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32 娘に ※ロゼの父・カーステン侯爵side

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それは王太子殿下が、我がカーステン侯爵家に来訪される日のことだった。

その日は、朝から妙な胸騒ぎがしていた。
理由のわからない焦燥に駆られる、と言うのだろうか。

だが……まさか。
娘から、あんな言葉を告げられるとは思ってもいなかった。


「王太子殿下とは絶対に結婚したくありませんので、婚約者候補を辞退します。
駄目だとおっしゃるなら、親子の縁を切ってくださいませ」


それを聞いて隣の席にいた妻が卒倒した。

かろうじて駆け寄り妻を支えたものの、私も倒れそうだった。


朝食の席に現れた娘を見て(おや?)と思っていたのだ。
昨晩まで頬を染めて王太子殿下の話をしていた娘が、今朝は青白く、思い詰めた顔をしていて。
しかもその表情は……どこか別人のようにも見えて。

それでもまさか……まさか娘が、そんなことを言い出すとは予想もしていなかった。


百歩譲って――いや、全く譲らなくてもいい。
婚約者候補云々の話など、どうでもよかった。

だが――親子の縁を切ってくれ、だと?

何故だ。

ロゼ。
私は……君にとって。
その程度の父親だったのだろうか―――――。


◆◇◆◇◆◇◆


その後、情けなくも私は妻と同じく倒れてしまったが、なんとか執事のケビンに指示を出して予定通り王太子殿下を迎える準備をさせた。

迎えたいわけではなかったが、相手は王族だ。
急遽、約束を反故するわけにはいかない。

何よりロゼに「どうしても直接、王太子殿下と会って話したい」と強く願われては致し方ない。
確かにまず、当人同士――王太子殿下とロゼで話し合うべきことなのだ。

しかし。

ロゼは何も言わなかったが、王太子殿下とロゼは……相思相愛だったはずだ。
そして今日の、婚約者決定まであと三ヶ月ほどでの王太子殿下の来訪。

王太子殿下は「ロゼを婚約者にしたい」と私に告げるつもりでおられるのだろう。
それが。
ロゼからいきなり別れを切り出されては激昂されてしまうかもしれない。

そこで私はクロードに、ロゼについていてくれるよう頼んだ。

本来ならばそれは執事見習いのクロードではなく、執事であるケビンの役目だが。
ケビンには古傷があり、利き手に強い力が入らない。

もし激昂した王太子殿下がロゼに迫った場合。
ケビンでは上手く止められないかもしれない。万一、王太子殿下相手に足技を使われても困る。

かと言って、王太子殿下の婚約者候補であるロゼとの接触を避けていた。目を見れば東の大国に――それも王族に繋がるとわかるクロードをつけるのもどうかとは思ったが。

執事見習いを気にしている場合ではあるまい。
気づかれはしないだろうと考えた。


案の定、クロードの出自に気づかれることなく、王太子殿下とロゼの話し合いは終わった。
わかってはもらえませんでした、と悲しそうに目を伏せたロゼから、ロゼが何故、王太子殿下とは絶対に結婚したくないと言い出したのか――理由を聞いて私は衝撃を受けた。


――ロゼが27歳で毒杯を賜り殺された?そして18歳の、今日に戻った?――


およそ信じられないような話ではあった。
だが話を深く聞けば聞くほど見事に辻褄は合っていて。

ロゼの表情も昨日までの……18歳のものとは違う大人の。
いいや。
時々。その表情は、下手をすれば私より年上ではないのかと思えるほど奥深いものに見えて。

信じたくはないが、本当のことなのだとしか思えなかった。
いや、娘が必死に語る話を信じなくて何が親だ。

そう思いロゼの前回の話を何度も心の中で反芻してみると。
王太子殿下にも王家にも、そしてロゼを助け出せなかった自分自身にも腹が立ったのは当然だが。

同時に気づいた。
ロゼの語った前回の話だけではわからない。わからないが……。

―――前回のロゼの死後、この国は。西の大国に飲まれてしまったのではないのか?

ロゼには言えなかったが、そうとしか思えなかった。
だがそんなことはどうでもいいことだ。

ロゼが毒杯を賜り殺されたのなら、きっと同時にカーステン侯爵家は終わっている。
私も妻も、そしておそらく息子も生きてはいない。


前回のことはもうどうしようもない。
それより今回だ。

ロゼが不幸になってしまった前回を、また繰り返すわけにはいかない。
ロゼには絶対に幸せになって欲しいのだ。

―――ロゼに――娘に《縁を切られてもいい親》だと思われたままで良いわけもない―――

国王陛下にロゼを婚約者候補から外してもらえるよう書状を出した。
それでも聞き届けてもらえないならばと謁見を願い出た。

これで駄目なら、私の持つ伝手を使ってこの国を出ても―――と覚悟していたが。
国王陛下がわかってくださり、なんとかロゼを王太子殿下の婚約者にせずに済んだ。

そして―――ロゼの言った通り、王宮の大時計は落ちた。

やはりロゼの前回の話は本当だったのだ。
私は守れたのだ、今回は。ロゼを。愛しい娘を。

そう確信すれば涙が溢れた。
抱きしめたロゼをいつまでも離せなかった。


◆◇◆◇◆◇◆


「またベンチを見ているのですか?」


そう言って、私の横に来た妻が微笑んだ。

執務室の端の窓から見えるそのベンチは、私がわずかな時間でも庭を眺めて安らげるようにと妻が置いてくれた物だ。

だがあれから――クロードがこの屋敷を去ってから、ロゼの特等席になっていた。

二度、ロゼとクロードが話をしているのをこの窓から見かけた場所だった。

思い出の場所だったのだろう。
ロゼはあの場所でただ、ぼんやりと庭を眺め。
そして、たまにベンチの横の扉を見ていた。

まるで誰かが――クロードが、来てくれるのを待っているように。


だが今は……もうそこにロゼの姿はない。
東の大国へと旅立って行ったのだ。


「不思議ですね。私……こうなることがわかっていたような気がします」

妻が呟き、私は頷いた。

「私もだ。あの子がクロードをこの屋敷に招き入れた時からね」

「元気でいるでしょうか」

「もちろんだ。幸せにやっているだろう。
なにせ騎士クロードがついている。
―――あの子が気づいたかどうかは、わからないけどね」


少し笑って言う。
妻はそっと目を押さえた。
私は優しくその肩を抱き寄せる。


「大丈夫。縁は切られていない。
便りも来る。そのうち、ひょっこり顔を見せにも来てくれるよ」

「そうでした。――そうですね」


妻は泣き笑いの顔になった。


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