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第二章 流転する物語とハッピーエンド

乙姫様と餃子(前編)

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 ういーっく、緑乱りょくらんおじさんだよ。
 ただの飲んだくれに見えるかもしれないけど、こう見えても由緒正しき”あやかし”なんだぜ。
 なんせ、あの八岐大蛇ヤマタノオロチの息子ってくらぁ。
 まあ、四男なんだけどね。
 長男とか三男とか末っ子ならおとぎ話の主人公になれそうなものなんだが、あいにくとおじさんは真ん中っ子なんだ。
 しかも兄弟で最も妖力ちからが弱いってくらぁ。
 もっとも、そのおかげでおじさんは一番早く封印から出られたんだから、ちょっとは感謝かな。

 おじさんがね、世間というか社会に出た時は文明開化の真っ最中でね、大正浪漫ロマンや昭和モダンといった時代を駆け抜けたもんだ。
 剣劇あり、ロマンスあり、激動ありの大波乱さ。
 そりゃあ辛い事もあったさ、なんせ100年近くひとりぼっちだったからね。
 おじさんの次に妖力ちからの弱い橙依とーい君が封印から出た時、時代は高度経済成長期ってやつになっていたよ。

 俺たちは伝説と伝統と伝承に裏付けられた”あやかし”じゃない。
 なんせ、母ちゃんたちですら櫛名田比売クシナダヒメの姉たちとして八岐大蛇ヤマタノオロチに捧げられた八稚女やをとめとして十把一絡じっぱひとからげにまとめられちゃうんだもんね。
 母ちゃんたちの名前すら伝わっていないのは、息子としてちと悲しいな。
 
 伝承がない”あやかし”なんだものだから、その弊害として俺たちは……けちゃうんだ。
 老ける速さは妖力が弱いほど速い、きっと伝承による補給がないからだろうね。
 この俺も昔はひとかどの美丈夫として鳴らしたもんだけど。
 今や、すっかりおじさんさ。
 人間より年の取り方が遅いとはいえ……泣ける。
 まあ、そんな事なんて酒を飲めば忘れちゃうんだけどねっ!

◇◇◇◇

 最近の『酒処 七王子』に新しい女の子が来た。
 珠子ちゃんって言うんだけど、この子が大当たり!
 料理も気配りも機転も抜群でおじさんはグータラする時間が増えて嬉しい限りさ。
 スタイルは……抜群だよ、抜群って言っとかないと後が怖いからね。
 
 さて、おじさんが酔い覚ましの散歩から帰って一杯やろうと店に戻ってみると、何やらその珠子ちゃんが言い合いをしているじゃないか。

 「キンタマです!」
 「胃袋だわ!」
 「キンタマよ!」 
 「胃袋ってば!」
 「キンタマ!」
 「胃!」

 あれ? どっかで聞いたようなやりとりだねぇ。

 「おいおい、一体なんの騒ぎだい?」

 少なくともお嬢ちゃんが大声で言っていい台詞じゃないね。

 「ああ、緑乱りょくらんおじさん聞いて下さい! 藍ちゃんさんが!」
 「ちょっとー、緑乱りょくらんちゃん聞いてよ! 珠子ちゃんが!」
 
 よし、逃げよう!
 おじさんは回れ右をして再び散歩に……

 ガシッ

 うーん、これは振り向いてはいけないあやかしの気配がするなぁ。

 「「おいてーけー」」 
 
 そんなふたりのハモった声が聞こえる。

 「な、何かな? 魚かな? さ、財布じゃないよね?」
 「身柄を……」
 「おいてけー!」 
 
 おじさんは観念したよ。 
 だからそんな『なんなら首をおいてけ』って顔をするのは止めてくれないかな。

◇◇◇◇

 「で、なんであんな言い争いをしていたんだい?」

 この珠子ちゃんと藍蘭らんらん兄は仲が良い。
 言い争いとはいえ、そんなに衝突する事はないはずなのに。

 「それがね、スゴイ大物からの100年に一度あるかないかの予約が入ったのよ!」 

 藍蘭らんらん兄が少し興奮している珍しい。
 
 「そうそう! 鬼になった姫とは違う正統派の姫です!」

 あー、”あやかし”になった姫は鬼になる事が多いからね。
 おじさんは姫より庶民の娘さんの方が好みだね。

 「その正統派の姫って?」
 「乙姫様ですっ! あの竜宮城の!」
 
 これまた大物が来るもんだ。
 めったに地上に出ないお姫さんがねぇ。

 「それで、どうしてキンタマと胃袋の争いになるんだい?」
 「それはね、乙姫様からのリクエストが『変わった物が食べたい』なのよ」

 少し考えこむようなポーズで藍蘭らんらん兄が言う。

 「それであたしは『ロッキー・マウンテン・オイスター』を推してるの」
 「それってどんな料理だい?」

 嫌な予感を押さえつつ、おじさんはたずねる。

 「牛の睾丸を焼いたり、揚げたりした料理なんです。海の牡蠣かきに似たミルキーな味わいなので海の牡蠣ならぬ、山の牡蠣、マウンテン・オイスターって名なんです」
 
 うん、おじさん玉がヒュンとしちゃったよ。

 「さすがにそれは乙女に食べさせる料理じゃないってアタシは主張しているの! 変わった物が食べたいのなら、そこまでゲテモノじゃなくても、牛の第二胃『ハチノス』の中華風炒めが良いって言ってるの!」

 あー、うん、キンタマと胃が激突している理由はわかった。
 だからゲテモノ系で言い争いをしていたってわけかい。

 「うん、事情はわかった。それでお酒のリクエストはあったかい?」
 「あったわよ、お酒も『変わった物が飲みたい』ってね」

 藍蘭らんらん兄と珠子ちゃんの視線が再び睨み合う。

 「あたしは『マムシ酒』がいいと思います!」

 この子は……ちょっとストレートすぎないかい!? 
 
 「アタシは普通にエンジムシの色素で色付けされたカンパリのカクテルがいいと思うの。カンパリ・オレンジとか」

 うん、知らなきゃ良かった。

 「で? 緑乱りょくらんちゃん」
 「どっちの意見が正しいと思います?」

 ふたりが詰め寄る。

 「いやー、乙姫ちゃんにはどちらかと言えば藍蘭らんらん兄の……」
 「あれ? 乙姫様の事を”乙姫ちゃん”って? 緑乱りょくらんおじさん、ひょっとして……」
 「もしかして、乙姫様とお知り合いなの?」
 
 おっとしまった。

 「ああ、大正の頃にちょっとね」
 
 少し懐かしい、まだおじさんが俺と言っていた頃の話だ。

 「だったら、アドバイスして下さい! 乙姫様の好みとか!」
 「ずるーい! アタシがおねむの時にそんな逢瀬をしていたなんて!」
 「ああ、乙姫ちゃんは地上にあこがれる深窓の姫さんで……」

 俺は思い出の中の彼女を心に浮かべる。
 あれ? 深窓というよりは活発だったぞ。
 
 「素敵! ザ・お姫様って感じ!」
 「アタシも姫友達になりたいー!」

 ふたりが目をキラキラさせて言う。

 しっかし、姫さんが『変わった物が食べたい』って、そんなにゲテモノ好きだったかねぇ。
 あの姫さんはちょいとお転婆な姫さんだったと思ったけど、ゲテモノ好きには見えなかったねぇ。
 あれ? 『変わった物が食べたい……』
 あー、そういうことか。
 
 なんだ……ちょっと意地悪なリクエストだね。
 いや、ロマンチックかもしれないな。

◇◇◇◇

 「乙姫様のおなーりー」 

 御付の助惣鱈スケソウダラ隠隈魚カクレクマノミが扉を開き、しゃなりしゃなりと見目麗しい女性が入って来る。
 
 「見て下さい! 藍ちゃんさん、被帛ひはくですよ! 生被帛なまひはく!」
 「ほんとっ! あの織姫ちゃんとかが身に着けているアーチ型のヒラヒラ、光が透けて綺麗ー!」

 乙女同盟のふたりはちょっと興奮気味だ。

 「初めまして、そして久ぶりですね」

 乙姫ちゃんはおじさんに視線を流しながら、その桜貝のような色どりの唇から言葉を発する。
 うーん、やっぱり美人だねぇ、あの時と変わらない。

 「ういーっす、乙姫ちゃんお久しぶり」

 おじさんは軽い口調であいさつした。

 「こりゃ! 姫様に向かって失礼であろう!」
 「そうだそうだ! あやまるのだ! 緑乱りょくらん殿!」

 このふたりも相変わらずだね。

 「よいのですよ、スケさんカクさん。緑乱りょくらん様はわたくしの恩人なんですから」

 あー、そんなに恩を売った気もしないけど、恩に感じてもらっているのかねぇ。
 
 「ふん、乙姫様がそうおっしゃるのであれば!」
 「はん、乙姫様のお言葉とあれば」

 ふたりがかしこまりながら言う。 

 「さて、それではもてなしを頂こうか」
 「うむ、姫様は『変わった物』をご所望なのである!」
 「はいっ! とっておきの料理とお飲み物を準備してあります!」

 一応、この前におじさんの考えは伝えておいた。
 しっかし、難易度たかいねー。
 でも、きっとお嬢ちゃんなら、あのお題を理解した料理を出してくれると信じてるよ。
 丸投げとも言うけどね。

 「さて、どんな山海の珍味がでてくるやら」
 「竜宮城の足下くらいには及ぶ万国満開高級料理が出て来るのじゃろて」
 「楽しみにしていますわ」

 乙姫様とふたりは席について料理を待つ。
 いやー、この店は居酒屋風で庶民的なんだけど、さすがに本物の姫さんが居ると絵になるねー。

 「今日のメニューは『餃子とビール』ですっ!」
 「はいっ!?」
 「なんじゃとっ!?」

 わるいねー、この店は居酒屋風で庶民的なんだけど、メニューも庶民的なんだ。
 おじさんも『餃子とビール』で一杯やるのは大好きさ。

 ◇◇◇◇

 「餃子とビールだと! そんな低俗な!」
 「乙姫様の貴重な三日の休暇の一日をそんな物で!」

 お供のふたりがやかましく騒ぎ立てる。

 「まあまあ、ウチのお嬢ちゃんの料理を食べてから言ってみなさんって」

 俺は余裕の表情で言う。
 そうかい、そう来たのかい。
 餃子とビールねぇ、これなら大丈夫そうだ。

 「はい、まずは冷えた体を温めて下さい。あんかけ卵餃子です」

 運ばれて来たのは、黄色い餃子。
 そこにキノコの入った塩味のあんがかけられている。

 「これは!? たしか中国でお祝いの席に食べられるという!」
 「はい、卵餃子です。薄焼き卵を皮にして作った餃子です。オムレツみたいな物ですね。そこに塩味のあんをかけました」

 ホカホカの湯気を立て、熱々のあんがかかった卵餃子は見ているだけで体が温まりそうだった。

 「それでは、いただきますわ」

 ちゅるっと、音を立てて乙姫ちゃんがそれを食べる。

 「あっ、おいしいっ! キノコの旨みのあんと卵の甘さに中から具の旨みがあふれ出て!」
 「ほほう、これはいい!」
 「生姜が効いてて、あったまりますなー!」
 「はい、中の具は生姜を心持ち多めにしました。胃と体があったまるように」

 生姜は体を温める効果がある。
 それに食欲も増進させる、いいねー、俺も食いたいよ。

 「あら緑乱りょくらん様、そんな物欲しそうな目で見ないで、ご一緒にいかがですか」
 「えっ、いいのかい?」
 「はい、これから料理が沢山出てきそうですから」
 「それじゃ、ご相伴にあずかりましてっと」

 おじさんは食事の輪にまざり、卵餃子を食べる。
 こりゃいい、塩味の効いたあんと具の味がマッチしてさ。

 「さて、続いては伝統と現代の餃子をお出ししますね。でもその前に」
 「酒じゃ!」
 「うむ、酒を出すのじゃ、ビールをな!」

 こいつらビールの味を覚えてやがった。
 100年前におじさんがごちそうしてやったビールの味を。 

 「はい、まずは伝統をさかのぼった古式ビール フィンランドの地ビール『サハティ』です。ホップを使わず西洋ネズジュニパーの枝や実で味付けしてるんですよ」

 そう言ってお嬢ちゃんは輸入ビールの瓶を持ってくる。 

 「あら、古式ビールですって?」
 「ご存知でしたか?」
 「はい、遥か太古に竜宮城に招待した方が持ってらっしゃいました」
 「そうでしたか、それではまず一献」

 コポポと音を立て、濃い色の液体が注がれていく。
 赤みがかった黒ビールの色が近いだろうか。

 「ありがとう」

 コクッっと乙姫ちゃんの喉が鳴る。

 「あらっ、ほのか甘くて素朴な味、ビールの苦みなんて全くしないわ」
 「古式ビールはライ麦と大麦から作ります、ホップが入っていないので苦みがないのです」
 「おう、これはよい」
 「うむ、100年前に飲んだビールとは全く違うぞ」

 お付きのふたりも古式ビールに美味そうに飲んでいる。

 「ハーイ、それでは続けての料理よーん。中華伝統の水餃子と蒸し餃子よ」

 藍蘭らんらん兄が椀と蒸籠せいろを運んで来た。
 椀と蒸籠の蓋を取ると、湯気と共に素朴だが素材の色がはっきりとした餃子が現れる。

 「まあっ、こっちの水餃子はスープの色と白い色が対比を生んでいて、蒸し餃子は中の色が透けて見えて、とっても素敵!」
 「はい、水餃子の皮は厚く、蒸し餃子の皮は薄く作っています。帆立の水餃子と海老の蒸し餃子です」

 お嬢ちゃんが調理前におじさんに確認したのは『海産物を乙姫ちゃんが食べて平気なのか』って所だけだ。
 共食いになるとでも思ったのだろうか。
 『もちろん大丈夫さ』と答えておいた。
 無神経な俺は同じ質問を直接乙姫ちゃんにした事がある。
 そんな時彼女はこういったのさ、

 『もちろん感謝して美味しく頂くわ! バカね、あなたたち陸の”あやかし”や人間も陸の物を食べてるじゃない』
 
 言われてみればそりゃそーだ。

 「そして、伝統的な餃子に合うのが伝統的なビール『エール』と『ラガー』です。エールの方が古めでラガーが比較的新しいビールですね」
 
 お嬢ちゃんは右手にエール、左手にラガー、そんな感じに両手に大瓶を取り出す。

 シュポン

 いいねぇ、ビールの栓が抜ける音は、心がときめく。

 「コクのエール、爽やかさとのど越しのラガー、どっちも美味しいですよ。どちらがお好みですか?」
 「こっちです! この聖獣が描かれている方!」

 ちょっと興奮気味で乙姫ちゃんは瓶のラベルを指差す。

 「麒麟キリンのラガーですね」
 
 あっ、そっか。

 「嬉しいね。覚えててくれたんだ」
 「はい、100年前に緑乱りょくらん様がご馳走してくれたビールですもの!」

 懐かしいね、あの時は吐く息が白い季節じゃなく、日差しの暑い季節だった。
 
 「ご一緒しましょ、あの時みたいに」
 「そうだね、お嬢ちゃん瓶をくれるかい」
 「は、はい、どうぞ」

 おじさんは瓶を受け取ると、乙姫ちゃんの手を取り、立ち上がった。

 「「乾杯ブロージット」」

 そして、あの時のように、ドイツ式の掛け声を上げた。
 乙姫ちゃんのグラスとおじさんの瓶がキンと音を立てる。
 そして俺はグビグビとラッパでラガービールを飲み干す。

 「くふぅー! きくぅー!」
 「ぷはぁー! しみるぅー!」

 喉を流れる冷たいビール、ともすれば頭がキーンとしかねない冷たさ。
 だが、これがいいねぇ。

 「乙姫様、はしたないですぞ」
 「そうですぞ、そんな労働者のように」

 お付きのふたりが乙姫をたしなめる。
 だが、それを聞くタマじゃない事くらい知っているだろうに。 

 「いいんですよ、今は休暇中なのですから。あーおいしい、くれ以来ですわ」
 
 そうだったかね。

 「そして、この水餃子と蒸し餃子も素敵ですわ! 喉を流れるように胃に入っていきますわ!」
 「水餃子からはスープを超えるほどの帆立の旨みの汁が餃子の中からあふれてきおる!」
 「蒸し餃子は海老の色合いとプリプリの食感が口に心地よい!」
 「「次の料理が楽しみじゃ」」

 おじさんの分も残しておいてくれよな。
 次々と消えていく餃子を見ながら、そう思った。

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