華燭の城

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 午後近くになった頃、部屋の扉がノックされた。
 
 その音にラウは、シュリを起こさないようにそっと扉へ歩み寄り、
「……誰だ?」
 扉を開けないまま、小さく返事をした。

「ラウム、居たのか。シュリ様へ届け物だ、扉を開けろ」
 その声はオーバストだった。

 ラウは仕方なく鍵を外すと、扉をわずかに開け、その隙間からするりと抜けるように廊下へ出た。
 ガラスが割れ、血の付いたシーツや包帯が散乱する荒れた部屋。
 そこで未だ苦し気に浅い呼吸を繰り返す瀕死のシュリの姿を、見られるわけにはいかなかった。

「どうしたラウム、そんな恰好で」

 皇子の世話をするというのに上着も着ず、シャツの袖を肘まで捲り上げたその姿……。
 いつも隙なく、端然たんぜんとしているラウにしては珍しく、疲れきったその姿にオーバストは怪訝な表情を見せた。

「今……少し片付け物をしていた」
 ラウが袖元を直しながら答える。

「……そうか。今日の正装だ。
 今夜は受書の式が行われる大事な宴だからな。
 これを召すようにと陛下の命令だ」

 そう言って両手に載せた大きな盆のような物をラウに手渡そうとする。
 杖を付くラウが、一瞬その杖の始末に戸惑った。

「……ああ、俺が運ぶ」

 オーバストが盆を渡さずに一歩前へ出るのを見て、ラウは慌てて体で止めた。

「いや、大丈夫だ。私が……」

 杖を壁に立てかけ、両手を差し出す。

「大丈夫か? かなり重いぞ? 落すなよ?」

 盆には大きな白布が掛けられていたが、その端から王位継承の証、奉剣の鞘がわずかに覗いている。
 他にも勲章の類も多く入っているのだろう。
 動かすとわずかに金属同士がぶつかり合う音がするそれは、ズッシリと重い。

 それを両腕で受け取り「今、忙しいので……」と中へ戻ろうとするラウを、
「ああ、そういえば……」
 オーバストが引き留めた。

「今朝はシュリ様の朝食も取りに行ってないらしいな?
 そんなに忙しいのか?」
 男の目が何かを探るように鋭く光る。

 オーバスト達、側近の仕事は多様にあった。
 ガルシアの身の安全を守る私兵としての勤めは最優先だが、それ以外にも、城の全てに……裏の裏まで目を行き届かせることも重要な仕事だった。
 
 多くの者が働くこの城、とりわけ地下……最下層と呼ばれる場所では、いつ不満分子が現れないとも限らない。
 そうなった時、それらがクーデターなどを起こす前に、完全に排除する。
 そして常より、皆がガルシアへの忠誠心を持っているかどうか、それを密かに監視しているのだ。

 地下での噂話も、重要な手掛かりの一つ。
 今朝はシュリの朝食が届けられていない事も、そこで耳にしたのだろう。

「ああ……今朝は……私の作った料理をお出しした。
 ……シュリ様のご要望だ」

「料理だと?」

 その答えにオ-バストは呆れたようにフンッ。と鼻を鳴らした。

「食事まで作るとは、お前もすっかり気に入られたものだな。
 使用人の身分で皇子付にまで成り上がるとは……。 
 権力など全く意に介せぬような涼しい顔をしておきながら、いったい何を武器に取り入ったんだ?」

 オーバストの目が、揶揄からかうようにラウの姿を上から下まで舐めるように動く。

 だが今のラウは、その程度の嫌味など取り合う気にもなれなかった。
 端から聞いてもいない。

 全く動じもせず、顔色一つ変えないラウに、オーバストは挑発するのを諦めたのか肩をすくめた。

「……まぁいい……。宴は夕刻だ、絶対に遅れるな」
 そう言って背を向けた。 



 部屋に入り、背中で扉を閉めると、渡された盆をテーブルに置き、ラウは大きく息をついた。
 オーバストの言葉に、ではない。
 部屋の最奥……ベッドの上のシュリにだ。
 呼吸は少しはマシになったとは言え、まだ大粒の汗を浮かべ、痛みに耐えながら苦しんでいる。

 側へ寄り、跪くとそっとシュリの汗を拭った。
 体に巻かれた包帯はまた血で染まっている。

 薬をまとめた箱を手元に引き寄せ、包帯を解き、また止血の作業を始める。
 だが幾度繰り返しても、傷は一向に塞がる様子を見せなかった。

 こんな状態で宴など……。

 拳で床を叩きつけた。
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