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忘却故の悲劇

違うを、受け入れられない

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 忘れてしまった、多くの事を忘れてしまっても、ニュクスは、君はそれでも私を想ってくれていた。
 君を追い詰めて、苦しめたのは、私だというのに。

 それが、苦しくてたまらない。
 そんなに思ってくれていたのに、私は独りよがりの愛情で君を追い詰めてしまった。
 君の言葉の本質を理解しようとしなかった。

 君に、優しい言葉をかけてもらう権利など、ないというのに。

「……」
 背中をさすってくれているのが分かる、だが急に黙ったのに違和感を感じて顔を上げると、ニュクスの顔色が悪い。
「……ニュクス、顔色が……どこか悪いのかい?」
「……なんか……腹が……いてぇ」
「医者を……」
「だ、大丈夫、ちょ、ちょっと、トイレ、いって、くる……」
 ニュクスは腹をおさえながら、トイレへと向かった。

 その時、血の臭いがしたことに、私は何が起きたのかもっと早く気付くべきだった。


 倒れるような、ぶつかるような音が聞こえた。

 急いでトイレへと駆け寄る、鍵をしてなかったらしく、扉が開くと蹲るニュクスがいた。
 頭を抱えている片方の手に、赤い粘着質の液体――血がついていることに気が付いた。

――月の血――

「え、え? おれ、おれ、の、から、からだ、なん、なんだ? 男のがついてるのに……女のもある……なに、なん、なんだ、この、からだ、おか、おかしい、おかしい、おかしい……」
 ニュクスはぶつぶつと己の体を受け止めきれずに、否定の言葉を繰り返す。

――ああ、そうだ、今の君は、自分の性別を……分かって、いなかった、両性という他と違う事を、覚えて、いなかった――

 だが、この否定は明らかに「覚えている」故の否定に見えた。
 二つの性を持っているということで、追われ、命を狙われ続けた。
 ずっと心の中で否定し続けてきたであろう、ニュクスにとって受け入れがたい自身の性。
 愚者達から「魔の子」と呼ばれて迫害されて来た――否、君にとっては「周囲を不幸にしてきた」切っても切り離せない自分の体の事。

 私はどう声をかければいいのか分からなかった。
 君から見て種族は違えど、私はただの男、それ故「普通」と思っている。
 だが君は両方の性を持つ、男と女の性、それを君は「異常」だと思っている。

――ああ、神よ。何故貴方の御子が多くを忘却したのに、その事を覚えておかせたのですか、その所為で貴方の御子は、ニュクスは、私の妻は、苦しんでいるというのに――

 受け入れられず、否定を繰り返すニュクスにかける言葉が私は思いつかなかった。
 けれども、そのままにして置くこともできなかった。

 抱きしめた。

『リアンにとっては都合のいい体、なんだろ?』

 嗤う声、君の自嘲の言葉が聞こえた。
 そう思わせてしまう事を幾度もしてきた。
 壊れてたからと言って、許される行為ではない、私がした罰を受けるべき行為。
 罰を受けるべきは君ではない、受けるべきは私、苦しむべきは私。
 ニュクス――君はこれ以上苦しまないでくれ。
 いや、違う、苦しまなくても、いいんだ。

「……大丈夫、両方の性を持つ者は過去にも実在した、稀に生まれるだけ、異常じゃない、何一つおかしいことはない」
 抱きしめて囁く。
「おか、しい、おかしい、こんな、からだ――」
 それでも君は受け入れることができていない、こんな言葉で救われたなら、君はとっくの昔に救われているはずだ。
「おかしくない、異常でもない」
「だ、って、こん、なの、きもち、わる、い。ぶき、みで、おかし、くて、それ、に、おう、じ、さま、だ、って、こんな、からだ――」

「きしょく、わるいと、おもってる、だろ」

 震え怯えた声、受け入れられないという声、顔は見えなくても、酷く傷ついた顔をしているのが分かった。
「……ニュクス思っていないよ、私は君の全てを愛おしいと思っている。気色悪いなど思った事などない、私は君だから愛している。その体も全て――」

『俺の事無理やり犯したくせに?』

 咎める声に、言葉が詰まりそうになるが必死に、口を動かす。
「――全て、私にとっては尊いものだ、おかしい所なんてなに一つない。気色が悪いなど思っていない、だから、どうか――そんなに、自分を追い詰めないでくれ」
 全ては私の行い故、私がしでかしたこと。
 ニュクス――お願いだ、もう君は苦しまないでくれ、君が苦しむのに何もできない自分が憎くて、たまらない。

――何故、神は貴方様の御子にこのような苦しみを与えるのですか――

 何時になれば、君は救われるのか、忘却も、救いではなかった。
 どうすれば、私は――君を救えるのか、分からなかった。


 何とかニュクスは落ち着いてくれた、が月の血のソレ以外でも顔色が悪いのが分かった。
 やはり、自分の体が他と「異なる」という事を受け入れられないようだ。

 聖王――否愚王の国では聖王妃ダフネ――聖女ダフネがいた頃、心を病んだ者、体が不自由な者達が生きやすいように聖女が支えていたという。
 だが、聖女が居なくなってから、そういう者達が生きづらい国に戻ったそうだ。
 戦争等で負傷し体の一部を失った者等であっても、支えてくれる者は少なく、苦しみの果てに自死する、もしくは支えきれず殺してしまう例が後を絶たない状態に逆戻り。

 それに、聞いた話では、私の件で、各国、各種族がこちらに刃を向けてきた――が向こうは死者と負傷者の山。
 治療することができる者は少なく、どの国、どの種族も、力を低下させていっているという。

 愚かな。

 未だ壊れて愚かな私でも分かる、救いようのない程に愚かだと。
 何せ、神へスペリアが各国、各種族を支える為に生やした神樹を――邪魔だと切り倒しているのだ、神樹は国を豊かにさせる、民を土地をあらゆるものを豊かにしてくれる。
 唯一切り倒していないのがエルフと妖精族位だが――賢き種族、小さくも神に愛された種族であったはずの彼らでさえ――自分達に刃を向けて、知らぬまに神に背いて神樹を枯らしてしまっているのだ、その原因を私達にしているからたまったものではないが。

 他の種族からは「魔族」と呼ばれているが神から与えられた種族の名――否役目は「裁定者」他の種族達を見て観測し、そして時には罰するもの。

 それ故、力を与えられた、エルフとも妖精等あらゆる種族と異なる力、異なる寿命。

 時が経ち、次第にそれは他の種族に「異常」と「異質」と思われ、「脅威」とみなされた。
 聖王庁の長が私達を「魔族」と呼び、そして「祝福の子」を「魔の子」と呼び迫害するようになったのは同時期だったと父から聞いた。
 他の種族は皆それに従い、敵対してきた。

 そして――結果がこれだ。
 父は――

『私は他国を滅ぼしたい訳でも種族を滅亡させたい訳でもない――自分達の行いを悔い改めて欲しかった、だからそういう内容の書状も送ったが――私とて我慢ができぬ物しか返ってこなかった……うむ、分かってるやり過ぎた』

 と、内容を詳しくは教えてはくれないが、他の国々は――酷い状況なのが分かった。
 その国々が、種族が、私の妻を、ニュクスを苦しめる病の源でもあるのだ。
 滅んでしまえと思う一方で、滅んだところでニュクスの苦しみは消えることはないと思ってしまう。

 ニュクスは、多くの事を忘却した――覚えていることもあるが。
 だから、私は恐ろしい。
 ニュクス――君が忘れた事を一気に思い出して――壊れてしまうことが。


 何とか落ち着いてくれたニュクスに、月の血時に使用する物を下着につけて履かせてから、ベッドに寝かせた。
 怯えたように私の手を握るその様が、可哀そうで仕方なかった。

 眠りに落ちたニュクスの頬を撫でてから、血色の悪い唇をなぞる。

 大人なのに、まるで「得体のしれない何か」も怯えている幼子のような表情をして眠るニュクスの表情が痛々しい。
 幼子なら何か理由をつけてどうにかする事ができるが、忘却しているニュクスにとって自分自身が「得体のしれない何か」だから、私はどうすればいいか分からない。

 他と違う――それを受け入れるのができない。
 他と違う――それ故命を狙われたから。

 忘れてしまったのに、せっかく忘れていたのに、その「違う」という事が自分にとって受け入れがたいことだけ、覚えていた。
 他と「違う」事を忘れていた故に、ニュクスの忘却によって安定していた精神は一気にどうしようもない程不安定になった。

 起きた時、ニュクスがどのような行動をとるか分からない。
 酷く不安定なニュクスが、何をするか分からない、忘却前でも自死行為を繰り返していた位だ。
 だが、今のニュクスを拘束すれば、ニュクスの心が更に軋む位、私でも想像できた。
 だが、見張りなどつける訳にもいかない。

――なるべく睡眠時間を削ろう、ニュクスが目覚める前には目覚める様に、異変を即座に察知できるように、今の私なら、できる――
――君が壊れないよう、傍にいさせてくれニュクス、私の愛しい人――

 私は、眠るニュクスの頭を撫でながら、そう誓った。





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