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2.誘拐
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私は決して友達が多い方ではない。
どちらかと言えば、いつもクラスの中では一人浮いているような存在だった。
でもそれで構わないと長年思ってきたし、小学校でも中学でも高校に入ってもそれは変わらなかった。
大学生なった今でさえ、余計な人間関係や中途半端な友情ごっこなんて真っ平。
むしろ一人でいることの方が、気楽だとさえ考えていた。
それは単なる強がりでも意地を張ってるわけでもない。
本当に心からそう思っていたー。
“あの日“までは。
私の父は、日本を代表する政治家として名高い、大杉 英太郎。
大杉家は幾代にも渡って、政治家として成功をおさめてきた。
もちろん歴代当主たちの器量もあったであろうが、その裏にはいつも“五条院家”と呼ばれる日本の裏社会に君臨する一族が関わっている。
大杉家は、代々この五条院家との結束を強めることで、一家の繁栄を築いてきた。
まだ学生の私にとって、難しい政治の話やましてや裏社会との繋がりだなんてよく知らなかったし、理解するつもりさえなかったけど、ただそれがどれ程汚れたことなのかは何となく分かっていた。
秘密裏に繋がるということは、公表できないそれなりの理由があるはずだからだ。
少なからず私に友達というものができないのは、それも関係しているのだと思う。
汚い世界だ。
世の中全体がこうなのだと思うと、何を信じればいいのかさえ分からなくなる。
その日も、私はとぼとぼといつものように大学からの短い道程を、一人歩いていた。
一緒に帰る友達もいないし、自分から始めたファストフード店のバイトも、父から辞めさせられてしまった。
家柄に相応しくないとか、世間体がどうとか…
それに唯一毎日欠かさずに出ている陸上サークルの練習も、今日は休み。
高校の部活のように熱く取り組んでいる人間はそうはいないし、私も陸上選手になりたいとか、そういった思いがあるわけではない。
ただ、走ることが好き。
ひたすら一人で競技に集中できる、自分自身との戦い。
下手なチームプレーやチームワークなんかに、振り回されなくて済むからだ。
だから陸上だけは、今も続けられている。
それは巡り巡って、きっと私の将来の夢にも繋がるはずである。
私の幼い頃からの夢は、警察官。
幼い頃観ていたアニメの影響で、正義の味方というものに密かに憧れていた。
それは子供の頃から無意識に感じ取っていた家や両親に対する不信感も、少なからず影響していたんだと思う。
私は幼少期から、両親と密に関わった記憶があまりない。
父・大杉 英太郎は、政界でもその名を轟かせる程の人物だし、母も若い頃からその抜群のデザインセンスを発揮して、世界各国を飛び周る多忙なデザイナー。
そのせいで私が幼い頃から二人とも、忙しさを理由に子育てには全く介入しない主義だった。
それならばいっその事、子供なんて作らなければよかったのに。
もちろん金銭には困らない家柄だったので、それなりにきちんとした家政婦や執事、給仕係などが居たおかげで、生きていく分にはちっとも困らなかったし、そういう家庭環境によくありがちな孤独というものも、特に感じたこともなかった。
ただ両親に対してだけは、良い感情はやはり今も持ち合わせていない。
高三になって初めて本格的に進路について両親に話を持ち掛けたが、もちろん理解などされるはずもなく、とにかく家名に恥じないような大学に入ってさえくれれば、お前は何も心配はいらないとそればかりだった。
両親は大杉の名前さえ使えば、私の将来なんてどうにでもなると考えているのだろう。
でも私は家名に頼るつもりもなければ、甘えるつもりもない。
先祖は先祖、父は父、そして私は私。
自分の道を突き進むだけ。
それが私の唯一無二のポリシーだ。
ジメジメと纏わりつくような嫌な蒸し暑さがもう何日も続いていて、街中でもちらほらと半袖姿が目立ち始めていた何でもない、いつもの夕方過ぎ。
この日の私の唯一の救いといえば、父親の帰りが遅いということだけだった。
彼と顔を突き合わせる時間が短ければ短い程、私の心は穏やかでいられる。
私は自宅の門の前で立ち止まった。
自宅は立派な日本家屋の豪邸で、門から玄関まで車でも必要なのではないかと思わせる程の距離がある。
はあ…と一つ溜め息をついてから、シャッター式になっている頑丈な門を開けた。
父は顔も広くやり手で有名でもあったが、その反面彼を良しとしない人間も多かった。
きっと娘である私の知らないところで、口には出せないようなことにも散々手を出しているに違いない。
人の恨みの一つや二つ、平気でかっているのだろう。
いくら頑丈な鉄格子で家を囲んだところで、人の心に植え付けてしまった恨みや傷は一生消えない。
人の恨みからは、一生逃げることなどできないのだ。
もう一度溜め息をついてから、何の躊躇もなくいつものように自宅の門に足を一歩踏み入れた。
しかし、その次の瞬間突然後ろから黒いグローブをはめた大きな手に口を塞がれたかと思うと、同時に鋭利なナイフの刃先が喉元に突き付けられた。
まるでそれは、全身の血が凍り付くような恐怖。
ごくりと息を呑んだ。
自宅の門内に不審者がこうもやすやすと入れるなんて尋常ではない。
ドクンドクンと異常な速さで心臓が脈を打っている。
怖いっ…!一体何?!
ぎゅっと恐怖に目を瞑った瞬間、サアと突然巻き起こった強い風に、屋敷内に立つ何本もの銀杏の木が一斉に揺れた。
まだ若い新緑の葉が枝を離れ、空を舞う。
そっと目を開けると、目の前に男が一人立っていた。
すらりとした長身でやたら体格も良さそうだが、きっちりと着こなした黒いスーツがそれを隠している。
身なりから私の後ろにいる男と、仲間であることは明白だ。
足元にはスーツとは不釣り合いな編み上げのゴツいブーツ。
頭から首に掛けては般若の面を模した奇々妙妙とした覆面。
そのわずかに開いた二つの隙間から、切れ長の眼がぎょろりと私を見下ろしていた。
その異様な佇まいにたじろぐことさえままならなかった。
「大杉 英太郎様のご息女、大杉 七瀬様とお見受け致します」
背後で私を羽交い締めにしていた男が、耳元で囁いた。
「御間違いありませんか?」
もう一度丁寧に聞かれて、私はやっと小さく頷いた。
その直後、他にも仲間が居たのか、また別の男に薬品臭い布のようなものを口に押しあてられ、私は次第に意識を失った。
どちらかと言えば、いつもクラスの中では一人浮いているような存在だった。
でもそれで構わないと長年思ってきたし、小学校でも中学でも高校に入ってもそれは変わらなかった。
大学生なった今でさえ、余計な人間関係や中途半端な友情ごっこなんて真っ平。
むしろ一人でいることの方が、気楽だとさえ考えていた。
それは単なる強がりでも意地を張ってるわけでもない。
本当に心からそう思っていたー。
“あの日“までは。
私の父は、日本を代表する政治家として名高い、大杉 英太郎。
大杉家は幾代にも渡って、政治家として成功をおさめてきた。
もちろん歴代当主たちの器量もあったであろうが、その裏にはいつも“五条院家”と呼ばれる日本の裏社会に君臨する一族が関わっている。
大杉家は、代々この五条院家との結束を強めることで、一家の繁栄を築いてきた。
まだ学生の私にとって、難しい政治の話やましてや裏社会との繋がりだなんてよく知らなかったし、理解するつもりさえなかったけど、ただそれがどれ程汚れたことなのかは何となく分かっていた。
秘密裏に繋がるということは、公表できないそれなりの理由があるはずだからだ。
少なからず私に友達というものができないのは、それも関係しているのだと思う。
汚い世界だ。
世の中全体がこうなのだと思うと、何を信じればいいのかさえ分からなくなる。
その日も、私はとぼとぼといつものように大学からの短い道程を、一人歩いていた。
一緒に帰る友達もいないし、自分から始めたファストフード店のバイトも、父から辞めさせられてしまった。
家柄に相応しくないとか、世間体がどうとか…
それに唯一毎日欠かさずに出ている陸上サークルの練習も、今日は休み。
高校の部活のように熱く取り組んでいる人間はそうはいないし、私も陸上選手になりたいとか、そういった思いがあるわけではない。
ただ、走ることが好き。
ひたすら一人で競技に集中できる、自分自身との戦い。
下手なチームプレーやチームワークなんかに、振り回されなくて済むからだ。
だから陸上だけは、今も続けられている。
それは巡り巡って、きっと私の将来の夢にも繋がるはずである。
私の幼い頃からの夢は、警察官。
幼い頃観ていたアニメの影響で、正義の味方というものに密かに憧れていた。
それは子供の頃から無意識に感じ取っていた家や両親に対する不信感も、少なからず影響していたんだと思う。
私は幼少期から、両親と密に関わった記憶があまりない。
父・大杉 英太郎は、政界でもその名を轟かせる程の人物だし、母も若い頃からその抜群のデザインセンスを発揮して、世界各国を飛び周る多忙なデザイナー。
そのせいで私が幼い頃から二人とも、忙しさを理由に子育てには全く介入しない主義だった。
それならばいっその事、子供なんて作らなければよかったのに。
もちろん金銭には困らない家柄だったので、それなりにきちんとした家政婦や執事、給仕係などが居たおかげで、生きていく分にはちっとも困らなかったし、そういう家庭環境によくありがちな孤独というものも、特に感じたこともなかった。
ただ両親に対してだけは、良い感情はやはり今も持ち合わせていない。
高三になって初めて本格的に進路について両親に話を持ち掛けたが、もちろん理解などされるはずもなく、とにかく家名に恥じないような大学に入ってさえくれれば、お前は何も心配はいらないとそればかりだった。
両親は大杉の名前さえ使えば、私の将来なんてどうにでもなると考えているのだろう。
でも私は家名に頼るつもりもなければ、甘えるつもりもない。
先祖は先祖、父は父、そして私は私。
自分の道を突き進むだけ。
それが私の唯一無二のポリシーだ。
ジメジメと纏わりつくような嫌な蒸し暑さがもう何日も続いていて、街中でもちらほらと半袖姿が目立ち始めていた何でもない、いつもの夕方過ぎ。
この日の私の唯一の救いといえば、父親の帰りが遅いということだけだった。
彼と顔を突き合わせる時間が短ければ短い程、私の心は穏やかでいられる。
私は自宅の門の前で立ち止まった。
自宅は立派な日本家屋の豪邸で、門から玄関まで車でも必要なのではないかと思わせる程の距離がある。
はあ…と一つ溜め息をついてから、シャッター式になっている頑丈な門を開けた。
父は顔も広くやり手で有名でもあったが、その反面彼を良しとしない人間も多かった。
きっと娘である私の知らないところで、口には出せないようなことにも散々手を出しているに違いない。
人の恨みの一つや二つ、平気でかっているのだろう。
いくら頑丈な鉄格子で家を囲んだところで、人の心に植え付けてしまった恨みや傷は一生消えない。
人の恨みからは、一生逃げることなどできないのだ。
もう一度溜め息をついてから、何の躊躇もなくいつものように自宅の門に足を一歩踏み入れた。
しかし、その次の瞬間突然後ろから黒いグローブをはめた大きな手に口を塞がれたかと思うと、同時に鋭利なナイフの刃先が喉元に突き付けられた。
まるでそれは、全身の血が凍り付くような恐怖。
ごくりと息を呑んだ。
自宅の門内に不審者がこうもやすやすと入れるなんて尋常ではない。
ドクンドクンと異常な速さで心臓が脈を打っている。
怖いっ…!一体何?!
ぎゅっと恐怖に目を瞑った瞬間、サアと突然巻き起こった強い風に、屋敷内に立つ何本もの銀杏の木が一斉に揺れた。
まだ若い新緑の葉が枝を離れ、空を舞う。
そっと目を開けると、目の前に男が一人立っていた。
すらりとした長身でやたら体格も良さそうだが、きっちりと着こなした黒いスーツがそれを隠している。
身なりから私の後ろにいる男と、仲間であることは明白だ。
足元にはスーツとは不釣り合いな編み上げのゴツいブーツ。
頭から首に掛けては般若の面を模した奇々妙妙とした覆面。
そのわずかに開いた二つの隙間から、切れ長の眼がぎょろりと私を見下ろしていた。
その異様な佇まいにたじろぐことさえままならなかった。
「大杉 英太郎様のご息女、大杉 七瀬様とお見受け致します」
背後で私を羽交い締めにしていた男が、耳元で囁いた。
「御間違いありませんか?」
もう一度丁寧に聞かれて、私はやっと小さく頷いた。
その直後、他にも仲間が居たのか、また別の男に薬品臭い布のようなものを口に押しあてられ、私は次第に意識を失った。
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