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第二部 光と影の王宮
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しおりを挟むさっそく明日にでもお茶会にしようと、レグルスは招待状をしたため始めた。
まだここの文字はさっぱり分からない有紗が、横から見ていると、伝令の騎士がやって来た。
「殿下、大変です」
「今度は、いったいなんだ」
このパターン、有紗でも嫌な予感がした。
「エドガー王子が毒でお倒れになりました」
「……エドガーが?」
「嘘でしょ!?」
いぶかしげに眉をひそめるレグルスに対し、有紗は声を上げる。まさに探りを入れようとしていたタイミングだったので、驚いたなんてものではない。
「それで、神子様に助けていただけないかと陛下からお願いが……」
「分かったわ、すぐに行く」
「君は陛下にそう伝えてくれ。アリサ、案内します」
招待状や文房具はローテーブルに置いたままにして、有紗とレグルスは別宮を出た。
エドガーがいるのは、レグルスの別宮から結構近い。それぞれ低い塀で区切られているため庭からの行き来はできないが、屋根のある外廊下を歩けばすぐだった。
白い石壁にそうようにして、小ぶりの薔薇が植えられている。おとぎ話に出てきそうな可愛らしい雰囲気の別宮だ。本来なら姫君に与えられる一画を、レジナルドが選んだためらしい。
建物がよく見える位置で立ち止まり、レグルスは有紗に説明する。
「本来は側妃には他に住まいを与えるのですが、マール様はエドガーと暮らしているのです」
「ヴァネッサさんの部屋があるみたいに?」
「ええ。王子には別宮を、王女は母上のように、塔を与えられています。最上階に住むことで、安全を守りやすくするためです」
出入り口に騎士が立てば、少ない護衛でもしっかり守れるという考えのようだ。
「マール様は気鬱をわずらっているので、静かに暮らせるようにと、こんなふうに緑豊かな宮を使うように、父上が気遣ったんですよ。エドガーは、母親の世話をしているんです」
「親孝行な、良い息子さんじゃない……!」
そういう話には弱い。涙腺がゆるみ、有紗はぶんぶんと頭を振って誤魔化す。
「今は、エドガーは王位争いのため、ほとんど領地にいますがね。以前は、庭でよく絵を描いていましたよ」
「へえ」
穏やかに暮らす母子が想像できて、有紗はレジナルドが優しい人で良かったなあと感じ入った。
「闇の神子様、お待ちしておりました!」
そこで、出入り口を守る騎士が歩み寄ってきて礼をとったので、有紗はのんびり話している場合ではなかったと気をひきしめる。
「エドガー王子はどちら? レグルスも一緒に行って構わないわよね?」
「ええ、もちろんです。こちらへ」
もう一人の護衛に合図をしてから、騎士は有紗達を連れて別宮の中へ踏み込む。エドガーの部屋は、二階の手前側だ。
深緑色の天蓋がついたベッドで、エドガーは細い息をしている。お腹を抱えるようにして丸くなっており、額には汗が浮いていた。黒いもやがエドガーにまとわりついている。
エドガーの傍にいたのは、薬師棟の責任者ギリルだった。
「症状が胃腸炎とそっくりで、幻覚を見るようなので、おそらくヒ素かと。このままでは、体がもちませんぞ」
「王様から頼まれたの。邪気をもらうわ」
有紗が黒いもやを引っ張ってたぐりよせると、出てきたのは、色が濃くて大きなもやだった。甘いにおいがして、有紗にはデザートを思わせる。
「おいしそう。食べちゃっていいかしら?」
「もちろん!」
ギリルは大きく頷き、興味津々という顔で有紗の様子を見つめる。有紗は邪気をちぎって口に放り込む。すると、口の中に甘酸っぱいイチゴと生クリームの味が広がった。
「甘い! おいしいわ。ショートケーキみたい! 食後のデザートにぴったりね」
「良かったですね、アリサ」
レグルスは微笑ましげにつぶやいた。ギリルも目をみはっていたが、患者のほうが気になるようで、エドガーの具合を診る。
「おお、殿下の顔色が戻られた。素晴らしい! 神子様の奇跡に感謝いたします」
ギリルは祈りのポーズをとった。
「お礼は受け取るけど、祈るのはやめてね」
「失礼しました」
邪神の神子だと恐れられるのは嫌だが、神様扱いをされるのも困る。ギリルは頷いて、組んだ手をほどいた。
「んん……?」
その時、エドガーの気が付いた。ゆっくりと瞬いて、こちらを見る。
「あれ、兄様? 僕はいったい……」
不思議そうに起き上がろうとするのを、ギリルがとどめる。
「殿下、そのままで。お倒れになったのですぞ」
「倒れ……? そういえば……」
思い出した様子でつぶやいたエドガーは、ギリルに水を飲みたいと言った。ギリルが吸い飲みで飲ませてやると、ふうと深い息を吐いてベッドに横たわる。体力を消耗したのだろう、疲れ切っている。
「もう大丈夫よ、私が邪気を取ったから」
「これが神子様の奇跡なんですね。苦しかったのが、全然ありません」
「それで、いったいどうして毒を?」
「正餐の後にお茶を飲んでいたら、急に」
すると、ギリルが会話に口を挟んだ。
「毒が入っていたと思われるカップは、床で割れていました。近衛騎士が調べようとしましたが、床にしみこんでしまったので無理そうです」
問題の場所は、寝室の隣にあった。絵の具の置かれた台とイーゼル、小さな椅子の傍、床に小さな黒いもやがあり、有紗にはそこだとすぐに分かる。
「レグルス、あそこだわ」
「ちょうど敷物からそれた場所ですね。運が悪い」
掃除をする人が毒で倒れるとかわいそうなので、有紗はその邪気も拾っておいた。別宮を出る時に持ってきておいたガラスの小瓶に入れておく。後でおやつにしよう。
「それで、誰がお茶を持ってきたんだ?」
寝室に戻り、レグルスはエドガーに質問する。
「さあ」
「いや、さあって」
有紗がツッコミを入れると、エドガーは困り顔をする。こういう顔をすると、レグルスの言う通り、子犬みたいだ。
「ちょうど絵を描いていて、顔を見ていないんです。女性なのは間違いないんですが」
「近衛騎士が捜査しましたが、この宮にいる使用人からは、毒は見つからなかったそうですよ」
ギリルが口添えをし、有紗は首をかしげる。
「はあ。それじゃあ、毒はどこから来たのよ」
念のために、部屋と寝室におかしな点はないか、有紗は目をこらして探してみた。他に邪気は見当たらない。
だが、エドガーが眠そうにしているので、いったん退室することにした。
「レグルス、問題ないわ。帰りましょ」
「エドガー、後で見舞いの品を届けさせるから、養生するんだよ」
「ありがとうございます、お兄様。神子様、あなたは命の恩人です。今度、ぜひ、お礼をさせてください」
ベッドの中からけなげに見つめられ、有紗は大きく頷く。
「ええ、お茶でもしましょ。それじゃあ、お大事に」
そしてエドガーの部屋を出ようとすると、他の部屋から侍女の悲鳴が聞こえた。
「きゃああ、マール様!」
「何事!?」
びっくりして飛び出そうとする有紗を、レグルスが止める。
「アリサはここに。僕が見てきます」
レグルスはすぐに部屋を出ていった。すると、エドガーがギリルに支えられて寝室からふらふらと出てきて、申し訳なさそうに謝る。
「おそらく、お母様が僕のことを聞いたんだと思います。ひどく落ち込むと、その……自傷に走ることがあって」
「マール側妃様のご病気?」
「ええ」
それで「静かに暮らすように」なのか。エドガーの顔を見せてあげれば落ち着くかもと思い、有紗が扉を開けると、ちょうどレグルスがマールを連れてきたところだった。
「エドガー! ああ、良かった。無事だったのね」
「母様、すみません」
涙ぐんで息子を抱きしめるマールの左手から腕にかけて、確かにナイフで傷つけたあとがあった。彼女は有紗のことなど視界にも入っていないようだ。
「嫌だわ。こんな所、もういたくない。アークライトに帰りたい。あの美しい川辺を、お前にも見せてあげたいわ」
「お母様、ここが僕の故郷ですよ。どうか気を確かに」
「どうしてお父様はわたくしを捨てられたの! ひどいわ!」
落ち着いたように見えたマールが、だんだん表情を険しくして怒り始めた。深く立ち込めていく邪気に、有紗は顔を引きつらせる。応急処置で黒いもやを全部引っこ抜いて小瓶に入れると、マールは憑き物が落ちたような顔をした。
「あら? わたくし、何を怒っていたのかしら……。なんだか眠いわ」
「マール様、お部屋に戻りましょ。ぐっすり眠れば、きっとマシになりますよ」
「ええ、そうね、リリア」
誰かと勘違いして、マールは素直に受け入れた。有紗がマールを支えて扉に向かうと、戸口に立っている女官が申し訳なさそうに会釈をした。
「マール様、リリアとお昼寝しましょうね」
やわらかく話しかけ、リリアという女官はマールを引き取って、マールの部屋まで戻っていく。
「ありがとうございます、神子様」
「うーん、あれで治ったか分からないわ。応急処置よ。心の病は簡単には治らないと思うのよね」
「それでも、いいんです。お母様、よく眠れないみたいなので。今だけでも良くなれば、僕もほっとしますから」
なんて良い子なんだろう!
有紗の目元が熱くなり、思わず天井をあおぐ。
「どうしました?」
「ううん、なんでもないの。ちょっと目にゴミが」
そう誤魔化すと、エドガーを休ませるべく、有紗達は今度こそエドガーの宮を出た。
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