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第二話 紅梅

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 ……ふと、目を開けた。
 すると目の前に、めちゃくちゃ整った顔があって、俺は思わず仰け反った。
「あっ」
「あーあ、起きてしまったか。口付けしようと思ったのにな」
「ばっ」
 馬鹿、とはいえなかった。彼はお客さんお客さんお客さん!
「前髪が跳ねている。可愛いね」
 この人の可愛いほど安いものはない、と思う。連発しすぎだ。しかし伸びてきた指に前髪をかき分けられ、二重の綺麗な目に捕らえられて、不覚にもどきりとした。
「寝てるときに好きにしようかと思ったが。……しなかった私を褒めてほしい」
 にこりとほほ笑む。何言ってんだ、これイケメンじゃなきゃ許されないセリフだぞ。いやイケメンでもダメか。俺も大概この人に毒されている気がする。
「でもこれくらいはいいよな?」
 不意に抱きしめられた。そして額にくちびるの感触。
 トゥンク……じゃねえんだよ! 何すんだ! と思いはしても、なぜか動くことはできなかった。
「これは、ご褒美ということで」
 かあっと身体が熱くなる。俺は思わず布団の中に潜った。なんとなく顔を見られたくなくて。
「こらこら、また髪が乱れるぞ」 
 笑いを含んだ声を感じながら、俺は火照るほほを両手で挟み込んだのだった。……なんだこれ。

 一度彼を見送ったあと、白点心舗の前で待ち合わせをすることにした。急いで朝食を食べ、身支度を整える。朝の仕事はないとはいえ、鶴天佑に昨日の報告をして給金をもらったり、自分の分の洗濯をしたり、やることは割とある。ちなみに給金は一月ごとにまとめてもらえるらしいが、俺は初月なので特別に日割でもらっている。無一文の身にはありがたい。てかほんとなんで無一文だったんだろうな。
 待ち合わせはわかりやすく午の正刻、正午にした。スマホも時計もない世界不便すぎる、とは思うが、人はどんな環境でも馴染めるものだ。俺は時間に合わせて妓楼を出た。
 目立つ長身が店の傍に立っているのが見えて手を振る。そして一緒に店に入った。
「いらっしゃいませ」
 昨日の若い店員が笑顔で対応してくれる。洸永遼は「白梅」の5つ入りを1つ買って、店員に言った。
「店主をお願いしたい。洸斎永の息子だと、お伝えいただけるかな」
「あっ、はい! かしこまりました!」
 店員は店の奥に消えていく。まだ若いからか、洸永遼の顔も名前も知らないようだ。
 白淘嘉はすぐに現れた。洸永遼を見て驚いたように目を見開く。そして、かすれ声で言った。
「洸の、坊ちゃま……」
「……ご無沙汰、してます」
 洸永遼が神妙な顔で拱手する。白淘嘉は拱手を返して、「大きくなられて」と呟いた。
「あの……突然伺って申し訳ありません。すこし、お話できませんか」
 すると白淘嘉は頷いて、ちらと俺を見、「どうぞ」と店の奥に招いてくれた。
 店の奥は、思った通り厨房だった。そのさらに奥に招かれる。町屋みたいに奥に長い造りみたいだ。厨房を通り抜けたさらに奧に、履物を脱いで上がれる板の間があり、座卓と円座が置かれている。休憩室だろうか。
 白さんは座った俺達の前に茶と饅頭を出してくれた。桃色から白へのグラデーションがきれいな桃饅頭だ。すごく美味しそうだが、これからする話のことを考えると、手を出しづらい。
 洸永遼はどうやって切り出すんだろう、と思っていると。
「……白さん。生前は、父がお世話になりました。私が跡を継ぐことになりましたので、ごあいさつをと思い、伺いました」
 ごくまっとうな挨拶だ。この人は社会人としてはまっとうなんだろう。ただちょっと口説き文句が多めなだけで。
「……お父上は、いつ?」
 白淘嘉の目が揺れる。その目にはたしかに悲しみが潜んでいるように見える。
「……三ヶ月前に。……安らかな最期でした」
 白淘嘉がくちびるを噛むのが見えた。そして、床に手をついて頭を下げる。
「心から、お悔み申し上げます」
 胸の奥から搾り出すような声。洸永遼は目を伏せ、遠慮がちに言った。
「ありがとうございます。……父の遺品を整理していて、気になるものがありました。これです」  
 机の上に、薄い紙包を差し出す。長い指で油紙を開くと、その上には褪せた紅梅の押し花があった。花びらは、六枚。はっと、白淘嘉の目が見開かれた。
「……これは?」
「……父の最後の言葉は『紅梅に』でした。『紅梅』とは何なのか。もしかすると、人の名前ではないのかと思いました。そして父が遺したこれを見て……。父は、紅梅と呼ぶ人に会いたかったのでは、と思いました。その願いが叶わなかった今、せめてこれだけでも、『紅梅』に届けたくて」
「……それが、私だと?」
 白淘嘉は俯いた。その目はじっと押し花を見つめている。洸永遼は俺に視線をやって答えた。
「この子が教えてくれたんです。ちょうどこちらの『白梅』が、六弁の梅だと。もともとこの菓子は『白梅』ではなく、『紅梅』だったのではないですか? 父はこの菓子の材料……紅麹や砂糖を、かつて貴方の店に納品していましたよね」
 白淘嘉は何も言わずに俯いたままだ。
「父が残した日記には、『紅梅』が完成した、とありました。その後、父は『紅梅』と頻繁に会うようになった。だから、それはあなたではないかと、思ったんです」
 理路整然と語る洸永遼には説得力があった。本当に紅梅なら、頷かざるを得ないような。しかし白淘嘉は青ざめてさえ見える顔で、頭を下げる。
「しかし、私は『紅梅』ではございません」
「えっ」
 思わず驚きの声を上げてしまった。白淘嘉は床に着くほど頭を下げたまま、言った。
「私は……所用がございますので、これにて失礼いたします。ここは使っていただいて構いませんので、どうぞごゆっくり」
 そして、音も立てずに部屋を出て行く。その姿を、俺は呆然と見送った。
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