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第6章 運命の時は近い

206話 理解してあげなさい

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「逃げます!!」

 白川水希の行動は素早く、既に両の手はハンドルを握り締め、右脚はアクセルを思い切り踏み込んでいた。一連の動きには淀みなく、瞬く間に自動運転からマニュアルへと戻した彼女は周囲の車を置き去りにする猛スピードで移動を始める。速度超過を告げる無味乾燥な警告音が規則正しく車内を搔き乱し始めた直後……

 キキィ――

 前方から無数に重なり響く甲高い音が側面を通過し、瞬きする間もなく後方へと流れるように消失した。

 連合最先端の自動運転車とて完璧ではなく、時折というレベルではあるが予期せぬ不具合を起こす。各社が開発する自動運転機能付きの車には不具合を起因とする急停車、急加速に対応する為に"適切な車間距離を維持する機能"を装備している。

 その機能は十全に発揮されたようで、幸いにも爆発や衝撃の類は起きなかったようだ。が、車内は果たしてどうだろうか。頑丈なフレーム構造とボディにより車内の人間の安全は確保されているとはいえ急な加減速に伴う怪我や、混乱や恐怖といった精神的な問題まで解決できる訳ではない。

 一方、車内から後方をじっと睨む伊佐凪竜一の表情は険しい。罪悪感、良心の呵責、そう言った感情が表情から溢れる。しかし、こうしなければ確実に捕縛される。連合最強と謳われるスサノヲのスクナと比肩する存在として名が挙がるセラフをたった1人で相手にするには余りにも状況が悪い。

「オイ、いいか良く聞け。ミズキの姉さんがどっか奴らの死角に車を移動させる。だからお前、その時に飛び降りろ!!」

 猛スピードで流れる景色を眺める伊佐凪竜一の側面からアックスは指示を飛ばすと同時、肩を掴むと彼の視線を強引に自分に向ける。

「オイ、ちょっと待て!?」

 僅かの後、言葉の意味を把握した伊佐凪竜一は声を張り上げた。が……

「待ちません。アレは私達が引き付けます」

 無謀だと、そう続ける前に運転席の白川水希が遮った。2人の役目は伊佐凪竜一の安全な場所まで逃がす事。双方共に戦う力は無いに等しい反面、差し向けられた敵は連合最強クラス。幾つもの状況と、何よりアックスの視線が伊佐凪竜一に力強く語り掛ける。2人は己を逃がす為に命を懸ける、あるいは投げ捨てる覚悟で臨んでいると。

「無理だッ!!」

 彼は叫び、助手席側に身を乗り出すと運転席の白川水希を睨む。セラフと言う相手がどれ程に危険であるか理解しておらずとも、彼女に真面な戦闘能力がない程度など察している。且つてスサノヲとヤタガラスに肉薄するほどの能力を引き出したハバキリは己の内側にあり、もう彼女の中には存在しない。

 半年前とは違う。ただの人間が連合最強に勝つなど万に一つも有り得ない。だが白川水希は伊佐凪竜一の反論を許さない。彼女は右腕でハンドルを操作しながら開いた左手で彼の唇にそっと手を当てた。まるでそれ以上話すなとでも言いたげなその行動に対し、一方の伊佐凪竜一は彼女の柔らかい左人差し指が示す意図通りに会話を止める。

「随分と昔……子供の頃、こうやって話を止めた事があったわね」

 その言葉に遠い昔、無知で無垢な子供時代共通の記憶が脳裏に浮かんでいるのだろうか。が、双方の行動は極めて対照的だった。彼女の為すがまま、ただ黙る伊佐凪竜一を他所に白川水希は続ける。

「今、アナタがしなければいけない事は何?」

 時速200を優に超える速度の車を完璧に制御しながら伊佐凪竜一にそう問いかけた彼女は、名残惜しそうに彼の唇から指を離すとシフトレバーに触れる。同時、覗いたバックミラー越しに何かを確認するとギアを更に一段上げた。後方から猛然と迫る機械仕掛けの熾天使、連合最強の一角であるセラフはその距離をジワリと詰める。巨大な6枚の翼が生む影がジリジリと近づく。

「姫を……あの子を助けないと」

 たった一言、彼はそう絞り出した。

 不条理が生む不幸から誰かを守りたい、助けたい。ソレが彼の覚悟。運悪く巻き込まれた神魔戦役を生き延び、英雄と称賛される彼が進むと決めた茨の道。地球を監視するA-24なかまの誇らしげな言葉と彼の言動は一致している。彼は、伊佐凪竜一はその為ならば何の躊躇いもなく苦境へと身を投げ込む男だと、私は確信した。

「私は、地球人から神と呼ばれ恐れられた清雅源蔵と言う男を理解出来ませんでした。共感から生まれた同情を愛情と履き違えた私は、ただ彼の傍に寄り添いその言葉を承認し、繰り返しただけだった。だからその心は私から離れて……いや、絶望したのでしょうね」

 彼の決意を聞いた白川水希は己の過去を語り始めた。何を思い清雅源蔵と共に歩んだのか。いや、何も考えなかったと表現するのが適切か。懺悔と、そう表現するのが最も正しいように見えた。ただ無為に、無心で神に縋った過去は正気に戻った彼女を責め苛んでいるようで、雰囲気に呑まれた男2人は押し黙ってしまった。

「なら、連合の頂点であり神と呼ばれるフォルトゥナ姫も同じです。あの子も周囲の心無い空虚な言葉に幻滅し絶望しているのかも知れません。あるいはそれ以上、清雅源蔵がそうであったようにあの子もまた謂われない悪意に晒されているか、あるいは苦しんでいるか、絶望しているのかも知れません」

 気圧される2人を他所に尚も彼女は続ける。苦しんでいる、絶望していると、そう語る彼女の言葉に伊佐凪竜一は目を見開いた。欠落していた視点に、連合の頂点が抱える苦悩の一端に気付いた。ソレは今より半年前まで地球を実効支配したツクヨミ清雅という超巨大企業のNo.2として辣腕を振るった白川水希だからこそ至った結論であり、幼馴染だからこそ聞けた本心でもある。

「だからアナタは私の様になっては駄目。あの子の願いは分からないけど、軽々しく同意や理解をしては駄目。言葉の奥にある真意を汲み取って、その上で同意、あるいは否定してあげなさい。それから気を付けなさい。女は男の軽い上辺だけの言葉なんて簡単に見抜きます。だからアナタは英雄ではなく、伊佐凪竜一という人間として同じ人間であるフォルトゥナ=デウス・マキナと向かい合い、理解してあげなさい」

 白川水希の言葉は伊佐凪竜一の中に何かを残したのか、彼は無言で後部座席へと戻った。街中を猛スピードで駆け抜ける車はその速度を更に上げる。後部から迫るセラフ達から逃れる為、伊佐凪竜一を逃す為、車は弧を描く様に狭い通り道へと侵入する。凄まじい速度で侵入するタイヤが横滑りし地面と擦れて煙を上げ、ブレーキの音が周囲を引き裂く。

「誰も彼も何が正しいか分からないままアナタに期待し、絶望する。色々言われたでしょうし……これからも言われるでしょう。だけどそんな雑音は全て忘れなさい、それじゃあね」

「生きてたら今度はお前が地球案内しろよ。約束だぞ、じゃあなッ!!」

 白川水希の言葉に続きアックスは短い餞別を投げかけると同時、勢いよく後部の扉を開け放つと伊佐凪竜一を背中を思い切り投げ飛ばし、急いで扉を閉めた。心休まるひと時は終わりを告げ、また別れの言葉を掛ける暇さえ無いまま彼は再び旗艦を当て所なく逃げ回る。

 しかし、状況は最悪に等しい。多数の守護者が控える旗艦アマテラスに安息の場は少なく、何より彼は堕ちた英雄の烙印を押され誰からも唾棄される。自らが正しいと信じた道は、同時に破滅への道でもあった。だけど、それでも彼は前に進む。

 裏通りを映す監視カメラは、車が通り過ぎた方向をジッと見つめ続ける伊佐凪竜一を捉え続ける。その目はまだ折れておらず、今生の別れを覚悟しながらも迷いなく突き進む意志の輝きに満ちている。

 直後、その眼差しは上空へと向かった。ほんの僅か後、彼が急いで手近なビルの中へと身を隠すとほぼ時を同じくして、4つの影が青空を切り裂きながら遥か彼方に消え去った白川水希とアックスへと向かい、次いで消えゆく影が生んだ轟音をかき消す群衆の歓声が木霊した。
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