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第7章 平穏は遥か遠く

246話 二択

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 いざとなったら逃げて見せると、しかしそんな行き当たりばったりな台詞の何処にも説得力は無く。

「え、来るの?身体、大丈夫なのか?」

 何処に自信があったのか、白川水希の代理にクシナダが合流するとの提案に伊佐凪竜一は狼狽える。戦った相手が相手だけに心配するのも無理からぬ話。

『アリガト、大丈夫。それよりナギ君よ。ココの事情、全然詳しくないでしょ?』

「ええと、まぁ殆ど……」

 が、反論の余地なし。クシナダの体調を慮る彼は僅か一言にアッサリと黙らされた。そもそも彼の優しさが届いたとて優先順位を変える事は出来ない。現状で最優先すべきは1人で旗艦を彷徨う状況に陥った伊佐凪竜一の補佐、その一点のみ。

『コッチも守護者から色々と情報引き出せたから教えておきたいのよ。出来ればソッチのセラフさん抜きでね』

 合流の理由はそれだけではないと、クシナダは重ねた。ガブリエルへの警戒を怠らない理由はただ1つ、総帥殺害の現場に現れなかったという不可解な事実。彼等が出会った経緯を知らずとも、セラフ達を信じないと断ずる彼女の判断は至極真っ当。

 罠――彼との合流を決めたクシナダの心中は、伊佐凪竜一の現状を正しく認識したからこそ。

「敵意は隠した方が円滑に進みますよ?」

『外野にアチコチ引っ掻き回されりゃ疑い深くもなりますよ、ってね。で、何処?』

「教える訳には」

「64区域のナントカ大聖堂に向かってる」

『あぁ、クロノレガリア大聖堂ね。じゃ、そこで落ち合いましょ。ホントはルミナと会わせたいんだけど、ちょっと状況がね。だからもう少しだけ別行動して欲しいのよ。だけど明日には、ってもう半日も無いんだっけ』

「そうか。だけど、それでも諦めるつもりは無い」

『ウン、私も。それじゃあ』

 また後で、そんな余韻と満面の笑みを残し消失するクシナダの顔に伊佐凪竜一の顔は自然と綻ぶ。彼の足跡を思い出してみれば落ち着く余裕など無なかった。唯一、顔馴染である白川水希とアックス=G=ノーストと車で移動していた時間が僅かにあった程度で、それ以前は黄泉に、以後はずっと追われっぱなしと燦燦たる有様。セラフとの協力関係により事態は幾分か好転したが……

「僭越ながら申し上げますが、余り褒められた判断ではありません」

 背後からの冷や水を浴びせる声に伊佐凪竜一が振り返ると、鬱蒼と茂る樹々の隙間から射す星明りの中にガブリエルが立つ。しかし、神秘的とは思えなかった。無感情な能面の如き表情から感じるのは言い知れない圧と、それ以上の不気味さ。

「何か問題でも?」

「偽物の可能性を考慮されましたか?」

「いや、だって俺に連絡なんて仲間内でしか出来ないだろ?」

「非常に短絡的で危険です。彼女が既に殺害されており、何者かが成りすましていた可能性は否定できません」

「でもスサノヲだ」

「スサノヲとて絶対無敗ではない事実は相当数の死者を出した神魔戦役が証明しています。今の状況、半年前と同じ程度には精神も肉体も疲弊しているでしょう。もう一度伺いますが、スサノヲは絶対に負けないと言い切れますか?クシナダが偽物でないと言い切れますか?」

 合理的に、冷徹に、淡々と追い詰めるガブリエルに伊佐凪竜一は何も答えられず。確かにその言い分は最もだが、私は知っている。リアルタイムで監視を継続していた私は、クシナダ達がタナトスの手先から襲撃されながらも逃げ延びた事実を知っている。だがそれを伝える手段が無く、何より伝えたとてガブリエルは信じない。

 伊佐凪竜一の判断は正しい。クシナダの件然り、セラフと協力した件も同じく。特にガブリエルの助力なくば、恐らく道中の何処かで守護者達に捕捉されていた。だが……

「直接会って確かめる」

「見たところ深い仲には見えませんでしたが、互いが本人であると理解できる暗号か、さもなくば身体的な特徴を知っていると言う事でしょうか?」

「そう言う仲じゃないが、それでもそれなりの時間を過ごした」

「合理性が有りません」

「なら場所を変えるのか?」

「いえ、このまま大聖堂に向かいましょう。どの道、この辺りに落ち着いて休める場所はそこ以外に有りません。彼女には私から説明して引き下がって頂きます」

 セラフと言う存在は思った以上に厄介だった。いや、具体的には神託というたった1つの枷が、だ。正論から僅かに漏れる違和感に私と伊佐凪竜一の思考がシンクロする。もしかしたらガブリエルは……

「そうか」

 クシナダとの合流は認めない、そう結んだガブリエルを伊佐凪竜一は険しい顔つきで見つめる。対するガブリエルは不信に満ちた視線を一瞥、彼に先駆け目的地に向け歩み始めた。両者の間に先程までとは明らかに違う空気が横たわる。互いの考えのズレから生じる不協和音が違和感が静寂を押しのける。

 ※※※

 それから先、両者は一言として言葉を交わさなかった。黙々と歩く2人に先程までの言葉の応酬は見られず、ただ鬱蒼と生い茂る雑草を踏みつぶす音だけが暗い闇の中に響く。そうして歩き続けた先、漸く当該区域の名所である大聖堂へと到着した。

 大きな湖の中央にある小島にそびえ立つ超巨大な石造りの建物は、夜の闇と立ち込める霧により極めて不気味な印象を与えるが、今は少しだけ事情が違っていた。湖底に敷き詰められた鉱石が放つ淡い光の中に大聖堂が浮かび上がっているのだ。

 正に幻想的。大本となった施設は歴史的にとても価値が高いが、観光施設としての利用も許可されていないという事情により一般公開されていない。その風景を疑似的に再現したこの区域は、更にデートスポットとして最高のロケーションという宣伝により異例ともいえる人気を獲得したと記録にある。クシナダがやけに詳しいのも頷ける話だ。

「ここが」

「はい」

 暫く振りの言葉の応酬は極めて簡素。伊佐凪竜一は目的地へと到着した安堵の中に僅かな興奮を滲ませるが……

「アレ?」

 やがて何かに気付くと湧き上がる感情を腹の底にしまい込んだ。険しさに満ちた顔が、只ならぬ状況を物語る。

「どうされました?」

「いや、聖堂に明かりが?それに人影も……なんでだ?」

 彼の言葉に私は驚いた。急いで監視映像を確認してみれば確かに入り口付近に1人立っており、聖堂内部には揺らめく炎のオレンジがかった灯りが灯っていた。伊佐凪竜一はその光景を呆然と、ガブリエルは無表情で見つめる。昨今の情勢を考えれば観光客が訪れる訳がなく、施設を解放する理由など無い。しかし、ならば一体誰が使っているのか。

「確かに人が居るようですね。不測の事態ではありますが、今更別の場所に向かう選択肢は無いでしょう」

「向かうのか」

 もはや驚きは無い。今の彼はテロリストとして指名手配済みで、例え1人であったとしても見つかれば致命傷は免れない。だからこんな辺鄙な場所を選んだ筈なのに、ガブリエルは微塵の躊躇いも無く大聖堂に向かうと言う。

「はい、では参りましょう。付近に小島への移動手段が用意されています」

 彼女はまるで知った風の様に付近にある小屋へと歩を進める。そこは湖の中央に位置する小島へと向かう自動運転式の小舟を貸し出す施設があり、やがて彼女は一隻の小舟と共に戻って来ると、"どうぞ、お乗りください"と、まるで急かす様に乗船させた。

「あぁ」

 ぶっきらぼうな一言と共に伊佐凪竜一は小舟に乗ったが、しかし彼は最前列のガブリエルの反対側に腰を下ろした。その距離が、今の2人の心の距離を端的に示す。もはや疑いようなく、ガブリエルは何らかの意図であの場所を目指している。

 大聖堂の人影は敵か味方か。神託は発動しているのか否か。罠か、それとも杞憂か。幾重にも重なる二択が伊佐凪竜一の心に伸し掛かる。
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