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3.兄の様子がおかしいぞ?
しおりを挟む「アルフレィド。騎士の仕事も落ち着いてきただろう。婚約について、そろそろ前向きに考えてみないか? まずは女性と出かけるだけでもいい」
「父上……。おっしゃることはごもっともです。しかし、病弱なエリオットをこの広い屋敷に置いていくことなど、私にはできません。かわいい弟のエリオットより優先しなくてはいけないのでしょうか。貴族として相応しくない考えなのかもしれませんが、私は父上のように愛にあふれた家庭を築きたい」
「たしかになぁ。我が家のエリオットは天使だからなぁ。まぁアルフレィドはまだ若いんだ。急いでしまったがために、不幸な婚姻になってはいけないな。分かったよ」
「ありがとうございます……っ!」
偶然耳にしてしまった父と兄の会話。
実は、ちょっとヤバいかな、という予感はあった。
かわい子ぶりっこの演技、やりすぎちゃったのかもって。
でも、性悪女から兄を守っていたらこうなっていたんだ。不可抗力だと信じて欲しい。
それでも兄の優しさに甘えすぎていたのかもしれない。
反省しよう。今の俺は、ごめんなさいができるいい子のエリオットだからな。
悪役令息にはならないぞ!
決意も新たに、俺は軌道修正のために頑張った。
ダラダラ生活をダラくらいに留めて、貴族令嬢のリストアップに励んだのだ。
しかし、見た目よし、性格よし、家柄よしの三拍子そろった年頃の女性なんて、なかなかいない。
前世の記憶と照らし合わせ妥協しながら、なんとか可もなく不可もない五人の候補を絞り出した。
五人もいたら一人くらい兄のお眼鏡にかなう女性がいて欲しい。
「アルフレィド兄さん。この令嬢たちと、一度会ってみたらどうかな。僕、一生懸命選んだんだよぉ」
いつものように俺の部屋に来てくれた兄にさっそくリストを渡せば、兄の様子が何やらおかしい。
「エリオット。もしかして、誰かに何かいわれたのか?」
「えっ……と、そんなんじゃないよ? 僕がね、家にばかりいるから、アルフレィド兄さんに心配かけすぎちゃったのかなって反省したの。だから、僕のことは心配しないで、令嬢に会ってみて欲しいんだ。意気投合して、もしかしたら好きになるかもでしょう? 僕も頑張っていろんな人と会ってみるから、アルフレィド兄さんも」
「待ってくれ。エリオットは、いろんな人と会ったら、どこの馬の骨か分からん奴を好きになるのか?」
「変な人には会わないようにするし、大丈夫だよぉ。そりゃあ恋人も欲しいけど、アルフレィド兄さんみたいにモテないもん。でも僕だって頑張ったら、お友だちくらいはできるかもしれない……でしょう?」
前世を合わせた俺の中身は、恋人いない歴四十年目前のさえないおっさんなんだ。
今世でくらい恋人といちゃいちゃしたい。あんなことやこんなことをしてみたい。美人がいいとか、身の程知らずな高望みはいたしません。
ただもう、脱童貞!
出番のないかわいそうなジュニアを、俺だって一回くらいは使ってみたいんだよぉ! だから俺が心置きなくにゃんにゃんするためにも、兄には幸せになってもらわなきゃ!
そんな切実な俺の願いをよそに、俺が作ったリスト用紙が兄の手の中でくしゃりとゆがんでいく。
握りしめられた兄の手が、小さく震えているのが分かった。
「……嫌だ。エリオット。どこにも行かないでくれ。……好きなんだ。他の誰にも渡したくない」
絞り出すような苦痛に満ちた声に視線を上げると、兄が静かに泣いていた。
「ひぇ……」
「なんでもする。嫌わないでくれ。ずっと、好きだったんだ」
兄は大きな体をかがめて、俺の前で膝をついた。
いつも見上げていた兄の背中が小さく丸められ、あまりのことに俺は言葉が出なかった。
兄は涙ながらに好きだとくり返しながら、俺の足にすがり、そのままずるずると頭をさげて足の甲にキスをした。
貴族にとっては屈辱的なはずの、服従を誓うキスだ。
背中で一つにまとめられていた銀色の髪が、さらりと肩から落ちて床に広がる。
あの兄が。あの完璧で、超人で善人で美しい兄が……。
俺は思わず手を伸ばしていた。
銀色の髪を手でかきあげれば、銀髪の隙間から涙に濡れる青紫色の瞳が現れた。
こんなときでも綺麗なんだなと目を奪われているうちに、兄の思いつめた顔が接近していた。
性欲の匂いがしないキスだった。
優しくて穏やかで、そっと触れるだけの口付け。
それでも家族のキスとは違うのだと、経験のない俺でも分かった。
近付いてきたときと同じように、兄の唇はゆっくりと離れていった。
「すまない。嫌、だったか?」
「いやじゃ、ない、よ……」
俺の言葉に、兄はパッと顔を輝かせた。
びっくりはしたけれど、本当に嫌悪感はなかったのだ。
特別な好意を人から向けられたのは初めてで、その相手が尊敬している兄なのだから、光栄に思った。
兄とはいっても、俺にとっては物語の登場人物という気持ちのほうが大きいらしく、さらにはこれだけ綺麗な顔なら、相手が男であることにも抵抗感はないらしい。
兄弟で男同士。
普通ならハードルが高いはずなのに、兄はよく気持ちを伝える気になったもんだな。
……それだけ俺のことを好きだってことなのかな。
泣いてすがるほどの好意を寄せられているという事実が、じわじわと俺の卑屈な感情を刺激する。
あの誰もが羨む兄がという圧倒的な優越感に、歪んだ喜びが湧いてくる。
駄目だと思った。
俺の中の悪役令息が高笑いをしている。
これは駄目だ。男同士だとか兄弟だとか、そんな問題じゃない。経験がない俺でも、この感情はお互いのためにならないと思った。
「ごめんなさい……」
俺の謝罪の言葉を聞いて、青紫色の目が絶望に染まっていく。
俺は混乱しながらも言葉を重ねた。
この善良な人を傷付けたくない。
「ご、ごめん! 違うんだ! 嫌だとか生理的に無理とかじゃなくて! 俺はただ本当にアルフレィド兄さんに幸せになって欲しくて、聖女とか、変な人を好きになって不幸にならないようにって、それだけでっ! 本当に、誘惑とかするつもりはなくって。ただ、嫌われたく、なくて……。きっと、俺が悪いんだ。俺が原作と違うから、アルフレィド兄さんに悪い影響がでちゃったんだよ。本当に、本当に本当にごめん。俺なんかが弟に生まれ変わったから……っ!」
俺の下手な芝居で優しい人たちを騙して、兄を傷付けてしまった。
体がどれだけ大きくても、しっかりしていても、兄はまだたったの十八歳なのに。
自分のためだけに周りの人に嘘をついて、かわいい弟のフリをして、兄の純情を弄んだのだ。
俺なんかが。
「……俺は、悪役令息なんかより最低だ。アルフレィド兄さんに、好かれていい人間じゃない」
情けなくて、申し訳なくて、声が震えた。
中身は四十過ぎのおっさんなのに、涙がこぼれそうで、唇を噛みしめて耐えた。だって、俺が泣くのは違うじゃないか。
兄の大きな手が、剣を持つ無骨な騎士の手が、気遣うように優しく俺の頭を撫でた。
兄の優しさに申し訳なさが募って、俺は深くうつむいた。
見慣れた自室の床が、涙でぼやける。
俺は瞬きせずに、涙が乾くようにと目を見開いて耐えた。
早く何ごともなかった顔をして、取り繕わなくちゃ。笑って誤魔化せば、きっと優しい兄はそれ以上追求しないはずだから。
……でも、俺はこれからもかわいい弟の芝居を続けられるのかな。嘘をついて、みんなを騙して、暮らしていくことに耐えられるかな。本当の話をしたら、頭がおかしいと思われちゃうかな。嫌われちゃうかな。
断罪イベントよりも前に、家を追い出されちゃったりして。
頭の中はぐるぐるとネガティブな妄想でいっぱいになって、誤魔化すために何かいわなくちゃいけないのに言葉が出てこなかった。
二人して床に座りこんだまま、重い無言が続く。先に口を開いたのは兄だった。
「エリオット。原作……とは何だ?」
初手から核心を突く質問をするあたり、本当に嫌になるくらい優秀な兄だ。
俺はむしろ感心して、ふふふと力ない笑い声がもれた。
笑った振動に耐えかねた涙が、ぼたぼたと床に落ちる。
あーあ、結構頑張ってきたと思ったのにな。
俺なんかの頑張りでは、こんなものか。むしろ今までが奇跡的に上手くいっていたのかも。
そう思ったら、ますます笑えてきた。
けたけたと泣き笑い始めた俺を、兄は力強く抱きしめた。
「何も心配しなくていい。私は、ただお前の苦悩を、理解したいだけなんだ。どうか信じてほしい」
「アルフレィド兄さん……」
兄の大きな体にすっぽりと包まれて、自分が小さく震えていたのに気付いた。
俺は弱くて卑怯者だ。
兄の体に抱きついて、好意に甘えて、すべてを委ねてしまいたかった。
それでも精一杯虚勢を張って、兄の腕を振りほどいた。
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