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第2章 正しさの在り方

13 偽善者

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 少しして、私たちは別れた。
 善子さんとは家の方向が全く違うから、別々の帰路につく。
 校門の前で手を振って別れて、いざ帰ろうとした時だった。

「ちょっと待てよ」

 嫌な声に呼び止められて足が止まる。
 気がつかなかったフリをしてそのまま進んでしまえばよかったのに。
 変な所で律儀というか。こういうところがダメなのかもしれない。

 振り返るとそこにいたのは案の定、正くんだった。
 サッカー部のユニフォームのまま、爽やかな汗を滲ませながら得意げに立っていた。
 健康的な汗が、ピアスと一緒に陽の光で煌めいている。
 今日だけで一体何回目? ちょっとしつこ過ぎる。

「試合、見てくれてたんだろ?」
「あ、ごめん。見られなかったんだ」
「恥ずかしがる必要ないだろ? お前が教室の窓から見てたの、知ってるよ」

 やっぱり見つかってたか。
 でも、ふと窓の外に目をやっていただけでまじまじと試合を見ていたわけでもないし、別に私は嘘はついてない。
 けれど正くんは、どうやら私を照れ屋さんにしたいみたいだった。

「確かに窓の外に目をやった時もあったかもしれないけど、試合は見てなかったんだ。ごめんね」
「花園も往生際が悪いなぁ。目、合ったじゃないか」

 往生際が悪いのはどっちだよ、という言葉をぐっと堪えた。
 正くんが言いたいのはきっと、ウィンクをしてきた時のことなんだろう。
 確かにそこだけ切り取ってみれば、そう見えるかもしれない。

「どうせだったら近くで見ればよかったのに。結構盛り上がってたしさ」
「用事があってね」
「用事? それ、試合よりも大事?」

 この男は、一体どこまで傲慢なのか。
 世の中の女がみんな自分をちやほやしてくれると思ったら大間違いだ。
 さっき善子さんの話を聞いて、少し見方や印象が変わった気がしていたけれど。
 こうしていざ対面してみると、嫌悪感を通り越して呆れてしまう。

 やっぱり、同情の余地も気に掛けてあげる必要性も感じなかった。
 正くんが変わってしまった原因が善子さんに対する失望だったとしても、こんな人に成長してしまったのは、紛れもない正くん自身の責任なんだから。

 むしろ、善子さんのあの話を聞いて正くんへの思いやりを知っている分、何も考えず自分勝手に振舞っている正くんに、腹ただしい気持ちが沸きすらした。

「大事な用があったの。善子さんとね」

 だから私は、つい意地悪な気持ちになってしまった。この人には少しくらい強く言わないと、と。
 正くんが善子さんのことを苦手にしていることは、元から知っている。
 善子さんを引き合いに出せば、正くんが面白く思わないことも。

「……何であんな奴なんかと。俺、昼休みに言ったじゃないか。試合があるって」
「善子さんの方が先に約束してたし、そっちの方が大事な用だったから」

 正くんの表情があからさまに曇った。
 さっきまでは勝利の余韻か、とても機嫌が良さそうだったのに、今では影も形もない。
 眉間に刻まれた皺の深さが、その感情を強く表している。

「花園さぁ、お前何なんだよ。いつも俺のことそうやってぞんざいにしやがって」
「そんなつもりはないよ。ただ、都合が合わないだけで……」
「僕よりもあんな奴を優先する時点で、僕のことをバカにしてるじゃないか」

 予想以上の反応に、私は戸惑いを隠せなかった。
 これは苦手にしているどころの話じゃなくて、明らかな敵意だった。
 けれどそれよりも、正くんの言葉に納得がいかなくて、私は思わず言い返した。

「善子さんは立派で素敵な人だよ。善子さんのことを悪く言わないで」
「うるさい! あんな奴より、俺の方がよっぽど優秀だ! あんな奴、ただの偽善者じゃないか!」
「────!」

 あまりの言い草に、頭がカッと熱くなった。
 これ以上この場にいたくない。正くんの顔を見ていたら、自分が何を言ってしまうかわからない。

「私帰る」

 そう言い捨てて私は踵を返した。
 正くんの返答を聞く気なんてなかったし、そんな余裕はなかった。

「このままで済むと思うなよ!」

 コケにしやがって、と悪態をつく声が僅かに聞こえたけれど、無視した。
 今はとにかく、一刻も早くこの場を離れたかった。
 私はただただ足早に、走る寸前の速さで歩いた。

 善子さんのことを偽善者だなんて、そんなの一番言っちゃいけない言葉だ。
 あんなに優しい人に向かって、よりにもよってそんな。他でもない正くんが。

 正しく生きると決めて、そう足らんとしている善子さんが、そんな風に罵られることが我慢できなかった。
 確かに私と善子さんは家族ではないし、学校でも学年が違うから関わる時間は限られてる。
 それでもいつも私を気にかけてくれて、顔を合わせれば気さくに声を掛けてくれる善子さんのことを、私は大切な友達だと思ってる。

 そんな友達をあんな侮辱のされ方をしたら、我慢できるはずがないんだ。
 本当はビンタの一つでもしてやりたかったし、そうするべきだったのかもしれない。
 でもそれをしてしまったら、きっと私は正くんに対して引け目を感じてしまうと思った。冷静になった時に後悔すると思った。
 だから私は立ち去ることで、何とかそれを抑え込むことにした。

 明日もまた、いつものように声を掛けてくるのかな。
 でも向こうも結構怒っていたし、流石にもう諦めるかな。

 ずんずんと歩き進めて、少し冷静になった頭で考える。
 クラスこそ違うものの、同じ学校に通う同学年の男の子。嫌でも顔を合わせる機会がある。
 その時気まずい思いをするのは、それはそれで嫌だなぁ。

 でも謝る気にはなれないし、別に謝りたくはなかった。
 確かに大人気ないことをしたかもしれないけれど、でも私はまだ大人じゃない。それは正くんも同じ。

 多少気まずいのは仕方がないと飲み込もう。
 そもそも正くんと顔を合わせて、あまりいい気分にならないことには変わりがないし。
 しばらくはこれを我慢するしかない。それくらいのこと、善子さんのことを思えばへっちゃらだ。

 でも後で、晴香に愚痴を聞いてもらおう。
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