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第7章 平穏は遥か遠く

273話 終幕への前奏 其の2

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 覚悟を秘めたクシナダと、憎悪に塗れたヤタガラス達。相容れない意志を宿した視線は、しかし何かを求めるかの如く同じ場所へと吸い寄せられる。絡みつく先に立つのは伊佐凪竜一。彼はやがてヤタガラス達、イヌガミと、その先に居る無数の人間目掛けて叫んだ。

「何日か前に地球に降りてから今、この時まで、色々な物を見て、知った。ココで何かが起きる。そして止められなければきっと半年前よりも大勢が死ぬ。だからッ、俺はッ、最後まで止まるつもりは無い!!」

 ホール中に響いた決意にヤタガラスは殺意に汚染されたヤタガラスの心胆を震わせる。叫びと共に放出された裂帛の気迫は空気を震わせ、更に空気中に微量に含まれるカグツチを共振させる。覚悟、感情の伝播にヤタガラス達は再び、はっきりと震えた。恐怖に。圧倒的な力を持つ英雄の放つ覚悟は空気中のカグツチからヤタガラス達の脳をを経由、意志を浸食した。結果、彼等は恐怖した。自らとは圧倒的に違う強固な意志と、ソレが生み出す力に恐怖した。

 だが、それだけではなく。彼が叫ぶと同時、その目がほんの一瞬だけ真っ赤に染まったのを見てしまった。光の中で爛々と輝くその目は、投薬により引き出された惰弱な意志など容易く飲み込む。

「うぅ……おのれェ、なら死ねよ!!」

「死なない!!」

「あぁ、そうだよなぁ。お前達は俺達を殺して進むんだよなぁ?」

「殺しもしない!!」

「な、ならお前はァ!!」

 言葉を重ねる度、ヤタガラス達は耗弱する。殺意は瞬く間に委縮し、敵意は萎える。意志の強さが己が力と等しい世界において、恐怖に汚染された意志が成せることなど何もなく。

「チィ、逃がすグェ!?」

 その事実をよく理解するクシナダは動いた。

「悪く思わないでネ」

 突如として様子が変わったヤタガラス達の変化に一瞬だけ戸惑った彼女だったが、"死にも殺しもしない"と言う彼の決意を信じ、行動を起こす。最前列に居たヤタガラスを豪快に蹴り飛ばすと勢いのまま大きく跳躍、ホテルの入り口に着地すると……

「時間稼ぎヨロシクッ!!」

 奥にひしめくイヌガミを蹴散らしながら夜の闇へと消えた。無暗に殺傷しないならば、やはり逃げの一手以外に選択はなく。去り行く背中が振り返る事なく告げた単純明快な指針に伊佐凪竜一は無言で応える。手に持つ刀を構え、その切っ先をヤタガラスとホール中を埋め尽くさんばかりに配備されたイヌガミに向けた。直後……

「クソッ、化け物がァッ!!」

 英雄の代わりに定着した彼を評する言葉、心を刻む鋭利な誹謗が彼を串刺した。

 刹那、光の筋が映像を横切る。常人に視認できない速度で振るわれた横凪の一閃は、次の瞬間にイヌガミの群れを切り裂きいた。一度、二度、剣閃が映像を横断するその度に10機以上のイヌガミが纏めて両断され、幾つもの破片や部品を撒き散らしながら地面に崩れ落ちる。

「そうやって俺達も殺すつもりか?」

「だから殺さないと言っている!!」

「俺達だってアンタを信じたいンだッ。でも、なんでお前の行く先々で人が死ぬんだよッ!!」

「殺してなど居ない!!」

「その馬鹿みたいに同じ返答、うんざりなんだよ!!」

「今までお前を信じてきたが、何時になったら悪化に歯止めがかかるんだ!?疫病神なんだよ、お前は!!」

「何時まで自分達が正しいって思いこんでるんだ!!守護者が何か企んでるって、そう言うが証拠はあるのか!!どうせ何もないんだろ?」

「仮にそうだったとして、ソレがお前達に脅迫された可能性はあるだろう?確たる証拠もなしにこれ以上俺達を巻き込むな、余所者風情が!!」

「そうだ!もうお前達に助けは無い!!スサノヲはまだ揉めてるようだがヤタガラスは今からお前達を排除する!!コレが我らの……いや、アマツミカボシの総意だ!!」

 刃の様に冷めた言葉が伊佐凪竜一に浴びせられる。ヤタガラス達とてそれなりに戦闘訓練は受けており、今の彼の実力から判断すれば自分達など赤子同然であると十分に理解している。だから精神を削るのだ。彼の精神を少しでも削り取り、カグツチによる強化を少しでも弱めようと試みる。

 攻撃はイヌガミに任せ、自らは銃撃で補佐しながら、同時にありとあらゆる罵倒を投げかける。傍目に見ればとても褒められた戦いでない事は彼等も、その背後にいる連中も承知の上。しかし、ヤタガラスもその背後に居る何者かも一つだけ大きな計算違いをした。

「邪魔をするなッ!!」

 ソレは、伊佐凪竜一と言う男の精神。半年前の絶望を乗り越えた彼に諦めるという選択肢はなく、故に止まる事もない。彼の手に持つ刃が振るわれる度にイヌガミは両断され、ヤタガラスの正確な銃撃を叩き落とす。

 暴風の如く吹き荒れる攻撃は言葉通り邪魔する者を許さず、ロビーには且つてイヌガミだった物体とその破片が無数に散らばり、さながら雪景色の様に照明を反射して輝く。気が付けば数の優勢は完全に覆されており、残り10機程のイヌガミを除けば呆然と立ち竦むヤタガラス達だけとなった。

「ば、化け物」

 伊佐凪竜一が一歩前に進むと……

「いや、悪魔だ!!」

 その度にヤタガラス達は一歩後ずさる。悪魔と、口汚く罵りながら。

「そうだ。お前は悪魔だ!!」

 今や戦意を喪失した彼等に出来る事はただ1つのみ。刃の如く冷えた言葉が呪いへと昇華すると、彼の心を蝕むと信じて投げつけるだけ。銃声と剣戟に代わり、心ない言葉がロビーを行き交う。悪魔と。

 ジャリ、ジャリ――

 飛散した破片を踏み潰す音が1つ、また1つ聞こえる。静止した空間に響くのは飛散した部品を踏み潰す音。伊佐凪竜一が、それでも無言で前へと進む音。

「ひっ」

 小さな叫び声を上げながら、ヤタガラス達はその場に腰から崩れ落ちた。恐怖が現れ、目の前を通り過ぎ、入り口へと向かう。ただそれだけの行動を誰も止められない。その目を見てしまったから。蔑まれながらも尚、怯まず前を睨みつける彼の目が再び赤く染まった。見入ったヤタガラス達は振り絞っていた精一杯の虚勢さえも削り取られると、腰砕け、崩れ落ちるとうずくまり、頭を抱え始めた。

 何とも皮肉だ。誰かを助けたいと願う意志が通じることはなく、寧ろ曲解される。人は、己が理解できないモノを恐怖する。故に、理不尽な程に強烈な意志もまた恐怖の対象でしかない。

 その理解し難い恐怖が今、遍く旗艦全体へと行き渡る。イヌガミのカメラを通して、彼の決意とその目を見た大多数の市民は、現場で恐怖に打ち震えるヤタガラス達と同じ恐怖を体感し、皮肉にも"悪魔"であると感じてしまった。

 夜になれば闇が広がる様に、人の心に闇が広がる。しかし夜はいずれ明けても、人の中の闇はソレを照らすモノが無い限り明ける事はない。人が自らの闇を照らす光。意志。しかし悲しいかな、多くの人間の心の内にソレは無い。

 ドォン――

 過大な衝撃にホテルの豪奢な入り口が崩れ落ちると同時、奥から声が聞こえた。

「お待たせッ、逃げるわよ!!」

 破壊された入口付近で片膝を付き手を差し出す黒雷からの声に、彼は既に行動を始めていた。戦意を喪失したヤタガラス達を一瞥さえせず、ただ前へと走り出し、黒雷の手に飛び乗ると黒雷は夜の闇の向こうへと跳び去った。後に残ったのは恐怖から解放、いや精神を操作され続けた事で脳に致命傷を負い、立つ事さえままならなくなったヤタガラス達が地に伏す姿と、周囲を埋め尽くす夥しい数のイヌガミの残骸、そしてホテルを取り囲む灰色の光。

 やがて、光から数機の黒雷が出現する。誰もが内部の悲惨な状況に怒り、あるいは哀しみを向けたが、しかし一足先に飛び去った黒雷の追跡へと向かった。追撃の手が休む事は決してない。少なくとも婚姻の儀が始まるその時までは。地球で起きた戦いも、今回の戦いも、その全てが婚姻の儀という因果へと収束する。幸運の星の輝きを消す為に、そしてそれ以上の何かの為に。後数時間後、もう僅かも時が経てば終幕が開く。
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