはずいぶん状態がいい。本人は苦戦したようなことを言っていたが、しょせん他のハンターに比べれば、の話ということだ。討伐者と魔女・黒魔術師の戦いは、こちらが討伐優先度上位なら大抵圧倒できる。討伐者といえども人ならざる力には恐怖を覚えるからだろう。
そうこうしながら目立った外傷や病気の兆候がないことを確認しおえると、ディアナは己の腰に手を当てて、男を睨みつけた。
せっかくだから、というアルフの感覚も、分からないわけではないが。
――率直に言って、邪魔だ。
殺して捨ててしまおうか。でもそんなことをして、贈り主の面目を潰すのも少し気が引ける。
魔女、黒魔術師の世界では、体面は馬鹿にできない。恐怖による力の差は、術師同士でも通じるからだ。
討伐優先度の上位が面目を潰されると、界隈内での下剋上を誘発したりして厄介なのだ。
だから、仕方ない。
ディアナはぼそりと「……これ、片付けてきて」と床の上の棺を指さした。
はたして、男は無言で蓋を棺にかぶせて空の木棺を担ぎ上げ、そのまま寝室を出ていった。
「……しばらく雑用に使いましょうか」
それが、その夜出した結論だった。
「アルフ、ちょっと」
数日後、ディアナは不機嫌な顔をして、また鏡の前に立っていた。呼び出されて、若い神父が鏡の向こうに現れる。
『なにか?』
「あんた傀儡術、ちゃんとかけた? なんかあの人形、動かなくなっちゃったんだけど」
『は? もう殺したのか?』
「なんにもしてないわ」
『もの壊す人ってみんなそう言うんだよね。食事は何を与えたんだい?』
「えっ」
億劫そうに聞かれて、ディアナは目を見開き、次いで眉を寄せた。
「……食事がいるの?」
『…………なーるほどね、本当になんにもしてなくて壊したパターンか。いいかいレディ、あれは生きた人間なんだから、食事排泄休息、季節に合わせた適切な衣服、みんな必要だし、こまめに洗ってやらなきゃ匂いもするよ』
「えっ。なにそれ、めんどくさ!」
『メンテナンスしないと道具だってすぐ壊れるだろう。せっかく作ってあげたんだから、長く使ってくれたまえ』
そう言って、呆れかえって肩を竦めたアルフの姿が鏡から消える。無知を指摘されたディアナは顔をむくれさせた。
「……作ってあげたって何よ、“第一位”に対する貢ぎ物でしょ。生意気ね、聖騎士たちに報復されても知らないから」
それから、ディアナは少し考えて、寝室を出た。「あれはいったい、何を食べるの?」とぶつぶつ呟きながら。
「食べなさい」
ディアナがそう言うと、男はテーブルに置かれた料理の皿に手を伸ばした。
飢えていただろうに、それでも意思がないからか、がっつくというほどの勢いはない。とはいえ、皿の上の食べ物は滞りなく減っていく。パンの最後の一切れが男の口の中に消えていくのを見て、ディアナは水も注いでやった。
「量、これで足りてるのかしら。ねぇ、まだいるの?」
男は答えない。お腹をさすってみるが、筋肉の柔らかな反発を感じるだけ。わかるわけがない。
「……お父様は、一回にどれくらい食べてたっけ?」
聞かせるともなしにつぶやいて、ディアナは左手の指輪をこすった。だが男の顔色は、少しよくなった気がする。ひとまず危機は脱したのだろうか。
とりあえず、カトラリーは常識的に使えているし、食べたあと、周囲が異常に散らかっているということもない。ディアナが慣れ親しんだテーブルマナーとはだいぶ違ったから、これが男に生来染み付いていた食事の所作なのだろう。
食事が必要と聞いた時は心底捨てようかとも思ったが、命じれば、以前の知識や経験をもとに動けている。ならば、自分がつきっきりになる必要はなさそうだ。
しかし、命じないとやらないらしい。
ディアナは、男の伸び始めたひげを睨みつけた。
「……来なさい」
男を浴室へ引っ張ってきたディアナは、父親が遺した髭剃りを指さした。最期に使われたときの血は、きれいに洗って消毒してある。
ほどなくして、顎がさっぱりした男の顔を見て頷く。
「次は服脱いで、洗って」
「お風呂にお湯も溜まったから、さっさと入って。……あたしの石鹸使い切ったら殺すわよ」
しばらく、浴室に泡がふわふわと飛んでいた。
心地よい石鹸の香りに、幾分か気分も和らいだところで。
「――しまった!」
大男に合わせる着替えがないことに思い至った。もと着ていた服は洗剤とぬるま湯を入れた桶の中でびしょびしょだ。
こんなことなら、返り討ちにしたハンターの服を剥ぎ取っておけばよかった。服が乾くまで全裸で立たせるはめになった男の下半身にタオルをまいてやりながら、ディアナはまたうんざりした。
やっぱり処分しようかな。もしくは傀儡人形の術と似た術で、死体を使役する術もあるのだから、そっちに切り替えてしまおうかな。
面倒ごとを遠ざけたい一心で、そんな考えも頭をよぎる。同時に、アルフの『長く使ってくれたまえ』の言葉も。
――ここで男を殺したら、アルフの面子も潰すが、その腹いせに『ディアナは下僕ひとつまともに扱えない』という話も言いふらされそうな気もする。
……もう一つ、何か一つでも面倒だと感じることがあったら、殺してしまおう。
魔女は、そう心に決めた。
棺の中で横たわっていた男が、ディアナの命令で目を開ける。
灰色の目だった。
年は二十代の半ばか。黒い髪に、やや日に焼けた肌。垂れ目ぎみでまつ毛が長い。鼻が高くて彫りの深い造りは精悍と言えるのだろうが、労働に縁のない貴族や頭でっかちの黒魔術師を見慣れているディアナには粗野な印象に映った。
だが、もっとも気になるのは顔ではない。棺から出てきた男が床に足をつけてしゃんと立つと、ディアナは長い溜息を吐いた。
「でっか……」
男は、かなり上背があった。十五歳で身長の伸びが止まったディアナは、相手の顔を見るために真上を見上げるようにしなくてはならない。
その上、戦場で敵兵と同時に魔女等とも戦うハンターだっただけあって、引き締まっていながら全体的に厚みがある。
「こんなの何に使えっての?」
魔術における傀儡人形は、生きた人間から意思を奪い、人形のように従わせるもの。
だからその寿命はもともとの健康状態にかなり左右されると、使ったことのないディアナでも知っている。魔女は仏頂面のまま、ひとまず男の身体を検分し始めた。
灰色の目は虚空を見つめるばかりで、身体のあちこちを触ってもなんの反応もしない。だが自分の二倍はあろうかという太い手首をおさえてみれば、規則的な脈拍とぬくもりを感じた。確かに生きた人間なのだ。
それにしても、アルフとやり合ったにしてはずいぶん状態がいい。本人は苦戦したようなことを言っていたが、しょせん他のハンターに比べれば、の話ということだ。討伐者と魔女・黒魔術師の戦いは、こちらが討伐優先度上位なら大抵圧倒できる。討伐者といえども人ならざる力には恐怖を覚えるからだろう。
そうこうしながら目立った外傷や病気の兆候がないことを確認しおえると、ディアナは己の腰に手を当てて、男を睨みつけた。
せっかくだから、というアルフの感覚も、分からないわけではないが。
――率直に言って、邪魔だ。
殺して捨ててしまおうか。でもそんなことをして、贈り主の面目を潰すのも少し気が引ける。
魔女、黒魔術師の世界では、体面は馬鹿にできない。恐怖による力の差は、術師同士でも通じるからだ。
討伐優先度の上位が面目を潰されると、界隈内での下剋上を誘発したりして厄介なのだ。
だから、仕方ない。
ディアナはぼそりと「……これ、片付けてきて」と床の上の棺を指さした。
はたして、男は無言で蓋を棺にかぶせて空の木棺を担ぎ上げ、そのまま寝室を出ていった。
「……しばらく雑用に使いましょうか」
それが、その夜出した結論だった。
「アルフ、ちょっと」
数日後、ディアナは不機嫌な顔をして、また鏡の前に立っていた。呼び出されて、若い神父が鏡の向こうに現れる。
『なにか?』
「あんた傀儡術、ちゃんとかけた? なんかあの人形、動かなくなっちゃったんだけど」
『は? もう殺したのか?』
「なんにもしてないわ」
『もの壊す人ってみんなそう言うんだよね。食事は何を与えたんだい?』
「えっ」
億劫そうに聞かれて、ディアナは目を見開き、次いで眉を寄せた。
「……食事がいるの?」
『…………なーるほどね、本当になんにもしてなくて壊したパターンか。いいかいレディ、あれは生きた人間なんだから、食事排泄休息、季節に合わせた適切な衣服、みんな必要だし、こまめに洗ってやらなきゃ匂いもするよ』
「えっ。なにそれ、めんどくさ!」
『メンテナンスしないと道具だってすぐ壊れるだろう。せっかく作ってあげたんだから、長く使ってくれたまえ』
そう言って、呆れかえって肩を竦めたアルフの姿が鏡から消える。無知を指摘されたディアナは顔をむくれさせた。
「……作ってあげたって何よ、“第一位”に対する貢ぎ物でしょ。生意気ね、聖騎士たちに報復されても知らないから」
それから、ディアナは少し考えて、寝室を出た。「あれはいったい、何を食べるの?」とぶつぶつ呟きながら。
「食べなさい」
ディアナがそう言うと、男はテーブルに置かれた料理の皿に手を伸ばした。
飢えていただろうに、それでも意思がないからか、がっつくというほどの勢いはない。とはいえ、皿の上の食べ物は滞りなく減っていく。パンの最後の一切れが男の口の中に消えていくのを見て、ディアナは水も注いでやった。
「量、これで足りてるのかしら。ねぇ、まだいるの?」
男は答えない。お腹をさすってみるが、筋肉の柔らかな反発を感じるだけ。わかるわけがない。
「……お父様は、一回にどれくらい食べてたっけ?」
聞かせるともなしにつぶやいて、ディアナは左手の指輪をこすった。だが男の顔色は、少しよくなった気がする。ひとまず危機は脱したのだろうか。
とりあえず、カトラリーは常識的に使えているし、食べたあと、周囲が異常に散らかっているということもない。ディアナが慣れ親しんだテーブルマナーとはだいぶ違ったから、これが男に生来染み付いていた食事の所作なのだろう。
食事が必要と聞いた時は心底捨てようかとも思ったが、命じれば、以前の知識や経験をもとに動けている。ならば、自分がつきっきりになる必要はなさそうだ。
しかし、命じないとやらないらしい。
ディアナは、男の伸び始めたひげを睨みつけた。
「……来なさい」
男を浴室へ引っ張ってきたディアナは、父親が遺した髭剃りを指さした。最期に使われたときの血は、きれいに洗って消毒してある。
ほどなくして、顎がさっぱりした男の顔を見て頷く。
「次は服脱いで、洗って」
「お風呂にお湯も溜まったから、さっさと入って。……あたしの石鹸使い切ったら殺すわよ」
しばらく、浴室に泡がふわふわと飛んでいた。
心地よい石鹸の香りに、幾分か気分も和らいだところで。
「――しまった!」
大男に合わせる着替えがないことに思い至った。もと着ていた服は洗剤とぬるま湯を入れた桶の中でびしょびしょだ。
こんなことなら、返り討ちにしたハンターの服を剥ぎ取っておけばよかった。服が乾くまで全裸で立たせるはめになった男の下半身にタオルをまいてやりながら、ディアナはまたうんざりした。
やっぱり処分しようかな。もしくは傀儡人形の術と似た術で、死体を使役する術もあるのだから、そっちに切り替えてしまおうかな。
面倒ごとを遠ざけたい一心で、そんな考えも頭をよぎる。同時に、アルフの『長く使ってくれたまえ』の言葉も。
――ここで男を殺したら、アルフの面子も潰すが、その腹いせに『ディアナは下僕ひとつまともに扱えない』という話も言いふらされそうな気もする。
……もう一つ、何か一つでも面倒だと感じることがあったら、殺してしまおう。
魔女は、そう心に決めた。
応援ありがとうございます!
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