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 やはり部屋を探そう。新しい部屋を。ここは広すぎるし、一人で家賃を払うには高すぎる。
 何より篠崎と住むはずだった部屋、幸せな未来があると思い込んでいた部屋に一人で住むのは辛い。――いつか帰ってきてくれるかも、と思ってしまう。母だって迎えに来てくれなかったのに。
 ――ああ、せっかくだから母親の顔を見に行こうか。せっかく所在を教えてもらったのだ。
 自分を捨てた母親の顔。
 会ったら自分はどうするのだろう。
 ――あなたが捨てた子供はやはり誰にも愛されませんでした。あなたの選択は間違っていませんでした――
 微笑んでそう言うのだろうか。
 ――いやだ。悲しい。そんなの嫌だ。
 それにそれじゃ母親への八つ当たりだ。家族がいなくたって自分で家族を築いている人はたくさんいる。美里だってそうだ。優しい旦那さんと幸せに生活している。他のみんなだって、自分の家族を築いている。
 それができないのは自分に問題があるからだ。
 もう親に捨てられたことを引きずっていい年じゃない、親のせいにしていい年じゃない。

 クローゼットの前で蹲る。
 何が悪かったんだろう。
 何が気に入らなかったんだろう。
 ごめんなさいと言ったら許してもらえるだろうか。
 ――ムリに決まっている。何が悪かったのかすら分からないくせに、そんなの勝手すぎる。
 涙が溢れ落ちる。泣きたくなんてないのに。だって泣いたって何も変わらない。
 どうしよう、これからどうやって生きていけばいいのだろう
 ずっと一人で生きてきたはずなのに、その方法すら忘れてしまった。分からなくなってしまった。だって篠崎は温かかった。優しかった。沢山頭を撫でてくれた。沢山名前を呼んでくれた。
 床が濡れていく。構わない。安西がここを出れば、もうこの部屋に入る人はいないのだ。業者が清掃してくれる。

『お前は静かに泣くな』
 ゆうくん…?
『泣くときくらい子供みたいに泣いたらいいのに』
 ゆうくんの声だ。
『大丈夫、泣いて怒る人はもういないよ』
 え?
『泣いていいんだよ。大丈夫、怒られないから』
『泣いてもいいの』
『いいよ』
『泣いても叩かない?』
『叩かない』
『ご飯なしにならない?』
『ならないよ。俺の分を追加で分けてやってもいい』
 ――そうだ、これは記憶だ。施設に入ったばかりの頃の記憶。
 寂しくて泣いていた安西に、ゆうくんが言ったのだ。
『大丈夫、だから思い切り泣いてごらん』

「うあああああ!!!」
「諒!」
 記憶が――
 ああ、母親だ。声をあげて泣くとうるさいと怒られるのだ。叩かれる、殴られる、物が飛んでくる。怖い、痛いの。やめて、ごめんんさい。泣かないから、静かにするから。物音は立てないから。いない物になるから。存在しない物になるから、だから、ごめんなさい、ごめんんさい――
「ごめっ、ごめんなさい、ごめんなさい!」
 打たないで。けれどそれを言ったら余計に叩かれる。必死に小さく体を丸め、頭を守る。
「諒!」
「ごめっ、なさ、ごめっ、」
「諒、大丈夫怒ってない、怖くないよ」
「や、やだ、ごめっ」
「諒、諒……」
 でも、抱き締めてくれたことは一度もない。――ない、のに――温かい。
「諒……怖かったな、すまなかった」
「だれ……」
「!俺だよ、篠崎だ」
「なんで……?」
「ん?」
 だって、篠崎は――
「僕を捨てたんじゃ…」
「捨てる?なんで」
「だって…」
 まだ頭が混乱している。
 だって、さっきゆうくんが泣いていいよって、けど泣いたら母親が――なのに、しのざきがいる?分からない。
「諒、ほら、こっちをみてごらん。」
 頬を大きな手のひらで包まれる。目の前に篠崎がいた。どうしているのだろう。混乱する。分からない。
「何があった?」
「しのざき?」
「そうだよ、俺だ」
「……なんで」
「俺と諒くんの家だろう」
 だって、篠崎はもう帰ってこないのに。
「なんで、しのざき、」
「……うん、怖かったな、ごめんな、大丈夫、いるよ、一緒に居る」
「なんで、だって、」
「うん、うん……」
 首に腕を回すとぎゅうぎゅうと抱きしめられる。――篠崎だ。だって、安西を抱きしめてくれるのは篠崎しかいない。篠崎しか――。
「しのざき……」
「うん……諒くん、どうしたんだ、何があった?怖い夢でも見たか」
「……篠崎がいなくて」
「ああ、そうだな、すまない。夜中に仕事で抜けたんだ。連絡しなくてすまなかった」
「ほんと…?捨てたんじゃ」
「ないよ。捨てるなんてしない。こんなに愛してるのに」
「……ほんと?」
 信じていいのだろうか。だって、だって――。
「ああ。ゆうくんにも美里さんにも嫉妬してる」
「え、」
「ゆうくんを好きだったんだろう」
「えと、それはお兄ちゃんとして…」
「お兄ちゃん?」
「篠崎の好きとは違う……」
 篠崎の肩が揺れた。
「……美里さんは?」
「施設にいたお姉ちゃん……もうすぐゆうくんの命日だからお墓参り……」 
 回らない頭で必死に答える。しっかり答えないと、篠崎に嫌われてしまう。せっかく帰ってきてくれたのに。
「……泊まりかもしれないとは?」
「墓参りのあとは皆でそのまま施設に顔を出して子供のお世話をしてくるから疲れて雑魚寝しちゃうことがあって」
「……すまない、俺が子供だった」
「え?」
「嫉妬だよ。やきもちを焼いた」
「なんで…」
「諒くんのことが大好きだからに決まってるだろう」
「……うそ」
「本当だ」
「うそ……」
 だって、だって――
 抱きしめられて、知っている温もりに包まれて、寝不足と泣き疲れて重い瞼が落ちた。

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