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1. 振り乱す赤い髪とズレた眼鏡
「マリー! マリー!」
ラヴァンディエ伯爵家の屋敷内で、若き当主のフランク・ド・ラヴァンディエが妹を探す余裕のない声が響いた。
フランクは肩で切り揃えられた赤い髪を振り乱し、瓶の底ほどの厚みのあるレンズがはめ込まれた眼鏡がその重みでずり落ちるのをグイッと押さえながら早足で廊下を歩く。
何度もマリーの名を呼びつつ、そこらの壁にぶつかりながら廊下を歩くフランクを、白髪で口髭の生えた老齢の家令ジョルジュがため息混じりに呼び止めた。
「フランク様、どうなさったのですか? マリーお嬢様は朝からエマと街まで出かけております」
「ジョルジュ! いつ頃帰るか分かるか? 人の人生がかかっているほどの急ぎの用なんだ!」
「もうそろそろお帰りになる頃だと思いますが」
「はぁー……。早く帰って来てくれ……」
頭を抱えてしゃがみ込んでしまった当主のフランクに、ジョルジュは言いたいことを飲み込みつつ首を傾げながら手を差し伸べた。
「フランク様、とにかく落ち着いてください。そうだ、サロンでお茶でもいかがですか? そのうちお嬢様もお帰りになりますよ」
何とも情けない事この上なく、伯爵家当主失格と言われてもおかしくはない様子のフランクは、幼い頃から知るジョルジュの方をそっと見上げて、涙目になりながら頷いた。
「すまない、ジョルジュ。僕はまた取り乱してしまって……。ああ、やはり僕に当主なんて出来っこないんだ……」
「フランク様、そのようなことはございませんよ。さあ、参りましょう」
ジョルジュに脇を支えられながら、レンズの重みで再びズレた瓶底眼鏡を直したフランクはフラフラとサロンへと向かった。
そしてちょうどフランクがサロンの扉に手を掛けた時、玄関の方から何やら声がした。
瞬間、フランクは顔を上げ突如その表情を明るくする。
また弾みでズレた瓶底眼鏡をグイッと戻しながら、今度はジョルジュに元気よく命じた。
「きっとマリーだ! ジョルジュ! とりあえずお茶は準備しておいてくれ!」
「承知しました」
そう言ってフランクは玄関に向かってまた髪を振り乱しながら早足で歩いて行った。
度数の合っていない瓶底眼鏡をかけたフランクは、遠近感が掴めず何度も曲がり角で壁に衝突している。
そんな若き主人の後ろ姿をジョルジュは心配そうに見つめては、ハッと思い出したかのようにお茶の支度を開始した。
広々とした玄関ホールには明るい声が響いている。
そこには真っ黒いワンピースを身につけた令嬢と、その侍女が立っていた。
「結局、今日もたくさん買い物したわね」
「荷物はお嬢様のお部屋に運んでおきますね」
「ありがとう、エマ」
フランクとよく似た赤い髪を持つ令嬢マリーとブルネットの髪色を持つ侍女のエマが屋敷に着くなり、出迎えた他の侍女が声を掛けた。
「お帰りなさいませ、マリーお嬢様。何やら先ほどご主人様がお嬢様をお探しになっていたようですよ」
「お兄様が? 何かしら?」
そうマリーが言った時、廊下の向こうから瓶底眼鏡を押さえながら兄であるフランクが珍しく早足で近付いて来るのが見えた。
「マリー! ああ、良かった! この兄をどうか助けてくれないか! ひいてはお前のためにもなるんだ!」
「お兄様、どうなさったの?」
マリーは息切れをしながら近付いて来た兄の乱れた髪を手櫛で直し、興奮気味に話しかけた拍子にズレた眼鏡を元に戻してやった。
「実は……、いや続きはサロンで話そう。僕はものすごく喉が乾いた。ジョルジュがお茶を用意してくれているから」
「分かったわ。では、サロンへ参りましょう。エマ、荷物をよろしくね」
エマは心得たとばかりに大きく頷いた。
この荷物はマリーにとってとても大切な物であるから、必ずや丁寧に運んでみせるとグッドサインをして見せた。
それを見たマリーはアメジストのような紫色の瞳を細めてにっこりと笑う。
「ありがとう、エマ」
これからきっと一波乱あるのだろうと長年の経験から悟ったエマは、気の毒な主人マリーに同情と激励の視線を送っていた。
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