夢喫茶ムーンミルク、秘密はラテに溶かして ーー(諜報×バリスタ。利用するつもりが“やさしさ”に振り回される。じれ甘。)

星乃和花

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第7話 夢税という名の悪夢

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夜の地図は、泡の上に現れる。
ルルがミルクの表面に細い線を引くと、ネブライのメモと同じ経路が浮いた。
西港B――交易会館――夢務院倉――そして、第一会議室。
交点には小さな点。ミルが“ぴぴ”と鳴いて、点を結び目として印す。

「倉庫Bの帳簿は?」
「持ってきた」
ネブライは外套の内ポケットから薄い帳簿を出した。
表紙に可愛げのない羊の刻印――眠羊商会。
中身は整っているのに、整いすぎていた。仕入れ先は一行、検品は“省略手続 第三号”、捺印は同じ筆圧で三週間ぶん。

ルルは星砂フィルターの輪を鳴らし、帳簿の紙縁にそっと当てた。
こん。紙が嘘を吸っているときの、短い鈍音。
「やっぱり、紙が網を張ってる。『第三号』って、何?」
「“緊急安定供給措置”。……元・配剤官が作った抜け道だ。名前は伏せるが、頭文字はM」

「M」
ルルが泡の点の横に、小さなMを書いた。
ミルが鼻をひくつかせ、“ぷしゅ”。不満の音。
ネブライは別の紙を広げる。夢務院の内規、その改訂履歴。
「三週間前、“夢安定料”という語が一度だけ議事録に出た。『市民の不安を軽減するための網の常設化、および利用料の徴収』。提案者は“匿名”」

「夢税」
ルルは言葉を口にする前に、表面に猫を描き加えた。
「人の眠りは、税じゃない。居場所。――でも“浅瀬”に立たせれば、“渡し守”は儲かる」

ネブライの指先が止まる。
「渡し守?」
「“渡し切らない”渡し守。岸の手前で、ずっと切符を売り続けるの」

店の扉が、匙の音のように静かに開いた。
灰色の制服――夢務院の監査補だ。眠りの色が少し戻っている。
「報告書、読みました。上は“実地検分”を求めています。今夜、交易会館の地下で、装置の“試運転”があるそうです」

ネブライは視線だけでルルを見た。
交点の一つ――交易会館。
「招待状は?」
「これを。『安眠網・祝試運転会』」
紙には礼儀正しさの仮面と、徴収の文字が並ぶ。

「行く」
ネブライは即答して、懐の旅するムーンミルクに触れた。
ルルは頷き、カウンターの下からもう一瓶を出す。
「猫、濃いめ。舟、少し。……それから、灯りも」

泡の上に、丸い点をいくつか。
「合図、再確認ね。ミルが二回鳴いたら戻る。どちらかが“怖い”と言ったら戻る。梯子は上らない」
「了解。私は怖い……が、行く」
「よし」

ミルが“ぴぴ”。
緊張をやわらげるように、ルルは小さなコメディを挟む。
禁ラテ札の下に、小さな紙片を貼り足した。
【禁ラテ指定:継続/備考:猫は許可】
ネブライは見なかったことにして、扉へ向かう。

「いってらっしゃい。仕事に?」
「暴かれに」



交易会館の地下は、冷えた土と金属の匂い。
照明は抑えめ、壁一面に薄い糸――網が掛かっている。
網の結び目ごとに小さな水晶管があり、浅い眠りの揺らぎを吸い上げては、隣のタンクへ送っていた。
タンクの内側に、乳白色の粒――鎮静結晶。売りやすい名前が付けられそうな、悪い光。

「来賓の皆さま。本日はお忙しいところ――」
声の主は、黒衣に白手袋の男。痩せた頬、微笑の形だけ整った口元。
胸元のピンに、羊の刻印。
「私は眠羊商会の代行、ミスター・ムート。今夜、王都は“安定”へ踏み出します」

M。
ネブライは目の端で、夢務院の上役が椅子に座るのを見た。
“匿名”の提案者は姿を見せない。代わりに、ムートが都合のいい言葉を並べる。
「不安は徴収して、まとめて処理します。これが公共善です。眠れない夜を減らすために、わずかな安定料を――」

ネブライは旅するムーンミルクの瓶を開け、網の手前で猫を濃くひと振り。
空気の刺が、少し取れる。
だが装置は、浅瀬そのものを増やす設計だった。
“渡し守”の笑顔が、椅子列に並ぶ。
――“渡し切らない”で、課金。

ムートが指を鳴らす。
技師がレバーを下げた。
網全体に電気のようなものが走り、結び目の水晶管が呼吸を始める。
会場の一角で、誰かが小さくあくび。
眠くはない。眠れないのに眠気だけ溜める――悪夢の入口。

ネブライは、背中で息を整えた。
(切るな。ほどけ)
ルルの声が喉の奥に残っている。

彼は人の列を抜け、装置の中央支柱へ歩いた。
真鍮のプレート。
【設計監:――】
名前は削られている。だが、プレートの端に残った“配剤官”の字形が、犯人の職種を語る。

「触らないでいただけます?」
ムートが笑顔で寄ってくる。
「もちろん。聞くだけだ。――これは何を集め、何を奪う?」
「“不安”を集め、“混乱”を奪う。夜は静かに。朝は効率的に」
「居場所は?」
ムートの笑みが、わずかに薄くなる。
「おや、詩的だ。居場所は家庭に。睡眠はサービスに」

言質。
ネブライは手帳に短く記す。(睡眠=商品、公共善名目/料金徴収)
その瞬間、網がきしと鳴った。
会場の天井から、鐘楼と同じ音。
――ここにも結び目がある。

ネブライは瓶の蓋を開け、舟を小さく書いて、支柱の根元へ。
“安心して、動く”。
網の一筋がほどけ――かけて、跳ねた。
装置が補正する。
(切り口を覚える性能がある……!)

「諜報卿」
背後から、ため息混じりの声。
夢務院の上役が立っていた。応接室で“面目”を口にした彼だ。
「君の“方法”は詩的だが、公共には向かない。紙で説明できないやり方は、面目を壊す」
「壊れるのは浅瀬だ。朝に整えよう。面目は朝に整える」

上役はネブライの真正面を見ず、ムートを見た。
ムートが会釈する。「面目はお任せを。検査済の印も用意してあります」

その言葉に、ネブライの後頭部で痛みが走った。
(検査……誰の耳で?)
彼は会場の隅で不安げに立つ監査補に視線を投げる。
青年は小さく首を振った――自分ではない。

ムートが手を叩く。「では、体験を。皆さま、椅子におかけください。軽い安堵をお配りします」
配られたのは、薄い白飴。舐めれば、浅い眠気が喉にだけ溜まる設計。
“渡し切らない”甘さ。

ネブライは飴を手のひらで砕き、瓶のミルクで湿らせた。
猫と舟――やさしい脱出口。
彼は監査補の掌にそっと押し付ける。
「一口。猫、濃いめ」
青年の目の焦りが一段落ち、耳が音を拾い始めた。
「……網が、鳴ってる」

「聞け。君の耳で」
ネブライは支柱の裏側へ回り込み、ボルトの緩みを探る。
ほどける箇所は、必ず薄い。
彼は夢の中で何度も鐘の裏側に指をかけた――今、指が覚えている。
(ここだ)

「触れるな!」
ムートの声が鋭くなる。
同時に、天井から粉が落ちた。
網が、締まる。
会場の空気がきしむ。
誰かが額を押さえ、別の誰かが舌で飴を探す。
浅瀬に、人が集められていく。

ネブライは踵を返し、列の外へ出た。
(今は切らない。ここで暴れても、市民が浅瀬に残る)
彼は招待状を胸ポケットに押し込み、会釈だけ残して会場を去る。
ムートの笑顔は崩れない。
「明朝、契約の書面を。面目はきっと整います」



路地に出ると、夜気が喉の浅瀬を洗った。
ネブライは早足でムーンミルクへ戻る。
扉を開けると、ルルがフィルターの輪に灯りを立てて待っていた。
泡の上に描かれた小さな点が、帰る場所を指しているみたいに。

「おかえり。音で、何を見た?」
「“睡眠はサービス”。徴収の網。補正機構つき。切り口を覚える」
ルルは顔をしかめ、泡の線を一本書き足す。
「じゃあ、切るのは駄目。**“ほどいた記憶”**を装置に覚えさせよう」

「逆学習」
「うん。二人で見る夢で、装置の夢に“ほどく”を教えるの」
ネブライは一度、目を閉じた。
胸の内側で鐘が鳴る。間に合わなかった鐘だ。
(怖い)

「――怖い」
言葉が出た。
ルルは頷く。「うん。言えたね」
ミルが二回鳴く。“ぴぴ”。帰る合図ではない。準備完了の合図。

「練習、最後にもう一度。ミクロで」
「了解」

ふたりはカップに手を添え、同時に一口。
泡がぷくと息をし、泣きかけて、踏みとどまる。
ルルは泡に灯りを足す。
「装置にも、灯りを置く。網の結び目ごとに。
――“渡し守”が持っていっても、朝の方が強いって、覚えさせる」

ネブライは短く笑った。
「詩的だ。紙に起こすのは、私の仕事だな」
「うん。面目は朝に整えるから」

禁ラテ札の下に、ルルが新しい紙片を貼る。
【共有準備:完了(ミクロ)/“灯り”運用開始】
ミルが“ぴぴ”。
店の天窓には、かすかな薄青。夜はまだあるのに、朝の予告が差している。

「いってらっしゃい。仕事に?」
「ほどきを、装置に教えに」
「帰ってきて。……一緒に、見るから」

匙の音が、静かに落ちる。
世界でいちばん短い夜の部は、
二人で見る夢の入口で、泡をそっと整えた。
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