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エンドレス・ラブ

21 裏切りの代償 ― 1 ―

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 あああああ、なぜこんな簡単な計画が失敗できるのだ!

 大体、レシーネの時もそうだったがなぜあの放蕩王子はこちらの思い通りにならぬ!

「クソ! クソ! クソ!」
「バートン卿、ど、どうか気をお鎮めください」

 親衛隊長のダミ声で、怒りのまま目前で跪くホールバーグの頭を踵で蹴り続けてたことに気づいた。血唾けつだを吐き出しながら咳き込むホールバーグを親衛隊長が起こしあげる。

「ああ、……す、すまん。今聞いた報告が、よ、良く聞こえんでな……悪いが、モ、モ、も、もう一度、繰り返してくれ」

 引きつるこめかみを揉みながら眼下にその巨躯を転がすホールバーグに再度尋ねれば、ホールバーグが震える声で報告を繰り返し始めた。

「ベ、ベイロン指揮官が、報告の義務を怠っているのを……お伝えしに参りました。最初のルトリアス軍との交渉において想定外の問題が起きました。ベイロン指揮官に第二王子が斬りかかり、それを避けようと払いのけたところ、運悪く水道橋の外に転がり落ち、同時にアーロン総師団長が止める間もなく飛び降りてしまい──」
「なぜ捕まえん! なぜすぐに取り押さえん! なぜ、なぜ、報告もせずに三日も放置した!」
「そそそ、それは咄嗟のことで……一瞬我々もなにが起きたのか分からず──アッ!」

 言い訳を続けるホールバーグの生真面目な顔が今はなによりもワシの神経を逆立てる。思わずその通った鼻を軍靴の爪先で折れんばかりに蹴り上げた。悲鳴と共に一瞬跳ねあげられた顔は、直ぐに歪に曲がった鼻から大量の血を噴き散らしつつ、その場で床へと伏せられる。それを見ても苛立ちは全く治まらず、思わずそのまま腰のサーベルを引き抜いてその背に叩き下ろした。

「ええい、アーロン総師団長ならば川を流されて生き残っている可能性だってあろう!」
「むグゥっ、む、無理、です」

 刺突用のこのサーベルの刃はホールバーグの軍服を切り裂くほどの鋭さを持たない。だが、重量のある鉄の塊で打ち据えられ、おかしな嘆息と共にまたも床に血を飛び散らしたホールバーグは、途切れとぎれに先を続ける。

「あ、あの高さから、なんの防御も出来ずに落下したのでは、水面に叩きつけられた、途端に、身体が潰れている……でしょう」

 そうかもしれん。
 が、そうではなかったかもしれなかった。
 せめてすぐ報告が上がってきていれば、ポートグスに伝令を飛ばして協力を要請することも出来たものを!

「ど、どうか気をお鎮めくださいませバートン卿」

 今にもサーベルを突き立てそうな勢いのワシに数人の親衛隊が縋り、隊長がその背にホールバーグをかばいつつ口を開く。

「少なくとも今、ルトリアスにあの無敵ともうたわれたアーロン総師団長はおらず、アーノルド以下主だった魔導騎士団もベイロン指揮官殿が北の水道橋周りの森に引き留められているのです!」

 長くワシに従ってきた親衛隊長だけはあり、ワシの怒りを治めるには次の一手を進言するより他ないと判断したようだ。

「第二王子とアーロン総師団長が死亡、または行方不明となっている以上、アレフィーリアが介入するより早く王城を落とし公国を正式に我が国の配下に治めるしかないのです!」

 そんなことはワシだって知っておる!
 が、燃え盛る怒りがその捌け口を求め、感情が思考を焼き、手に握るサーベルが血を求めて震えた。
 それを見上げたホールバーグが自分を庇う親衛隊長の脇から身を乗り出し、血だらけの顔に覚悟を浮かべ口を開く。

「時間がありません、今すぐ出兵を……ベイロン指揮官が魔導騎士団の大半を北の端に足止めしてる間に! アレフィーリアが事態に気づいて出兵を始めるよりも早く、我々が先に出兵せねば!」

 言われなくとも!
 ワシだって分かっておる!
 分かっておるのだ!

 もうここまできて、引き返すことなど、我々には断じてありえない。

「全軍侵攻準備、ワシをこれ以上待たせるな!」

 振り上げたサーベルをホールバーグの真横に突き刺し、ワシはそう叫んでその場を後にした。


   *   *   *


「親衛隊長殿、先程はありがとうございました……」
「構いません、君も災難でした」

 私の目を見ずに震えを堪えて謝辞を言ったホールバーグに、それ以外掛けてやれる言葉も見つからない。
 バートン様の怒りがこれ以上周囲に向かぬように急いで出兵の支度を整えるくらいしか、今の私たちに出来ることはもうないのだ。
 薄くなった白髪頭をかきつつ、救護士に付き添われながら隊に戻っていくホールバーグの背にため息がこぼれた。

 バートン様は幼い頃よりプライドが高く、自分の目的達成の為であれば過度に謀略に遊ぶきらいはあったが、それでも人一倍この国を愛し尽くしてくださる宗主でいらしたのに。

 レシーネ様の一件以来、重要ななにかがあの方の中で壊れてしまった気がする。
 あのアーロンという隣国の魔導師にどうしてここまで執着されるのか。私には国益の為だけとはもう思えなかった。

 バートン様がまだ成人される以前より、ずっと親衛隊を率い最も近くでお仕えしてきた私でさえ、今のバートン様がいつ誰をどんな理由で切り捨てられるか予想がつかない。
 バートン様が笑えば笑い、怒れば寄り添うように怒りそれを他に逸らすほか、一体我々に何が出来るだろうか。

 可哀想なレシーネ様のように……

 レシーネ様が行方不明になって既に二週間以上が過ぎている。領城内では陰で安否を気遣うものも多いのだが、バートン様が恐ろしくて誰も声をあげない。
 あんなに健気に尽くしてらしたレシーネ様でさえ、バートン様はきっとあの魔女の部屋で供物に捧げてしまわれたのだろう。

 奥方様の時の、お父上様のように……

「はぁ……」

 思い出したとてなにも出来ぬ過去に浸り始めた自分を振り切るようにため息をついて、思考を今の作業に引き戻す。

 私もいい加減、長くお仕えしすぎた。

 バートン様をお止めする力も気力も、とうの昔に尽きていた。
 バートン様が言うように、もし隣国の名高いアーロン総師団長がレシーネ様の婿として来てくだされば、あるいは新しい風が現状を変えてくれるのでは?
 そんな希望を持ったことも一時はあった。
 だが物事はバートン様が思い描かれたシナリオ通りには運ばず、美しいレシーネ様は身も心もボロキレのように成り果て、今こうして総力戦で彼国を蹂躙せんとしている。

 結局は対立するしかない運命だったということか。

 今更どうすることも出来ぬ過去の反芻をやめ、もう変えられぬ自分たちの行く末からも目を背け。
 我々は思考を放棄し、ただただ目前の作業に埋没した。



 二日後、私は副官及びホールバーグに本隊の指揮を任せ、先行する騎馬隊とともに一路国境を目指していた。
 たった一年前にはルトリアスとの交易で栄えていた街道街は、今はその多くが戸を閉ざし、ひっそりと静まり返っていた。以前は荷馬車がひっきりなしに行き交っていたそこを、先行隊の騎馬兵とともに駆け抜ける。もう半日もすれば本隊がこの辺りの全てを接収しつつ、ここを無へと返すだろう。
 感慨などない。私も一軍人であり奪う側の者なのだ。

 ルトリアス側の国境の長い木柵と背の高い鐘楼に動きが見えた頃には、先頭集団はもうコチラ側の国境門を抜けていた。
 後方からこちらの魔導師の禍々しい詠唱が聞こえだす。

「「我らが母なる土の精霊よ、我らに安らかなる死を給わん」」

 それを聞きつけた私たちは、恐怖を押し殺すように一斉にそれぞれが祈りの言葉を口にする。
 ゴーレム召喚は私に言わせれば魔女の呪いだ。召喚すればその召喚師も、召喚に使われた媒体ももう元には戻れない。

「う、う、うがぁァアゴギャッブ……」

 召喚師はその身体の一部を土塊に変え、土精霊を強制的に取り込む。そして放たれるのは、誰に落ちるか分からないゴーレム化の呪い。
 今も私の右後方を走っていた若い兵士が突然苦しみ悶え、大量の土を吐きながら地面に転がり落ちた。見る間に己の吐き出した土に覆われ、その肉体と土の区別も定かではなくなり、そして巨大なゴーレムへと変貌する。
 ゴーレムは鈍足だが強力だ。我が国の強行軍において、要所で必ず使われるこの土魔法は、だが捨て身の最後の切り札でもある。
 ゴーレム化は長く持たない。その時間は個人差があるが、悶え苦しみ、全身が土へと完全に変換されるまで、その命と引き換えのほんの一時の無双なのだ。

 国境を固めていたルトリアス軍の一団があちらの国境門を開いて出撃を始めた頃には、すっかり巨大化したゴーレムが両腕を振るって国境に沿って建つ木柵を押し倒していた。

「うおぉぉおお!」
「ぐわぁッッ!」

 飛び散る巨大な木片を浴びせられ逃げ惑うルトリアス軍を、騎馬の足下に一気に蹂躙する。
 悪いがこちらにも後はないのだ。慈悲は皆無。
 ゴーレムが国境門とその周りの木柵を破壊し尽くし、大量の敵軍の無残な死体が地面を覆い尽くすまで一方的な蹂躙が続いた。
 国境の異変に気づいたルトリアス側の国境街の住人たちが慌てふためく様をほぼ無感情に見やる。どうせ本隊が到着すれば、自国もルトリアス側も全て蹂躙の対象になるだろう。逃げられる者はとっとと逃げればいい。

 騒ぎを増す街を横目に、我々は北で唯一フレイバーンに協力を申し出ていた男爵家を一路目指す。王都から北に広がるなだらかな丘陵に位置するその一帯を我々が先ず接収し、本陣設営の準備を整える手筈だ。
 本陣が整う頃には我々が城門を切り崩し、先じて王都に侵入する。

 この魔導師が命絶える前に……

 ルトリアスに反撃の時間は与えない。一方的な蹂躙でなければならぬ。我が旧フレイアー王国と彼の小国の、歴史と力の差を思い知らせてやる。

 我々が内側からバートン様に食い尽くされる前に。

 私は背に迫るその暗い恐怖に突き動かされるまま馬の腹を蹴った。
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