聖典のファルザーン

佐々城鎌乃

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第1章 Ⅳ節 皇都陥落─前編─

Ⅳ節 皇都陥落─前編─ 2

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 シャリムの国土は12の諸侯と皇族直轄領で成っている。形として封建制を採ってはいるが、現皇帝シャーの5代前の皇帝オリフィウス6世と4代前のメティス4世の治世に中央集権化が進められ、これだけの諸侯にまで縮小合併された。この長年の政争で皇家と諸侯の関係は悪化の一途をたどっており、現在は諸侯を互いにいがみ合わせる形で諸侯が手を組まないように仕向け主従の形を維持している。それでも、忠節の裏に野心を秘めた諸侯を抑えるには、強大な軍事力が必要であった。

 シャリム皇国軍は、主にシャリムのおよそ半分を直轄領とする皇家の所属である。直轄領は26の州と10の郡からなっており、全土に散る兵を全て束ねれば、150万にもおよぶ大軍勢となる。シャリムの国土の広大さがもたらす圧倒的な軍事力である。対して諸侯それぞれは20万そこそこを集められれば良い方で、この事もあって皇国への忠誠を守っているのである。また、大半の戦は皇家の軍が出るため、諸侯軍の練度は低かった。

 例に漏れず、今回の出兵も50万のほとんどを皇家直属の軍が占めており、噂の通り壊滅したとすれば、皇都の守護は鎮護軍1万5千のみとなる。この兵力ではキースヴァルトにせよ諸侯軍にせよ、守りきるのに心もとない。一夜明けたこの朝、諸侯にも敗報は届く頃である。この機を逃すまいと、どこかの諸侯が皇都を奪いに来るかもしれないという懸念は絶えない。近郊の街道に散る各駅の駐屯兵をかき集めれば、ようやく2万となるが、圧倒的に数が足りず、その上、兵を抜き取った駅の生殺与奪は敵の思うままになる。

 また、このまま噂が広まった状態で、敗退を公表したりすれば、城内は戦を避け外へ逃れる民で溢れることが目に見えていた。籠城することになった場合、市民が少なければ、その分、糧食か余るので長く持ちこたえられるが、難民と化した皇都の民を受け入れられる都市は、そう多くない。多くは城外に閉め出されて敵に虐殺されるだろう事は容易に想像出来よう。

 キースヴァルトか、諸侯か。どちらかが皇都に攻め上る前に、早急に手を打っておく必要があった。

 ダレイマーニは上着を羽織ると、そのまま宰相ラージャートのベルマンの執務室へと向かった。

 皇宮のある区域は、大きな門によって区切られていた。アキシュバルを囲むその他の城壁とは違い、高くは無いが、表面は大理石の化粧石で飾られ、皇宮への入り口の門は金で模様が描かれたラピスラズリのタイルで覆われており、鋭く伸びる朝日を浴びて煌々と透き通るような輝きを見る者に返す。

 門をくぐってからは、正方形に形作られた大きな広場が迎える。正面と左右には、それぞれ純白のイーワーン(ドームを半分に切ったような建築)で門が造られており、入り口の門も、振り返れば碧いイーワーンになっている。

 四方に壮麗なイーワーンをたたえる広場は回廊で囲まれており、幅は80アリフ(メートル)もあった。皇帝が閲兵する際や、様々な宮廷行事が行われる。奥にはアキシュバルの円城の中心とも言える、謁見の間の翡翠のドームがそびえ立ち、その大きさで皇宮へ立ち入る者を圧倒する。緩やかな丘陵の上に造られたアキシュバルの頂上にあるこのドームは、10ジグアリフ(キロメートル)離れた場所からも望む事が出来た。

 ダレイマーニは広場の中央にある道を通らずに、横の回廊へと入り、左のイーワーンをくぐり抜けて皇宮の中枢機能が集中する区域へと向かった。宰相処ラーシャイールである。

 華やかさは、そこまで甚だしくないものの、平屋造りで大理石の柱を外側に無数にならべ、メギイト伝来の筋の入った高い円柱で屋根を支えている重厚な造りである。また、中庭があり、そこから陽光が室内へと入るようになっている。

 慣れた足取りで宰相処の前へ行き、衛兵の誰何すいかに応えると、ベルマンの執務室へと行き、樫の戸を叩いた。

 ベルマンはちょうど出仕のために貴族区の邸宅から執務室へ着いた頃であった。

「その扉の叩き方、ダレイマーニだな?」

「なぜ判った?」

 ダレイマーニは入りながら問うた。

「おぬしくらいじゃて、そのように無粋に宰相の執務室の戸を強く叩くのは」

「ふん。室内なかの者が机で眠りこけて居たなら、起こしてやらんといけないではないか」

「陛下の寝所でもそのようにするのか?」

「馬鹿め。陛下なら足音で気づいておめなさるわ」

 ダレイマーニは古くからの友人といつものように他愛のない舌戦を挨拶がわりに交わすと、単刀直入に話し始めた。

「もう訊いておるかも知れぬが、南西貧困区の話じゃ」

 ベルマンは杉材の椅子に腰かけると、炭入れから赤らむゼカールを採り、暖炉に入れた。この季節、暦の上では月が11回満ち欠けた頃にあたる。昼間は少し陽光が暖かいくらいだが、この朝の冷えは、些か厳しかった。これから始まる冬の足音は、そこまで来ていた。

「ふむ。訊いておる」

 ダレイマーニが執務室へ来る少し前に、ベルマンも軍司処アールティーシャイールを通じて報告を受けていた。

「今は南西の警備兵が動いて吹聴している輩を捜しておるが、噂が何故か真実味を帯びておるのが、妙でな」

「げに。そやつが何を知っているかは知らぬが、要らぬことをしてくれた。これで敗報を公表する機を掴めなくなったのう」

 そう言ってベルマンはため息をついた。

「それもそうだが、敗報は諸侯にも伝わっておるであろうから、甚だ厄介じゃ」

 ダレイマーニが険しい顔つきで言う。

「わしが任じたお目付け役、皇帝の目サトラップが何も言って来ぬうちは、諸侯の動きを心配する事はないが、兵を集めて上ってくるような事があれば、アキシュバルには対するすべが無いからな」

 ベルマンもそれに付け加えた。

「アキシュバル周辺の州兵も、先日の迎撃軍編成の折に軒並み率いていったゆえ、今から徴募したところで、集まるのは老人くらいじゃろうな」

 ダレイマーニは渋い顔をしながら、髭を撫でて続ける。

「諸侯の動きを抜きにしても、キースヴァルトの軍がまだ問題じゃ。軍勢が力を保ったままだとすると、15万ほどであるから、籠城するには少なくとも3万は欲しいところじゃ」

「だがな、ダレイマーニ。糧食の問題もある。いざアキシュバルを包囲されるとなったら、援軍が来るまで持ちこたえるために、なるべく多くの兵糧を貯めておきたい。じゃが周辺都市から糧食を全て抜き取ってしまっては、他の都市は冬を越せぬ。それにアキシュバルは街道の要所じゃ。そこに敵が居座れば、遠方の都市からの物資も滞るゆえ、諸都市には余計に問題じゃ。諸都市が糧食を渋るのは目に見えておる」

「それに、距離で言うとキースヴァルトの方が先に皇都にたどり着くだろう。現状、諸侯が兵を起こさぬのは、諸侯領の近くに、予備の州兵を置いているからじゃ。じゃが、外縁の州兵を援軍にアキシュバルに動かせば、諸侯は確実に動くだろうから、呼ぶに呼べぬ」

 言い終わると、二人の議論は一旦の落ち着きを見せた。しばらくの間、大理石の部屋に静寂が訪れた。

 暖炉で燻る薪がパチパチと音を立てて燃えている。

「いや、ひとつ、手があるではないか」

 そう切り出したのはベルマンであった。






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