パドックで会いましょう

櫻井音衣

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競馬場デビュー

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カツサンドとコーヒーを買って外に出た。
ターフビジョンの見える階段に腰掛けて、カツサンドの箱を開ける。
ねえさんはカツサンドを美味しそうに頬張りながら、僕の方を見た。

「どない?初めてって言うてたけど、競馬場は楽しい?」
「はい、楽しいです」
「そら良かった」

もちろん一人なら、こんなに楽しいとは思わなかっただろう。
競馬のことはなんにも知らない僕に、あれこれ教えてくれたねえさんがいたから、こんなに楽しいんだと思う。
どこでどんな出逢いがあるかなんてわからないものだと思いながら、僕もカツサンドにかぶりついた。

「美味しい?」
「美味しいです!」
「せやろ?ここで一番のアタシのお気に入りやからな」

ねえさんは子供みたいに大きく口を開いて、パクリとカツサンドにかぶりついた。
美人なのに気取らない人だな。
若い女性にしては珍しい薄化粧も、飾り気のないラフな服装も、すべてがこの人を引き立てているように見えてくる。

「アンチャン、ここ、ソースついてるで」
「え?」

ねえさんが唇の横を指差した。
僕は自分の口元を指で拭う。

「そことちゃう、反対や」

ねえさんの細い指が、僕の拭った反対側の唇の端をそっと拭った。
その指先の柔らかさに、僕の胸がドキドキと高鳴る。
ねえさんは指先についたソースをペロリと舐めて笑った。

「子供みたいやね」

子供扱いされて、僕は無性に恥ずかしくなる。
それだけでなく、ねえさんが僕の口元についたソースを拭った指を、ことも無げに舐めとったのが更に恥ずかしかった。
なんだこれ?
なんなんだ、このドキドキは?!
彼女に一度はしてもらいたいシチュエーションじゃないか!!
恋愛経験のない僕には刺激が強すぎて、思わずうつむいてしまう。
これは……僕が子供だと思って、からかってるのかな?
もしかして、僕がどんな反応をするのか試して面白がってる?
僕が上目遣いでそっと様子を窺うと、ねえさんは柔らかく微笑んだ。

「ん?どないしたん?」
「いえ……なんにも……」

からかうとか、面白がるとか、そんな人じゃなさそうだ。
自然に出た行動なのだろう。
……と言うことは、ねえさんにはこんなことを日常的にやってあげる相手がいるのかな。
その相手が羨ましい。

ねえさんは気にも留めない様子で、ホットコーヒーを飲んでいる。
まあ、あれだ。
どんなにドキドキしたところで、こんな子供みたいな僕は、ねえさんの眼中にはないだろう。



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