107 / 158
第二部
102.〈三英雄〉
しおりを挟む時計を見ると、もうすぐで1時になるところだった。
フィルとの約束の時間だ。
私はペンを置いて書庫室へ行く。
―――本のいい匂い……。
リンドール家の書庫室は他の家と比べても大きい方だ。
静かにゆっくり読書ができる。
―――フィルのお気に入りの場所は……。
たしか、窓の近くだ。
行ってみると、そこには案の定フィルがいて、本を読んでいた。
「フィル」
「! ユリアーナ姉さま」
「なんの本を読んでたの?」
「〈三英雄〉についての本です」
世界は初め、創造神が創り、大地をもたらしたと言われている。
その時、特に特出して強かった人たちのことを〈三英雄〉と呼ぶ。
誰もが知っている、有名な存在だ。
万物に存在する〈精霊〉の祖〈精霊王〉
強い力と破壊の象徴〈竜〉の王〈黒竜〉
人類で初めて魔術を使った〈紅の魔女〉
その3人の総称が〈三英雄〉だ。
「フィルは〈三英雄〉が好きなの?」
「はいっ!」
私も昔、フィルと同じように〈三英雄〉にハマっていた時期があった。
千年以上も前の存在なのに、現代にまで強く影響を与えているなんてすごい、と目をキラキラさせていた。
―――結構、いろんな文献を漁ってたっけ。でも、〈紅の魔女〉だけは数が少ないのよね。
〈紅の魔女〉は〈三英雄〉唯一の人間で、弟子はとったものの子供はいなかったらしい。
〈精霊王〉や〈黒竜〉のように〈精霊〉や〈黒竜の末裔〉などといった〈紅の魔女〉の血を引く者はいない。
だから情報も少ないのだ。
―――でも〈精霊王〉と〈黒竜〉以上に世界に影響を与えた……特に人間に繁栄をもたらした人。
〈紅の魔女〉がいなければ魔法はなかったと言われているほど、すごい人だ。
「フィルは誰が一番好き?」
「えっ……うーん……」
うん、悩む姿もかわいいね。
弟って素晴らしい。
「好き、ではなく尊敬ですが、ぼくは〈精霊王〉が一番すごいと思います」
「あら、そうなの?」
「はい。すべての〈精霊〉を従わせ、〈紅の魔女〉とともに大地の平穏を取り戻したとされるその姿に憧れます。それに、〈精霊王〉がいなければ、こうして〈精霊〉と話すこともできませんでしたし」
そう言って、フィルは自身の手を見つめた。
私には何も見えないけど、きっとそこには〈精霊〉がいるのだろう。
―――フィルは見えていいなぁ、〈精霊〉。
私もエリィ姉さんも〈精霊の愛子〉のお母様から産まれているのに、〈精霊〉を見ることすらできない。
同じ血を引いているはずなのに、どうしてこうも姉弟で特性が違うのだろう。
―――エリィ姉さんは社交、フィルは武術と〈精霊術〉、間に挟まれてる私は魔法……って、全部違うね。
おもしろいものだ。
家族ではあるが、ひとりの個人でもある。
みんな考えていることは違うし、何を考えているかもわからない。
それがまたおもしろい。
「そういう姉さまは誰が好きなのですか?」
「えっ、私?」
「はい。ユリアーナ姉さまは〈三英雄〉の中でどなたを尊敬しておられるのでしょうか」
―――私かぁ……。
正直、とても悩ましい。
―――正直、全員好きだから、どうせならフィルと違う方がいいかな? となると〈紅の魔女〉か〈黒竜〉か。
考えた末、フィルの視点を広げるという観点で話すことにした。
「……私は〈黒竜〉かな」
「〈黒竜〉ですか?」
意外そうな顔をするフィル。
「フィルは〈黒竜〉に対してどういうイメージを持ってる?」
「……人間を攻撃した悪者、というイメージが強いです」
「そっかそっか。そうだよねぇ……」
期待していた回答でほっと安心する。
〈黒竜〉はかつて、人を愛し、人に裏切られ、怒りと悲しみで暴れ、殺されたとされる生き物だ。
その時の人への被害は甚大で、〈精霊王〉と〈紅の魔女〉がいなければ人は絶滅していただろうと言われている。
ここまでは誰でも知っている話だ。
―――フィルはリンドール家の書庫室にある本しか読んでないのもあるし、当然の意見だよね。
リンドール家はお父様のように騎士団に所属する人が多く、任務で〈竜〉の討伐をすることも多い。
だから幼少期には『〈竜〉=敵』と思わせるため、書庫室にある書物に出てくる〈竜〉のほとんどが敵として出てくるのだ。
「たしかに人間側からしたら〈黒竜〉は破壊の象徴とも言える生き物だわ。でも、それはあくまで人間側の考え。〈竜〉たちから見れば〈黒竜〉は英雄だと私は思うの。だって、自分たちの住処に手を伸ばす人間から居場所を守ろうと思って戦ったから」
〈黒竜〉が人を襲ったのは、人間が土地を求めて〈竜〉の住む地を奪おうとしたからだ。
―――〈黒竜〉の怒りはもっとも。でも、人間すべての命を奪うのはおかしいと〈精霊王〉と〈紅の魔女〉が〈黒竜〉に言ったのよね。
そして結果、人と人ではない〈竜〉は住む場所を物理的に分けた。
〈黒竜〉が殺された後、〈黒竜〉の死を悼み、〈黒竜〉の思いを受け継いだ〈精霊王〉が想像した土地。
例外なく人間は入ることのできない土地。
それが〈精霊区域〉と言われている。
―――てな感じで〈黒竜〉は絶対に悪とは言えないのよね。
見方が変われば、善は悪となり、悪は善となる。
フィルには様々な視点を持って物事を考えられるような大人になってほしい。
「だから、自分の知る情報だけで判断するのは良くないわ。たしかに人間からしたら〈黒竜〉をはじめ、〈竜〉は悪者だけど、でも、決して悪いだけじゃないわ」
かつて〈竜〉が住処とした場所は、他の害獣が寄り付かなくなるため安心して過ごせるというし、ある場所では〈竜〉に助けられ、〈竜〉を根強く信仰する地域があるという。
「〈竜〉による被害の方が大きいけれど、でも、今につながることだってある。完全なる悪だと思うことは危険ってことを、忘れないで」
〈竜〉によって滅ぼされた村や街は数多くあり、年々減少してはいるものの、ゼロにはならない。
どちらかというと、最近は獣による被害が大きくなっている。
今朝の任務がそうだ。
〈精霊区域〉に生息する獣による被害を食い止めるため、一級魔術師の私が駆り出されることになった。
―――……でもあの程度の討伐、一級魔術師に頼むレベルかな?
一級魔術師の中でも最年少で任期も一番短いからか、雑用も多く、面倒なこともやらされ……任されている。
―――本当なら私も一級魔術師だから、魔法協会にいた方がいいんだけど……。
最年少・未成人の子を親元から離して働かせるのはいかがなものかと議論になり、結果、月に数回出入りすることを条件に、引き続きリンドール邸で過ごすことになった。
私としては魔法協会で過ごしてもよかった……と5年前の私なら思っていたかもしれない。
だが、今はエリィ姉さんやフィルたちと過ごす時間を大事にしたいので、正直助かっている。
―――まぁ、先輩の一級魔術師と会いたくないからも理由だけど。
先輩の一級魔術師はほとんど魔法協会に在住しており、基本的に外には出ない。
だから魔法協会に行けば一級魔術師の誰かしらと会うのは絶対事項。
―――ウザ絡みされるの、嫌なんだよね。
ネチネチと恨み言を言う先輩や、すぐに魔法戦をふっかけてくる先輩など、非常に個性的で付き合うのがめんど……難しいのだ。
「……ユリアーナ姉さま。ぼくは、きっと将来、〈竜〉と戦う日が来ると思います」
「……うん」
リンドール家の長男として生まれたフィリウスは、短期間でも騎士団に所属することになるだろう。
たとえ〈精霊使い〉として活動することになっても、リンドール家の血を引いていることに変わりはない。
「ぼくは〈竜〉と戦いたくありません。平和が一番です。でも、もし民《たみ》が狙われていたら……もし〈竜〉がユリアーナ姉さまたちを殺そうとするのであれば……ぼくは、きっと〈竜〉を……」
フィルは最後まで口にせず、目を伏せた。
フィルの気持ちは、わかる。
私も家族が危険な目にあっていたら、迷わず魔法を発動するだろう。
だが〈竜〉にも家族がいる。
「……戦わないのが一番よね」
「はい」
フィルのように〈竜〉と戦いたくない―――ともに生きられる社会をつくりたいという人は多く、その活動は小さいながらも波紋を広げている。
現在のアンリィリル王国には、人も〈竜〉も共生することのできる未来を作ろうと活動する共生派と、〈竜〉を1匹残らず駆除したい根絶派の主にふたつの派閥が争っている。
ちなみに私は共生派だ。
「……ユリアーナ姉さま。ぼくは、どうしたらよいのでしょう」
「どう、って?」
「〈竜〉と遭遇し、戦わなければならなくなったらです。殺したくないのに、殺さなければならないのでしょうか」
「……そうならないことを願って、強くなればいいのよ。そして会ったら―――とにかく逃げて逃げて逃げまくりましょう」
「逃げるのですか?」
「そうよ。逃げて戦わなければいいのよ。けれど、逃げることは戦うことよりも難しいから、強い人しかできないわ。だから結局、どの選択をするにしろ、強くなるしかないの」
逃げることは決して悪いことではない。
むしろ、この場合は正しい選択だと思う。
「……逃げても、いいのですか?」
「ええ。だって、死にたくないでしょ?」
「…………本当に、いいのでしょうか」
「フィルが死んだら悲しむ人がいるわ。少なくとも私は悲しくなる。だから、生きてね」
「ユリアーナ姉さま……?」
見上げるフィルに触れ、頭を撫でる。
「さてと。どの本を読むんだっけ?」
「! えっと、これとこれを……」
そのあとは楽しい読書時間を堪能することができた。
そして時間となり、私はフィルとともにエリィ姉さんの待つ場所へと行くのだった。
36
あなたにおすすめの小説
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした
犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。
思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。
何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…
プロローグでケリをつけた乙女ゲームに、悪役令嬢は必要ない(と思いたい)
犬野きらり
恋愛
私、ミルフィーナ・ダルンは侯爵令嬢で二年前にこの世界が乙女ゲームと気づき本当にヒロインがいるか確認して、私は覚悟を決めた。
『ヒロインをゲーム本編に出さない。プロローグでケリをつける』
ヒロインは、お父様の再婚相手の連れ子な義妹、特に何もされていないが、今後が大変そうだからひとまず、ごめんなさい。プロローグは肩慣らし程度の攻略対象者の義兄。わかっていれば対応はできます。
まず乙女ゲームって一人の女の子が何人も男性を攻略出来ること自体、あり得ないのよ。ヒロインは天然だから気づかない、嘘、嘘。わかってて敢えてやってるからね、男落とし、それで成り上がってますから。
みんなに現実見せて、納得してもらう。揚げ足、ご都合に変換発言なんて上等!ヒロインと一緒の生活は、少しの発言でも悪役令嬢発言多々ありらしく、私も危ない。ごめんね、ヒロインさん、そんな理由で強制退去です。
でもこのゲーム退屈で途中でやめたから、その続き知りません。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
どうして私が我慢しなきゃいけないの?!~悪役令嬢のとりまきの母でした~
涼暮 月
恋愛
目を覚ますと別人になっていたわたし。なんだか冴えない異国の女の子ね。あれ、これってもしかして異世界転生?と思ったら、乙女ゲームの悪役令嬢のとりまきのうちの一人の母…かもしれないです。とりあえず婚約者が最悪なので、婚約回避のために頑張ります!
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる