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第6章 運命の時は近い

208話 対熾天使戦 其の1

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 確執、対立、反目が生む沈黙に車内が支配される。双方の言い分に理解できる部分があるだけにこの問題は非常に皮肉で、極めて厄介だ。

 白川水希の吐き出した本音は言わずもがな、命の価値など吹けば飛ぶ紙切れほどに軽い裏社会で無念の内に命を落とした人間を履いて捨てる程に見てきたであろうアックスの心情も察するに余りある。故に、己の命を軽んじる言動が許せないと考えても不思議ではない。

 そんな、本当に裏社会の人間なのかと疑う程に常識的な思考を持っている男の視線はずっと変わらず、冷めた視線で運転席を睨み続ける。が、目の前の危機に優先して自らの感情を爆発させたことに対する後悔か、それとも冷静さを取り戻したのか、バツの悪そうな表情と共に"済まねぇ"と、そう呟いた。しかし……

「抵抗は無駄だ、直ちに降伏し速やかに伊佐凪竜一の身柄を引き渡す事を勧める」

 戦いを前に非効率的、非建設的な行動に時間と労力を割いた代償は大きい。車上からの無慈悲な警告に続き、2つの大きな影が車を追い越し、大きな振動を伴いながら前方を塞ぐように着地した。黒雷とセラフの一機、巨躯を誇り圧倒的な堅牢性を誇る全身鎧を纏ったラファエルだ。

 4機のセラフの内、ラファエルだけが戦闘時に巨躯へと変わる理由は高度な医療設備が備えられた鎧内部に総帥を匿う事を目的に製造されたからだ。平時は少年の姿をした人型で総帥を守護する巨大な外殻を身に纏ったセラフに進路を塞がれた車は急ブレーキを掛け、横滑りしながら漸く停止した。大きな衝撃の後、無数の叫び声が周囲を埋め尽くした。

「聞こえているな?直ちに降伏する事を勧める」

 再度の警告が無慈悲に周囲に木霊す。ラファエルの背後で浮遊する指揮官機ミカエルの言葉は最終警告に等しい。姿勢制御を兼ねた翼型の推進機構を装備し、鎧状のボディに換装した姿は正しく神(※この場合の神は惑星ザルヴァートル神話の主神では無く、財団総帥を指す)を守護する屈強な兵士であり、名前の元となった神話に語られる輝ける6枚の翼を持った熾天使とほぼ同じ姿を再現している。

 古の伝承しんわと最新の科学しんわが融合した神の精霊は、遠き記憶の彼方から現代に蘇った神々しさを覚える程に美しい姿は味方であったならばさぞ頼もしく映っただろう。しかし、残念ながら彼等は敵であり、その姿は神話に語られる通り敵対する全てに絶望を与える。

 暫しの間を置いて近距離型のウリエル、射撃型のガブリエルが姿を現すと、それぞれ車の左右に陣取った。より迅速に敵を殲滅する為に指揮官機たるミカエルよりも一回り以上大きな翼を与えられたウリエルとガブリエルは、ミカエルからの指示をただ只管に待つ。

 中に居る2人は不協和音でとても協力できるとは言い難い。加えて財団の最高戦力が相手取るこの状況で彼らが生き延びる為には、車から降りて伊佐凪竜一が不在である事を告げ、更にその居所を教えなければならない。だが不協和音の最中であっても両者にその選択肢は無く。

 バンッ、バンッ――

 扉を強引に開け放つ音が重なり聞こえた直後、まるで獰猛な獣を想像させるような速さでアックスが車の前方に躍り出るとそのまま銃を構え、指揮官機目掛けて引き金を引いた。

 渇いた破裂音が周囲に反響すると同時、ソレを合図にするかの如く運転席側から飛び出した白川水希が蹴飛ばした扉を車から強引に引きちぎると力任せにウリエル目掛けて放り投げた。刹那、らしくない豪快な攻撃を行った彼女の顔が苦痛に歪む。適正は無いと、そう言いながらもある程度カグツチを制御出来ているのか、はたまた右腕の義肢を酷使したからか。神魔戦役時、右腕に大怪我を負った彼女は新型義肢のデータ取得の為に敢えて復元しないと、自らを実験台にすると宣言した。

 ツクヨミが与えた知識に特兵研の技術を結集して製造された最新型の義肢を見れば、彼女がそう決断した当時を思い出す。彼女が何時か裏切る可能性があると、そうA-24なかまに警告したあの時を。

 彼は"貴方は彼女の事を良く知らないからそう言えるのだ"と、笑いながら私の善意を一笑に付したのが懐かしい。私には何がどうして彼女が危険なテストを自ら選んだのか、その為に戦闘訓練まで受けたのか理解出来ないでいるが、今この現状を見れば、彼の言葉は間違いなく的を射ており、結果として私の警告は間違っていたと理解するには十分だ。

 しかし、如何に白川水希の性根が真っ当であろうが現実は無常。彼女の覚悟を乗せた攻撃はウリエルに傷一つ追わせる事は出来ず、力任せに投げた扉は届きこそしたが呆気なく微塵に斬り裂かれる結果に終わるに止まらず、更にバラバラになった破片の幾つかを弾き飛ばされるという手痛い反撃まで受けた。分かっていた事だが、やはり半年前と違い今の彼女は全く戦力にならない。

 同様にアックスの銃撃も無駄に終わった。苦痛に満ちた表情を浮かべながら放った銃撃はカグツチと言う力を知って僅か1日程度では碌に制御など出来る筈も無く、恐らく相当以上の痛みに支配されている事だろう。だが、自己犠牲を伴えばカグツチが制御出来る訳もなく、銃撃は敢え無く切り払われた。

「武器を捨てなさい」

 渾身の決意を籠めた銃弾が容易く切り裂かれた現実に相当以上のショックを受けたアックスは、背後から貫く女の気配と声に動きを止めた。気づいた頃にはもう遅く、ほんの僅か晒した隙にガブリエルに背後を取られた。

「美しいお姉様の言葉にゃあ従いたいがねッ!!」

 見事。そう評するしかない動きだった。声に驚いたのは僅か一瞬、即座に立て直した彼は同時に一瞥すらせず背面に陣取った端麗な女性型式守目掛け躊躇いなく引き金を引いた。変なところで女性を気遣う癖のあるアックスにしては実に果断な行動。

 しかし、対するガブリエルもその行動に微塵も驚かず冷徹に引き金を引く。破裂音、舞い散る火花、跳ねる銃弾。ガブリエルはアックスの左脇からジャケット越しに撃ち出された銃弾を全て、完璧に撃ち落とした。

 やはり付け焼き刃。セラフ相手に手も足も出ないなど分かっていた話だ。良きにせよ悪しきにせよ、それなりに修羅場を潜っている為か、一見すれば善戦している様に見えるが、現実はただ加減されているだけ。戦闘状況とは真逆に両者の顔が苦悶に満ちているのが何よりの証拠。下手に強いから、だから圧倒的な力量の差に否応なく気づく。

 白川水希も、アックスも理解した。瞬時に、自分達が手加減されていると理解した。そう、セラフは全く本気を出してなどいない。明確に旗艦法に違反した人間に対し加減を行う理由はただ1つ、今まで仕えてきた歴代の総帥の意向を汲んでいるからに他ならない。

 彼らを使役する歴代総帥の誰もが専守防衛を徹底し、進んで戦闘行為を行う事も、不必要に命を奪う事も決して望まなかった。無用な戦闘を行わず、無用に命を奪わない。歴代の総帥の願いを愚直に貫く使命こそが今、2人が生かされる理由。

 しかし、死の危険性が無い程度で戦況は全く改善しない。圧倒的な実力差を覆す何かが無ければ劣勢は変わらず。現にアックスはガブリエルの精密射撃に手も足も出ずジリジリと追い詰められ、対する白川水希もウリエルの斬撃を真面に受けた。この場で唯一セラフと拮抗し得る義肢は手加減されたセラフの攻撃程度では破損こそしなかったが、生身の方が耐えられない。斬撃を受け止めた白川水希の華奢な身体は大きく吹き飛ばされ、道路端の壁に叩きつけられた。

 やはり無理だ。スサノヲどころかヤタガラスですら勝てるか不明瞭な状況なのに、よりによって相手がセラフではただ嬲り殺しにされるだけだ。

「抵抗は無駄だ。もう一度警告する。直ちに降伏し速やかに伊佐凪竜一の身柄を……いや、何処に向かったか白状する事を勧める」

 何度目かの最終警告が木霊した。
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