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一章『大神屋敷』
(二)
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鉈切山にごぉんという鐘の音が響き渡る。夕刻を知らせる、時の鐘だ。大神屋敷では夕餉の時間でもある。
「お館様、お疲れ様です!」
「おう、手長と足長じゃん。おつかれさん」
「今日は鮭雑炊だそうですよ」
「本当か? いいねえ、腹減ってきたなあ」
「おやかたさま~! 一緒にごはん食べようよ~」
「おい、お前ばっかずるいぞ! 今日はおれの番だろ!」
「お前ら、喧嘩すんなよ。それに、今日は初めて来た子がいるから、その子と食べる予定」
「え~!」
「ちぇ、今日は我慢かあ」
廊下を歩いていると、多くの老若男女が大神に向かって声をかけてくる。足の長い老人に手の長い老人、河童の子供に一つ目の子供――誰も彼もが人間らしい姿ではなく、子供の落書きから出てきたようなあやかしばかりだった。
ちょうど飯時だからなのか、あやかしたちは次々に部屋から出てきて、大神の周囲に集まってくる。あやかしたちを引き連れて行くその光景たるや、画図百鬼夜行のようで、気の小さい人間が見れば卒倒しそうだ。
すずは大神の袖にしっかりと掴まりつつ、彼の一歩後ろを歩いていた。盲目の彼女にとっては、あやかしたちの会話も人間同士がしているのと変わりない。
「窮屈で悪いな、うちはあやかしたちの集会所みたいな役目もあってな。特に冬場は寒さが厳しくて、この時期だけ身を寄せにくる奴もいる。皆いい奴らだからな、食われる心配はしなくていいぞ」
「は、はい。わかりました」
あやかしの波に揉まれながらも、すずは素直に返事をする。その間にも、大神は集まってくるあやかしたちからひっきりなしに声をかけられて、その全てに返事をしていた。人間の世界ではもちろんのことだが、この場における彼の存在の大きさも、窺い知れるというものだ。
「ここの皆は大神様を『お館様』って呼ぶんだな?」
すずはふと気づいたことを、忙しそうな大神の代わりに、肩にしがみついていた二体の鬼火たちに尋ねてみる。鬼火たちは振り落とされないよう、すずの肩にしがみつきながら答えた。
「おおがみさまは、おやしきのあるじさま」「だから、おやかたさま」「おおがみさまより、おやかたさまのほうがすきみたい?」「よぶとにこにこする」「すずちゃんも、おやかたさまってよんで」「きっとよろこぶよ」
鬼火たちの言葉から察するに、この大神という存在は、少なくとも現世とこの場ではかなり扱いが違っているらしい。
神様という認識が強い人間たちは、彼を『大神様』と呼んで敬うことが多い一方、あやかしたちは屋敷の主という認識が強いので、親しみを込めて『お館様』と呼んでいるようだ。
「すずちゃん、あしもと」「すこしさき、だんさあるよ」「ころばないない」「おけがないない」
あやかしたちの群れに流されるようにたどり着いたのは、軽く百人くらいの人間が入れそうな大広間だった。肩の上の鬼火たちが、一歩先にある敷居の段差を警告してくれたので、すずは大広間の敷居を注意深くまたぐ。
すると、温かい空気に乗ってやってきた食欲をそそる匂いが、すずの鼻をくすぐった。
「ごはん、ごはん」「おきゃくさんとごはん」「すずちゃんとごはん」「ごはんはおいしい」
歌うような鬼火たちのはしゃぎっぷりに、すずも心が高鳴ってくる感じがした。なにかがくつくつと煮える音も、音楽のようで心地いい。
「はいはい、押さない! ちゃんと全員分あるからね!」
「もう少しおまけしとくわね、あんたたち育ち盛りだし」
「おや、お腹の調子が悪いのかい? じゃあ今日は少なめにしようかね」
あやかしたちががやがやと列を作って並んでいる先から、はつらつとした女性たちの声が聞こえてくる。体格も年齢も様々なあやかしたちに合わせながら配膳しているらしい。体格の大きなあやかしのどんぶりにはたっぷりと、逆に鬼火のような小さなあやかしにはお猪口のようなお碗にほんの少し、といったふうに、女性たちはてきぱきと雑炊を盛っていく。
「こっちは身を寄せてる奴らの列な。屋敷に元々住んでる奴らはあっち」
大神は配膳の列には並ばず、すずを連れて広間の奥へと向かう。
「あら、お館様! 今日は遅かったですねえ」
奥で作業をしていた女たちのうち一人が、大神を見つけるなり声をかけてくる。
女は人間とさほど変わりない見た目をしていたが、明るい声とは裏腹に、血の気が感じられない青白い肌をしていた。濡羽色の長髪を腰のあたりでまとめており、白藍の着物に身を包んでいる。
「悪いな、お銀。他のあやかしたちと話してたら遅くなっちまった」
「相変わらず人気者ですのねえ」
女はほほほと屈託なく笑うと、大神の傍らにいるすずの方へ向き、腰をかがめて話しかけてくる。
「初めまして、すずちゃん。私はお銀よ。ここの女中頭をしているの」
「は、初めまして……」
「ささ、貴方の席はこっちよ」
お銀と名乗った女中はさっそくとばかりにすずの手を取る。が、その手があまりに冷たかったので、すずは思わず「ひゃっ」と声を上げた。
「あはは、驚かせてごめんなさいね。あたし、雪女の血が入ってるから、ちょっと手が冷たいの」
明るく笑うお銀を見て、すずは(雪女ってこんげ陽気なんだ……)と意外に感じた。雪女といえば、もっと繊細で凜とした、あまり人を寄せつけない性格なのだと思っていたのだが、これほ雪女に対する偏見だったのかもしれないなと思う。
すずは用意された座布団までお銀に導かれると、促されるままそこへ腰を下ろした。
「貴方は病み上がりだから、ちょっと少なめにしておいたわ。あんまり一気に詰め込むと体に毒だって、薊先生も言ってたから」
すずの目の前に、茶碗の半分まで盛った鮭雑炊が置かれる。間近で感じる匂いに、すずの腹の虫が控えめに空腹を主張した。
「おぎんさん~こっちも~」「ごはんくーださい」
「はいはい、鬼火ちゃんたちの分もすぐ持ってくるからね」
鬼火たちもすずの肩から飛び降り、着地した畳の上で食事をねだる。
すずは村では受けてこなかった丁重な扱いに戸惑っていた。大事にされすぎてどうしたらいいのかしら、とすずが内心ひいひい言いながら恐縮していると、
「どうしたのです、お嬢さん」
と、向かいの席に座っていた人物が話しかけてくる。
大神の低く太い声とはまた違った、中性的な甘い声だった。
「お、おら……こんげご馳走もらっていいんでしょうか?」
「もちろん。遠慮はいりませんよ。貴方、今までまともに食べてこなかったでしょう? 診察するまでもなく分かります」
「診察、ですか?」
すずが聞き返すと、相手は「ああ、失敬」と咳払いをする。
「申し遅れました。我が名は薊。薬研の付喪神です。この大神屋敷の主たるお館様にお仕えしております」
付喪神というあやかしの話は、すずも祖母から聞いたことがある。曰く、作られてから百年経ったモノには魂が宿り、まるで生き物のように自ら動き出すのだと。
すずはその話を聞いて、祖母の三味線ももうすぐ付喪神になるころだろうか、と想像してみたものだ。
「じゃあ、お銀さんの言ってた先生って……」
「はい、私のことです。ここへ運び込まれた貴方の診察もさせてもらいました」
なるほど、とすずは納得する。薬研とは薬作りの道具だ。薬は医術とも深い関係にあるから、薬研の付喪神である薊は医者になるというわけか。
「いやはや、骨と皮ばかりで驚きました。人間の診察自体が久しぶりとは言え、あんな不健康な状態、数年ぶりに診ましたよ」
「骨そのものみたいな顔の先生が不健康って! おかしな話よねえ?」
「だっはは! 違えねえ、野ざらしに体が生えてるようなモンだしなあ」
「!?」
お銀や大神が笑いながら言い放った台詞に、すずはぎょっとする。
というのも、薊は顔の右半分こそ眉目秀麗であったが、左半分はかなり衝撃的な見た目をしていた。
顔面の皮や肉が完全に剥けており、白い頭蓋骨がすっかり丸出しになっているのだ。その上、本来目玉が入っているはずの眼窩からは、植物の蔓がにょろりと伸びている。風雨にさらされたしゃれこうべに、生きた人間の体が生えているようなものだった。
すずのような盲目でない限り、遭遇した人間が悲鳴を上げるのは必至である。しかし、先ほどの二人の冗談に対する周囲の反応を見るに、あやかしたちにとって、薊の見た目は特に忌避されるようなものではないらしい。薊本人ですら「失礼な」と言いつつもくすくす笑っている。
(うーん……人間とは全然感じ方が違てるなあ……)
あやかしたちが笑い話で盛り上がる中、すずだけはなんとなく苦笑いを浮かべていた。
そんな中、すずの傍らで雑炊をちびちびと食べていた鬼火たちが、ふと彼女の方を見上げて言う。
「すずちゃん、たべないの?」「さめたら、おいしくない」
あやかしたちが美味い美味いと言いながら料理に舌鼓を打つ中、ずっと食事に手をつけないでいるすずを、鬼火たちは気にしていたようだ。
すると、お銀もすずの茶碗の中身がまったく減っていないのに気づいて、
「どうしたの?」
とすずの顔色をうかがってくる。薊も
「もしかして、具合が悪いのですか?」
と心配そうに尋ねてくる。お銀が肩をさすってくれるが、すずは具合が悪いわけではなかった。腹はもちろん減っているし、鮭も雑炊もすずの好物だ。
しかし、すずには空腹をおしても食事に手を出せぬ理由がある。
「村の人たちが食べ物に困っているのに……おらだけこんげごーぎなご馳走もらうなんて、できなくて……」
すずの反応があやかしたちにとっては想定外だったのか、賑わっていた周囲が水を打ったように静まりかえる。
ああ、しまった──せっかくの楽しい空気を台無しにしてしまった、なんてことをしてしまったのだ。すずは俯きながら、自分を責めた。
しかし、気まずさをすぐさま打ち消すように口を開いたのは、大神だった。
「すず。お前、現世じゃもう死んだも同然なんだぜ。騙して生贄にしてきた村の人間なんか、お前が気にかけてやる筋合いもねえだろ」
「でも……」
「どうしても気が咎めるってんなら、働くために食ってんだと思いな」
「働くため……?」
「俺はこれから、神様として『村に降り続ける雪を止める』って大仕事をしなきゃならねえわけだ。そんで、すずは仕事で疲れた俺を労うのが仕事。考えてみりゃ、お前は間接的に飢えた村を救おうとしてるともとれるだろ」
「あ……」
「つーわけで、お前は飢えた村を助けるために、まず食わなきゃならねえ。食って元気を取り戻してってところから、話ははじまるんだ」
すずはしばらく固まっていたが、漂ってくる雑炊の匂いが、再び食欲をかき立ててくる。
すると、不思議なことに、あれだけ動かなかった右手が、自然と匙を探し始めた。
指に当たった匙を手に取り、どんぶりの場所も手で探り当てると、すずは雑炊をひと口すくい上げた。
「……はむ」
久しぶりに舌に触れた熱い感覚に驚き、すずはふう、ふうと口の中で雑炊を冷ます。
次に感じたのは、鮭のほどよい塩味と、柔らかく煮た米の甘味。普遍的な味が、舌を通してじんわりと体の奥に染み込んでくる。
「おいしい?」「しゃけ、おいしい?」
俯いたまま咀嚼しているすずに、鬼火たちが尋ねる。
「……おい、しい」
すずは頷きながら、雑炊を大事に噛み締める。
温かいご飯なんて、どれだけ口にしていなかったことか。まして、誰かが自分のために、心を込めて用意してくれたご飯なんて──。
ひと口目を嚥下し、喉も温まったところで、すずは先ほどより大きめのふた口目を口に運ぶ。
「ふ、ぐぅ……」
すずの伏せられた瞼の隙間から、涙が流れてくる。大粒の雫がすずの頬を濡らし、手の上に落ちていく。
雑炊のものではない塩味が感じられるが、すずは構わず雑炊を口に運び続けた。
「ふう、うううっ……うう~っ……!」
すずは顔中を真っ赤にして、唸るように泣き始めた。泣きながらも食指を動かし続ける彼女の膝を、そばにいた鬼火たちがとんとん撫でてくれる。
周りのあやかしたちに静かに見守られながら、すずは温かい雑炊を少しずつ平らげていった。
──祖母が亡くなってから、忘れかけていた。誰かの心がこもったご飯は、こんなにも温かくて美味しくて、幸せだったのだ。
「お館様、お疲れ様です!」
「おう、手長と足長じゃん。おつかれさん」
「今日は鮭雑炊だそうですよ」
「本当か? いいねえ、腹減ってきたなあ」
「おやかたさま~! 一緒にごはん食べようよ~」
「おい、お前ばっかずるいぞ! 今日はおれの番だろ!」
「お前ら、喧嘩すんなよ。それに、今日は初めて来た子がいるから、その子と食べる予定」
「え~!」
「ちぇ、今日は我慢かあ」
廊下を歩いていると、多くの老若男女が大神に向かって声をかけてくる。足の長い老人に手の長い老人、河童の子供に一つ目の子供――誰も彼もが人間らしい姿ではなく、子供の落書きから出てきたようなあやかしばかりだった。
ちょうど飯時だからなのか、あやかしたちは次々に部屋から出てきて、大神の周囲に集まってくる。あやかしたちを引き連れて行くその光景たるや、画図百鬼夜行のようで、気の小さい人間が見れば卒倒しそうだ。
すずは大神の袖にしっかりと掴まりつつ、彼の一歩後ろを歩いていた。盲目の彼女にとっては、あやかしたちの会話も人間同士がしているのと変わりない。
「窮屈で悪いな、うちはあやかしたちの集会所みたいな役目もあってな。特に冬場は寒さが厳しくて、この時期だけ身を寄せにくる奴もいる。皆いい奴らだからな、食われる心配はしなくていいぞ」
「は、はい。わかりました」
あやかしの波に揉まれながらも、すずは素直に返事をする。その間にも、大神は集まってくるあやかしたちからひっきりなしに声をかけられて、その全てに返事をしていた。人間の世界ではもちろんのことだが、この場における彼の存在の大きさも、窺い知れるというものだ。
「ここの皆は大神様を『お館様』って呼ぶんだな?」
すずはふと気づいたことを、忙しそうな大神の代わりに、肩にしがみついていた二体の鬼火たちに尋ねてみる。鬼火たちは振り落とされないよう、すずの肩にしがみつきながら答えた。
「おおがみさまは、おやしきのあるじさま」「だから、おやかたさま」「おおがみさまより、おやかたさまのほうがすきみたい?」「よぶとにこにこする」「すずちゃんも、おやかたさまってよんで」「きっとよろこぶよ」
鬼火たちの言葉から察するに、この大神という存在は、少なくとも現世とこの場ではかなり扱いが違っているらしい。
神様という認識が強い人間たちは、彼を『大神様』と呼んで敬うことが多い一方、あやかしたちは屋敷の主という認識が強いので、親しみを込めて『お館様』と呼んでいるようだ。
「すずちゃん、あしもと」「すこしさき、だんさあるよ」「ころばないない」「おけがないない」
あやかしたちの群れに流されるようにたどり着いたのは、軽く百人くらいの人間が入れそうな大広間だった。肩の上の鬼火たちが、一歩先にある敷居の段差を警告してくれたので、すずは大広間の敷居を注意深くまたぐ。
すると、温かい空気に乗ってやってきた食欲をそそる匂いが、すずの鼻をくすぐった。
「ごはん、ごはん」「おきゃくさんとごはん」「すずちゃんとごはん」「ごはんはおいしい」
歌うような鬼火たちのはしゃぎっぷりに、すずも心が高鳴ってくる感じがした。なにかがくつくつと煮える音も、音楽のようで心地いい。
「はいはい、押さない! ちゃんと全員分あるからね!」
「もう少しおまけしとくわね、あんたたち育ち盛りだし」
「おや、お腹の調子が悪いのかい? じゃあ今日は少なめにしようかね」
あやかしたちががやがやと列を作って並んでいる先から、はつらつとした女性たちの声が聞こえてくる。体格も年齢も様々なあやかしたちに合わせながら配膳しているらしい。体格の大きなあやかしのどんぶりにはたっぷりと、逆に鬼火のような小さなあやかしにはお猪口のようなお碗にほんの少し、といったふうに、女性たちはてきぱきと雑炊を盛っていく。
「こっちは身を寄せてる奴らの列な。屋敷に元々住んでる奴らはあっち」
大神は配膳の列には並ばず、すずを連れて広間の奥へと向かう。
「あら、お館様! 今日は遅かったですねえ」
奥で作業をしていた女たちのうち一人が、大神を見つけるなり声をかけてくる。
女は人間とさほど変わりない見た目をしていたが、明るい声とは裏腹に、血の気が感じられない青白い肌をしていた。濡羽色の長髪を腰のあたりでまとめており、白藍の着物に身を包んでいる。
「悪いな、お銀。他のあやかしたちと話してたら遅くなっちまった」
「相変わらず人気者ですのねえ」
女はほほほと屈託なく笑うと、大神の傍らにいるすずの方へ向き、腰をかがめて話しかけてくる。
「初めまして、すずちゃん。私はお銀よ。ここの女中頭をしているの」
「は、初めまして……」
「ささ、貴方の席はこっちよ」
お銀と名乗った女中はさっそくとばかりにすずの手を取る。が、その手があまりに冷たかったので、すずは思わず「ひゃっ」と声を上げた。
「あはは、驚かせてごめんなさいね。あたし、雪女の血が入ってるから、ちょっと手が冷たいの」
明るく笑うお銀を見て、すずは(雪女ってこんげ陽気なんだ……)と意外に感じた。雪女といえば、もっと繊細で凜とした、あまり人を寄せつけない性格なのだと思っていたのだが、これほ雪女に対する偏見だったのかもしれないなと思う。
すずは用意された座布団までお銀に導かれると、促されるままそこへ腰を下ろした。
「貴方は病み上がりだから、ちょっと少なめにしておいたわ。あんまり一気に詰め込むと体に毒だって、薊先生も言ってたから」
すずの目の前に、茶碗の半分まで盛った鮭雑炊が置かれる。間近で感じる匂いに、すずの腹の虫が控えめに空腹を主張した。
「おぎんさん~こっちも~」「ごはんくーださい」
「はいはい、鬼火ちゃんたちの分もすぐ持ってくるからね」
鬼火たちもすずの肩から飛び降り、着地した畳の上で食事をねだる。
すずは村では受けてこなかった丁重な扱いに戸惑っていた。大事にされすぎてどうしたらいいのかしら、とすずが内心ひいひい言いながら恐縮していると、
「どうしたのです、お嬢さん」
と、向かいの席に座っていた人物が話しかけてくる。
大神の低く太い声とはまた違った、中性的な甘い声だった。
「お、おら……こんげご馳走もらっていいんでしょうか?」
「もちろん。遠慮はいりませんよ。貴方、今までまともに食べてこなかったでしょう? 診察するまでもなく分かります」
「診察、ですか?」
すずが聞き返すと、相手は「ああ、失敬」と咳払いをする。
「申し遅れました。我が名は薊。薬研の付喪神です。この大神屋敷の主たるお館様にお仕えしております」
付喪神というあやかしの話は、すずも祖母から聞いたことがある。曰く、作られてから百年経ったモノには魂が宿り、まるで生き物のように自ら動き出すのだと。
すずはその話を聞いて、祖母の三味線ももうすぐ付喪神になるころだろうか、と想像してみたものだ。
「じゃあ、お銀さんの言ってた先生って……」
「はい、私のことです。ここへ運び込まれた貴方の診察もさせてもらいました」
なるほど、とすずは納得する。薬研とは薬作りの道具だ。薬は医術とも深い関係にあるから、薬研の付喪神である薊は医者になるというわけか。
「いやはや、骨と皮ばかりで驚きました。人間の診察自体が久しぶりとは言え、あんな不健康な状態、数年ぶりに診ましたよ」
「骨そのものみたいな顔の先生が不健康って! おかしな話よねえ?」
「だっはは! 違えねえ、野ざらしに体が生えてるようなモンだしなあ」
「!?」
お銀や大神が笑いながら言い放った台詞に、すずはぎょっとする。
というのも、薊は顔の右半分こそ眉目秀麗であったが、左半分はかなり衝撃的な見た目をしていた。
顔面の皮や肉が完全に剥けており、白い頭蓋骨がすっかり丸出しになっているのだ。その上、本来目玉が入っているはずの眼窩からは、植物の蔓がにょろりと伸びている。風雨にさらされたしゃれこうべに、生きた人間の体が生えているようなものだった。
すずのような盲目でない限り、遭遇した人間が悲鳴を上げるのは必至である。しかし、先ほどの二人の冗談に対する周囲の反応を見るに、あやかしたちにとって、薊の見た目は特に忌避されるようなものではないらしい。薊本人ですら「失礼な」と言いつつもくすくす笑っている。
(うーん……人間とは全然感じ方が違てるなあ……)
あやかしたちが笑い話で盛り上がる中、すずだけはなんとなく苦笑いを浮かべていた。
そんな中、すずの傍らで雑炊をちびちびと食べていた鬼火たちが、ふと彼女の方を見上げて言う。
「すずちゃん、たべないの?」「さめたら、おいしくない」
あやかしたちが美味い美味いと言いながら料理に舌鼓を打つ中、ずっと食事に手をつけないでいるすずを、鬼火たちは気にしていたようだ。
すると、お銀もすずの茶碗の中身がまったく減っていないのに気づいて、
「どうしたの?」
とすずの顔色をうかがってくる。薊も
「もしかして、具合が悪いのですか?」
と心配そうに尋ねてくる。お銀が肩をさすってくれるが、すずは具合が悪いわけではなかった。腹はもちろん減っているし、鮭も雑炊もすずの好物だ。
しかし、すずには空腹をおしても食事に手を出せぬ理由がある。
「村の人たちが食べ物に困っているのに……おらだけこんげごーぎなご馳走もらうなんて、できなくて……」
すずの反応があやかしたちにとっては想定外だったのか、賑わっていた周囲が水を打ったように静まりかえる。
ああ、しまった──せっかくの楽しい空気を台無しにしてしまった、なんてことをしてしまったのだ。すずは俯きながら、自分を責めた。
しかし、気まずさをすぐさま打ち消すように口を開いたのは、大神だった。
「すず。お前、現世じゃもう死んだも同然なんだぜ。騙して生贄にしてきた村の人間なんか、お前が気にかけてやる筋合いもねえだろ」
「でも……」
「どうしても気が咎めるってんなら、働くために食ってんだと思いな」
「働くため……?」
「俺はこれから、神様として『村に降り続ける雪を止める』って大仕事をしなきゃならねえわけだ。そんで、すずは仕事で疲れた俺を労うのが仕事。考えてみりゃ、お前は間接的に飢えた村を救おうとしてるともとれるだろ」
「あ……」
「つーわけで、お前は飢えた村を助けるために、まず食わなきゃならねえ。食って元気を取り戻してってところから、話ははじまるんだ」
すずはしばらく固まっていたが、漂ってくる雑炊の匂いが、再び食欲をかき立ててくる。
すると、不思議なことに、あれだけ動かなかった右手が、自然と匙を探し始めた。
指に当たった匙を手に取り、どんぶりの場所も手で探り当てると、すずは雑炊をひと口すくい上げた。
「……はむ」
久しぶりに舌に触れた熱い感覚に驚き、すずはふう、ふうと口の中で雑炊を冷ます。
次に感じたのは、鮭のほどよい塩味と、柔らかく煮た米の甘味。普遍的な味が、舌を通してじんわりと体の奥に染み込んでくる。
「おいしい?」「しゃけ、おいしい?」
俯いたまま咀嚼しているすずに、鬼火たちが尋ねる。
「……おい、しい」
すずは頷きながら、雑炊を大事に噛み締める。
温かいご飯なんて、どれだけ口にしていなかったことか。まして、誰かが自分のために、心を込めて用意してくれたご飯なんて──。
ひと口目を嚥下し、喉も温まったところで、すずは先ほどより大きめのふた口目を口に運ぶ。
「ふ、ぐぅ……」
すずの伏せられた瞼の隙間から、涙が流れてくる。大粒の雫がすずの頬を濡らし、手の上に落ちていく。
雑炊のものではない塩味が感じられるが、すずは構わず雑炊を口に運び続けた。
「ふう、うううっ……うう~っ……!」
すずは顔中を真っ赤にして、唸るように泣き始めた。泣きながらも食指を動かし続ける彼女の膝を、そばにいた鬼火たちがとんとん撫でてくれる。
周りのあやかしたちに静かに見守られながら、すずは温かい雑炊を少しずつ平らげていった。
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