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第二十話 悩ましい部屋割り

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「ねぇ無理なの? どうにもならないの?」
「……歪ませることは素人にもできますが、整えるのは職人でないと」
「に、二等車に職人はいないの? 駅に列車の整備士とか、普通いるんじゃないの?」
「……理性のある車掌なら、我々に話を持っていく前に確かめているでしょうね」
「……あなた、そこまで器用じゃなかったのね……」
「……」
「…………ご、ごめんなさい」
「…………いえ」

 廊下の床に膝をついて扉の鍵穴を見つめていたヴィクターは、険しい顔で立ち上がった。

「一等車には、もう空きがないのよね……」

 その横で、シャーロットは憂鬱さを隠しもせずに呟く。
 もともと一等車を使えるような階層の乗客は多くないが、広さと快適さを重視して作られた一等車は、それ以上に室数が少なかった。

「……となると、二等車の空きにいくしか」
「俺が移りますから、あなたは俺の部屋へ移ってください」

 えっ、とシャーロットは発言者の横顔を見上げた。

「言ったでしょう。今回のことは俺の失態です。鍵をきれいに開けられなかったのも含めて」
「……でも、二等車って複数人での同室でしょ?」
「そうですよ」
 
 こともなげに肯定されて、シャーロットの眉尻が不安げに下がる。

「一等車から移ってきた人間なんて、なんというか、危なくないかしら。よからぬことを考える人に、金品狙われそう」
「変なところで世間を知っていますね」

 世の中悪い人間ばかりではないが、いい人間ばかりでもない。温室育ちのシャーロットにも、そのくらいの想像は容易い。
 しかしヴィクターは心配げなシャーロットの方を見遣るだけで、考え直すそぶりは見せず「だからこそ、」と強調して返した。
 
「女のあなたが向かうよりは安全でしょう」
「でも、男の犯罪者と女の犯罪者だったら、ましなのは後者じゃない?」
「世間を知っていると言ったこと、訂正しますね。凶悪犯罪の全てが腕力頼みと思っているなら、あまりにも甘い」
「……」
「お気になさらず。俺は一晩寝ないくらい、どうってことありませんよ」

 髪をかきあげた男の顔はすましていると言えばそうだが、端的に言って疲労が色濃く浮かない。それを見抜いてしまっては、シャーロットは“じゃあお願い”とはとても言えなかった。
 シャーロットは覚悟を決めると、つんと顎を上げて強い口調で口火を切った。

「と、とりあえず、わたしはこの部屋にいるわっ。男は外に逃げたんなら、もうこの列車は安全でしょうし、残り一晩のために荷物動かすの大変だしっ」
「……」
「二等車に移りたいなら好きにすれば? わたしはあなたの部屋には移らないけど!」

 我ながら勝手な言い方とは思っていたが、ここで相手に動かれてはシャーロットが眠るに眠れない。
 たしかに鍵を壊したのはヴィクターだが、不注意で窮地に陥った自分のための行動だ。鍵が歪むか自分が死ぬかだったことを考えれば、ヴィクターにさらに負担をかけるわけにはいかなかった。

 黙り込んだ二人のもとに、からんからんと鳴り響くベルの音と、憎たらしい車掌の声が遠くから届く。

 ――間もなくノースロークに到着となります。降車されますお客様は、お手荷物をお忘れになりませんよう――

 シャーロットはさらに顎を上げる。 

「ほら、あと二駅だしっ」

 ヴィクターは、しばらく苦い顔をシャーロットに向けていたが、やがて何かを諦めたようにため息を吐いた。
 肩を下げた男に、シャーロットは来たる無施錠の夜に向け、密かに気合を入れた。
 

 ***


「……どういうこと」

 その夜、夕食から個室へ戻ったシャーロットは己の目を疑い、ともに室内に入ってきた男の胸倉を夢中で掴んだ。

「なんなのっ! なんで我が物顔で中まで入ってくるのかと思ってたら、これはどういうことよっ?」
「どういうもなにも、見てのとおりですが」

 シャーロットの荷物はなくなっていた。
 かわりに、見覚えのある男物のトランクや外套が運び込まれていた。
 どう見ても、ヴィクターのものであった。
 シャーロットは相手の襟元を掴む手に強い力を込めたが、男もそれを予期していたのか、ヴィクターの姿勢はそう崩れなかった。

「な、なんであなたが、この個室を使うのよっ、自室でも二等車でも、好きなとこ行きなさいよ!」
「言ったじゃないですか、あなたが俺の部屋に移ればいいと。俺はここで休みますから」
「ここ、鍵閉まらないのよっ!」
「だから、俺がこっちを使うと言っているんですよ」
「ここはわたしの部屋ぁっ!」

 ヴィクターはつんと顔を背けて自分が使っていた個室の鍵を押し付けると、ずかずかと部屋の奥へと足を進める。
 男がタイをほどきはじめたのを見て、シャーロットはその意図に気がついた。

(ご、強引に居座ればわたしが諦めると思って……!)

「さ、させるもんですかっ!」
「は?」

 床を蹴ったシャーロットは、ヴィクターの脇をすり抜ける。
 そして、勢いそのままに体を寝具のなかに滑り込ませた。

「っ、はぁっ?」

 服を寛げ始めていたヴィクターは、それを止めるには間に合わなかった。その間に、シャーロットは邪魔なスカートにもめげずに寝具をしっかりと己の身に巻き付ける。

「はい取ったわよ! もうここはわたしのベッド! さっさと荷物戻しなさいよねーっ!」

 たからかな宣言に慌てた男が「ふっ……ざけるな! どけっ!」と声を荒げるが、さすがに掛布を剥ぐようなことはできなかった。

「わからないのかっ、女のあなたより、男の俺がこっちにいる方が安全なんだってことがっ!」
「どーせ鍵の閉まる部屋にいたってこじ開けられるときはこじ開けられるのよっ。わたしはわたしの寝たい場所で寝るのっ!」
「この強情っ張りが……っ!」
「どっちがよっ!」

 平行線の言い合いは、他の乗客の苦情を気まずげに伝えに来た乗務員のノック音まで続いた。



「……シャーロット。あなたがこの部屋にこだわるとなると、防犯のために乗務員がひとり、部屋の外で寝ずの番をしないといけないんです」
「……あなたがここで休む場合も同じでしょ。ステューダー伯爵がここで強盗にあったら、鉄道会社の面目丸つぶれじゃない」
「……無施錠の部屋で一晩明かしたなんて噂になったら、あなたの将来にいい影響はないと思いますが」

 注意を受けた二人の舌戦は幾分かトーンダウンしていたが、時計の短針が上へ上へと動いてもなお続いていた。

「……ちょうどいいじゃない。ことがすんだら、それを理由に婚約解消すれば。そもそも」

 シャーロットは寝具の中で一瞬言い淀んだが、うまく言い逃れる言葉が思い付かず、結局口にした。

「あなた、わたしの将来なんて知ったことじゃないんでしょ」

 それは、美術館で確かに相手が放った言葉だったが、これではまるで拗ねているように聞こえる。シャーロットはうまく言い足すこともできずに口をつぐんだ。

 両者、無言の時間があった。
 シャーロットは言い返してこない相手に言葉がすぎたかと後悔しかけたが、「まだ寝付かないでくださいよ」という言葉を残して部屋から出ていったヴィクターに、ほっと息を吐き出した。
 ところが、ほどなくして無施錠の扉がノックされ、シャーロットが起き上がって見つめていると、再びヴィクターが姿を現した。

「……な、」
「荷物です。着替えてください」

 シャーロットはドンと荷物置きに乗せられたトランクに、ああ、と合点がいってから、律儀なものだと乾いた笑いを浮かべた。
 乗務員に頼めばと思うが、部屋の外に見張りがいるなら、それ以上人手を引っ張れなかったのだろうとは想像に難くない。

 だが、ヴィクターが「俺は今夜部屋の外にいるので、ご心配なく」という言葉を残して廊下へ消えると、シャーロットは寝台から転げ落ちそうになった。

「そ、それじゃなんの意味もないんだってばーっ!」

 シャーロットが叫んでも、外から「大声を出すな」とおなじみの言葉がかけられるだけだった。

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