殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

文字の大きさ
82 / 105
第三章 帝国編(空路編)

文官のつぶやき

しおりを挟む
 例えばサラに獣人のような耳――彼らの五感は人間よりも優れているとオットーに聞いた――や。
 実在する魔導師――アーハンルド藩王国を内陸から沿岸部へとたった一夜で移動したというのだから多分、実在するのだろう――のような特別な何かがそなわっていたら……。
 この文官が漏らした小さな小さな困惑の声も知りえただろう。

「まったく、なんてお姫様だ」

 その一言は後ろに続く三人娘の誰の耳にも届くことはなかった。
 片足を引きずるアイラは本当にエイルに踏まれた足の甲が痛そうで速度が遅く、それでも懸命についてきていた。
 姉のエイルはそれを見ても知らん顔をして自分は無罪、なんて涼しそうな顔を外見だけではしている。
 今夜、アイラからどんな反撃を食らうかもしれないと内心、冷や汗を垂らしていた。

 サラはこの定まりそうで定まらない安定の一文字の抜けた、まるで冒険じみた旅行を楽しもうとはしていたが、やはり自分たちには優れた何かは備わっていない。
 前を行くオットーにしてもどうしてこんな会話をしてしまう間柄になったのか。
 そこにはサラの行動が占める要因が大きかったが……暗雲立ち込める未来にもそろそろ、一筋の光明が見えても 
いいでは、と何気に積もった心労が胸を痛くする錯覚を覚えていた。

 だからオットーが一言でもいいから自分に対して怒りでも繰り言でも、愚痴でもいいから関わって損をした、と言ってくれていたら心は楽になったかもしれない。
 モヤモヤとしたそれは晴れることなく、どんよりとした罪悪感の種を生やし続けていたからだ。
 どなたか私のことを罵ってくれないかしら。母国をめちゃくちゃにして自分は平気な顔で殿下になった卑怯者、とか。

「無理かな……」
「なにか」
「いいえ、なんでもありませんわ。なんでも」
「はあ」

 距離にしてそう遠くないあの昇降口までの間に、そんな会話が成された。
 声を聞きサラを見上げた文官は、そこに主人であるアリズンがたまに垣間見せた憂いを帯びたものを見つけてしまい、ドキリとする。
 入口につき、上がるボタンを押そうとして、オットーの口はつい口を滑らせた。

「殿下は」
「はい? 何か」
「ああいえ、申し訳ございません。殿下に直接、意見するなど罪に問われますな」
「……」

 不敬罪、かな。
 そうサラは罪状を思い浮かべる。
 後ろには侍女たちもいて、前には彼が一人だけ。
 だからといって爵位もその官位も明らかでない男が、一介の役人が王族に声をかけられるなどあり得ない。
 場所が場所なら、その場で不敬罪が成立する。ただ、彼にはこの前、ざっくばらんな会話を求めただから、それは適用されないなーとサラは苦笑した。

「殿下、申し訳ございません」
「お気に――お気になさらずに。オットーさんの話したいことを伝えて下さればそれでよいかと。サラは思います」
「珍しい御方ですな、サラ様は。我が姫も男勝りな優しい姫でした」
「そうですか」
「ええ」

 なんてそつなく返事をするも、聞こえて来たたった一言がサラの心臓をどくんっ、と跳ね上がらせる。

「いまはどのような殿下におなりあせばせた、のですか」
「いま? いまも変わらずですよ。我が姫は変わらず、臣下を見ていてくださいます」
「それでは彼女も飛行船などで行き来をなさるのがお好きなのでしょうか」
「アリズン様ですか? いえいえ、それはありえません。姫はアーハンルドの城塞都市の王宮にておられますですので」
「でもオットーさん。私思いますけど」
「はあ」
「南の大陸の同族との縁も深いアリズン様が、ずっと西の大陸の王宮の中に居続けると、それはそれで同族支援なども行えないはず。皇帝陛下の孫で、数種族の血をその身に受け継ぐなら更に政治的外交をしなければ、国内外の諸侯の目が厳しいでしょうに」
「サラ……様?」
「果たしてそんな重責を担った王女が、王国外にでないなどということがあるのでしょうか。あるとしても、クロノアイズ帝国のような小国に用はないはず。アリズン様……お元気でいらっしゃいますか?」

 オットーの笑顔がぴしりと音をたてて崩ように、サラには見えた。
しおりを挟む
感想 99

あなたにおすすめの小説

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

恩知らずの婚約破棄とその顛末

みっちぇる。
恋愛
シェリスは婚約者であったジェスに婚約解消を告げられる。 それも、婚約披露宴の前日に。 さらに婚約披露宴はパートナーを変えてそのまま開催予定だという! 家族の支えもあり、婚約披露宴に招待客として参加するシェリスだが…… 好奇にさらされる彼女を助けた人は。 前後編+おまけ、執筆済みです。 【続編開始しました】 執筆しながらの更新ですので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。 矛盾が出たら修正するので、その時はお知らせいたします。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完】婚約者に、気になる子ができたと言い渡されましたがお好きにどうぞ

さこの
恋愛
 私の婚約者ユリシーズ様は、お互いの事を知らないと愛は芽生えないと言った。  そもそもあなたは私のことを何にも知らないでしょうに……。  二十話ほどのお話です。  ゆる設定の完結保証(執筆済)です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/08/08

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。 それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。 その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。 この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。 フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。 それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが…… ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。 他サイトでも掲載しています。

処理中です...