わたしと姫人形

阿波野治

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三日目 その7

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 当時のわたしは、幼いゆえにおぼろげではあったが、理解していた。女性の本質的な弱さを。男性が内に秘めた獣性を。弱さにつけこんで獣性を満足させる行為は、社会的に許容されないことを。しかし、この世界では、それがいつ発生してもおかしくないことを。

 ただただ怯え、救いを欲するわたしを、お母さんは事情を呑みこめないながらも慰撫してくれた。
 最低限の落ち着きを取り戻すと、わたしはすぐに被害を訴えた。
 具体的になんと説明したのかまでは覚えていない。ただ、語彙と表現力が貧困なりに語彙と表現力を尽くした、という記憶だけは残っている。

 お母さんが――いや、母親がなんと答えたのかは、あの日から十年以上が経った今でも、一言一句違わずに覚えている。
『短いスカートなんか穿いてくるからでしょう。馬鹿ね』
 胸を襲った衝撃は凄まじかった。

 短いスカートを穿くことのどこがいけないの? デパートに出かける前は、お母さん、ひらひらしたスカートかわいいね、ナツキに似合っているねって、にこにこしながら言っていたのに。それに、わたしが触られたの、腕だよ。なんで、短いスカートを穿いたら腕を触られるの。そもそも悪いのは、わたしに変なことをしようとした、あのおじいさんでしょう。なんでわたしが叱られるの。責められるの。

 混乱した想念が怒涛のように胸に押し寄せた。全文を書き起こそうと試みたとしても、マス目を五パーセントも埋められなかっただろう。それほどまでに、到来した想念は混乱していたし、膨大だった。
 ただ、馬鹿呼ばわりされることこそなかったが、似たような出来事ならば散発的に起きていた。
 あのころ、母親はすでに――。


* * *
 

「ナツキ」
 呼びかけられて我に返る。
 姫がわたしの真正面に佇み、わたしを見上げていた。右手の人差し指と親指は、わたしのトップスの袖を掴んでいる。眉尻を下げてわたしの顔を見つめている。わたしのことを心配してくれている。
 抑圧していた過去に向き合い、極度の緊張状態にあった肉体が、心が、急速に緩んでいく。

「ナツキ、だいじょうぶなの? ほんとに?」
「大丈夫だよ。わたしはもう大丈夫」
「そう? それだったら――あっ」
 姫は突然、わたしの斜め後方を指差した。
 指し示されたのは、雛壇のような陳列棚に並べられた、黒い育苗ポット。いずれの土からも芽は出ていない。立て看板にはこんな文言がつづられている。

『どんな植物が生えてくるのかな?
 大きくなるまでのお楽しみ!
 ※返品は受けつけておりません。ご了承ください。』
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