天国か地獄

田原摩耶

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√α:ep.5 『最後まで一緒に』

13※

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「い、伊織……っ!何言って……」

 俺以上に動揺を顕にする阿佐美。
 そんな阿佐美を無視し、ぐっと顔を近付けてくる阿賀松に心臓が停まりそうになる。

「……んだよ、詩織ちゃんはキスだけで勃起するくらいお前のこと愛してるつってんのによぉ、お前はそんなこと出来ねえってか?」

 指先で唇を摘まれる。
 痛みよりもその感触に息が詰まりそうになったとき、その手は乱暴に払い除けられた。

「っ、やめろ……ゆうき君に余計なこと言うなよ……ッ」

 目の色を変えた阿佐美に、阿賀松は肩を揺らして笑う。

「なぁ、できねえのか?ユウキ君。俺のチンポはしゃぶれても、こいつのは……」
「伊織!」

 阿賀松の声が、嫌に耳にこびり付くのだ。
 阿佐美に迷惑を掛けたくない、助けてくれた阿佐美を助けたい。
 どうすればいいのか分からなくて、ただ、頭の中で煩いくらい鼓動が反響していた。

「ゆうき君、聞かなくていいから、こいつの言うことは」

 阿佐美を困らせたくない、けど、この場を凌ぐにはどうしたらいいのだろうか。
 阿賀松の機嫌を良くさせる?阿佐美に従って事を黙って見守る?

「……ッ」

 阿佐美と目が合った瞬間、カッと耳の裏が熱くなる。
 息を飲む。咥内の傷がズキズキと疼くのを感じながら、俺は、阿佐美の前に跪いた。

「っ、ゆうき君……っ」

 頭上から狼狽える阿佐美の声が聞こえてきて、すぐに頭部を掴まれる。
「ダメだ」と訴え掛けてくる阿佐美に、俺は、返事の代わりにファスナーに手を掛ける。

「本当、プライドねぇんだな、お前」

 確かにプライドと呼べるほどの自尊心、持ち合わせていないが流石にシラフでの行為には精神的に来るものがある。
 阿佐美に軽蔑されるだろうか。阿賀松の機嫌を取るためならなんでもする俺を。

「ゆうき君、本当、やめてくれ」
「……ごめん……詩織ばかりに、迷惑は掛けたくないんだ」

 破裂しそうな程加速する鼓動。阿佐美の目が痛い、阿佐美の声が辛い、いっそのこと罵ってくれたらまだいいのかも知れない。
「ゆうき君」と名前を呼ぶその声が微かに震えてるのが分かり、余計罪悪感を覚えた。それでも、今更引き返すことも出来ない。

「……っ」

 二人の視線を痛いほど感じながら、俺は、ファスナーを降ろし、膨らんだそれに舌を這わせた。

「ゆ、うき君……ッ」

 最初から、恋も愛も知らない俺が恋人のフリを務まるとは思わなかった。
 それでも、今はただ阿佐美の役に立ちたかった。少しでもそれらしく見えるように、躊躇する心を殺して頬張った性器に舌を絡める。
 切れていた口の中を掠める度に全身が竦んだ。

「っ、ふ、ぅ……」
「もう、いいよ。いいから……っ、ゆうき君」
「……ッ、……」

 嫌がるというよりも、辞めさせようと必死になる阿佐美はそう宥めてくる。
 泣きそうな顔に胸が痛くなった。それでも、阿賀松の手前今更退くことなんか出来なかった。

「ふ、ぅ……ッ」

 やがて痛みも薄れ、代わりに熱が込み上げてくる。
 第三者の存在は大きいのだろう、対照的に頭の中は冷静で、阿佐美の鼓動、吐息までも鮮明に感じた。
 滲む先走りを舌でなぞり、口付けをするように先端を小さく吸い上げれば阿佐美の手が小さく痙攣する。
 そして、頭部を掴むその指先に力が加わった。

「ゆうき君、も、やめろってば……ッ本当、ダメだから……!」

 阿佐美の制止に構わず裏筋全体に舌を這わせれば、その声も微かに上擦った。
 せめて、少しでも、気持ち良くなってくれたら。
 阿佐美の腰を掴んで、顔を動かした時だった。舌の上の反り返ったそれが、大きく脈打った。

「ゆうき君……ッ!」

 あ、と思った時には阿佐美に思いっきり頭を引き剥がされていた。
 同時に、顔面に生暖かい感触が掛かる。
 瞬間周囲に広がる特有の匂いに、自分の身になにが起こったのかすぐに分かった。

「……ッ、ぁ、ご、ごめんっ!大丈夫?!」
「……大、丈夫……」

 どろりと垂れる精液を指先で拭えば、真っ青になった阿佐美は「触らないで」と慌てて側に置いてあったティッシュケースを手に取った。

「ごめんね、ゆうき君、すぐ拭くからそのまま……」

 こんな俺でも心配してくれる阿佐美に、喜び以上に心苦しさの方が強かった。
 慌てて服を整えた阿佐美がティッシュペーパーを数枚取り出したときだった。
 いきなり、側のテーブルが蹴り飛ばされる。そして、そんなことをする人間は一人しかいないわけで。

「伊織……っ!」

 伸びてきた手。思いっきり前髪を掴まれ、顔を引き上げられたと同時に驚いたような阿佐美の声が聞こえてくる。
 目の前には阿賀松の顔があった。

「……」
「伊織、手を離し……」
「詩織ちゃんは騙せても、俺は騙されねえぞ」
「……」

 敵意剥き出しの目には慣れていたつもりだったが、こちらの腹の中まで見透かすような阿賀松の鋭い目には射抜かれそうになる。

「こいつは俺の半身だ。庇ってもらえてるだけ有り難く思えよ」

 もしこいつを裏切ったら殺す。そう、暗に言われているようで、息をすることも忘れそうになる。
 それでも、その視線から目を逸らすことは出来なくて。
 阿賀松が完全に俺を信用してくれるなんて鼻から思っていない。それは俺だって同じだ。
 俺も、阿賀松を最初から信じていない。

「伊織ッ!」

 見てられないと、仲裁に入った阿佐美に阿賀松は俺を床に投げ飛ばした。

「……ッ」
「ゆうき君!」

 誰かがテーブルを蹴り飛ばしてくれたお陰で障害物に当たらずには済んだが、ガタガタになっていた体にいきなりの尻餅は結構な衝撃なもので。
「大丈夫」と阿佐美に返した時、阿賀松はそのままゆっくりと阿佐美に向き直った。
 そして、何かを阿佐美に投げ付ける。それを受け取った阿佐美は、掌を広げるなり目を丸くした。

「これ……」
「お前は一ヶ月家に出入り禁止にしとくから」
「……」
「俺にその面見せんじゃねえよ」

 それだけを言い残し、阿賀松は部屋を出て行った。
 決して妥協したわけではないだろう。また何かを企んでいるのかもしれない。
 けれど、自ら退いた阿賀松を見たことないからだろう、大人しく引き下がる阿賀松にとって如何に血縁者は特別なのか少しだけ分かった気がした。
 ……それでも、阿佐美からしてみたら勘当同然だ。
 暫く、阿佐美は鍵を見詰めていた。阿賀松が居なくなってからというものの、気まずいとかそんな話ではなかった。

「あの、本当、痛かったら言ってね」

 そういって、阿佐美は濡れたタオルで俺の顔を拭ってくれた。
 時折染みたが、我慢出来ない程の痛みでもない。
 それよりも、自分の精液を拭うハメになる阿佐美のことを思うと居た堪れなくて仕方ない。
 阿賀松の手前と言えど、止めようとした阿佐美を無視したわけなのだから怒っているだろう。
 そうでなければ。

「……」

 不意に、阿佐美と目が合った。
 微かに顔を赤くした阿佐美だったがバツが悪そうに目を逸らし、そして再びおずおずと俺に視線を向ける。

「あの……お腹、減ってない?」

 何を言われるのだろうか、と内心ハラハラしていた俺は唐突な阿佐美の言葉に驚いた。

「……俺は、あんまり」

 阿佐美なりに気を遣ってくれているのが分かったが、生憎、先程阿賀松からもらったばかりで食事云々の気分ではない。
 ソレに阿佐美も気付いたようで、阿佐美は申し訳なさそうに眉根を寄せる。

「そっか、そう、だよね……ごめんね、俺、気が利かなくて」
「そんなこと……」

 ない、と言い掛けた時、つい阿佐美の手に触れてしまう。
 軽率だった。指先がぶつかる。しかしそれもほんの一瞬のことで、すぐに阿佐美の手は引っ込められた。
 避けられた、と思った瞬間、足元が崩れ落ちるような、そんな感覚に陥る。

「っ、ごめん……」

 どうすればいいのか分からず、阿佐美の顔を見るのも怖かった。
 覚悟していたはずなのに、いざとなるといつもこれだ。
 咄嗟に自分の手を握り締めれば、阿佐美は何か言いたそうな顔をして、代わりに目を伏せた。

「……」
「詩織……?」

 沈黙が不安になって、恐る恐る名前を呼ぶ。
 それに応えるよう、阿佐美の目はゆっくりと開かれた。

「……俺は、ゆうき君にこんなことさせたかったわけじゃないのに」

 ごめんね、とその薄い唇が動いた。
 責めるわけでも、怒るわけでもない、ただ自責の色を濃く滲ませた目に、心臓がぎゅっと締め付けられる。
 阿佐美が喜んでくれると思っていなかった。けれど、少しでも役に立てたらよかった。
 結果的に阿賀松の拘束から逃れることは出来た。
 けれど、俺は阿佐美のこんな顔を見たかったわけではない。

「……詩織、俺……」

 謝ったところでどうとなるわけでもない。分かってても、黙ってることだけは出来なくて。そのくせ、肝心の言葉は喉に突っ掛かったみたいに出てこない。
 言葉を失う俺に、阿佐美は悲しそうに、それでも小さく笑った。

「俺も勘当食らったし、どうしようか、これから」

 また、気を遣われた。と思った。
 強引な話題の転換に、え、と顔を上げれば阿佐美は俺の前髪を直してくれる。
 そして、

「……暫く、怪我、落ち着くまでここにいなよ」

 それは、俺が予想していた阿佐美の言葉とは全く違うものだった。
 てっきり、すぐに別れると前提に頭を働かせていた俺にとって考えてもいなかったもので。

「い……いいの?」
「あ、当たり前だよ!……あ、でも、ゆうき君が嫌だって言うなら、その、仕方ないだろうし……それでも、俺は一緒に居た方がゆうき君にとってもいいと思うんだけど……どうかな……?」
「……っ」

 最悪、早く出ていってくれと言われるかもしれないと思っていた。
 確かに、お互いの立場を考えるなら一緒に居た方が都合は良いだろう。
 俺としてもすぐに阿賀松に裏切り者認定をされずに済むかもしれない、けれど、そうとなると必然的に阿佐美を巻き込むことになる。

「詩織が……いいなら」
「本当っ?」

 驚く阿佐美に、慌てて頷き返せば、阿佐美は心底安心したように息を吐いた。

「それ聞いて、安心したよ。もし、すぐに出ていくと言ったらどうしようかと思ったから」
「そんな……俺も、詩織に今すぐ出て行けって言われたらどうしようかと思ったのに」
「えっ?そ、そんなこと言わないよ!」
「……」
「俺、そんなに冷たく見える……?」

 俺の沈黙を悪く受け取った阿佐美はみるみる内に不安そうな顔をする。
 そんなことない、俺を庇ってくれる阿佐美は相当のお人好しで間違いないだろう。
 けれど、先程のことを思い出すとやっぱり避けられても仕方ないと思ってしまうわけで。

「だ……だって、俺のこと、嫌じゃないか……あんな、嫌がる詩織を無理矢理……」
「ッ……!や、あ、あれは状況が状況だったし……確かにビックリしたけど、それは俺もゆうき君の、その、顔とか汚してしまったんだから仕方ないっていうか……」

 言いながらも色々思い出してしまったようで、次第に耳まで赤くなる阿佐美にこちらまで熱に当てられてしまう。

「結果的にあっちゃんが鍵をくれたのはゆうき君のお陰だよ。……俺だけだったら、きっとあいつを納得させられなかった。……任せておいてって言っておきながら情けない話なんだけどね」
「そ、そんなこと」
「……っ、あのさ、もう、この話やめない?……俺も無かったことにするから、ゆうき君も忘れて」

 嫌がってる、というよりも本当に恥ずかしいと言うかのような態度の阿佐美にこれ以上追求する程鬼ではない。
 確かに、これから一緒に居るということを考えるならそちらの方が懸命だろう。俺は阿佐美に頷き返した。
 間違いなく、忘れるなんてことは出来ないだろうが。
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