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18 こんな見知らぬ異世界だから ☆

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(これ、やっぱり露出が……)

 狭い試着室で、キリエはビキニのデザインに頭を悩ませる。

 まさかデートで水着を購入することになるとは思っていなかったものの、いざ選ぶとなると、やはりデザインは気になる。

 クラスメイトたちとの旅行用の水着。
 地味すぎても情けない気分になるし、かといって男性の視線を集めてしまうデザインなんて、まっぴらだ。

 ――いつの間にか旅行への参加が既定路線になっていることは、半ば忘れかけて、水着選びに集中していた。

「ううん……」

 いまいち似合わないと思った水着を脱いで、下着姿に。壁にかけたもう1着に手を伸ばすところで、ふと、鏡に映る自分と目が合って、改めて今の自分の立ち位置を知る。

(…………)

 涼介は今頃、併設されている男性用の水着売り場で時間を潰しているはずだ。
 以前の買い物デートとは違って、ここは水着の試着室。たとえ恋人の試着待ちとはいえ、男性がすぐ近くをウロウロできない。

(恋人……か)

 今更ながらに、その響きにむず痒くなる。

(そっか、私、師藤と付き合ってるんだ)

 少し前の自分なら、絶対に想像できなかった事態だ。
 鏡に映る自分の姿は、以前とほとんど変わっていない。キリエにとっては――当然だが――見慣れた姿。

 髪も、顔も、肩も、胸も、おなかも――

 けれど。
 もうキリエは、以前のキリエではない。この身は一度、恋人に委ねた。裸体を晒して、触れられて、つねられて、舐めてもらって――。

(私、また何を……)

 下着の胸を隠すように、自分の肩を抱く。
 すぐに火照ってしまうようになった、この体がうらめしい。
 
 もうあの頃とは違う。
 男性の肌を知ってしまったし、恋人と結ばれる幸福を覚えてしまった。次に、あんなことをするのはいつになるだろうか……。

 ――いや。
 もしかして、もう自分に興味が無くなっていたら? 幻滅されて、もう触れてもらえなくなっているかも……?

 はしたない期待と、かすかな不安を追い出すために頭を振って、キリエは試着を再開した。



 ■ ■ ■



「どう? いいの見つかった?」

 涼介は、売り場で合流したキリエにたずねた。
 何やら彼女は落ち着かない様子で、涼介から目を逸らす。

「キリエ?」
「う、ううん。……良さそうだな、っていうのはいくつかあったけど」

 涼介にとって、キリエが実際に水着を購入するかどうかはそれほど重要ではない。
 キリエを海に連れて行くにあたって、彼女の心的ハードルを下げさせることが目的だったのだから。

 戸惑った末に購入しないパターンも考えられたが、どうやら彼女はそれなりにお気に入りを見つけたらしい。

「これか、これ」

 本人にしては思い切ったデザインを選んだらしい。見た目の割りに求めやすい値段なのも、気に入った点だという。

 キリエは、なぜかおどおどしながら、

「――どっちがいいと思う?」

 と、たずねてきた。

「あー、これ、試されてるやつ?」

 涼介は苦笑する。

「俺のセンスが……っていうか、どっちも似合うよって言わないと怒られるやつだ」
「ち、違う……!」

 キリエが慌てて首を振る。

「そういうんじゃなくて――」
「?」
「ど、どうせなら師藤が……りょ、涼くんが、好きな方を着たいなって……」
「…………」
「え、あれ……どうしたの?」
「いや、ちょっと」

 涼介は、口元がニヤけた笑みを作るのを必死に耐えた。
 が、無理だった。

「くくくっ……キリエさ、そういうの可愛すぎるから、反則だから」
「な、なによ! なんで笑うの! は、恥ずかしいじゃん……!」

 ひとしきり笑ってから涼介は、

「ごめんって。じゃあ、こっち」

 キリエが提示したのはどちらもビキニだったが、自分の嗜好に素直になって、そのうち片方の水着を指さした。
 
 オフショルダーの水着。
 トップスはフリルタイプの白色。下は細かな花柄で、キリエの明るい雰囲気に合いそうなデザインだった。

「キリエに着て欲しいのこっちだけど、いい?」
「……うん」

 率直な物言いを受けると、すぐに顔に出てしまうのも彼女らしい。

「俺から言い出しておいて何だけどさ、金額大丈夫? 俺が出しても――」
「い、いいから。これくらいは持ってる――でも」
「でも?」
「――すごく恥ずかしかったから。あとで、ジュースおごって」
「はいはい」


  + + +


 キリエの水着を購入して、デパートを出る。

 どこかでカフェでも探して入ろうかと歩いていると、涼介の鼻先に大きめの雨粒が落ちてきた。

「うわ……マジか」

 雨は、あっという間に土砂降りに変わった。 
 昼までは雲一つなく、天気予報でも雨の予想など出ていなかった。涼介も油断していて、折りたたみ傘も用意していない。

 それはキリエも同じだったようだ。

 往来を行く他の人々と同じように、雨宿りできる場所を探して走る。キリエの手をしっかり引いたまま、映画館の軒下へ。

 そこで、涼介に悪い考えが浮かぶ。

(ああ……)

 この映画館の角を折れ曲がった先は、ある意味、有名なスポットだ。映画館で雨宿りという手もあるが、こんなに濡れた服で座席には座れないだろう。

「あー最悪、もうびしょびしょ……」

 ため息をつくキリエの横顔を眺めていると、その悪い思いつきは益々と膨らんでいく。

「なに? どうしたの?」
「ああ、いや……」

 ふいにこちらを向かれて、涼介は話題を逸らす。

「そういえば、キリエと真っ当に話したのって、雨の日が最初だったよなって」
「あ――」

 キリエの顔に複雑な色がにじむ。
 あの日のことは、キリエにとっては苦い思い出のはずだ。

 涼介にとっては、キリエのことを強く意識した始めの日。あの泣き崩れた表情。強がっているくせに、あまりにも脆いまなざし。

「わ、忘れてよ、あんなこと……」
「まさかあの時は、キリエと付き合えるなんて思ってなかったな」
「…………」

 キリエは浮かない表情で、

「涼くんは、私と、その……付き合ってて、楽しいの?」

 長らく、実らない片思いに身を浸していたせいか、キリエは自分の魅力に対して過小評価を下している節がある。

 そんなところが、涼介にとっては絶好の付け入る隙になっていたわけだが――

 それが今では、ほんの少し腹立たしくもある。
 誰しも、自分の『好きなもの』、『認めているもの』に過小評価を下されれば感情を揺さぶられるものだ。

「――キリエ、こっち」
「……えっ?」

 あまり抱いたことのない種類の感情と、先ほどの、不純な発想とが胸中で結びついたとき、涼介はキリエの手を引いて路地へと進んでいた。



 ■ ■ ■



「こ、ここって……!」

 連れて行かれた界隈は、雑多な通りに、ある特定の宿泊施設がひしめく――簡潔に言えば、ラブホテル街だった。

「は、入るの……?」
「雨宿りできるし」
「そうだけど……っ」

 急に胸がバクバクと脈打ってきた。
 水族館の時とは違う、力強い涼介の手と何を考えているか分からない表情に、わずかに怯えが走る。

 ――けれど。
 同時に、全身が沸騰しそうな興奮にも当てられてしまって、キリエは大いに戸惑った。

「な、何もしないなら……いいけど」

 衝いて出た言葉と本心とは、別々のところにあった。



 ――〝チェックイン〟のシステムは、キリエにとって目新しいものだった。

 意外とシックな内装のエントランスに部屋番号が表示されたパネルが並んでいる。この昼間だというのに、8割程度のパネルが暗転している。

 それはつまり、何組ものカップルが部屋を使用しているということで――

(…………っ!)

 今から自分もその一員になることを思うと、雨で冷めていたはずの体が泡立つように熱くなる。

 涼介は比較的落ち着いているようだが、使い慣れているというほどでもないらしい。

「どの部屋がいい?」
「あ、雨宿りするだけだし……どこでもいいから――っ」

 たずねられても困る。
 顔から火が噴き出る思いで、どうにかそう答えた。

 2人がエントランスでまごついていると、入口から別のカップルが入ってきた。

 キリエたちよりやや年上の、大学生くらいの男女。ずぶ濡れの体をしっかりと寄せ合っている。2人も、この豪雨を避けるために急遽、このホテルを選んだらしかった。

「っ――!?」

 いくら見知らぬ他人とは言え、こんなところで鉢合わせしたのが恥ずかしくて、キリエは思わず顔を背け、勢いながらに涼介の左腕に抱きついた。
 何も彼らに対抗する意図ではなく、単に顔を見られるのが居たたまれなかっただけなのだが。

 涼介は何も言わず部屋を選んでくれて、キリエを連れて建物の奥へ。

 エレベーター内に逃げ込んで、ようやくキリエは正面を向いた。手は繋いだままだ。

「ビックリした。気まずいな、ああいうの」
「…………」

 緊張を紛らわすためにか、わざと明るい声で言う涼介に、キリエは黙ってうなずく。

(あの2人も――)

 これからキリエたちと同じように入室していくのだ。
 そして。
 それから……。



 エレベーターは、取った部屋のある4階に到着した。
 廊下は、キリエが知っているホテルよりずっと薄暗く、カーペットの敷きつめられた床は、歩いても物音ひとつ立たない。なんだか、現実味がなかった。

 ロックが自動で解除されているドアへ、2人して入っていく。

 ゴールドと黒を基調にした室内。きらびやかだが、華美になりすぎない間接照明。そして何より、どう目を逸らそうとも意識に入ってくる巨大なベッドは、ここが明らかに異世界であることを示していた。
 
「た、高そうな部屋だよね……あ、荷物ここに置く? 買い物袋、持ってくれてアリガトね。ドライヤー、向こうにあるかな」

 気まずさを誤魔化そうと必要以上にせっせと動くが――
 キリエにも、分かっていた。

「キリエ」

 ベッドのすぐ傍らで、涼介に抱きしめられる。

「っ、あ――」

 雨に濡れた涼介の胸板。長くてゴツゴツした両腕。息づかいが届くほどの距離。
 涼介も普通の状態ではないことが、肌で感じられる。

(興奮、してるんだ……)

 以前、同級生の女友達が、年上の恋人との関係について悩みを吐露していたことがある。

 ――〝自分は体だけを求められているんじゃないだろうか。断るのが怖い。だから仕方なくて……〟

 その時は、理解できない感情だと思った。
 そして、今でもそれは変わらなかった。

(興奮してくれてる……)

 胸がドキドキして張り裂けそうだった。
 悩んでいた友人がおかしいのではない。彼女の悩みは、きっと至極真っ当なのだろう。

 しかし、今のこの感情だって、誰にも否定できない。
 涼介に抱いて欲しい。

 優しくしてくれるだろうか。
 それとも、ちょっと怖い顔をしていたから、少し厳しくイジメられてしまうだろうか。

 でもきっと。
 いや絶対に。

(涼くんとなら……)

 体の芯が、ジンジンと痺れる。
 擦り合わせた太ももが、信じられないほど熱く火照っている。

 涼介の手に、濡れ髪を優しく撫でられる。

 ――それでもう、駄目だった。

 キリエは顔を上に向け、首を伸ばして、無言のうちにキスをねだった。
 彼女の心情を読み取ったかのように、すかさず唇が重ねられる。

(もう無理……こんなの、忘れられるはずない。我慢なんて……できるわけない――)

 暴れ出しそうな感情を何とか押しとどめて――けれどキリエは、目に涙を滲ませて、まだ言わずにいた心情を、きちんと言葉にして彼に伝えた。


「……涼くん。好き」

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