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第三章 帝国編(空路編)
閣下のため息
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昇降する壁の中の箱。
そんな不思議なものに乗り、揺られることさらに数分。
入口とは逆向きに作られた出口が開いた時、サラはなぜオットーの部下が自分の後ろに就いたかを理解した。
オットーが壁にある機器を操作して扉を開ける前に、こう言ったのだ。
「殿下、そのまま後ろに向いて頂けますでしょうか」
「え? 後ろにとは、どういうこと?」
「入口はそのままでして。出口は裏側になりますので」
「ああ、なるほど……」
なるほどとは返したものの、その意味がおぼろげに理解するまでには時間がかかった。
獣人の二人の女性兵士はくるりとサラに背を向けると、背筋を伸ばしそれまで発していた嫌な雰囲気はあっというまに引き締められてしまう。
オットーもまた、柔和だった顔が役人の表情に変わってしまい、サラたちはようやく次の段階に進んだのだ、と理解した。
不慣れなまま侍女たちもサラに倣い、後方へと振り返る。
旅人であるサラもまた、帝国皇女としての殿下の顔を思い出すように浮かべ、その態度は凛然とした皇族のものとなっていた。
チラリと横目にアイラのことを見ると、侍女はいろいろと知らされないまま状況が進んでいくことを心配しているのか、神妙な面持ちになっている。
エイルがそんな妹と主人の顔を見比べて、おかしそうにくすり、と口元に手を当てて口角を崩すと、サラの心の中にいくばくかの余裕ができた。
アイラとエイルはいつも勇気を与えてくれるわ、今度は私がきちんとしなくては。
従者たちと共に、帝国の人間としてなすべきことを成そう。
そう心に決めたサラを最初に出迎えたのは、あの嫌味なロプスでも、多くの獣人の兵士たちでもなくて、壁にぽっかりと空いた入り口から突如吹き込んできた、冷たくて肌を刺すような外気だった。
「――寒い?」
さっきまでは南国のそれだったのに。
凍れるような冷気は、決意も新たにしていたサラの心をあっという間に別の感覚で染め上げてしまう。空気は乾燥しつつも湿った臭いがし、だけどどこか籠もったような閉鎖的な空間に出たのだと思わせるようなそんな、香りだった。
外に出るまでもなく見上げたそこに青空は無く、薄暗い天井のそこかしこに人工の灯りが灯るように吊るされていて、そのはるか奥には岩肌のようなものが薄く見えていた。
「先ほど申し上げました通り、あの岩山の――高山の中腹に位置する洞穴につながっておりますので、気温も低いものとなっております。危険はございません、そのままお外へどうぞ、殿下」
言われるまま、誘われるままに侍女たちに前後を守られながら、サラは一歩外へと足を踏み出した。
春の服装はその場でをやり過ごすにはちょっと我慢が必要だった。
「……大したものね。さすが、エルムド帝国……」
しかし、天井を見上げた途端、サラの口からは感嘆の言葉が漏れ出す。
彼女たちがいる場所は、空港から洞穴へと通じる幾つかの昇降機の出口の一つに過ぎなかった。
洞穴の半ばに設えられた通路はむき出しのものだったが、通路を数分歩くとそこには空港の中にあったような建物が待ち構えていた。
そこに入る手前でサラはその声を上げたのだ。見上げても届かない天井、そこから洞穴の壁自体が発光しているかと思わせるような照明が辺りを真昼のように照らし出し、通路の下にはあのハサウェイ王子が乗船していたものと同じような飛行船が十数隻、並んでその階の床と中空にロープで固定されて浮かんでいる。
そこに乗り込むために作られた移動式の階段を伝い、人々がこれから乗船するのだろう。移動していく様が手に取って見えた。
「いかがですかな」
「素晴らしい光景だと思います、オットー様。クロノアイズ帝国の数世紀先を行くようなエルムドの文明の光には……賞賛を贈るしかありません」
「そう言っていただければ、光栄の極みです、殿下。あ、そうだ。私のことはオットー、と。そうお呼びください。単なる管理官の一人にすぎませんので」
「管理官?」
恭しく礼をする彼を見下ろして、サラはそういえば、と確認したいことがあったのを思い出した。彼の階級だ。空港の統治管理を任されている。そんな人物が果たして自分の目の前に姿を現すものだろうかという疑念は、やはり消えていなかった。
「管理者、です。それが何か?」
「こんな重要な場を統治管理する管理者が、一介の下級官吏とはとても思えなくて。オットー様の本意はどこにあるのでしょうか。我が帝国であれば、少なくとも侯爵か辺境伯の地位にあるように見受けられます」
下級官吏にもいろいろとある。
貴族の爵位で言えば、侯爵以下はすべて下級貴族だ。上級貴族は、公爵以上の王族だけということになる。
彼は少なくともアリズンの側近か、彼女の信頼を厚く受けた忠臣か、それとも……エルムド帝国本国の皇帝家の意向を大事にするあちら側か。
そのどこに属しているのかを正しく把握しておく必要があった。
「いやいや、そんな高級な者ではありませんよ、殿下」
「しかし、こうしてここにおられます。単なる子供の遣いというわけではないでしょう?」
その時だ。
女性兵士の一人が、やや不機嫌な声でオットーを呼んだのは。
「閣下。そろそろ参りませんと……」
やや全体の行動を急くような、そんな口調にオットーははあ、と一息をつく。
閣下と呼ばれたことで自分の地位を隠しておけなくなった。そんな感じの一息だった。
「閣下、ですか。オットー様。それでは、爵位も余程……」
「殿下―。そう責めるようにおっしゃらないで下さい。お伝えするのはここでは場が悪いのです。どこもかしこも、自分の目が行き届いているとは限りませんのでな」
どうやら、この空港内でも様々な勢力が裏で動いているらしい。
中にはサラたちがアリズンと接触することを良く思わない者たちもいるのだろう。そんな中、自らアリズンの代理として足を運んできたのね。サラはオットーのことをそう把握することにした。
そして、歩き出す自分の目の前を行く二人の獣人の尾が、これまた不安なのか寒いからか太く膨らんでいることに目が行くと、やはりあれを触らせて欲しいという誘惑が心を優しくしてくれたことにちょっとだけ感謝した。
そんな不思議なものに乗り、揺られることさらに数分。
入口とは逆向きに作られた出口が開いた時、サラはなぜオットーの部下が自分の後ろに就いたかを理解した。
オットーが壁にある機器を操作して扉を開ける前に、こう言ったのだ。
「殿下、そのまま後ろに向いて頂けますでしょうか」
「え? 後ろにとは、どういうこと?」
「入口はそのままでして。出口は裏側になりますので」
「ああ、なるほど……」
なるほどとは返したものの、その意味がおぼろげに理解するまでには時間がかかった。
獣人の二人の女性兵士はくるりとサラに背を向けると、背筋を伸ばしそれまで発していた嫌な雰囲気はあっというまに引き締められてしまう。
オットーもまた、柔和だった顔が役人の表情に変わってしまい、サラたちはようやく次の段階に進んだのだ、と理解した。
不慣れなまま侍女たちもサラに倣い、後方へと振り返る。
旅人であるサラもまた、帝国皇女としての殿下の顔を思い出すように浮かべ、その態度は凛然とした皇族のものとなっていた。
チラリと横目にアイラのことを見ると、侍女はいろいろと知らされないまま状況が進んでいくことを心配しているのか、神妙な面持ちになっている。
エイルがそんな妹と主人の顔を見比べて、おかしそうにくすり、と口元に手を当てて口角を崩すと、サラの心の中にいくばくかの余裕ができた。
アイラとエイルはいつも勇気を与えてくれるわ、今度は私がきちんとしなくては。
従者たちと共に、帝国の人間としてなすべきことを成そう。
そう心に決めたサラを最初に出迎えたのは、あの嫌味なロプスでも、多くの獣人の兵士たちでもなくて、壁にぽっかりと空いた入り口から突如吹き込んできた、冷たくて肌を刺すような外気だった。
「――寒い?」
さっきまでは南国のそれだったのに。
凍れるような冷気は、決意も新たにしていたサラの心をあっという間に別の感覚で染め上げてしまう。空気は乾燥しつつも湿った臭いがし、だけどどこか籠もったような閉鎖的な空間に出たのだと思わせるようなそんな、香りだった。
外に出るまでもなく見上げたそこに青空は無く、薄暗い天井のそこかしこに人工の灯りが灯るように吊るされていて、そのはるか奥には岩肌のようなものが薄く見えていた。
「先ほど申し上げました通り、あの岩山の――高山の中腹に位置する洞穴につながっておりますので、気温も低いものとなっております。危険はございません、そのままお外へどうぞ、殿下」
言われるまま、誘われるままに侍女たちに前後を守られながら、サラは一歩外へと足を踏み出した。
春の服装はその場でをやり過ごすにはちょっと我慢が必要だった。
「……大したものね。さすが、エルムド帝国……」
しかし、天井を見上げた途端、サラの口からは感嘆の言葉が漏れ出す。
彼女たちがいる場所は、空港から洞穴へと通じる幾つかの昇降機の出口の一つに過ぎなかった。
洞穴の半ばに設えられた通路はむき出しのものだったが、通路を数分歩くとそこには空港の中にあったような建物が待ち構えていた。
そこに入る手前でサラはその声を上げたのだ。見上げても届かない天井、そこから洞穴の壁自体が発光しているかと思わせるような照明が辺りを真昼のように照らし出し、通路の下にはあのハサウェイ王子が乗船していたものと同じような飛行船が十数隻、並んでその階の床と中空にロープで固定されて浮かんでいる。
そこに乗り込むために作られた移動式の階段を伝い、人々がこれから乗船するのだろう。移動していく様が手に取って見えた。
「いかがですかな」
「素晴らしい光景だと思います、オットー様。クロノアイズ帝国の数世紀先を行くようなエルムドの文明の光には……賞賛を贈るしかありません」
「そう言っていただければ、光栄の極みです、殿下。あ、そうだ。私のことはオットー、と。そうお呼びください。単なる管理官の一人にすぎませんので」
「管理官?」
恭しく礼をする彼を見下ろして、サラはそういえば、と確認したいことがあったのを思い出した。彼の階級だ。空港の統治管理を任されている。そんな人物が果たして自分の目の前に姿を現すものだろうかという疑念は、やはり消えていなかった。
「管理者、です。それが何か?」
「こんな重要な場を統治管理する管理者が、一介の下級官吏とはとても思えなくて。オットー様の本意はどこにあるのでしょうか。我が帝国であれば、少なくとも侯爵か辺境伯の地位にあるように見受けられます」
下級官吏にもいろいろとある。
貴族の爵位で言えば、侯爵以下はすべて下級貴族だ。上級貴族は、公爵以上の王族だけということになる。
彼は少なくともアリズンの側近か、彼女の信頼を厚く受けた忠臣か、それとも……エルムド帝国本国の皇帝家の意向を大事にするあちら側か。
そのどこに属しているのかを正しく把握しておく必要があった。
「いやいや、そんな高級な者ではありませんよ、殿下」
「しかし、こうしてここにおられます。単なる子供の遣いというわけではないでしょう?」
その時だ。
女性兵士の一人が、やや不機嫌な声でオットーを呼んだのは。
「閣下。そろそろ参りませんと……」
やや全体の行動を急くような、そんな口調にオットーははあ、と一息をつく。
閣下と呼ばれたことで自分の地位を隠しておけなくなった。そんな感じの一息だった。
「閣下、ですか。オットー様。それでは、爵位も余程……」
「殿下―。そう責めるようにおっしゃらないで下さい。お伝えするのはここでは場が悪いのです。どこもかしこも、自分の目が行き届いているとは限りませんのでな」
どうやら、この空港内でも様々な勢力が裏で動いているらしい。
中にはサラたちがアリズンと接触することを良く思わない者たちもいるのだろう。そんな中、自らアリズンの代理として足を運んできたのね。サラはオットーのことをそう把握することにした。
そして、歩き出す自分の目の前を行く二人の獣人の尾が、これまた不安なのか寒いからか太く膨らんでいることに目が行くと、やはりあれを触らせて欲しいという誘惑が心を優しくしてくれたことにちょっとだけ感謝した。
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