華燭の城

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「……シュリ様」

 その時、直接頭の中に響いたのかと思う程の近くでいきなり名を呼ばれ、シュリはビクンと身を震わせて直立した。一気に血の気が引いて行く。
 反対に汗が噴き出した体をぎこちなく動かし、シュリはやっとの思いで振り返った。

「……こちらに、お茶を置いておきます」

 バルコニーの中央にあるテーブルには、すでに二つのカップが置かれ、オーバストが、体が触れる程の真後ろに無表情で立っていた。
 シュリは思わず息を飲む。

「あのなぁ……驚かさないでくれ。
 気配を消して近付くって、お前は密者かよ。
 心臓止まるだろー? 死んだらどうするんだ」

 同時に振り向き、冗談半分に笑って見せるナギとは反対に、シュリの顔には明らかな狼狽の色が浮かんでいた。
 オーバストは、そのシュリの表情をチラと伺い見ると、ほんの数秒、シュリの目を見つめる。

 鋭く細められた目は言外に物語る。
 “黙っていろ” と……。
 それは神国からここへ連れて来られた日、車の中で見たあの目だった。
 そしてオーバストは二人に無言で頭を下げ室内へと戻って行った。

 今、ほんのわずかでも自分の脳裏に浮かんだ事……。
 口にこそしなかったが、それが見透かされたのではないかと、シュリの心臓はドクドクと荒鳴り、鼓動を早くする。

「な? ちょっと挑発しただけであの反応だろ?
 やっぱ、何か気になるんだよなぁ……」

 ナギは作戦成功と言わんばかりに笑いながらテーブルに向かうと、カップを手に取った。
 その姿を見ながら、シュリは自分の平衡感覚がおかしくなっていく事に気が付いていた。
 鼓動が早くなり、激しく上下する胸に合わせ、呼吸が苦しくなる。
 小さく煌めいていた星も、徐々にぼんやりとその輪郭をぼかしていく。
 霞んでいくその星々が、頭上にあるのかどうかさえ……。

「せっかくあの大男が淹れてくれたんだ。いただこうぜ」

 ナギが振り返ったその視線の先で、シュリの体がグラリと崩れた。
 片腕は倒れまいとバルコニーの手すりを掴んではいるが、両膝はすでに冷たい石の床に着いている。

「……! ……おい!」
 ナギが慌ててシュリを抱き起こす。

「どうした! おい! シュリ!!」

 ナギがシュリの額に浮かぶ大粒の汗に気が付くとほぼ同時、その体は、走り寄ったラウの両腕に奪われていた。

「……シュリ! ……シュリ!!」
 呼びながら額に手を当てる。

 シュリの手が胸の上で強く握り締められている。
 傷が痛むのか、呼吸が苦しいのか……。

「水を!」
 ナギと並んで膝を付くヴィルの後ろ、駆け寄って来たオーバストにラウが叫んだ。

「シュリ! おい! 大丈夫か! ……おい!!」
 ナギとヴィルも側で必死に呼び掛ける。

 取り乱す二人の姿に、ラウは数秒で冷静さを取り戻していた。

「申し訳ありません。大丈夫です。
 元々風邪気味でしたから、今日は楽し過ぎて、また熱が上がったのでしょう」
 ラウが静かに答えた。

「そういえば、そう言ってたが……。
 でも、こんなにも苦しそうだぞ? 本当に大丈夫か?
 ああそうだ! ヴィル! 薬を持っていたろ? あれを部屋から持って来い!」

「はい!」

 立ち上がるヴィルをラウが片手で制止した。

「ありがとうございます。
 でも、薬なら私が持っていますのでご心配なさらず」

 そう言って自分の上着の内ポケットから白い包みを取り出し、中の錠剤と、オーバストの差し出す水とを一緒にシュリの口元へ運んだ。

「シュリ、薬です。さぁ飲んで……」
「……ん……っ……」

 ラウの腕の中で目を閉じたままのシュリが小さく口を開け、薬を含むとコクリと喉が動く。
 ラウはグラスをオーバストに返すと、シュリの額の汗を拭い、そのままシュリを抱いて立ち上がった。

「あ、私が部屋までお連れしよう」
 ヴィルが慌てて両手を差し出したが、
「大丈夫です、シュリ様は私が」
 そう言って、抱いているシュリの負担にならない程度までゆっくりと腰を折る。

「城に従医はいないのか? 診せた方がいいんじゃないか?
 かなり悪そうだぞ……」
 
 ナギが心配そうに、抱き上げられたシュリの顔を覗き込む。

「私は薬師もしておりますので、大丈夫です」

「薬師? そうだったのか。
 いや、本当に大丈夫なら良いんだが……」

「はい、シュリ様の事は御心配なく。
 殿下、申し訳ありませんが今夜はこれで……」

 もう一度頭を下げる。

「ああ、そうだな。じゃあラウム、シュリを頼んだぞ。
 今夜はゆっくり眠らせてやってくれ。
 ……長時間、連れ出して悪かったなシュリ……」
 ナギはシュリの頬に軽く指の背で触れた。

 そして四人二組は静かに散会し、それぞれの居室へと戻って行く。

 オーバストはその後ろ姿を見届けた後、足早にガルシアの部屋へと向かった。
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