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二章
二話 ガキが生意気言ってるんじゃねえぞ! その四
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テストが終わってからも、暇があれば、俺は強とキャッチボールを続けていた。暇つぶしにはちょうどいいからだ。
それに、久しぶりに誰かと遊ぶ楽しさを満悦できている。
相変わらず、強は話しかけてこないが、それでも、少しずつ強の感情が分かるようになった。いや、分かった気でいたのだ。
だから、油断してしまった。上春達の家庭に踏み込まないよう戒めていたのに……なのに、俺は……。
それは晩御飯の出来事だった。
今日の晩ご飯のメニューに、ピーマンの肉詰めを作った。
無表情の強がピーマンを食べるとき、顔をしかめているのを見てしまった。やはり、人の子というか、小学生というか……強はピーマンが苦手のようだ。
苦手なものを我慢して食べている強に、俺は少し微笑ましい気分になり、何気なく話しかけてしまった。これが間違いの元だった。
「強、好き嫌いしないのは感心するが、無理して食べなくてもいいんだぞ」
好き嫌いしてはいけないだなんて、俺は間違っていると思う。アレルギーだってあるし、食事は楽しくとるべきだ。
まあ、作っておいてなんだけどな。
「……いえ、食べます」
なんの変哲もない回答……どこにも問題はない。普通の返答だと俺は思っていた。
「そうか、偉いな」
「……我儘言って、嫌われたくありませんので」
「?」
俺の頭の中で警報が鳴る。嫌いなものを食べる理由が嫌われたくないとはどういうことだ?
この時点で気づくべきだったのだ。だが、俺はつい好奇心で訊いてしまった。
「嫌われるって大げさなヤツだな。誰に嫌われるんだ? 信吾さんか? それとも女にか? 女だったら気にするな。器量は小さいが、そんなことで嫌うようなヤツじゃない」
強はぶんぶんと首を振る。さらに俺の中で警報が強くなる。これ以上は聞くなと。
上春信吾は上春と女の会話に夢中でこっちに気づいていない。義信さんと楓さんも二人で話している為、俺達の会話が耳に入らないようだ。
強は誰に嫌われたくないのか?
上春は対象外だろう。そんなことで嫌うはずがない。なら、俺達藤堂家に遠慮しているのか?
だとしたら、問題ないと言ってやりたかった。俺は強が嫌いなわけではない。
ただ、上春信吾と女の再婚が納得いかないだけだ。子供が必要以上に気を遣うのは不便だと思うし、少しは我儘な方が子供らしい。
そう伝えたかった。ただ、それだけだった。
「それなら、俺や義信さん、楓さんは嫌いなものがあるからって強の事を嫌いにはならないぞ。だから……」
「僕は我儘な子供でした。だから、捨てられたんです」
訊くな……やめろ……。
完全に頭の中は警鐘が鳴り響いている。
コレイジョウキイテハナラナイ。コウカイスルゾ。
「正道君! ちょっといいかな? いいよね、うん! キミと話し合いたいことがあるんだよね! そうそう!」
俺達の不穏な空気を読んだのか、上春信吾がかなり強引に、俺達の会話に割り込んできた。
ほら、上春信吾も言っているじゃないか。いつもはおちゃらけているが、今はすごく焦った顔をしている。
これは聞いてはいけない類の話だ。他人の俺が踏み入ってはいけない領域なのだ。だから、上春信吾も止めてくれたのに……。
それでも、俺はつい口が滑ってしまった。
「捨てられたって……」
「両親にです。だからもう、我儘は言いません」
その日の夜、俺と女、義信さん、楓さん、上春信吾はリビングに集まっていた。要件はもちろん、強の事だ。
強は上春信吾と血のつながった家族ではなかった。その現実が俺の心に重くのしかかっている。
上春家は仲良し家族だと思っていた。強は無口だったが、それでも、笑顔の絶えない食卓、息の合ったやりとりは他人とは違う、家族ならではの独特の空気があった。
俺は心のどこかで嫉妬していたのかもしれない。だから、上春に強く反発していたと思う。
だが、違った。上春家は複雑な家庭環境だった。
強はなぜ、上春家にいるのか? 本当の親はどこにいるのか? 捨てられたとはどういう意味なのか?
自分の軽はずみな発言で強を傷つけてしまった。踏み込んではいけない領域に足を踏み入れてしまった。
強の口から両親に捨てられたと聞いてしまった以上、知らなければならないだろう。強の事情を。
重苦しい雰囲気の中、最初に口を開いたのは上春信吾だった。
「その……別に隠していたわけではないです。言う必要がないと思っていました。血のつながりがなくても、強は僕の家族だと胸を張って言えるからです」
上春信吾を擁護するように、女が口を挟む。
「そうよ、お父さん。信吾さんは悪くない。ただ……タイミングが悪かったのよ。そのせいで、強や正道を傷つけた事は悪いと思っているわ」
意外だった。女が俺を気遣うなんて……いや、上春信吾の心象を良くしようとしているだけだ。再婚の事があるからな。悪いイメージを持たせたくないだけだ。
俺は無理矢理そう思い込むことにした。
義信さんは一度俺を見た後、上春信吾を真っ直ぐと見据えた。
「……その心意気は立派だと思う。キミは立派な父親だ。だが、私達は家族になろうとしていたのだろう? 家族に秘密を持つなとは言わない。しかし、その秘密のせいで、強君は辛い思い出を、正道は強君を傷つけてしまったという後悔の念を背負わせてしまった。私はもうこれ以上、二人に傷ついてほしくない。だから、話してはくれないか? 過ぎてしまったことは仕方ない。だが、同じ過ちを繰り返さないためにも対策を考えなければならない。その為にも、私達は強君の事を知るべきだ。そうは思わないか?」
義信さんの言葉に、上春信吾は首を垂れてしまう。義信さんの言葉は、上春信吾を気遣うだけでなく、俺と強にも向けてくれたものだ。
上春信吾が悪いわけではない。いくら再婚して家族になるとしても、今回の件はすぐには話せない内容だ。
強はまだ、小学生だ。デリケートな問題だから、慎重にもなる。
女は上春信吾をかばうように義信さんに口出す。
「だから、タイミングが……」
「いいよ、澪さん。僕の考えが至らなかったのは本当の事だし。ごめんな、正道君」
「……俺より、強を気遣ってください」
きっと、強が一番傷ついている。それに、俺の発言が今の状況を招いてしまっている。
上春家に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「強いね、正道君は。キミもいろいろと傷ついてきたのに」
なぜ、俺が傷ついてきたのかと上春信吾は思ったのか?
しかも、何に対して言っているのか……思い当たる節は一つしかない。それは……。
「……知っているんですか? 俺の過去を」
「うん、知ってる。澪さんから聞いた。本当は知らないふりをしようって決めていたんだ。内容が内容だからね。僕から口にすることではないと思ったんだ。もし、正道君から話してくれたら、そのときに初めて知ったような芝居をしようって思っていた。でも、隠し事が正道君を傷つける結果になるのなら、本当の事を言わなければいけないよね。ごめんね」
「……別に信吾さんが悪いわけではないですよ。悪いとしたら……」
俺は女を睨みつけるが、女は逆に睨んでくる。私は悪くないと言いたげな目つきが気に入らない。お互い睨みあっていると、義信さんが咳をした。
喧嘩するなと言いたいのだろう。俺達は顔を背け、視線をそらした。
「正道の件も改めて、話をつけておこう。だが、その前に強君の事だ。本当の家族ではないとは、どういうことだ? それと、捨てられたというのは……」
義信さんは最後まで言わずに、言葉を詰まらせた。その気持ちはよく分かる。
強の事を知らなければならないとはいえ、親に捨てられた事を聞くのは躊躇してしまう。
そのことを察して、上春信吾は言葉を紡いでいく。
「それはですね……」
上春信吾は息を吐き、決心したように話し出した。
「強は取引先のご子息でした。強の両親はお得意様で、家族ぐるみで付き合わせていただいていました。ですが、この不景気もあり、強の両親が経営していた会社が倒産し、多大な負債が残りました。借金取りから逃げるように、強の両親は夜逃げしたんです。強は子供だったから、僕達に預けていきました」
「……それって酷くないか? 許せないだろ?」
どうして、親はそう簡単に子供を捨てることができるのか。
親の都合で子供を捨てるんじゃねえぞ。子供はいらなくなったおもちゃか何かと勘違いしているのか? だとしたら、絶対に許せない。
握りしめた拳が痛い。それでも、力を抑えることなんてできやしない。
「正道君。債権者の取り立ては、キミが想像している以上に怖いんだよ。僕もね、会社が倒産して、少し負債があったんだ。何回かに分けて返したけど、大変だったな……一日遅れただけで、催促の電話が何件かかってきたことか……本当に怖かった……」
お、おい、怖がりすぎじゃないか? 上春信吾の顔が真っ青だぞ。
確か、取り立ては法律で厳しく規制されているはずだ。あったとしても、警察に連絡すればすむ話のはず。
「しっかりしてくれ。恐喝まがいの取り立てをされれば、警察にいけばすむことだろ?」
俺の意見に義信さんが反対の異を唱えた。
「正道、簡単に言うな。額が大きくなればなるほど、債権者は死に物狂いで取り戻そうとする。まさに死活問題だからな。通報上等の態度で債権者は取り立てに来る。なぜなら、債務者にナメなれると借金を返さなくていいと勘違いするバカがいるから大変なんだ。それに警察だって万能じゃない。法に触れていなければ、債権者の行動を抑制できない。債務者は借金をしているから、債権者が当然の権利として取り立てをする。警察が口をはさめないときだってある」
「……民事不介入ってことですか?」
義信さんは顔をしかめ、頷く。
警察官である義信さんの言葉には重みと説得力があった。苦々しい顔がどれかけ大変なのか物語っていた。
義信さんに同意するように、上春信吾も疲れ切った顔をしている。
「借金をしている、その後ろめたい気持ちがあるから、債権者に恐喝まがいなことをされても、債務者は強く言えないんだ。こればかりは実際に経験しないと分からないよ。だから、強の両親は、強が酷い目にあわないよう安全な場所へ避難させておきたかったのさ。人の親なら誰だって子供に迷惑をかけたくないって思うだろ?」
「だからって、子供を見捨てて逃げるか? 実際、強は捨てられたって思っているぞ。しかも、原因は自分にあるって言っていたじゃないか。この歪みをどう訂正するつもりなんだ、強の両親はよ」
自分が我儘のせいで捨てられた。
この結論は、強が考えて考え抜いて出した苦渋の答えなのだろう。なぜ、自分は捨てられたのか? 何がいけなかったのか?
俺には強の気持ちがよく分かる。
俺だって、両親の離婚の原因、捨てられた原因を毎日のように考えて、考え抜いた。
結論は、やはり自分が悪かった、その答えになってしまう。
女の前では、俺は被害者ぶっているが、本当の被害者は女ではないのかと思う時だってある。俺の暴力沙汰で全てが変わってしまったからだ。
でも、それを認めてしまうと胸の張り裂けそうな痛みと悲しみが襲い掛かってくるのだ。
それが耐えられなくて、誰かのせいにしてしまいたい衝動が、女への反発となって出てしまう。
どうしようもない悪循環と自己嫌悪を抱えながら生きていくのは本当に辛い。
俺は高校生だから我慢できるが、強はまだ小学生だ。残酷すぎる現実に、やるせない気持ちでいっぱいになる。
「正道君。確かにキミの言うことは正論だし、その怒りは人として正しいと思う。でもね、世の中、正論で動いているわけじゃない。逆に感情で動いている方が多いはずだ。僕達親は無敵の超人じゃない。過ちを犯すし、間違いだってする。仕方のない事なんだよ」
「仕方ないの一言で済ませる気か? そんなこと……」
納得がいかない。
そう言い捨てることは簡単だ。だが、俺だって上春信吾の言い分も少しは分かるつもりだ。
世の中、正論で動いているわけはないことはガキの俺だって分かる。
でも、それでも、それを理由にして、どんな理不尽も認めてしまうことは納得できない。
強が両親に捨てられたことを、仕方なかったの一言で済ませるなんて、冗談じゃない。
この気持ちはきっと、上春信吾だって感じてるのだろう。
俺以上にやりきれない気持ちを上春信吾は抱えているはずだ。なのに、仕方ないと言ってしまうのは、どんな葛藤があるのか。
俺には、理解できなかった。
「でもね、正道君。僕にとって、強はもうかけがえのない家族なんだ。今はまだ親と認められなくても、いつの日か認めてくれると信じている。いや、必ず認めさせる。強がもし、僕の事を親だと認めてくれたら、少しは強の罪悪感を、親に捨てられた悲しい気持ちを癒してあげられるとは思わない?」
「……」
俺にはなんとも言えなかった。
親に捨てられた悲しい気持ちを癒すことはできても、なくすことは絶対に不可能だ。それは、俺が身をもって経験済だ。
それでも、上春信吾の願いを否定する事はできなかった。上春信吾の優しい気持ちに反論したくなかった。
本当に世の中、難しいな。そう思わずにはいられない。どうしたら、家族仲良く、誰も傷つかずに生きていけるのか?
その答えを探し続けているが、本当にあるのかどうか、まったく分からなかった。
「兄さん……」
「上春か……」
話し合いが終わり、自分の部屋に戻ろうとしたら、上春と鉢合わせになった。いや、上春は俺を待っていたのだろう。
上春は笑顔だが、無理やり笑みを浮かべているような気がする。俺は複雑な気分で上春の表情を眺めていた。
「強の事、聞いたんですね」
「ああっ……」
「それなら、私の事も……」
「……ああっ、聞いた。上春も……信吾さんが父親じゃないんだな?」
上春の無言が肯定だと物語っていた。
驚きを隠せなかった。まさか、上春も上春陽菜も上春信吾の子供ではなかったとは……。
今日は本当に失言続きだ。話し合いが終わりそうになったとき、俺はつい確認してしまった。
「信吾さん。もう、隠し事はないのか? まさか、上春も血がつながっていないとか言わないだろうな?」
「……血はつながっているよ」
自分で尋ねておいてなんだが、少しほっとした。どうやら、気にしすぎていたようだ。そうだよな、そうそう複雑な事情なんて……。
「ただ、親子じゃない」
「はぁ?」
「……咲と陽菜は従妹なんだ」
それに、久しぶりに誰かと遊ぶ楽しさを満悦できている。
相変わらず、強は話しかけてこないが、それでも、少しずつ強の感情が分かるようになった。いや、分かった気でいたのだ。
だから、油断してしまった。上春達の家庭に踏み込まないよう戒めていたのに……なのに、俺は……。
それは晩御飯の出来事だった。
今日の晩ご飯のメニューに、ピーマンの肉詰めを作った。
無表情の強がピーマンを食べるとき、顔をしかめているのを見てしまった。やはり、人の子というか、小学生というか……強はピーマンが苦手のようだ。
苦手なものを我慢して食べている強に、俺は少し微笑ましい気分になり、何気なく話しかけてしまった。これが間違いの元だった。
「強、好き嫌いしないのは感心するが、無理して食べなくてもいいんだぞ」
好き嫌いしてはいけないだなんて、俺は間違っていると思う。アレルギーだってあるし、食事は楽しくとるべきだ。
まあ、作っておいてなんだけどな。
「……いえ、食べます」
なんの変哲もない回答……どこにも問題はない。普通の返答だと俺は思っていた。
「そうか、偉いな」
「……我儘言って、嫌われたくありませんので」
「?」
俺の頭の中で警報が鳴る。嫌いなものを食べる理由が嫌われたくないとはどういうことだ?
この時点で気づくべきだったのだ。だが、俺はつい好奇心で訊いてしまった。
「嫌われるって大げさなヤツだな。誰に嫌われるんだ? 信吾さんか? それとも女にか? 女だったら気にするな。器量は小さいが、そんなことで嫌うようなヤツじゃない」
強はぶんぶんと首を振る。さらに俺の中で警報が強くなる。これ以上は聞くなと。
上春信吾は上春と女の会話に夢中でこっちに気づいていない。義信さんと楓さんも二人で話している為、俺達の会話が耳に入らないようだ。
強は誰に嫌われたくないのか?
上春は対象外だろう。そんなことで嫌うはずがない。なら、俺達藤堂家に遠慮しているのか?
だとしたら、問題ないと言ってやりたかった。俺は強が嫌いなわけではない。
ただ、上春信吾と女の再婚が納得いかないだけだ。子供が必要以上に気を遣うのは不便だと思うし、少しは我儘な方が子供らしい。
そう伝えたかった。ただ、それだけだった。
「それなら、俺や義信さん、楓さんは嫌いなものがあるからって強の事を嫌いにはならないぞ。だから……」
「僕は我儘な子供でした。だから、捨てられたんです」
訊くな……やめろ……。
完全に頭の中は警鐘が鳴り響いている。
コレイジョウキイテハナラナイ。コウカイスルゾ。
「正道君! ちょっといいかな? いいよね、うん! キミと話し合いたいことがあるんだよね! そうそう!」
俺達の不穏な空気を読んだのか、上春信吾がかなり強引に、俺達の会話に割り込んできた。
ほら、上春信吾も言っているじゃないか。いつもはおちゃらけているが、今はすごく焦った顔をしている。
これは聞いてはいけない類の話だ。他人の俺が踏み入ってはいけない領域なのだ。だから、上春信吾も止めてくれたのに……。
それでも、俺はつい口が滑ってしまった。
「捨てられたって……」
「両親にです。だからもう、我儘は言いません」
その日の夜、俺と女、義信さん、楓さん、上春信吾はリビングに集まっていた。要件はもちろん、強の事だ。
強は上春信吾と血のつながった家族ではなかった。その現実が俺の心に重くのしかかっている。
上春家は仲良し家族だと思っていた。強は無口だったが、それでも、笑顔の絶えない食卓、息の合ったやりとりは他人とは違う、家族ならではの独特の空気があった。
俺は心のどこかで嫉妬していたのかもしれない。だから、上春に強く反発していたと思う。
だが、違った。上春家は複雑な家庭環境だった。
強はなぜ、上春家にいるのか? 本当の親はどこにいるのか? 捨てられたとはどういう意味なのか?
自分の軽はずみな発言で強を傷つけてしまった。踏み込んではいけない領域に足を踏み入れてしまった。
強の口から両親に捨てられたと聞いてしまった以上、知らなければならないだろう。強の事情を。
重苦しい雰囲気の中、最初に口を開いたのは上春信吾だった。
「その……別に隠していたわけではないです。言う必要がないと思っていました。血のつながりがなくても、強は僕の家族だと胸を張って言えるからです」
上春信吾を擁護するように、女が口を挟む。
「そうよ、お父さん。信吾さんは悪くない。ただ……タイミングが悪かったのよ。そのせいで、強や正道を傷つけた事は悪いと思っているわ」
意外だった。女が俺を気遣うなんて……いや、上春信吾の心象を良くしようとしているだけだ。再婚の事があるからな。悪いイメージを持たせたくないだけだ。
俺は無理矢理そう思い込むことにした。
義信さんは一度俺を見た後、上春信吾を真っ直ぐと見据えた。
「……その心意気は立派だと思う。キミは立派な父親だ。だが、私達は家族になろうとしていたのだろう? 家族に秘密を持つなとは言わない。しかし、その秘密のせいで、強君は辛い思い出を、正道は強君を傷つけてしまったという後悔の念を背負わせてしまった。私はもうこれ以上、二人に傷ついてほしくない。だから、話してはくれないか? 過ぎてしまったことは仕方ない。だが、同じ過ちを繰り返さないためにも対策を考えなければならない。その為にも、私達は強君の事を知るべきだ。そうは思わないか?」
義信さんの言葉に、上春信吾は首を垂れてしまう。義信さんの言葉は、上春信吾を気遣うだけでなく、俺と強にも向けてくれたものだ。
上春信吾が悪いわけではない。いくら再婚して家族になるとしても、今回の件はすぐには話せない内容だ。
強はまだ、小学生だ。デリケートな問題だから、慎重にもなる。
女は上春信吾をかばうように義信さんに口出す。
「だから、タイミングが……」
「いいよ、澪さん。僕の考えが至らなかったのは本当の事だし。ごめんな、正道君」
「……俺より、強を気遣ってください」
きっと、強が一番傷ついている。それに、俺の発言が今の状況を招いてしまっている。
上春家に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「強いね、正道君は。キミもいろいろと傷ついてきたのに」
なぜ、俺が傷ついてきたのかと上春信吾は思ったのか?
しかも、何に対して言っているのか……思い当たる節は一つしかない。それは……。
「……知っているんですか? 俺の過去を」
「うん、知ってる。澪さんから聞いた。本当は知らないふりをしようって決めていたんだ。内容が内容だからね。僕から口にすることではないと思ったんだ。もし、正道君から話してくれたら、そのときに初めて知ったような芝居をしようって思っていた。でも、隠し事が正道君を傷つける結果になるのなら、本当の事を言わなければいけないよね。ごめんね」
「……別に信吾さんが悪いわけではないですよ。悪いとしたら……」
俺は女を睨みつけるが、女は逆に睨んでくる。私は悪くないと言いたげな目つきが気に入らない。お互い睨みあっていると、義信さんが咳をした。
喧嘩するなと言いたいのだろう。俺達は顔を背け、視線をそらした。
「正道の件も改めて、話をつけておこう。だが、その前に強君の事だ。本当の家族ではないとは、どういうことだ? それと、捨てられたというのは……」
義信さんは最後まで言わずに、言葉を詰まらせた。その気持ちはよく分かる。
強の事を知らなければならないとはいえ、親に捨てられた事を聞くのは躊躇してしまう。
そのことを察して、上春信吾は言葉を紡いでいく。
「それはですね……」
上春信吾は息を吐き、決心したように話し出した。
「強は取引先のご子息でした。強の両親はお得意様で、家族ぐるみで付き合わせていただいていました。ですが、この不景気もあり、強の両親が経営していた会社が倒産し、多大な負債が残りました。借金取りから逃げるように、強の両親は夜逃げしたんです。強は子供だったから、僕達に預けていきました」
「……それって酷くないか? 許せないだろ?」
どうして、親はそう簡単に子供を捨てることができるのか。
親の都合で子供を捨てるんじゃねえぞ。子供はいらなくなったおもちゃか何かと勘違いしているのか? だとしたら、絶対に許せない。
握りしめた拳が痛い。それでも、力を抑えることなんてできやしない。
「正道君。債権者の取り立ては、キミが想像している以上に怖いんだよ。僕もね、会社が倒産して、少し負債があったんだ。何回かに分けて返したけど、大変だったな……一日遅れただけで、催促の電話が何件かかってきたことか……本当に怖かった……」
お、おい、怖がりすぎじゃないか? 上春信吾の顔が真っ青だぞ。
確か、取り立ては法律で厳しく規制されているはずだ。あったとしても、警察に連絡すればすむ話のはず。
「しっかりしてくれ。恐喝まがいの取り立てをされれば、警察にいけばすむことだろ?」
俺の意見に義信さんが反対の異を唱えた。
「正道、簡単に言うな。額が大きくなればなるほど、債権者は死に物狂いで取り戻そうとする。まさに死活問題だからな。通報上等の態度で債権者は取り立てに来る。なぜなら、債務者にナメなれると借金を返さなくていいと勘違いするバカがいるから大変なんだ。それに警察だって万能じゃない。法に触れていなければ、債権者の行動を抑制できない。債務者は借金をしているから、債権者が当然の権利として取り立てをする。警察が口をはさめないときだってある」
「……民事不介入ってことですか?」
義信さんは顔をしかめ、頷く。
警察官である義信さんの言葉には重みと説得力があった。苦々しい顔がどれかけ大変なのか物語っていた。
義信さんに同意するように、上春信吾も疲れ切った顔をしている。
「借金をしている、その後ろめたい気持ちがあるから、債権者に恐喝まがいなことをされても、債務者は強く言えないんだ。こればかりは実際に経験しないと分からないよ。だから、強の両親は、強が酷い目にあわないよう安全な場所へ避難させておきたかったのさ。人の親なら誰だって子供に迷惑をかけたくないって思うだろ?」
「だからって、子供を見捨てて逃げるか? 実際、強は捨てられたって思っているぞ。しかも、原因は自分にあるって言っていたじゃないか。この歪みをどう訂正するつもりなんだ、強の両親はよ」
自分が我儘のせいで捨てられた。
この結論は、強が考えて考え抜いて出した苦渋の答えなのだろう。なぜ、自分は捨てられたのか? 何がいけなかったのか?
俺には強の気持ちがよく分かる。
俺だって、両親の離婚の原因、捨てられた原因を毎日のように考えて、考え抜いた。
結論は、やはり自分が悪かった、その答えになってしまう。
女の前では、俺は被害者ぶっているが、本当の被害者は女ではないのかと思う時だってある。俺の暴力沙汰で全てが変わってしまったからだ。
でも、それを認めてしまうと胸の張り裂けそうな痛みと悲しみが襲い掛かってくるのだ。
それが耐えられなくて、誰かのせいにしてしまいたい衝動が、女への反発となって出てしまう。
どうしようもない悪循環と自己嫌悪を抱えながら生きていくのは本当に辛い。
俺は高校生だから我慢できるが、強はまだ小学生だ。残酷すぎる現実に、やるせない気持ちでいっぱいになる。
「正道君。確かにキミの言うことは正論だし、その怒りは人として正しいと思う。でもね、世の中、正論で動いているわけじゃない。逆に感情で動いている方が多いはずだ。僕達親は無敵の超人じゃない。過ちを犯すし、間違いだってする。仕方のない事なんだよ」
「仕方ないの一言で済ませる気か? そんなこと……」
納得がいかない。
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世の中、正論で動いているわけはないことはガキの俺だって分かる。
でも、それでも、それを理由にして、どんな理不尽も認めてしまうことは納得できない。
強が両親に捨てられたことを、仕方なかったの一言で済ませるなんて、冗談じゃない。
この気持ちはきっと、上春信吾だって感じてるのだろう。
俺以上にやりきれない気持ちを上春信吾は抱えているはずだ。なのに、仕方ないと言ってしまうのは、どんな葛藤があるのか。
俺には、理解できなかった。
「でもね、正道君。僕にとって、強はもうかけがえのない家族なんだ。今はまだ親と認められなくても、いつの日か認めてくれると信じている。いや、必ず認めさせる。強がもし、僕の事を親だと認めてくれたら、少しは強の罪悪感を、親に捨てられた悲しい気持ちを癒してあげられるとは思わない?」
「……」
俺にはなんとも言えなかった。
親に捨てられた悲しい気持ちを癒すことはできても、なくすことは絶対に不可能だ。それは、俺が身をもって経験済だ。
それでも、上春信吾の願いを否定する事はできなかった。上春信吾の優しい気持ちに反論したくなかった。
本当に世の中、難しいな。そう思わずにはいられない。どうしたら、家族仲良く、誰も傷つかずに生きていけるのか?
その答えを探し続けているが、本当にあるのかどうか、まったく分からなかった。
「兄さん……」
「上春か……」
話し合いが終わり、自分の部屋に戻ろうとしたら、上春と鉢合わせになった。いや、上春は俺を待っていたのだろう。
上春は笑顔だが、無理やり笑みを浮かべているような気がする。俺は複雑な気分で上春の表情を眺めていた。
「強の事、聞いたんですね」
「ああっ……」
「それなら、私の事も……」
「……ああっ、聞いた。上春も……信吾さんが父親じゃないんだな?」
上春の無言が肯定だと物語っていた。
驚きを隠せなかった。まさか、上春も上春陽菜も上春信吾の子供ではなかったとは……。
今日は本当に失言続きだ。話し合いが終わりそうになったとき、俺はつい確認してしまった。
「信吾さん。もう、隠し事はないのか? まさか、上春も血がつながっていないとか言わないだろうな?」
「……血はつながっているよ」
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