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忘却故の悲劇
救えない、守れない
しおりを挟むあの一回で、ニュクスを傷つける行為が起きなくなればと思ったのだが、私の体はそうなってくれなかった。
あの日から、今までようやく抑え込めるようになった、と思っていたあのおぞましい行為で変貌した私の体は、盛りのついた獣のように発情を繰り返す羽目になった。
発情を起こすきっかけはただ一つ――ニュクスと父以外の存在と会う事。
父は今諸事情でここに来ることは余程の事が無い限り、来ることはない。
故に、どうあがいても、朝と昼、そして夜、三回の食事の時はどうあがいても他者と会うのはどうにもできなかった。
そして言える訳もない。
人を一切接触しないようにさせてくれとも言えばどうなるか分からない。
それよりも、衰弱し精神的にまいっているニュクスの診察がある。
他者がいる間は何とか抑え込める、だがいなくなれば、ニュクスと二人っきりになれば、一気に体が肉欲に苛まれる。
それを我慢できない自分が忌々しい。
肉欲に体が支配されると、私はそれを幾度も抑え込もうとする、が時間と共に悪化するだけ、治まる事が無いソレに私は苦しめられる。
そして、ニュクスはそんな私に体を差し出すのだ。
熱が治まるまで、その体に欲を吐き出し続ける。
それが今の君を苦しめる行為でしかないのに。
「っ……」
何度目かの射精で、漸く硬さを失った私の雄を、ニュクスの膣内からずるりと抜いた。
ニュクスの顔は涙や鼻水、唾液でぐちゃぐちゃになっていた。
目は虚ろで、私を見ていないように見える。
「……すまない」
意味のない謝罪の言葉。
「……? ……だい、じょぶ……りあんが、らくに……なったなら……」
ニュクスは少しだけ手を動かし、私の手にそっと触れる。
「……」
――大丈夫じゃないはずなのに――
君は私を責める事はしない、拒むことだってできるのに、それをしない。
ただ、私の欲を受け止めて、体を震わせて、怯えたような喘ぎ声を上げる。
何故、私は苦しめることしかできないのだろう。
幼い君の表情を思い出した。
苦しい、辛い、心に抱えていた物を吐き出して、泣いて、私にしがみつき、少し落ち着いたら申し訳なさそうな顔をするから頭を撫でると、作り笑いではない笑みを浮かべた時の事を思い出す。
その思い出を、自分の欲で汚している。
薄汚い欲で汚している。
最近は「声」が聞こえない、見放されたように思える。
それもそうだ、依存して、追いつめて、苦しめて、傷つける私に「ニュクス」は諦めたのだろう。
『リアンにとって、俺はその程度なんだな』
そうだ、そう感じたのだろう「ニュクス」は。
だから、声が聞こえなくなった。
言わなくなったのだろう、何を言っても無駄だと。
全部、私の、愚かしい行為が原因だ。
まぐわいで疲弊したニュクスは歩くこともできなくなった。
最初の頃はふらつきながらも歩いて浴室に向かい、湯浴みができたが、私の歪な「欲」が日に日に悪化し、ニュクスへの負担を増加させた結果、ニュクスを抱きかかえて私は湯浴みをする浴室へと向かう。
お湯の中でぐったりと私にもたれかかっているニュクスの頬を撫でる。
「ん……」
虚ろな目をこちらへ向ける。
それに少し安堵する。
君が死んでしまうんじゃないかと、怖くてたまらない。
目を離した時、二度と呼吸をしなくなり、心臓が動かなくなるんじゃないかと怖くて仕方ない。
温もりが、失われるのが怖い。
君を喪うのが、怖い。
なのに、私は君の命を削るような事しかできない。
君の心にヒビを入れるような事しかできない。
湯浴みを終えて、体を拭き、服を着せベッドに寝かせる。
「……り、あん……そばにいて……」
いつも、君を傷つける行為ばかりしているのに、君は私に傍にいて欲しいと言う。
「……大丈夫、傍にいるとも」
手を握り返す、湯あみを終えたばかりだというのに、体温は酷く低い。
その低さが怖くて、抱きしめる。
私の体温も決して高くはない、けれど、それでも、少しでも温かくなるよう抱きしめる。
抱きしめてしばらくすると、静かな寝息が聞こえた。
ニュクスを寝かせる。
眠ったニュクスは穏やかな表情で眠っている。
私はそれを見ている、眠ることはしない、休めることはしない。
ニュクスが眠るように死ぬことが怖いから、ずっと見ている。
頬を撫でると、少しだけ体温が上がったように感じた。
唇も血色の良い色になっている。
穏やかに眠ってる時、君の死が恐ろしい一方で、君が何にも怯えずに眠れる事に安堵する。
うなされるよりもいい。
ニュクスの心に数少ない平穏が訪れ、傷つくこともなく、穏やかでいられるのだから。
ニュクスはうなされる事が多い。
穏やかに眠れることは稀だ。
うなされている時、ニュクスは起きると怯えて私にしがみついてくる。
夢の内容はいつも同じ。
忘却する前のニュクスを「傷つけ、壊し、歪ませた」内容。
そして最後まで語らない。
語らなくても分かる、私が君を無理やり犯して、終わるんだ。
姿が分からない人が、と言うが真実かどうかは分からない。
本当は私に犯されているのではないかと不安になる。
でも、君は姿が分からないとしか言わない。
だから、うなされているのが分かると、起こしてしまいたくなる。
それが良くない事だと理解した。
声をかければ夢の中でより恐怖に襲われ、揺すれば捕まった感触を感じてその痕が体に浮かび上がり、場合によってはまるで切られた様な傷ができる。
起きてくれればいい、でも決してニュクスは自分から目を覚ますまで、起きることは無い、どんな事をしても。
だから、起こすことができなくなった。
だから、今穏やかに眠っているニュクスの表情に安心する。
夢を見ていないのか、それとも怯えることの無い幸せな夢に浸っているのか、どちらでも構わなかった。
君の心が安らげる一時があるなら、それでよかった。
穏やかな眠りから目覚めると、ニュクスは滅多に見せない淡い笑みを口元に浮かべる。
「……りあん、おはよ」
「……おはよう、ニュクス」
頬を撫でると、幸せそうに目を閉じながら、手に頬を摺り寄せる。
一時の幸せを感じる時間だ。
穏やかな眠りから目覚めた時のニュクスはしばらくの間、心穏やかに過ごすことができる。
幼子のように、無邪気に甘えてくれる君が見れる。
何も怯えないで、怖がらないで、私と喋ってくれる君が見れる。
幸せな一時。
けれど、終わりが必ず訪れる。
ガチャリという音に、ニュクスの表情は強張り、私に縋り付き、怯えたように震える。
誰かが来ると、この時間は終わる。
必ず終わりが訪れるのだ。
それに苛立ちを覚えるが、向こうには悪気はない。
悪意で来ているなら二度と来るなと怒り、父に言うことができるが、そうではないから言うことができない。
「リアン様、ニュクス様、お食事をお持ちいたしました」
「……分かった、置いて出ていってくれ」
「畏まりました」
出ていく音、扉の閉まる音に、私は息を吐く。
私の腕の中のニュクスは、私に縋り付くように服を掴み、顔を隠し、ガタガタと体を震わせている。
ニュクスの他者への恐怖心は日に日に悪化している。
この間は診察すると聞いた途端、暴れ出し、僅かにセイアが触れた途端気を失ったほどだ。
今のニュクスには私しか縋る相手がいない。
私以外の存在は皆恐怖対象だ。
『おれは、まのこだから、ころせって、みんなが、いうんだ』
一部を除いて、悪夢は鮮明になっているらしく、それがニュクスが他者への恐怖心を助長させている、そしてその「魔の子」の理由も夢で思い出した、自分の性だと。
だから、殺されるのではないかと、怖がっている。
あれほど死にたがっていた君は、今は殺される恐怖に怯えている。
怯えるニュクスを抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫……」
背中をさすり声をかける。
けれども「守る」とか「助ける」という言葉は言えなかった。
どの口が言えるだろう、散々傷つけておいて、苦しめた。
その上今も傷つけている私に、その言葉を言う資格など私にはない。
今の私にできるのは、怯えるニュクスが、落ち着くまで抱きしめるだけ。
何とか言うことのできる言葉を言うだけ。
君を救う方法が、分からない。
君の恐怖を取り除く方法が、分からない。
自分の無力さに、無能さに、嫌気がさす――
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