Ω令息は、αの旦那様の溺愛をまだ知らない

仁茂田もに

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番外編

とある伯爵夫人の巣作り 4

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 ――あったかい……。
 大きくて温かな何かに包まれている。
 そんな感覚があって、ユーリスはまだ重たい瞼を開いた。

 薄暗い視界に飛び込んできたのは端正に整ったギルベルトの寝顔だ。高い鼻梁と男らしい薄い唇。夕闇を映したような紫色の瞳は、今は閉じられていて見ることが出来なかった。

「……!?」

 一瞬どころか、しばらく自分の置かれた状況が分からなかった。
 目の前にはギルベルトの美しい寝顔。ふたりとも裸のまま、ユーリスはその逞しい腕に囚われるように抱きしめられている。どうやら交合の後、気絶するように寝入っていたらしい。

 感じるのは慣れた倦怠感と甘く愛おしい微かな痛み。これまで何度となく経験したその感覚には覚えがある。発情期が明けたのだ。

 それにしても、と視線だけを動かしてユーリスはギルベルトを見た。
 発情期をともに過ごしたことは何度もあるが、発情期が終わりユーリスが目覚めたときギルベルトが一緒に寝ていたのは初めてのことだった。

 彼自身に身体を清められたこともあるし、服を着せてもらったこともある。けれど、ギルベルトは発情期が終われば頑なにユーリスには近づかなかったし、こうして添い寝をしてくれることもなかったのだ。

 初めて見る番の寝顔にユーリスは歓喜した。
 起きているとき、ギルベルトはとても魅力的だ。アルファらしく整った精悍な顔立ちも均整がとれた鍛えられた身体も、その全てがユーリスを惹きつける。

 しかし、前髪を下ろしたその寝顔は無防備でどこか幼い印象を受けた。それは初めて出会ったときの彼を思い起こさせる姿で、その懐かしさに思わず微笑んだときだった。

「ユーリス、目が覚めましたか」

 いつの間にか目覚めていたらしいギルベルトと目が合った。
 透き通った紫色がユーリスを見て身体は平気ですか、と訊ねてくる。

「大丈夫です、……あの、いつもどおり、つつがなく」

 こうやって体調を問われるのは毎回のことだが、裸のまま抱き合っているという状況は何とも気恥ずかしかった。頬を赤らめ視線を伏せて、はたと気づく。

「あの、ここはどこですか?」

 辺りは薄暗く、部屋の様子が見えなかった。
 ユーリスが知る限り、ローゼンシュタインの屋敷にはどの部屋にも採光のための窓がある。
 しかし、この部屋にはそういった窓がなく、小さな洋燈が控えめな明かりを灯しているだけだった。初めて見る部屋だ。

「ここは、私の衣裳部屋です」
「……え?」
「何度か寝台にお連れしようとしたのですが、どうにもあなたが嫌がって……」

 それで、結局ここでそのまま、と言われてユーリスは慌てて身体を起こした。
 薄暗い部屋はけれど、言われてみれば確かにそこかしこに衣服をかけるための横木が渡してあった。しかし、そこに衣服は一着もかかっていない。否、かかっていないのではない。――全て床に落ちているのだ。

 そして、ユーリスは己が何をやらかしたのかを瞬時に理解した。
 発情期が始まって、何かを探していたことは覚えている。どうしても何かが足りなくて、その「何か」を求めて、ふらふらと歩きだした。そして、強く思ったのだ。

 ――「巣」を作らなければ、と。

 発情期にオメガが作ることがあるという番を迎えるための「巣」。その「巣材」は番のアルファの匂いが付いた布。つまり、アルファが普段身に着けている衣服だ。

 そのことに思い至って、ユーリスは赤面した。よくよく見れば、自分たちが寝ているのは衣裳部屋の床の上で、辺り一面にギルベルトの服が散乱している。その上、ユーリスは自分が下敷きにしているのが、騎士服の上に纏うあのペリースであるということに気づいて、悲鳴を上げそうになった。

「すみません……」

 消え入りそうな声で謝罪すれば、ギルベルトが何故謝るのですか、と首を傾げた。

「オメガの巣作りは、求愛行動だと聞きます。俺はあなたが俺の服で巣を作ってくれてとても嬉しかった」
「求愛行動……」
「ユーリス」

 頬を大きな手が包みこみ、唇を寄せられる。それに応えるように首を傾けて、そっと目を瞑った。触れるだけのそれはすぐに離れてしまったけれど、それでも心は満たされている。

 今回ユーリスが巣作りをしたのは、別に求愛行動などではなかった。
 もうずっとユーリスはギルベルトのことを愛しているのだ。巣作りをしようとしまいと、彼を求めていることには変わりはない。

 ただ、前回誘発剤で無理やり発情させられたとき、抱かれたのがギルベルトの寝室だったのがいけなかった。別館のユーリスの部屋とは違い、番の匂いに満ちた彼自身の部屋。彼の寝台で抱かれて、そのとき初めてユーリスは番の匂いに包まれて抱かれることの幸福を知った。

 だから、この巣作りは番のためではなく、自分のためなのだ。
 そう俯きながら告げれば、今度はギルベルトが赤面する番だった。
強く抱きしめられて、耳元でもう一度嬉しいと囁かれた。

「本当に嬉しいので、あまり謝らないで下さい。それに謝るべきなのはむしろ、俺の方です」

 そっと首筋を撫でられて、ユーリスはその感触に目を細めた。
 発情期の熱は引いたとはいえ、オメガの身体は敏感だ。そんな風に触れられれば、またすぐに蕩けてしまう。

 けれど、ユーリスはギルベルトの言いたいことを分かっていた。
 彼が見ているのはユーリスの項。優しく撫でられるたびに微かに痛むのは、そこに噛まれた傷があるからだ。

「酷いことになっています、すみません」

 謝罪とともにどうしても噛みたくなってしまう、と言われてユーリスは瞬いた。ギルベルトが首筋に痕を残すのを殊更好むのは知っていたが、それに理由があるとは知らなかったからだ。

 不思議そうに見つめるユーリスに、少々気まずくなったのだろう。苦笑しながらギルベルトはあなたを何度も自分のものにしたくなるのだ、と言った。

「項を噛めば、あなたは俺のものです。だから、もうすでに何度も噛んでいるというのに、何度も噛みたくなる。あなたを離したくないから」

 そう告げたギルベルトはまるで叱られた子どものような顔をしていた。
 それが悪戯が見つかったときのミハエルによく似ていて、知らず微笑んでしまう。
 どうしてそんな顔をしているのだろう。自分は、何も怒っていないのに。

「ギルこそ、謝らないで下さい。僕も痕をつけてもらえるのはとても嬉しい……」
「ユーリス」
「では、嬉しい同士なので、何の問題もありませんね」

 ふふ、と笑って言えば、また強く抱きしめられた。触れ合う素肌が心地よくて幸せで、ユーリスもその広い背中に腕を回す。

 発情期の終わり、番と抱き合う幸福。巣作りを褒めてもらえる喜び。
 初めて知るそれらが嬉しくて、ユーリスはただただ満たされていた。
 彼と想いを通わせるまで、こんな幸福があるとは知らなかった。
 触れ合うだけではなく、心まで溶けてひとつになるような幸せがあるとは知らなかったのだ。




 その数日後、ギルベルトの衣裳部屋に簡易の寝台が運び込まれた。
 衣裳部屋に、寝台。
 衣装選びに時間をかける貴婦人だって、さすがに寝台までは置かないだろう。

 寝台を運んだ業者は首を傾げていたけれど、ローゼンシュタイン家の使用人たちはみなその用途を知っていた。誰も口にはしないけれど、聞かずともみな理解していたのだ。
 そのことを知ったとき、ユーリスは恥ずかしくて死ぬかと思った。

 しかし、それを命じたのがギルベルトで、けれども命じる前より早く家令オットーにより手配されていたらしいという事実は、可愛らしいオメガの主人には知らされなかった。
 知ってしまえば恥ずかしがり屋の番が、二度と巣作りをしてくれなくなるかもしれない。
 そう思った当主が使用人全員に箝口令を敷いたからであった。



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