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思わぬ訪問者

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終業後、晴がアパートに行って片付けをしておきたいと言うので、アパートまでついていった。

晴のアパートに来るのは、晴が攫われたあの事件の日以来だ。

大家の林田さんに頼んで時々空気の入れ替えをしてもらっているから埃っぽくはなっていないだろうが、やはり人の住んでいない部屋は傷みやすい。

「部長さんたちを招待するのだから、まずはお掃除ですね」

元々、晴は人のために料理を作ることが好きだから今回のこともすごく楽しみにしているんだろう。

俺は晴の行動を制限したりせず、何かがあれば守ればいいんだ。

もうすぐアパートに着くという時、階段に誰かが立っているのが見えた。

アパートに顔を出すと伝えておいたから、林田がもう待っているのだろうかと2人で駆け寄って行くと、急に晴の足が止まった。

「ま、真島、くん?」

その声に男がさっと出てきたのを見て、俺は咄嗟に晴を背中に隠した。

「お前が真島なのか? ここに何をしに来た?」

すると、真島はじっと俺の目を見つめたかと思うと、道路に正座して頭を擦り付けながら、

「申し訳ありませんでした!」

と大声で謝罪の言葉を述べた。

「えっ?」

真島の謝罪に驚いて、晴が俺の後ろから飛び出してきた。

「晴、まだ危ないから」

そう声を掛け、晴を抱き寄せた。

「どうして……どうして謝ってくれたの?」

晴が真島に疑問を投げつけると真島は道路に正座したまま、

「俺がやってたことが全部間違ってたって気づいたんだ。香月は何にも悪くなかったのに……」

ほんとにごめん……そう言って涙を流した。


「ねぇ、こんなところでゆっくり話も出来ないし、家に入ろう」

「晴、信じるのはまだ早いぞ」

「大丈夫だよ。隆之さんもいてくれるし、ねっ」

そうやって全幅の信頼を寄せて言われたら従うしかないだろう。

「何かあったらすぐに警察を呼ぶからな」

真島にそう忠告して、3人で部屋に入った。

昨日空気の入れ替えをしてくれていたおかげで、締め切っていた部屋特有のモワッとした空気を感じることはなかった。

「ごめんね、家を空けてたから飲み物が何もなくて……」

真島とテーブルの向かい合わせに座ると、真島はゆっくりと口を開いた。

「俺、大学に入学した日からずっとあすかが好きだったんだ。あすかに誘われるがままに同じサークルに入って、近づけると思ってた。でも、サークルでは一度も会えなかった。今思えば、わざとだったんだろうな。4年になっても全然会えなくて、ミスコンで久しぶりに顔を見たら、我慢できなくなって告白したんだ。そしたら、言うこと聞いてくれたら付き合ってやるって言われてその通り協力したんだ」

ああ、晴の鍵を盗んだりしたやつか……。

「でも、ある時夜中に泣きながら香月に酷いことされたから泊まらせてって言われて、そのまま付き合うことになったんだ。というか、付き合ってたって思ってたのは俺だけだったみたいだけど。ほんの少しの間だったけど、幸せだと思ってた。でも、あいつ突然帰ってこなくなったんだ。そして代わりに刑事が来た」

晴を襲ったあの時だな。
晴は神妙な顔をして、ずっと真島の話を聞いている。
晴の体調は大丈夫だろうか?
過呼吸を起こさなければいいんだが……。


「あすかが香月を襲って逮捕されたと伝えられて、そのことについて刑事さんたちはいろいろ説明してくれてたんだろうと思う。でも、俺の耳には全然入ってなかった。あすかが香月にひどいことをされていたって聞いてたから、正当防衛なんだと思い込んでたんだ。だから、あすかが連れて行かれたのは全部香月のせいだと思ってた。それなのに、香月は就職も早々に内定してる上にモデル事務所なんかに出入りして調子に乗ってるって思ったんだ」

そうか、だからリヴィエラにあんな電話をしたのか。

「俺はあすかと楽しく過ごしてたのにその時間を奪われて、だから何とかして、香月を痛めつけてやろうって思った。どうやって痛めつけてやろうかって思った時、鉢屋のことを思い出したんだ」

晴は一言も発することなく、じっと真島を見つめながら話を聞いている。

「鉢屋は同じサークルで俺が活動しに行った日にたまたまあって仲良くなった。あいつがゲイだって知って、話を聞いてやってるうちに香月のことが好きなんだって教えてくれたんだ。でも、大学も違うし知り合えるチャンスもないって言ってて、あの計画を考えた。香月が入ってる事務所の子に近づいて仲良くなって、あのスタジオで撮影するって聞いて、シュパースに忍び込んであのジュースを盗んで薬を入れて鉢屋に渡した。眠ったあとは好きにして良い、そう言って攫わせたんだ。でも、失敗した。だから、もう直接痛めつけるしかないと思って、あの会社に行ったんだ。これで騒ぎになって香月の内定も取り消しになれば良い、そんな気持ちもあった」

そんなんで晴の内定が取り消される訳がない。
晴はもうすでにうちの会社にとって必要な人間なんだから。

「捕まってパトカーに乗せられた時、急に冷静になったんだ。俺はずっと何やってたんだって。俺は香月自身に何もやられてないのに、全部あすかの話を鵜呑みにして勝手に敵だと思い込んでたんだ。その結果がこれか……って、あれを我にかえるっていうんだな。警察署で尋問受けて、刑事さんたちの話を今度はちゃんと聞いた。聞けば聞くほど、香月は良いやつで俺はあすかに騙されてたんだってわかったんだ。今回のことで親に洗いざらいバレて、俺が壊したやつとか弁済してもらったから、俺、大学辞めて働くことにした」

「えっ?」

ここで初めて晴が声を出した。
じっと話を聞いていたのに、大学辞めて働くと言ったことを驚いたらしい。

「香月への慰謝料はちゃんと俺が働いた金で支払うつもりだ」

「そんな、慰謝料なんて……」

「いや、これが俺のケジメなんだ。不起訴になって前科はつかなかった。それをせめてもの幸運だと思って、死ぬ気で働く。掛け持ちでもなんでもやって、今まで真剣に生きてきたことなんてなかったから、頑張ってみる。その決意と今までの謝罪がしたくて、釈放されてからずっとこのアパートの前にいたんだ。謝罪が終わるまでは何も始められないと思って。俺がやってきたことを許してくれとは言わない。それだけのことをしてしまったから。だから、これからは態度で示していく。だから、香月は許してくれなくて良い。謝罪も俺の自己満足だから。
だけど、もう一度だけ謝らせてくれ。事実も確認せず、勝手な思い込みで傷つけて苦しめてしまった。本当に申し訳ありませんでした」

そう言って、真島は床に頭を擦り付けずっと頭を下げ続けた。

「真島くん、顔を上げて」

ずっと話を聞いていた晴がそう声をかけると真島は申し訳なさそうにゆっくりと顔を上げた。

「君の気持ちはよく分かった。でも、だからといってすぐに許すとは僕には言えない」

優しい晴のことだから、真島に情けをかけてすぐに許すと思っていた。
でも、晴は今はっきりと真島の謝罪を拒絶した。
それは正直言って驚きだった。

真島は晴をじっと見つめている。

「君の話に嘘がないことはずっと話を聞いていてよくわかった。でも、僕が被害にあったことでいろんな人に心配をかけたし、迷惑をかけたんだ。その人たちの気持ちを思うと自分の意思だけで君を許すことはできない」

真島は晴の言葉に納得したんだろう、ゆっくりと頷いた。

「だから、すぐには許せないけどさっき真島くんが言ったように態度であらわしてくれたらいい」

「えっ?」

「君も何か思いを持って大学に入ったんでしょう?それを辞めてまた新しい人生を踏み出すんだから必死に努力したらいい。これから長い人生を考えたら君があやまちを犯した時期なんてほんの一瞬だよ。やってしまったことは一生消えることはないけれど、必死に努力してまた信頼を取り戻すことはできるよ。そしたらいつか君を自信をもって許せる日がくる。だから、頑張ろう! 人を妬む時間があったら自分を褒めよう」

真島は晴の言葉ひとつひとつに頷き、涙を流した。

「……ありが、とう……」

そう一言返すのが精一杯だったようだが、晴は笑顔で大きく頷いた。

それからすぐに真島は帰っていった。

「晴、大丈夫か?」

「うん。本当はね、すっごく怖かったけど、隆之さんが傍にいてくれたから立ち向かうことができたんです。でも、彼と話ができて良かった。これからずっと怯えて生きるよりずっと良かった。全部隆之さんのおかげです。ありがとう」


「晴の支えになったなら良かった。そうだな、これからずっと真島に怯えて生きるなんて人生勿体無いもんな。晴が勇気を出したから良い結果になったんだ。良かったな」

2人で久しぶりに心の底から安心して笑うことができた。
部屋を片付けていると、チャイムが鳴った。

ドアスコープから覗くと大家の林田さんが立っていたのでガチャリと扉を開け招き入れた。

「こんばんは。香月くんは?」

「大家さん! お久しぶりですね!」

林田さんの声に晴が部屋の奥から飛んできた。

「やぁ、香月くん。元気そうで安心したよ! もうこっちに戻ってくるのかい?」

その言葉に『うーん』と考え込んだ様子で俺に視線を向けてくる。

「実は今週末にここに人を呼ぶことになって片付けてるんですが、その後ここに戻ってくるかはまだ決まってなくて……」

俺が林田にそう説明すると、

「そうか……。香月くんが帰ってきたら私も嬉しいんだが、事情が事情だから仕方ないな。香月くんがここに戻ってくるにしろ、ここを離れるにしろ、私は香月くんが元気でいてくれればそれでいいんだ。気にしないでいい。元々卒業までの契約になっていたからな……」

少し寂しそうにしているが、晴が元気になったことは喜んでいるようだ。
それよりも……

「そうなんですか? ここはそんな契約になっていたんですか?」

「ああ、そうなんだよ。元々ここは桜城大学の学生さん用に貸しているアパートでな、卒業してももちろん住み続けることはできるが、学生用だからほとんどみんな就職したら出て行ってしまうんだ。来年また新入生も入ってくるからな」

そうか、たしかにここは大学のすぐ近くだし、学生には十分すぎる広さがある。
遠方から入学してくる学生には人気だろうな。

晴も少し寂しそうだ。
そりゃあそうか、入学してからずっとここにいたんだもんな。
それなのに、最近は俺の家に泊まりっぱなしで。

「香月くんがここで良い思い出作ってくれたら私はそれで嬉しいんだ。週末も楽しんでくれ」

「大家さん……ありがとうございます!」

「そうだ、これ! お土産だよ」

そう言って林田さんは美味しそうな野菜を差し出した。

「うちの余っている土地で畑をやってるんだ。今回はたくさん出来たからお裾分けだよ」

「うわぁ、ありがとうございます! これ、週末の食事会で使わせてもらいますね。新鮮で美味しそう!!」

「ああ、形は悪いけど味は保証するよ。それじゃあね」

「ありがとうございます!」

俺たちに手を振りながら帰っていった。

晴は貰った野菜を冷蔵庫の野菜室に入れ、他に必要な食材をメモに書きとめていた。

「食事会は夜でも良いのかな?」

「そうだな、時間は部長たちの都合を聞いてから調整しようか」

「そうですね。時間を決めて、あとはこの必要な食材とかを前日か当日の朝持ってきたら良いですね。パン作るの久しぶりだから、すごく楽しみです!」

「じゃあ、今日は帰るか」

アパートの鍵をかけ、俺たちは帰宅の途についた。




今日はリュウールへポスター納入の日。

これで第一弾ポスターについては一段落ついたことになる。

納品完了連絡をメールで終わらせることもなくはないが第二弾、第三弾と続く案件でもあるので、俺は直接リュウールに連絡しに行くことにしている。

ということで今日は朝から晴を連れ、リュウールへと向かう。

リュウールに着くと毎度の如く、友利が我々を出迎えに来ている。

「早瀬さん、香月くん。おはようございます。先ほどポスターの方も納入致しましたよ」

「友利さん、おはようございます。来週末から大々的に販売開始ですね!」

そう言うと、友利は嬉しそうに笑って

「お二人のおかげで良いポスターができましたから。いつもは緊張で眠れないんですが、今回は確固たる自信があるんで興奮して眠れなさそうです」

と朝から口数がいつもより多くなっている。

「友利さん、僕も参加できたこととっても嬉しいです。第二弾、第三弾も頑張りますね!」

晴も友利の満足気な様子に嬉しそうだ。

「お二人が来られるのを部長の緒方もそれから手嶋も待っているので、応接室にご案内しますね」

スキップでもしそうなほど、浮き足立っている友利に連れられて俺たちは応接室へと向かった。

いつもは会議室で打ち合わせすることが多く、リュウールの応接室に入ることは滅多にないが、やはり老舗化粧品会社だけあって、綺麗に色遣いと爽やかな匂いに包まれた落ち着きのある空間だ。

「こちらでお待ちください」

目の前にコーヒーとお茶菓子を出され、ソファーで緒方部長たちが現れるのを待った。

扉をノックする音が聞こえ、カチャリと扉が開くと緒方部長が満面の笑みで立っていた。

「お待たせして申し訳なかった。ポスターの出来があまりにも素晴らしくて上層部が喜んでいてね、なかなか帰してくれなかったんだ。さぁ、コーヒーを召し上がってください」

そう促され、コーヒーを口にすると美味しい

俺がそう思った瞬間、隣から同じように

「美味しい!」

と声が上がった。

「おっ、香月くん。コーヒーの味がわかるかね?」

「はい。僕、普段は紅茶ばかりでコーヒーはあまり飲まないんですけど、これはすごくスッキリしてて飲みやすいです」

「そうだろう。その焼き菓子と一緒に飲んでみてくれ」

晴はそう言われるがままに焼き菓子をひと口齧ったあと、コーヒーをひと口啜った。

「うわぁ、美味しい。お菓子の甘さも引き立ちますし、コーヒーの旨味がすごく引き出されてる感じがします」

「香月くんはさすがだな。今日は早瀬くんと香月くんのために特別なコーヒーを用意したんだ。ここまでコーヒーの味に気づいてくれるとは嬉しいよ」

ここまで喜んでくれるなら、俺も美味しいと口に出した方が良かったか。
まさか俺たちのためだけに特別なコーヒーを用意してくれているとは思わないからな。
それほどまでにポスターの出来を気に入ってくれているようだ。

ここまで喜んでくれると、第二弾、第三弾も楽しみだな。

「緒方部長、次の撮影日なんですが、来月3日と6日にスタジオを押さえています。どちらか都合がよろしい方をお知らせください」

「ああ、そうだな。日にちを確認してすぐに知らせよう。香月くんと仕事ができるのもあと少しか。寂しくなるな」

緒方部長は晴を見つめながらしみじみと呟いていた。

スタジオ撮影の日にちの確認を取ってもらい、来月3日と決まった。

「週末の神楽かぐら百貨店の販売イベントには香月くんと一緒にお邪魔させていただきますね」

「ああ、それは是非! コスメイベントは香月くんは初めてでしょうから、きっと良い体験になると思いますよ。ねっ、早瀬さん」

「そうですね。女性たちが新作コスメを見てキラキラ目を輝かせる姿はこちらが見ていても幸せな気分になりますからね」

バレンタインチョコが並んだ特設会場はまるで戦場のような雰囲気が漂っているが、コスメの特設会場では女性が自分のためだけに選んでいる姿がなんとも言えない幸福感に満ち溢れていて見ていて本当に気持ちがいい。

「そうなんですね! 自分のポスターが飾られてるのを見に行くのは気恥ずかしいなと思ってたんですけど、お客様たちの反応が見られるのはなんだかすごく楽しみになってきました。週末楽しみにしていますね」

「来月の撮影終わったら、今度こそ飲みに行こう! なっ、香月くん!」

緒方部長はどうしても晴との繋がりを持っていたいらしい。
これ以上断るのもきついか……。

「そうですね。撮影終わったら是非! 香月くんも連れて行きますよ」

そう言うと、緒方部長は満面の笑みを見せた。

よし、これでリュウールも一段落ついたし、一安心だな。

あとは明後日の昼間、長谷川さんと桜木部長と晴の家でする食事会か。

明日の帰りに買い物に行って、アパートで料理の仕込みをしてそのままアパートに泊まると言っていたから明日は俺もアパートに泊まることにしよう。
泊まりの準備を晴のと2人分やっておかなくてはな。


招く人が上司と取引先の上役だから仕事モードになりそうだが、今回は完全プライベートだし気楽にやるつもりでいこう。

「晴、明後日作る料理はもう決めてるのか?」

「はい。ライ麦ショコラパンに合う料理をと思って、オニオングラタンスープとサーモンとアボカドのサラダ、デザートにチーズケーキを焼こうと思っています」

「おお、ランチにはちょうどぴったりだな。俺も手伝うから、なんでも言いつけてくれ!」

「はい。頼りにしてます」

『ふふっ』と微笑む晴がとても愛らしく見えた。
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