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第四章 二人の皇女編
皇女の来訪
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「こんなものまでお出しになられては、こちらとしてはもう殿下に冷たく当たることはできないではないですか」
「そう思って渡しました」
不満を口にする伯爵に、さらりと告げた本音。
この二日間の間に騙し騙されてお互いの心の底が見えなくて。
もうそんな関係はどうでもいいと思えてしまえるような、この瞬間。
まだ顔も知らない部下たちの命だって自分の手の内にある。
「本当にいいのですか。これを頂いたうえはこれからは――我々の駒として生きていただく可能性もあるのですよ」
「……選ぶのはアルナルド殿下ですから。守らなければならない子供の命が二人から二百名と、ちょっと増えただけです」
「サラ様……」
オットーは大きな大きなため息を出した。
それではあなたの幸せはどこにあるのですか。
そんなことを彼は言いたそうだった。少なくともサラにはそう見えた。
「いいのです。彼が帝国に、アーハンルドに足を運んだ際には――そう。その際には――」
「アルナルド様が我が姫を正妻に選ばれたらどうなさるのですか……」
「それはオットー様が口に出してはいけないことでしょう?」
痛いところを突かれて文官は押し黙る。
サラの後ろに控えた二人の侍女たちも言いたいことは同じようで。
身分や権力を得た人間が、ままならない事情のために心を殺すことも必要だということは――誰もがわかっていたけれども、サラの姉妹とも言えるエイルとアイラにとって、この決断は受け入れられるようで受け入れられない。
そんなもののように思えてならなかった。
「中を拝見はいたしません」
「え? でも」
「拝見はいたしません」
文官ははっきりとそう言って封筒を手にすると懐中にしまいこんだ。
そこには一人の女性が決意があったから。
自分が土足で踏みにじることは許されないと彼は思っていた。
「我が主が中身を改めるでしょう。もしかしたら――見ないまま、焼き捨てるかもしれません」
「それはどうして?」
「今この場で会ったことを包み隠さず報告するからです。私とロプス君がアリズン様とサラ様の邂逅を妨げたことも、私が身分を隠してサラ様にクロノアイズ帝国へとお戻りいただけるよう願ったことも。まず、サラ様をこちらのお部屋に通すべきだったのに、アリズン様の御前に案内したことも」
「でもそれをすれば――オットー様がお叱りを得るのでは?」
彼の突然の告白にサラは驚いて心配を口にする。
しかし、彼は首を振って笑いながら答えた。
「問題ございません。我が姫はサラ様よりは幼いものの賢明なお方です。それにもうばれておりますしな、会見の場で助け舟を出していただいたことは。既にばれております、はい」
「それはごめんなさい。もう少し上手にやるべきだったわ」
「いえいえそうではないのですよ。アリズン様が皇族であるという証が、あそこにはあるのです」
「はあ……証、ですか」
「左様。皇族のみが扱える魔導というものも、この帝国にはあるのですよ。それを使えることが逆に言えば、我が主の身の安全を保障しているのです」
「大国には大国なりの特別の事情というものがあるのですね、初めて知りました」
「どこの国でもそうではないでしょうか。一部の特権階級だけがずっと引き継いでいるそんな秘密があるはずですよ。サラ様の御国にも」
まるで見透かされたように言われてしまいサラはドキリとする。
曾祖母の残した秘密。
現王室の悲願であった帝国の血を取り入れること。
自分が仕組んだレイニーとロイズの問題。
そのどれもが今となっては明かすことのできない王国の秘密だ。
「わたしはたまたま、色々な経緯が重なってクロノアイズ帝国の帝位継承者に選ばれただけですから。多くのことを知りません」
「そうですか、そういうことにいたしましょう」
「是非そうしてください」
この会話の中であの封筒の中に何が書かれているのか。
そのことが気にならないサラではなかった。
男性としてのアルナルドは、もう欲しくない。
幼馴染としてのアルナルドは――色々な信頼を互いに欠っした今となっては、元の関係に戻れる気はしない。
それは場所どころか心まで遠い場所に行ってしまって、多分もう二度と戻ってくることはないだろう。
後は――皇女アリズンがいわば下げ払われるようにして、アルナルドを受け入れるかどうか。
それだけの話だった。
「どうなさいます」
「え? どうなさいますとは?」
「ですから」
と、言い文官は手で床下を指し示す。
そこには僚艦がいて、それにはサラの騎士たちが乗っているはずだ。
そう思い至ると、続いてくる言葉は理解できた。
「こちらに寄せていただけるのですね。五十名ほど」
「あまりたくさんの兵士をこちらに招き入れますと、私どももいざという時に身構えてしまうこともあるのですが」
「それはこちらも同じことです」
「確かに――身の安全という意味では必要なものでしょうな」
やっぱり譲歩してはくれないか。
オットーの困ったような笑顔とうなずきが出て、サラも頷き返す。
「ではこれから人名リストを手に入れるようにいたします、早急に」
「はい。よろしくお願いいたします」
とまあ、ここまでは良かった。
いや、サラにとっては複雑なものがあったが、それでも心を平穏に保つことができていた。
短い会談が終わり、文官が去ったあとで奇妙な来訪者が訪れてくるまでは。
サラの心は乱れずに済んだのだ。
「そう思って渡しました」
不満を口にする伯爵に、さらりと告げた本音。
この二日間の間に騙し騙されてお互いの心の底が見えなくて。
もうそんな関係はどうでもいいと思えてしまえるような、この瞬間。
まだ顔も知らない部下たちの命だって自分の手の内にある。
「本当にいいのですか。これを頂いたうえはこれからは――我々の駒として生きていただく可能性もあるのですよ」
「……選ぶのはアルナルド殿下ですから。守らなければならない子供の命が二人から二百名と、ちょっと増えただけです」
「サラ様……」
オットーは大きな大きなため息を出した。
それではあなたの幸せはどこにあるのですか。
そんなことを彼は言いたそうだった。少なくともサラにはそう見えた。
「いいのです。彼が帝国に、アーハンルドに足を運んだ際には――そう。その際には――」
「アルナルド様が我が姫を正妻に選ばれたらどうなさるのですか……」
「それはオットー様が口に出してはいけないことでしょう?」
痛いところを突かれて文官は押し黙る。
サラの後ろに控えた二人の侍女たちも言いたいことは同じようで。
身分や権力を得た人間が、ままならない事情のために心を殺すことも必要だということは――誰もがわかっていたけれども、サラの姉妹とも言えるエイルとアイラにとって、この決断は受け入れられるようで受け入れられない。
そんなもののように思えてならなかった。
「中を拝見はいたしません」
「え? でも」
「拝見はいたしません」
文官ははっきりとそう言って封筒を手にすると懐中にしまいこんだ。
そこには一人の女性が決意があったから。
自分が土足で踏みにじることは許されないと彼は思っていた。
「我が主が中身を改めるでしょう。もしかしたら――見ないまま、焼き捨てるかもしれません」
「それはどうして?」
「今この場で会ったことを包み隠さず報告するからです。私とロプス君がアリズン様とサラ様の邂逅を妨げたことも、私が身分を隠してサラ様にクロノアイズ帝国へとお戻りいただけるよう願ったことも。まず、サラ様をこちらのお部屋に通すべきだったのに、アリズン様の御前に案内したことも」
「でもそれをすれば――オットー様がお叱りを得るのでは?」
彼の突然の告白にサラは驚いて心配を口にする。
しかし、彼は首を振って笑いながら答えた。
「問題ございません。我が姫はサラ様よりは幼いものの賢明なお方です。それにもうばれておりますしな、会見の場で助け舟を出していただいたことは。既にばれております、はい」
「それはごめんなさい。もう少し上手にやるべきだったわ」
「いえいえそうではないのですよ。アリズン様が皇族であるという証が、あそこにはあるのです」
「はあ……証、ですか」
「左様。皇族のみが扱える魔導というものも、この帝国にはあるのですよ。それを使えることが逆に言えば、我が主の身の安全を保障しているのです」
「大国には大国なりの特別の事情というものがあるのですね、初めて知りました」
「どこの国でもそうではないでしょうか。一部の特権階級だけがずっと引き継いでいるそんな秘密があるはずですよ。サラ様の御国にも」
まるで見透かされたように言われてしまいサラはドキリとする。
曾祖母の残した秘密。
現王室の悲願であった帝国の血を取り入れること。
自分が仕組んだレイニーとロイズの問題。
そのどれもが今となっては明かすことのできない王国の秘密だ。
「わたしはたまたま、色々な経緯が重なってクロノアイズ帝国の帝位継承者に選ばれただけですから。多くのことを知りません」
「そうですか、そういうことにいたしましょう」
「是非そうしてください」
この会話の中であの封筒の中に何が書かれているのか。
そのことが気にならないサラではなかった。
男性としてのアルナルドは、もう欲しくない。
幼馴染としてのアルナルドは――色々な信頼を互いに欠っした今となっては、元の関係に戻れる気はしない。
それは場所どころか心まで遠い場所に行ってしまって、多分もう二度と戻ってくることはないだろう。
後は――皇女アリズンがいわば下げ払われるようにして、アルナルドを受け入れるかどうか。
それだけの話だった。
「どうなさいます」
「え? どうなさいますとは?」
「ですから」
と、言い文官は手で床下を指し示す。
そこには僚艦がいて、それにはサラの騎士たちが乗っているはずだ。
そう思い至ると、続いてくる言葉は理解できた。
「こちらに寄せていただけるのですね。五十名ほど」
「あまりたくさんの兵士をこちらに招き入れますと、私どももいざという時に身構えてしまうこともあるのですが」
「それはこちらも同じことです」
「確かに――身の安全という意味では必要なものでしょうな」
やっぱり譲歩してはくれないか。
オットーの困ったような笑顔とうなずきが出て、サラも頷き返す。
「ではこれから人名リストを手に入れるようにいたします、早急に」
「はい。よろしくお願いいたします」
とまあ、ここまでは良かった。
いや、サラにとっては複雑なものがあったが、それでも心を平穏に保つことができていた。
短い会談が終わり、文官が去ったあとで奇妙な来訪者が訪れてくるまでは。
サラの心は乱れずに済んだのだ。
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