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15日目④

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 チェフ家の令嬢に声を掛けられ、振り返ってみた。けれど、レオナードは彼女に背を向けたまま。ああ.........ご令嬢の『あんたじゃない』という視線が痛い。

 とりあえず、私だけ彼女の視線を受けるのは不公平な気がして、レオナードを巻き込むことにする。

「レオナード、呼ばれているわよ」

 そう小声で囁きながら、レオナードの袖を引けば頭上から、ちっという舌打ちが降って来た。

 舌打ちなんて公爵家のご長男にあるまじき行為だし、私に対してもあるまじき態度だ。馬車に戻ったら、覚えとけと心の中で悪態を付く。でも、レオナードは振り返ってくれた。嫌々感丸出しだったけれど。

「どうされました?………レディ」
 
 『………』の間に、レオナードは目を泳がせた。あくまで推測だけれど、どうやら彼はチェフ家の令嬢の名前を思い出せなかったようだ。

 ま、私なんて思い出すどころか、そもそも名前を知らないので、レオナードを咎めるつもりは無い。 

 そして名前ではなく、レディという大雑把な名称で呼ばれた、チェフ家の令嬢は、くしゃりと顔を歪めハンカチを握りしめながら、一歩こちらに近づいてきた。

「今日は、私をエスコートしてくれるはずではなかったのですか?なのに.........」

 どうして、こんな成り上がり風情のインチキ令嬢なんかとダンスを踊っているの?

 チェフ家の令嬢は、後半の部分は声に出しては言ってはいないけれど、その表情、目つきでしっかり伝わってきた。

 憎悪の込められたその眼差しに、お前と婚約したくないからだよと、いっそ正直に言いたくなる。と、同時に、なんか申し訳ないとも思ってしまう。

 今日のチェフ家の令嬢は、性格を覗けばとても可愛らしい姿だった。若草色のドレスは、レオナードの瞳の色を意識したものなのだろう。髪型もやり過ぎ感は否めないけれど、私より遥かに凝ったもの。そう、彼女は今日この日をとても楽しみにしていたのだ。
 
 それに、彼女が何か悪いことをしたわけではない。けれど、レオナードにはレオナードの事情がある。ついでに言うと私も契約に基づいて行動しているだけだ。

 だから誰も悪くない。こうなることは仕方の無いこと。でもちょっぴり、やるせない。そんな思いが沸き上がる。

 けれど、しくしくとした痛みを胸に覚える私とは反対に、チェフ家のご令嬢はなかなか図太い神経の持ち主だった。

「…………少しだけ、お時間をください。ほんの少しだけで良いのです」

 謙虚な物言いだけれど、嫌とは言わせない何かを秘めた強い目力だった。これもまた女子力の一つなのだろうか。

 でも、残念ながらスキル不足のようで、レオナードには届かなかった。

「あいにく、彼女が疲れておりますので」

 ………彼女。え?私!?

 切り捨てるようなレオナードの口調とその言葉を理解するのに、時間がかかってしまった。そして、理解した結果、これは超が付くほどの、とばっちりだということに気付く。言っておくが、私は疲れてなんかいないし、もっと言うなら、対岸の火事でいたいのだ。

 そんな気持ちでぎょっと目を剥く私の肩を抱き、レオナードはくるりと令嬢に背を向けると、すたすたと歩き始めてしまった。もちろん肩を抱かれている私も引きずられるように、歩くほかない。

 でも、背後からチェフ家の令嬢の嗚咽が聞こえてくる。男の人の嗚咽なら余裕で無視できるけれど、やっぱりか弱い女性のそれは、どうしたって良心が痛む。

「ねえ、レオナード、私が言うのも何だけれど、本当に............良いの?」
「何を言っているのか良くわからないな、ミリア嬢」
「とぼけないで。チェフ家のお嬢さん、泣いてるわよ?このままほっといて良いの?」
「………………君は、その意味をわかって口にしているのか?」
「ぶっちゃけ、そこまで深く考えていないわ。でも、泣いている女性をそのままにして帰るのは、良心が痛むのよ。まぁ明日になれば忘れる程度の痛みだけど」
「……………仕方がないな」

 少しの間の後、レオナードは溜息を付きながら、足を止めた。

「ミリア嬢、すぐに戻る。悪いが、ここで待っていてくれ。くれぐれも、絶対に、何があっても、ここに居てくれたまえ。まかり間違っても独りで帰ろうなどと思わないでく────」
「しつこいわ、レオナード。もうこれ以上何か言ったら、それ、押すな押すな的なフリとして受け止めるわよ?」
「………………わかった。これ以上の念押しはやめておく。では、行ってくる」

 そう言い捨てて、去っていくレオナードの後姿を見送る私は、ちょっとだけ胸が軋んだ。自分から言い出したくせに。

 痛みも、もやもやも散らすように、私はどこかに消えていった二人から背を向け夜空を見上げる。

「………………早く帰ってきてくれなかったら、置いていくからね」

 そんなことを小声で呟いてみる。夜空に消えた私の声は、びっくりするほど拗ねたものだった。こんな声を出す自分にちょっと驚く。

 けれど、その驚きはすぐに消えた。なぜなら────。

「レオナードには独りで帰ってもらう。今夜こそ、あなた帰しませんよ。ミリア嬢」

 二度と聞きたくないと思っていた軽薄な声が耳朶に響いた途端、私は強い力で、茂みの中に引き込まれてしまったのだ。
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