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第7章 平穏は遥か遠く

248話 マザー・リコリス 其の2

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「神と、後は賭けの胴元とかに都合が良い……とかかな?」

 たどたどしい、自信の無さに満ちた声が静謐な大聖堂に木霊した。が、反応を示す者は誰もいない。対面に座るリコリスも、少し下がった位置で棒立ちするガブリエルも無反応で、信者達に至っては端から完全無視を決め込み祈りを捧げ続けるばかり。

「ウフフッ」

 一呼吸の後、艶めかしい笑い声が教会に反響した。それまで無反応を貫いたリコリスの反応は伊佐凪竜一の回答が不正解で、更に付き合う必要のない問答に向き合った態度を小馬鹿にしている様な印象を与える。強烈な不快感を与える含み笑いは慎重に選んだ伊佐凪竜一の言葉を打ち消し、静まり返った大聖堂に遍く、妖しく行き渡る。

 一方、彼は餌を蒔いてまで"話がしたい"と強引に大聖堂へと引き入れた不遜なリコリスを無表情で見つめるばかり。今更だが答えるべきではなかったし、それ以前にこの女と関わるべきでもなかった。が、馬鹿正直な彼の性格では無理だったかもしれない。姫を助ける一点にある意味で固執する彼の考えは、敵からすればこれ以上なく罠に嵌めやすい、あるいは利用しやすい性格だ。

 かつての監視者わたし達はそうやって"正しい事、あるいは正しくあるべきという姿勢"を貫くが故に苦悩した人間を大勢見てきた。そう言った人間は往々にして歴史を動かす様な重大な局面に居る事が多く、必然的に目に留まったからだ。

「違うのか?」

 何時までも笑う以上をしない女の態度に彼が水を差すと……

「フフッ、ごめんなさいね。昔、同じ質問に全く同じ答えを出した人を思い出しまして。凄く昔の話でもうとっくに死んでいるんですけど、ついその時を思い出してしまいました」

 女は漸く真面に向き合う。人を喰ったようでいて、だが何処か郷愁に浸るような気だるげな声は逐一不快感を煽るが、しかし私も彼も女の反応に奇妙な疑問を持った。

 と、女はそう口走った。年齢は分からないが、しかし露出した白磁の肌や透き通った声色から悪くても20代後半程度の印象しか受けない。いや、もっと若いかも知れない。だが女の語りは、まるで数十年以上も前の話という真逆の印象を私達に与える。

「凄く?それで、答えは何なんだ?」

「フフッ。正解はね、一発逆転。あるいは起死回生でもいいわね」

 妖艶な女の紅が僅かに滲んだ疑問を押し流した。漸く得た回答。しかし、対面で笑顔を向け続ける女の真意を測りかねる伊佐凪竜一はリコリスの言葉に何も語れず、ガブリエルはまるで両者の会話に割り込むことを止められているかのように微動だにせず。

「進退窮まった人間って不思議なものでね、何故か一様に逆転を夢見るの。失った何かを取り戻したい一心でね。そんな人間を惹きつけて止まないのが宗教と賭博よ。ホラ、何方も共通しているでしょう?大した労力も無いのに見返りだけ大きいとうそぶく点がね」

 波紋の様に響く回答の余韻が消え去らぬうち、女は堰を切った様に、楽しそうに続きを語り始めた。真意不明の問答はまだ終わってはいない、恍惚とした女の言動にその雰囲気を感じ取った伊佐凪竜一は口を固く閉ざす。

「絶望しているのよ。信仰も、賭博も現世への絶望が根幹。変えられない、変えたい、でも努力したくない、地道な研鑽をしたくない。あるいは変えたい対象が余りにも大きすぎて、だから何時しか行動を止め、遂には諦める。絶望に支配……いえ、受け入れたと言った方が良いでしょう。ウフフ、もう一つ質問してもいいかしら?」

 女は再び伊佐凪竜一に質問したいと、そう切り出した。熱の籠った声は妖艶で、情熱的で、魅惑的で、官能的で、抗い難い魅力と依存性を伴いながら彼を絡め取る。

「貴方は旗艦の歴史をご存知ないでしょうが、且つての旗艦アマテラスは特区以外での賭博に対し重い罰を科しました。でも神たるアマテラスオオカミが封印された後、アラハバキは旗艦法に手を加え賭博を解禁しました。その理由、お分かりになりますか?」

 そうだ。確かに半年前、そんな事があった。あの時はただ利権と金目当ての浅はかな行為だと侮蔑したが、まさか今日この状況を作り上げる意志の弱い人間を集める意味があったのか。

 ……いや有り得ないと、直後に否定する。宇宙への進出さえままならない地球を相手に銀河の半分を実効支配化に置く連合最強の一角、スサノヲを擁する旗艦アマテラスが敗北するなど想定できる筈もなく、ましてやそんな計画を実行に移すなど狂気の沙汰でしかない。深慮遠謀、神算鬼謀。この女が全てを計画した元凶だと、私の直感が告げる。

「金か?」

「それもあるでしょう。事実として賭博解禁以後、胴元となった企業やら公的機関はそれなりの利益を手にしたそうですから。でもハズレ」

「それじゃあ……まさか、ココに居る人達って!!」

「はい。少々遅いですが、それでも察して頂けて助かります。ココに居るのは全員賭博による破産者。弱い人間は起死回生を求め、身の丈に合わない大きな賭けに出たがる。地道なんて選ばない。だから負ける。、なんて特別感を持っているからよ。でも何の根拠もないから当然勝てず、負けて失った後にこれは間違いだと、こんな筈では無かったと嘆く。自分を顧みる事が出来ない愚かな思考。その結果が今この有様、意志の弱い人間が最後に縋りついたのが私達と言う訳ですよ。賭け事に興じる人間は得てして甘言にも弱い。神が助けてくれると囁けば簡単に信じ、はした金の為であっても喜んで動いてくれる、どれだけ怪しかろうが苦境から救い上げると囁けばノコノコついて来る。賢者は計画を語り、愚者は夢を語るって言葉をご存じ?」

「似た言葉は知っている」

「そう、何処にでもあるのね。でもこの言葉もあなたが知る言葉も惰弱な人間の思考を言い当てているわ。ただ楽に夢を見たいという堕落した夢をね」

 嬉しそうに語らうリコリスの言葉に不穏な単語が混ざり始めた。最初に持った妖艶と言う印象は上辺だけ、この女を構成する表皮でしかなく、その奥にはドス黒い何かが蠢いている。その気配を感じ取った伊佐凪竜一は険しい表情で眼前の女を睨み付ける。が、リコリスはそんな彼の表情に動じないどころか寧ろ昂り始めた。

 まるでこの女にとって伊佐凪竜一という存在が酒か麻薬であるように、彼の視線が注がれるに連れ、言葉を交わすに連れ女の言葉に一層の熱と、妖しさが混じる。魔性……いや、その魔性が伊佐凪竜一という男にかされているような、そんな印象だ。

「絶望の果てに足を止めた人間はその場から一歩も動かず、その癖に自分の先を歩く人間を非難する。少しでも思考が働くなら、現状が変わるわけでは無いと理解出来る筈なのに、だけどそんな連中は一時の享楽の為に平気で自分の人生を投げ捨てる。ここ最近の情勢が不安定な理由、お分かりになりました?あぁ、それから我らが信じる神の名前を教えておりませんでしたね。ディアヴォロス=アルヘナ。ソレが我がディオスクロイ教が信仰する神。連合を打倒する神」

 ディオスクロイ。その名に私と彼の思考が重なる。

「その名、確か地球で!?」

 そう、地球だ。だけど地球だけじゃない。最近になって勢力を増していると報告された新興宗教の名とも一致する。

「フフッ、ご存じでしかか?でも大した情報は持っていない様ですね、地球の混乱も我が教団の仕業ですよ」

「何っ!!」

 意味不明な問答の最期、まるでご褒美と言わんばかりにリコリスが爆弾を投下した。ディオスクロイ教。地球と旗艦アマテラスに同時発生した新興宗教、その謎に包まれた素性が漸く判明した。

 そうか、いやそうだ。この女がディオスクロイ教を束ねる教祖、リコリス=ラジアータ。その名が過去の記憶と重なる。立て続けの出来事に記憶の片隅へと追いやられた過去、ルミナがアクィラ=ザルヴァートルに語った新興宗教に関する情報交換の中で零した女の名だ。バラバラだった何かが少しずつ寄り集まり、一本の線になろうとしている。
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