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第二十八話
夢と現と
ジルベルトは冷淡な視線を妻に向けた。凍てついたネオンブルーの双眸は、何の感情も映さない。まさに白眼視という言葉が相応しい。その視線の先には、水晶製のテーブルを挟んだ向かい側に、青ざめて狼狽えるファティマ・アンジェラインがソファに腰を下ろしていた。
(ジルベルトったら、バタバタとあちこち出かけて戻って来たと思えば、書斎に籠って仕事。やっと二人きりになれたと思ったら、こんな冷たい態度。これは悪夢よ、そうに違いないわ)
……ねぇ、あなた、本当にそれで後悔しない?……
紅薔薇の花びらのような唇から紡ぎ出される、琴を思わせる声色。今は亡きキアラの夢。もう、夜な夜な習慣のようになってしまった。
……今は燃え上がっているから良いでしょうけど、十年後、二十年後、本当に後悔しないかしら?……
鼻をくすぐる、薔薇の香りはその女の香りだ。波打つ艶やかな黒髪が、真珠のような肌を引き立てている。
……これだけは覚えておいてね。人にした事って、良い事でも悪い事でもいつか何にかの形で必ず自分に返ってくるものなの……
まるで夕焼け空を切り取って宝石にしたような神秘的な瞳。
……彼婚約者がいるのに平気で浮気をするような不誠実な男よ? 人は、自分の思考に沿った推測を他者に無意識に求めるものだから。あなたが私にしたように、いつか彼を誰かに奪われるかもしれなくてよ?……
最近は、一人でいるとこのように白昼夢として見るようになってしまった。
「……ライン、ファティマ・アンジェライン!?」
夫が名を呼んでいた事に気付き、我に返る。
「あ……」
「どうした? ぼんやりして」
「あの、私……」
絶対零度と例えられそうな非情な面差しの彼に、言葉を失う。
「気もそぞろのようだし、早速本題に入ろう。時間も勿体ないからな。一度しか言わないからよく聞いておけ」
あまりにも冷酷な物言いに、反論は許さないという無言の圧力を感じてしまう。
「六か国首脳会談で、俺たちが原因で略奪愛が純愛で尊いものだという間違ったモラルを植え付けてしまった点を全世界の人々に向けて『陳謝』する。更に、それは間違った行いだった事を述べた上で謝罪。ここまでは伝えたと思うが、当然の如く俺たちは離縁の上……」
「え……」
(今、離縁て言った? そんなに軽く……)
「皇帝皇后の座は『退位』だ。跡を継ぐ者については今交渉中だから、会談までには何とかする。以上だ」
ジルベルトは一息に言い切ると、席を立つ。
「え?」
そのまま部屋を後にしようと踵を返す彼に、立ち上がり慌てて声をかける。
「待って! 離縁だなんて、そんな大事な事話し合いもしないで……第一、どうして私たち別れる必要があるの?!」
ジルベルトは面倒臭そうに眉間に皺を寄せつつ振り返った。
「俺はこの間きちんと伝えただろう? 俺は薄情な屑男なんだよ。《夢から醒めた》って。お前との愛はまやかしで間違いで元々キアラ一筋だったと言ったよな? 離縁一択しかないだろう」
「そんな! 酷いわ! あんなに愛しているって言って……」
「そうだな、確かに《惑わされた隙を作った責任は俺にもある》、だからお前と添い遂げるのが筋だ、という意見もあるだろうな。でも、偽りの夫婦生活を続ける責任の取り方は俺は正しいとは思わない。そんな事はお前にも失礼極まりないし、帝位はもっと相応しい者にさせるべきだ。だから譲位してお前と添い遂げるつもりも無い」
「お願い、別れるなんて言わないで。愛しているの」
瞳に沢山の涙を潤ませ、訴えかけるようにして彼を見上げる。こうして思い通りにいかなかった事など今まで無かった。だから彼もきっと……
「話は終わりだ」
にべもなく言い捨てられた。にわかにムカッと怒りが込み上げた。
「あの子ね?!」
「はぁ?」
怪訝そうに眉を顰める彼に詰め寄る。
「あの遠縁とかいうリラ・フォックスと浮気しているんでしょ!」
「ハァ…………」
ジルベルトは心底呆れ果てたというように大仰な溜息をつく。
「何を馬鹿な事を……寝言は寝てから言え」
「じゃぁ、ミラベル王女?」
「くだらん。発言に気を付けろ、不敬罪になるぞ」
「じゃぁあのユースティティアとかいう……」
「黙れっ! 不愉快だっ! お前の脳内は色恋沙汰しかないのかっ!!!」
生まれて初めて、しかも好いた相手から怒鳴られた事に驚愕し、涙も引っ込んでしまった。
「……時間の無駄だ、もう話す事はない。会談の打ち合わせは参加メンバーで行う。追って知らせる」
溜息と共に吐き出すようにして告げると、足早に部屋を出て行った。呆然と立ち尽くす聖女が残された。
「ジェレミー」
聖女の部屋を出るなり、ジルベルトはそう声をかける。
「お呼びでしょうか」
ドア付近に控えていたジェレミーはすぐに応じた。
「ファティマ・アンジェラインに付き添ってやれ」
「承知致しました」
ジルベルトはそれだけ告げると、使くに控えていたラウルを従え、書斎へと足を速めた。
……もういっその事ジェレミーとくっつけよ……
と思いながら。
『聖女とはしっかりとケジメをつけて差し上げなさい。それがあなたの責任でもあり思い遣りよ』
あの後、一同の興奮が鎮まってから「夢から醒めた今、彼女とは別れるつもりだ」と言ったジルベルトに、キアラはそうこたえた。
『色々と聞きたい事、話したい事、話し合いたい事は山積みだけど。今は共に戦う事に集中しましょう』
との事だった。そうだ、今はやるべき事に全力を注ぐのだ。
……それにしても、驚いたな……
ジルベルトはその時を思い出す。一同が落ち着いた後、教皇ロレンツィオは前に進み出る。すると見る間に真珠色の髪が漆黒へ。多色性を誇るアンダリュサイトの双眸は、メープルシロップのような甘やかな琥珀色へと移り変わった。そう、彼の正体は土御門元康だったのだ。驚いた一同は当然色々と聞きたがったし、彼もまた話したい事があるようだったが、全て片がついてから改めて、という事に落ち着いた。
これから作戦会議へと向かうのだ。
……教皇が元康だったとは。何にせよ、頼もしい味方だ……
ジルベルトはしみじみと思った。
(ジルベルトったら、バタバタとあちこち出かけて戻って来たと思えば、書斎に籠って仕事。やっと二人きりになれたと思ったら、こんな冷たい態度。これは悪夢よ、そうに違いないわ)
……ねぇ、あなた、本当にそれで後悔しない?……
紅薔薇の花びらのような唇から紡ぎ出される、琴を思わせる声色。今は亡きキアラの夢。もう、夜な夜な習慣のようになってしまった。
……今は燃え上がっているから良いでしょうけど、十年後、二十年後、本当に後悔しないかしら?……
鼻をくすぐる、薔薇の香りはその女の香りだ。波打つ艶やかな黒髪が、真珠のような肌を引き立てている。
……これだけは覚えておいてね。人にした事って、良い事でも悪い事でもいつか何にかの形で必ず自分に返ってくるものなの……
まるで夕焼け空を切り取って宝石にしたような神秘的な瞳。
……彼婚約者がいるのに平気で浮気をするような不誠実な男よ? 人は、自分の思考に沿った推測を他者に無意識に求めるものだから。あなたが私にしたように、いつか彼を誰かに奪われるかもしれなくてよ?……
最近は、一人でいるとこのように白昼夢として見るようになってしまった。
「……ライン、ファティマ・アンジェライン!?」
夫が名を呼んでいた事に気付き、我に返る。
「あ……」
「どうした? ぼんやりして」
「あの、私……」
絶対零度と例えられそうな非情な面差しの彼に、言葉を失う。
「気もそぞろのようだし、早速本題に入ろう。時間も勿体ないからな。一度しか言わないからよく聞いておけ」
あまりにも冷酷な物言いに、反論は許さないという無言の圧力を感じてしまう。
「六か国首脳会談で、俺たちが原因で略奪愛が純愛で尊いものだという間違ったモラルを植え付けてしまった点を全世界の人々に向けて『陳謝』する。更に、それは間違った行いだった事を述べた上で謝罪。ここまでは伝えたと思うが、当然の如く俺たちは離縁の上……」
「え……」
(今、離縁て言った? そんなに軽く……)
「皇帝皇后の座は『退位』だ。跡を継ぐ者については今交渉中だから、会談までには何とかする。以上だ」
ジルベルトは一息に言い切ると、席を立つ。
「え?」
そのまま部屋を後にしようと踵を返す彼に、立ち上がり慌てて声をかける。
「待って! 離縁だなんて、そんな大事な事話し合いもしないで……第一、どうして私たち別れる必要があるの?!」
ジルベルトは面倒臭そうに眉間に皺を寄せつつ振り返った。
「俺はこの間きちんと伝えただろう? 俺は薄情な屑男なんだよ。《夢から醒めた》って。お前との愛はまやかしで間違いで元々キアラ一筋だったと言ったよな? 離縁一択しかないだろう」
「そんな! 酷いわ! あんなに愛しているって言って……」
「そうだな、確かに《惑わされた隙を作った責任は俺にもある》、だからお前と添い遂げるのが筋だ、という意見もあるだろうな。でも、偽りの夫婦生活を続ける責任の取り方は俺は正しいとは思わない。そんな事はお前にも失礼極まりないし、帝位はもっと相応しい者にさせるべきだ。だから譲位してお前と添い遂げるつもりも無い」
「お願い、別れるなんて言わないで。愛しているの」
瞳に沢山の涙を潤ませ、訴えかけるようにして彼を見上げる。こうして思い通りにいかなかった事など今まで無かった。だから彼もきっと……
「話は終わりだ」
にべもなく言い捨てられた。にわかにムカッと怒りが込み上げた。
「あの子ね?!」
「はぁ?」
怪訝そうに眉を顰める彼に詰め寄る。
「あの遠縁とかいうリラ・フォックスと浮気しているんでしょ!」
「ハァ…………」
ジルベルトは心底呆れ果てたというように大仰な溜息をつく。
「何を馬鹿な事を……寝言は寝てから言え」
「じゃぁ、ミラベル王女?」
「くだらん。発言に気を付けろ、不敬罪になるぞ」
「じゃぁあのユースティティアとかいう……」
「黙れっ! 不愉快だっ! お前の脳内は色恋沙汰しかないのかっ!!!」
生まれて初めて、しかも好いた相手から怒鳴られた事に驚愕し、涙も引っ込んでしまった。
「……時間の無駄だ、もう話す事はない。会談の打ち合わせは参加メンバーで行う。追って知らせる」
溜息と共に吐き出すようにして告げると、足早に部屋を出て行った。呆然と立ち尽くす聖女が残された。
「ジェレミー」
聖女の部屋を出るなり、ジルベルトはそう声をかける。
「お呼びでしょうか」
ドア付近に控えていたジェレミーはすぐに応じた。
「ファティマ・アンジェラインに付き添ってやれ」
「承知致しました」
ジルベルトはそれだけ告げると、使くに控えていたラウルを従え、書斎へと足を速めた。
……もういっその事ジェレミーとくっつけよ……
と思いながら。
『聖女とはしっかりとケジメをつけて差し上げなさい。それがあなたの責任でもあり思い遣りよ』
あの後、一同の興奮が鎮まってから「夢から醒めた今、彼女とは別れるつもりだ」と言ったジルベルトに、キアラはそうこたえた。
『色々と聞きたい事、話したい事、話し合いたい事は山積みだけど。今は共に戦う事に集中しましょう』
との事だった。そうだ、今はやるべき事に全力を注ぐのだ。
……それにしても、驚いたな……
ジルベルトはその時を思い出す。一同が落ち着いた後、教皇ロレンツィオは前に進み出る。すると見る間に真珠色の髪が漆黒へ。多色性を誇るアンダリュサイトの双眸は、メープルシロップのような甘やかな琥珀色へと移り変わった。そう、彼の正体は土御門元康だったのだ。驚いた一同は当然色々と聞きたがったし、彼もまた話したい事があるようだったが、全て片がついてから改めて、という事に落ち着いた。
これから作戦会議へと向かうのだ。
……教皇が元康だったとは。何にせよ、頼もしい味方だ……
ジルベルトはしみじみと思った。
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https://www.alphapolis.co.jp/novel/500576978/161276574
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