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第一部 邪神の神子と不遇な王子
3
しおりを挟む燻製に必要なものは、野菜や肉、魚などの材料。
魚ならば下処理が必要だ。内臓を取り除いて、開いておく。それから水分を抜くために、直接塩をすりこむか、ソミュール液という塩やハーブを入れた水に浸ける必要がある。
その後、塩分を抜いて、日陰で干し、燻煙した後は、すぐに食べてもいいが、熟成させたほうがいい食材もある。煙っぽさが和らぎ、全体に味がなじんでおいしくなるそうだ。
「簡単に燻煙するだけなら、木のチップの上に網を敷いて、鉄製のボウルで蓋をするだけでも出来るのよ。長く保存はできないけど、これはこれでおいしいわ」
「なるほど、木のチップ。燻煙というのは、のろしを上げる時の煙に近いんですかね?」
「え、のろしなんて上げたことないから、分かんないわよ」
ロドルフの質問に、有紗は困った。
「でも、のろしって歴史小説にはよく出てくるわよね! 見てみたい! やってみたい!」
「はあ。あんなものを見たがるなんて、お妃様は変わってますなあ。今度、のろしを上げる訓練をする時に、お誘いしますよ」
前のめりで頼み込む有紗に、ロドルフは引き気味である。有紗がロドルフに詰め寄っていると、レグルスに手招かれた。
「アリサ」
「ん? あ、ごめんなさい。ロドルフさんに失礼だったわね」
「…………」
どうして黙るのか謎だが、たしなめられたと思った有紗は、ロドルフにも会釈して謝った。
「ええと、ごめんなさい?」
「はっはっは。若くていらっしゃる。当てられるので、目の前ではおやめください」
「なんの話?」
有紗が訊いてみても、ロドルフは笑うだけである。よく分からないが、レグルスが隣の椅子をポンポンと叩くので、有紗は大人しくそこに戻った。
「えっと、とにかく燻すのよ。バーベキューの鉄板の隅を借りても、同じことはできるわ。でも長時間の保存に向いてるのは、冷燻っていう方法なの」
有紗は説明を続ける。
燻煙には、冷燻、温燻、熱燻に分かれている。それぞれ温度が違うのだ。
「チップは熱燻向きなんだけど、木くずの粉を固めたウッドの作り方はわかんないから、とりあえずチップで試すしかないわ。魚ならソミュール液が向いてるかな? 塩と砂糖とスパイスを入れた水を沸かして、常温に戻してから、魚を一日くらい浸けておくの」
「なるほど、塩と砂糖ですね。スパイスは何を?」
「カルダモンとベイリーフって分かる?」
「カルダモンとベイリーフですか?」
レグルスは聞いたことがなかったようで、ロドルフとウィリアムのほうを見た。彼らも首を振る。
「王都に行けば、南方からの商人も来るので、売っているかもしれませんが、まずはイライザに訊いてみましょうか」
ロドルフがそう言い、ウィリアムにイライザを呼びに行かせる。少ししてイライザが書斎にやって来た。
「分かりませんわ。ハーブはそろっていますが、南方産のスパイスは高価ですから……」
「ローリエは?」
有紗が問うと、イライザは唇に微笑みを浮かべる。
「月桂樹の葉を乾燥させたものですわね? ありますよ」
「風味は違うけど、代用できなくもないらしいし、ローリエにしておこうかな。塩水に浸けるってことが大事だから、スパイスは好みで変えればいいらしいし……」
イライザにも燻煙について教えると、イライザは前のめりに食いついてきた。
「新しい調理方法ですか? 私もお手伝いしたいです!」
「おお、それはいい。イライザの料理の腕は、城で一番だからな。同じ物を作らせても、何故かイライザのほうがおいしいのだ。材料は同じなのに不思議じゃな」
ロドルフがそう言うから、間違いないだろう。
「分かるわ。私が書いてある通りに作っても、料理が上手い人が適当に作ったもののほうがおいしかったりして、納得いかないのよね」
まさに有紗の友達にそのタイプがいる。深く同意する有紗である。
思案していたレグルスが口を開く。
「煙を充満させるっていうことが肝のようですね。鉄製品より木工品のほうが手軽なので、燻煙用の木箱というのを作りましょうか。あとは、魚ですね」
「塩水につけて、塩を抜くのに一日半は見てたほうがいいから、先に魚を用意したほうがいいかな。待ってる間に、木箱を作って、木のチップも作るの。あ、でも、木のチップ、桜しか使ったことがないのよね」
困ったら桜の木を使っておけば大丈夫らしいから、有紗はそれしか使ったことがない。
「つまり香りを付けるわけですから、燃やした時に香りの強い木ならいいわけですな。村に詳しい者がおりますから、用意するように言います」
ロドルフがそうまとめたことで、話が固まった。
「魚が必要なら、明日の早朝に出かけましょうか。試作用に数匹釣ってくればいいでしょう」
「ではロドルフ様、騎士に護衛するように伝えておきますね。村への連絡もお任せください」
「頼むぞ、ウィリアム。ああ、騎士は魚釣りの心得がある者を中心に頼む」
「畏まりました」
ウィリアムが部屋を出て行き、イライザも午餐の準備があるからと退室した。
「これが上手くいったら、植樹をして森林保護をしなきゃいけなくなりそうね」
「森林保護ですか?」
有紗の呟きを拾い、レグルスが不思議そうに問う。
「そうよ。切るだけなら森が消えちゃうわ。山や森は大事よ。土地を豊かにするものね。山の状態が良ければ、川や海も潤うんですって」
「そうなのですか……。確かに、切ったら切りっぱなしですね。村の共用林以外は、領主の持ち物ですから、そこなら保護できます。計画的に切って、植えて育てていけばいいんでしょうか」
レグルスはさらさらとペンを走らせ、樹皮紙にメモをする。
「そうですなあ。木を切った後、そこを野焼きして畑に変えてしまいますから、森は年々減っています。狩猟の楽しみも減りますから、御領林だけでも守れるといいでしょうな。森と川のつながりはよく分かりませんが、闇の神子様がおっしゃるのですから、それなりの理由があるんでしょう」
ロドルフは思案げに呟く。
「私の世界の、過去の教訓で話しているけど、あんまり鵜呑みにされるとそれはそれで怖いっていうか……」
彼らがあんまりにもすんなり飲み込むので、有紗はたじろいでしまう。すると、レグルスはあっさりと返す。
「しかしアリサはそれが良いと思うから言っているのでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「話を聞いて、それがいいと思ったから、こちらも議題に上げているんです。目先の利益より、長期的に利益を得るほうがいい。領民も話せば分かってくれますよ」
ロドルフも肯定する。
「そうです。無理そうならば、そう言っていますよ。お二人は『女や子ども、老人が住みやすい国』を目指しているんでしょう? その上での提案なんですから、一考の価値はあるというもの」
そして、面白そうに目を細めた。
「わしはそろそろ隠居の身ですからなあ。お二人をお手伝いして、どんなふうに変わっていくのか。それを見るのが楽しみです」
「隠居? そんなに若いのに?」
驚く有紗に、面映ゆそうにロドルフは口を開けて笑う。
「ははっ、ありがとうございます。しかし人生五十年といいまして、もう老いぼれですよ。殿下が王になるのを見るまでは、生きていたいものですなあ」
「奥さんは?」
「妻はとうの昔に亡くなりました。息子を産んだ後、体調を崩しましてね。息子も息子で、都から戻ってきませんし。まったく、親不孝者ですよ」
ふんと鼻を鳴らし、ロドルフは口元をぐっと引き締める。こんな顔をすると、古民家の屋根にのっている鬼瓦に似ている。
(レグルスといいロドルフさんといい、家族関係でいろいろとあるのね)
しかし家族関係に口を突っ込めるほど、有紗はロドルフと親しくはない。
困って、ほんのり苦笑を浮かべる。
「ロドルフ、寂しいならそう言えばいいのに。こちらに戻ってくるように、私が手紙を出そうか?」
レグルスの気遣いに、ロドルフは目に見えて揺らいだが、結局、首を振った。
「いえ……いつかは息子も分かってくれるはずです。ありがとうございます、殿下。優しい方ですなあ」
そう言って、ほんのり目を潤ませるロドルフが、有紗には少し気の毒だった。
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