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-8-『ホームセンターカストリ』
しおりを挟む俺のバイト先であるホームセンター『カストリ』は、全国展開している日用雑貨店だ。
北海道から鹿児島まで支店があり、それなりにチェーン展開されている。
目立った特徴として、店員の着用義務のあるエプロンにはモチーフキャラクターがプリントされており、名前はアルカポネちゃん。ギャングスターを女体化するというトチ狂ったデフォルメキャラは正気を疑うが、軍艦すら女体化する昨今の情勢なら、許されるだろう。
本日も俺は昇降台の上に乗り、棚奥へ商品の補充をしていた。
前出しというやつで、古い物を前に出して後ろに新規の商品を補充する。
その際、破れや損傷――または賞味期限などが切れていたら、破棄しなければならない。
レジ打ちや商品案内もやるが、主に男に求められる仕事はこんなものだ。
「緋村くーん。培養土を大量に買ういつものおばあちゃんがいるんだけど」
「え、はい。店長」
店長(人妻29歳)の命令によって俺は園芸コーナーに向かった。
一袋二十キロの培養土を右肩に五袋乗せて、レジまで運ぶ作業が俺を待っている。
培養土を肩に背負い、タワーのように積み重ねつつ、ついでに通路の途中で両手を突き出してだっこをせがんできた小さいババアに左手を伸ばし、左肩に乗せる。
「すまないねえ」
「すまないねえ、じゃないよ。毎回大量に買いすぎだし、俺に持たせすぎ。通販にしてください」
「すまないねえ。ついでに駐車場にある定価一億五千二百万のゴールデン・レクサスの荷台に積み込んで欲しいねえ」
「厚かましいババアだな」
自動ドアから外界に出ると、ババアはキーリモコンをピッと操作した。
駐車してある金ぴかレクサスのトランクが開く。
収納スペースは広く、積み込みはすぐに終わった。
オイル切れのロボットのように、ぎこちなく動くババアは運転席に向かう。
お得意様ではあるので、俺は形式的ながらもお辞儀をしてお見送りをする。
「いつもありがとね。ババアからのお礼だよ」
歩いていこうとしたババアは何かを思い出したように立ち止まると、着物をごそごそとやり「ほれ」とかいいながら白い封筒を差し出してくる。
「いいよ、ババア。仕事だからもらえねえよ」
「太郎ちゃんはいつも頑張ってるからご褒美だよ」
「鉄次だよババア。一文字も合ってねーじゃねえか」
「受け取んなさい。ババアはとんでもなく金持ちだから小汚い貧乏人にほどこしてやるのが好きなんだよ」
「ファッキューババア」
ファックとサンキューを組み合わせた造語を繰り出しつつ、俺は封筒を頂くことにした。そうして、運転席に乗り込んだババアはレクサスと共に去った。
アクセル全開で猛スピードで出口の向こうに消える。歩道を通行していたどこかで見たことあるサラリーマンが不意にきた車体に跳ね飛ばされて側溝に突き落とされたが、ババアは気にせず去った。
俺はスマホをタッチし、救急ダイヤルに救急車を派遣するように電話して一息ついた。
――涼しい微風が全身をなでる。
オレンジ色の淡い光を放つ太陽が没しようとしている。
学校帰りのバイトはもう一時間ほどで終わる。
今日も何事もなくて、よかったぜ。
いい感じの疲労感に包まれながらも、バイト先の建屋を振り返る。
最初こそ、店長のむちむちボディに惹かれて衝動的にアルバイトに応募したが、誤算だったのは店長は人妻だということだ。
さすがの俺も、人妻には手を出せない。
人様の女に手を出すだなんて、豚野郎のすることだからだ。
だが――もしも……旦那さんとの仲が冷え切っていたら?
欲求不満だったら?
毎晩、枕を涙で濡らしていたら?
そのときが来たら、俺はどうすればいいだろうか。
少しだけ、悩んでしまう。
ジョントルメンしての行動は、傷心の婦人を慰めることだ。おのれが豚野郎になったとしても、哀れな人妻の心を癒してやるべきかもしれない。
俺には全然そんな気はないけど。
どうしても、といわれたら――仕方ないんじゃないか?
「緋村」
「あっ、先輩」
呼ばれ、声の方に足を向ける。
蒼井先輩が左手に買い物袋を提げて佇んでいた。
道路を挟んだ向かい側にあるスーパーで買い物をしてきたようだ。
うん――やはり、そこに佇んでいるだけでも楚々としてお美しい。
顔立ちは凛々しく、細い身体はしなやかで均等。カモシカのような足と腰回りの小ささが節制による美を醸し出している。
帰宅してる途中であろう制服姿がよく似合っている。
うん。やっぱ人妻に手を出すのはだめだ。
ちょっと目尻に小じわが目立ってたし。
それにしても――先輩の傍にいると心臓の鼓動が速まるのがわかる。
ドキドキしながらも心拍数が上昇し、血液が駆け巡るほどヒートしてしまう。
だめだ、まずいぞ、落ちつけ!
こんなひっそりとした空気だからといって、雰囲気に流されてキスをかましてはならない。
そんなのは不意打ちだ。
たとえ、あと三歩ほど距離をつめて不意打ちで接近すれば可能だとしても、だ。
燃える恋心が自制心を溶かしていく。口の中が急速に渇いて呼吸が荒くなる。
素早く左右を見回した。
なんてこった。
幸いにも人の流れはない……天は俺を選んだのだ。
「荷運びを見ていたぞ。相変わらず力持ちだな。人間とは思えない。熊も倒せそうだ」
三、二、一と心の中で抱きつくタイミングを測り、カウントしてる途中で話しかけられて俺はびくりと身震いした。
「いやぁ、さすがに熊はきついですよ。前に空手漫画に影響されて倒しに行ったときは苦労しました。ほら、胸に爪痕を受けちゃって」
渇いた笑みを浮かべつつ、俺は黒シャツをぐっと引き下げて爪痕を見せる。
死闘になったが、犬のように腹を見せるポーズをするまで追い込んだ。
頬を痙攣させた先輩は顎を引いてよろめいていたが、ごほんと咳払いして持ち直した。
「そ、そうか……ところで、デートをするんだったな。連絡先を交換しておこう」
「えっ、本当にいいんですか」
実のところ半信半疑だった。
「いいとも。ところで緋村、何を持っている?」
「ああ……ババアがくれたはした金の謝礼金――じゃねえ、海王マリンパークの遊覧チケットですね」
封を切ってみると、中身は二枚の入場券だった。
海王マリンパークとは、銀星市の有名観光名所だ。
大型水族館として、日本でも有数の施設。
イルカショーやペンギンショーのCMがお茶の間に流れることもよくあるし、世界で初めて生きた大王イカを捕獲し、飼育しているのでも有名だ。
季節に沿ったイルミネーションや、アイドルを集めた華やかなショーイベントなどで、観光客を呼びこんでいる。
誕生してから年数は経過していないが、有名料理店が軒を連ねたモールもあるし、地元で水揚げした新鮮な海産物も販売しているので地元民にも人気スポットでもある。
「二枚ありますし……ちょうどいい。今週の日曜日とかここでデートしませんか?」
「わかった」
あっさりとした応答に俺は違和感を覚えた。
こう、事務的なのだ。素っ気なさすぎる。
乙女として好きな男とデートする際は多少はもじもじして欲しいが、考えてみればイソギンチャクの化け物との交換条件だったのを思い出す。
「先輩。もしかして気が乗りませんか? っていうか、あのイソギンチャクはどうしたんですか?」
「イソギンチャクはその……食った」
ふいっと顔を逸らして、とんでもないことを言った。
俺はびっくりして先輩の顔を二度見した。
「えぇっ! マジですか! ほんとに!?」
「ううっ、う、まあ、な……油で揚げて刺身にした」
「さっ、刺身に?」
あんなの食えたものではないと思うし、油で揚げると刺身にならない気がしたが、先輩が困ってる風なので追及はよそう。
「さ、ささ、さて……逆に問うが、緋村は私とデートして嬉しいのか。私と交際したいのか?」
話題を逸らすようでもあったが、ずばりと聞いてくる。
面を食らって気恥ずかしくなって、ポリポリと頬をかいてしまう。
「そりゃあまあ……先輩みたいな美人と付き合えたら嬉しいですよ」
蒼井月香先輩は学園に通う大多数の男子生徒にとって憧れの美人だ。
俺は並みいるライバルたちを校舎裏でボコってきたが、本当に先輩はモテる女だということがわかった。毎日のように返り血を浴びたおかげで銀星学園三十七代目獄長という不名誉な地位を得てしまったが、後悔はない。
「緋村、私が思っているような人間ではない。あまり期待されても困る」
湿っぽいトーンでの否定は、寂しげなものだった。
強風で先輩の艶めかしい黒髪がたなびく。
闇を溶かしたような髪は繊細で風で揺れて艶めかしくも、夕焼けのせいか壊れもののような儚さがあった。
美少女の裏にある影。
おいおい、完全にお悩み解決からの恋愛フラグ立ってるぜコレ。
弱みに付け込める最高の機会が来てる。弱った女ほど落ちやすいものはない。エロゲーやギャルゲーの主人公たちだってよくやってる狡猾な手口だ。
「安心してください。先輩は美少女です……だから多少性格が狂っていたとしても俺は受け入れられます」
うつむき加減の先輩に向けて、俺は心を込めて訴えた。
先輩は綺麗だし、可愛い。
だから、多少は変な欠点があっても俺は平気だ。
そう、クーナの馬鹿が宇宙人だとか妄言を吐いていたが、たとえそうだとしても――俺が美少女を愛することには変わりはない。
「緋村……正直なのは結構だが……人前ではクズな発言控えた方がいいぞ」
嫌そうに顔を歪めながら先輩は呆れた風に「ふぅ」と色っぽいため息をつき、胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
通信アプリで連絡先を交換する。
俺は先輩との距離が縮まった気がして小躍りしたい気分だった。
遠くから「緋村くーん」という呼び声が聞こえた。背後で店長が自動ドアの前で手を振っている。また棚卸しの用事か何かだ。
「あ、俺はバイト中でした。先輩、俺は店に戻ります」
「ああ、楽しみにしてるよ」
先輩は手を挙げて俺を見送ってくれた。
恋が始まろうとしている。もう始まっているかもしれない。
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