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28 歪みは広がって②

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 旅の一行は、宿では夕食を予約していなかったので、ビーチ帰りに遠回りしてファミレスに寄って比較的安上がりに食事を済ませた。

 和樹と愛花は隣り合って座っていたが――和樹はずっと上の空で、ポニーテールを解いた愛花は、いつもより少し自信に満ちたような顔をしていた。


 ■ ■ ■


 旅館に戻り、男女はそれぞれ大浴場で入浴を済ませた。

 和樹も、虚ろな気持ちのまま旅のメンバーと行動を共にしていた。この中に愛花の相手がいるはずだが――問い詰める気力も持てないでいた。

 しかし男子部屋に戻るのも憚られ、風呂あがりに自動販売機でジュースを買って、旅館の廊下でベンチに座った。

 真っ白な頭でボーッとしていると、

「――和樹?」

 湯上がりのキリエが、浴衣姿で通りかかった。旅館に準備されてあった、女性用のピンクの浴衣だ。

「どうしたの、元気なくない?」

 聞き慣れた幼馴染の声。
 そこでようやく、和樹は現実に連れ戻された気分になった。

「き、キリエ――」

 ふと、彼女のしっとりした浴衣姿に、昼間の姿も重なった。

 見慣れないビキニ姿。
 幼い頃は、よく和樹の家に上がってきては、付きまとっていた彼女は、すっかり成長していた。

(そうだ……キリエは……)

 いじめられていた和樹のことを、陰ながら救ってくれた恩人だ。

 そのあと和樹は、ちょっとした行き違いから彼女をいじめの首謀者と疑ったこともあったけれど……こうして話しかけてくれるくらいなのだから、許してくれているのだろう。

 第一、彼女は和樹に惚れているのだ。

「志乃原さんと、喧嘩でもした?」

 気遣ってくれるキリエ。

(――ああ、やっぱり僕のことを分かってくれるのはキリエだけなんだ)

 愛花の本性は、衝撃的過ぎた。
 あれからまともに彼女の顔を見ることができないでいる。

(そうだ……あんなビッチより、キリエのほうがずっとずっと……!)

 他の男の手で汚されていた愛花。
 それに比べて、ずっと一途に自分のことを思ってくれているキリエ。

 ――そう、天秤にかけるまでもなかったのだ。

 和樹の手足に力が戻ってくる。
 彼はベンチから立ちあがって、

「喧嘩っていうか、別れたんだ。愛花とは」
「え? 嘘」
「本当だよ。……前から、ちょっと違うなとは思ってたんだけど」

 今になって思い返せば、デートの時も、プレゼントを買ってあげた時も愛想笑いのような顔で、本気で喜んでいる風ではなかった。

 手も握らせてくれなかった。
 そのくせ、別の男とはあんな――

「……和樹?」
「い、いや、何でもないよ。まあ、だからさ、旅行の前から、もうほとんど終わりかけてたんだよね――」

 もちろん虚言だが、キリエの心情を誘導するためには、いい手だと思った。

「だからじっくり話し合いをして、別れてもらったんだ」

 記憶は抹消する。
 金輪際、あんな女のことなんて思い出すもんか。
 それよりも――

「……たぶん、僕が悪いんだと思う。本当に好きな人のことに気づいちゃったから」

 和樹は、真っ直ぐに幼馴染のことを見据える。

 彼女と幸せになろう。
 お互いを知り尽くしている仲だ。家のことも、両親のことも。幼い頃からの間柄。きっとうまくいく。

 そう確信すると、和樹の胸にふつふつと自信が戻ってきた。

「キリエ、僕たち付き合わない?」
「は?……え?」

 彼女が戸惑うのも無理はないだろう。

「いきなりだよね、ごめん。でも僕は、前からキリエのことが――」
「ご、ごめん、和樹」
「え?」

 キリエは狼狽しているが、それは和樹が思うのとは少し違うようだった。

「えーっと、うん。和樹、そんなふうに思ってくれてたんだ。……それで、志乃原さんと別れちゃったの?」
「……そうだよ」
「志乃原さんは、そのこと」
「言ってないから、知らないよ」
「そっか……」

 浮かない顔のキリエに、疑念が沸いてくる。

(なんで? もっと喜んでくれてもいいのに……)

 突然の告白に驚くのは仕方ないだろう。すぐに返事は出来ないかもしれない。
 それでも――もっと照れるとか、恥じらうとかあってもいいはずじゃないのか?

 自身の身勝手さに気づかず、和樹は不機嫌になる。

「キリエってさ、僕のこと好きなんだよね?」
「え……」
「色々、助けてくれたし」
「……うん」

 キリエはようやくうなずいてくれたが、しかし、

「好きだったよ。前は」
「……?」
「でもそれは、恋愛っていうより〝刷り込み〟みたいな感じだったのかなって。ほら、小さいときからずっと居たし」
「そ、そうだよ――」

 期待とは違った展開に、和樹の声が上ずる。

「だ、だからさ――」
「……言ってなかったけど、今、私付き合ってる人がいるんだ」
「――ッ!?」

 今度こそ本当に息が詰まる。

「同じクラスの……師藤」

 すぐさま顔が浮かぶ。旅のメンバーの1人だ。和樹とはまったく違うタイプの男子――

「あ、あいつと? なんでっ!?」
「な……何でって」

 和樹の剣幕にキリエは少したじろいだが、一度、大きく深呼吸をすると、

「好きだから。師藤のこと」

 それは和樹が見たことのない、どこか大人びた顔だった。

「…………っ! あ、あんなチャラいヤツのどこが!」
「あー、うん。そうだよね。私も嫌いなタイプだったけど……。今だって、なに考えてるか分からないこともあるし。絶対に、私が初めてなんかじゃないだろうし」
「は、初めてって……!」

 迂闊なキリエは、自分が口を滑らせた認識はないらしいが――さすがの和樹でも、彼女の言葉が意味するところを悟った。

 というより。
 今の和樹には、より生々しくその情景が頭に浮かんでしまった。

 師藤涼介に組み伏せられ、抱かれる幼馴染の姿が。愛花に見せつけられたのと同じ格好で、同じ表情で――とても、嬉しそうに。

「あ、う、ぅあっ……!」
「危なっかしいところもあるんだよね、師藤って。たぶん、私に見せたくない部分もあるんだと思う。……でも、好きになっちゃったから。その辺も、私がどうにか出来たらなぁって。自惚れかもしれないけど」

 もうキリエの言葉は、和樹の耳にはまったく入って来なかった。代わりに、

「き、キリエっ……」

 思わず、彼女に向かって手を伸ばしていた。

「え、ちょっ――」

 キリエはビクッと身を逸らして、その手をあっさり躱してしまった。彼女は眉根を寄せて、

「そういうの、ダメだよ和樹?」

 と、たしなめてくる。

「だって、僕のことが……っ!!」
「今は師藤のことが好きなの。……ごめんね」

 憐憫を含んだまなざしで和樹のことを見て、キリエは、

「もう一度、志乃原さんとちゃんと話したほうがいいよ?……私、もう行くからね」

 そう言い捨てると、呆然と立ち尽くす和樹のことを置いて去って行ってしまった。
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