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第二部
15.儀式③
しおりを挟むお腹を抱えてうずくまっていると、ローレッタは身を乗りだして布団を引きはがしてきた。
「ちょっと何するのよ」
「なんだか血みたいなにおいがするんですが……お嬢様、けがしてるんじゃないですか?」
ローレッタはそう言って私の体をじろじろ眺め、押さえていたお腹に目を留めると、眉を潜めてボタンを外しだす。
「ちょっと、やめなさい! 何するの」
「お嬢様、何ですか、これ……! 黒い文字みたいなものがたくさん……! 病気じゃないですか!?」
ローレッタは顔を真っ青にして言う。私は深い溜め息を吐くと、短く言った。
「お父様に儀式を受けるように言われて、気味の悪いローブの女に入れられたの。病気じゃないわ。早く出て行って」
「なんですか、それ。どうしてお嬢様がそんなことされなきゃならないんですか」
「仕方ないのよ。今は話す気分じゃないから放っておいて」
「でも、こんなのあんまりです」
「そんなこと言ったってどうしようもないでしょう!? とにかく私は寝てたいの! どこかへ行ってちょうだい!!」
思わず怒鳴ってしまった。今は心配されることすらうっとうしいのだ。ローレッタは悲しそうに眉根を寄せて黙りこくった後、両手をぽんと叩いて元気な声で言った。
「わかりました! それなら私、お嬢様が寝るまでお話しをしてます」
まるで、名案を思い付いたとでも言うような顔。今の私は楽しくお話を聞くような気分じゃないと、そんなことすらわからないのだろうか。
うんざりした顔を隠すこともできなくなる。
「なんの話がいいかなぁ。今日は貧民街の話なんかよりも楽しい話がいいですよね。おとぎ話……は私あまり知らなくて。話して聞かせてくれる人もいなかったので……」
「いらないってば……」
「あっ。それじゃあ、クロフォード公爵家の人たちの話なんてどうでしょう。屋敷のメイドたちが話しているのをこっそり盗み聞きしたんです。ほら、みんな私は頭が足りなくてろくに話を理解できないと思っているから、好き放題話すので」
ローレッタの言葉に思わず息を呑んだ。クロフォード公爵家の噂話? この家のってこと?
私はこの家の娘でありながら、クロフォード家について表面的なことしか知らない。
両親のことも、兄や小さな妹のことも、そして本物のリディアのことも。彼らのことは、ただ影から盗み見ることしかできない。
「メイドたちが話してたんですけど、お嬢様の兄のブラッド様って奥様の産んだ子供ではないんですって! なんと、旦那様が平民の女の人に産ませた子供だとか。旦那様は奥様よりその平民のほうがお好きだったらしくて、何としてもブラッド様を跡取りにしたいらしいです」
「え……、ちょっと、何それ。本当なの?」
軽い調子で紡がれるあまりにも衝撃的な言葉に、私は目を丸くする。
お兄様がお母様の子供ではない? お父様が平民の女と浮気しているってこと? 突然飛び込んで来た情報に頭が追いつかない。
だって、他国では許されているところもあるそうだけれど、この国で既婚者が愛人を持つことは禁止されているのだ。
「本当ですよ! メイドさんたちが言ってましたから」
「ただの噂かもしれないじゃない」
「でも本当みたいな口調でした!」
根拠にもならないことをローレッタは真剣な顔で言う。信じきったわけではないけれど、その話は私の胸に強く残った。
噂が本当かはわからないにしても、何の事実もなければそこまでの話がメイドたちの間で交わされることにはならないのではなかろうか。
「……ほかには? ほかにも話を聞いてないの?」
思わずベッドから起き上がって尋ねると、ローレッタは嬉しそうににんまり笑った。
「いっぱいあります! 旦那様だけじゃなく、奥様にも愛人がいるらしいんですよ。聞きたいですか?」
「聞きたいわ。教えて」
私はすぐさま答える。ローレッタは嬉しそうに話し始めた。
妹のシェリルがお母様と愛人との間に生まれた子らしいこと、日に日にその愛人に似てきていること、お父様とお母様は表面上は仲が良くても、実際にはお互いを憎み合っていること……。
聞き慣れない刺激的な話に、ぞくぞくと体がうずく。
それは本当の話なのだろうか。わからない。わからないけれど、本当であればいいと思う。
だって、おもしろいじゃないか。私を犠牲にして非の打ち所のない理想的な家族をやっているあの人たちが、実はそんなドロドロした事実にまみれていたなんて。おもしろくて堪らない。
「ねぇ、リディアについてはないの? 何か面白い話」
「リディア様ですか?」
ローレッタは唇に手を当てて言う。
彼女は私のことを「リディアお嬢様」か「お嬢様」と呼ぶが、双子の姉のことは「リディア様」と呼んで区別している。ローレッタはしばらく考えた後、口を開く。
「リディア様は、ブラッド様やシェリル様みたいに愛人の子という話は聞かないですね」
なんだつまらない、と私は口をとがらせる。よく考えればリディアがそうなら双子である私にも関係することになるが、どうせこの扱いなのだ。今更両親のどちらかと血がつながっていなかったなんて事実が発覚してもショックはない。
むしろ表のリディアの出自にも問題が発覚すればいいのに、なんて考える。
「そんなに衝撃的な話はないですけれど、リディア様って婚約者のアデルバート様に嫌われているみたいですよ。ほら、前にリディアお嬢様が代わりに顔合わせへ行かされたって言ってたあの人です。リディア様は積極的みたいですけど」
「え?」
ローレッタは衝撃的な話ではないと言ったが、その話は十分私を驚かせた。顔合わせのときのアデル様の優しい笑顔が頭に浮かぶ。あの人に双子の姉が嫌われている?
あんなつまらない私にすら親切だったアデル様が、家族からも使用人からも愛されるリディアを嫌うことなんてあるのだろうか。
「本当なの? それ」
「はい、リディア様は王子を見かけると飛んでいって甘い声で話しかけているんですけど、王子は大抵めんどくさそうな顔でかわしているって聞きました。あの子はどうにかならないのかって臣下に相談しているみたいで」
「ふっ。あははっ。なぁに、それ! アデル様っておもしろいのね。ますます好きになっちゃたわ」
アデル様に擦り寄って冷たくあしらわれているリディアの姿を想像したらおかしくなって、ついお腹を抱えて笑ってしまった。傷だらけのお腹は動かしただけで痛いと言うのに、笑いが止まらない。全部ローレッタのせいだ。
というか、リディアが嫌われていると言うことはあの日仲良くなれたはずの私も同時に嫌われていると言うことだから、悲しむべきところなのに。
でもなんだかアデル様が私を私として判断してくれた証のような気がして、嬉しいとすら感じてしまった。
私が笑いだしたのを見ると、ローレッタの顔が誇らしげになった。
「リディア様とアデルバート様の話もっと聞きたいですか? 使用人たちがよく話しているからネタはたくさんありますよ」
私は夢中でローレッタの話を聞いた。お腹は相変わらずひりひりと痛むのに、すっかり気にならなくなっていた。
「お嬢様が元気になるまで、いつまででも話していますから」
ローレッタはにこにこ笑ってそう言った。
その言葉を聞いた途端、今までおかしくて笑っていたはずなのに、いつの間にか私の頬を涙が伝う。
ローレッタが話すのに夢中になっているうちに、気づかれないようにそっと涙を拭った。
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