愛の形容(かたち)

Lucky

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―母と娘ー 5話

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私が家を出たのは十六歳の時。

自分の体で心が壊れそうになって、それからのがれるには体を壊すしかなかった。



未成年の、この身ひとつで通用するところ。夜の世界。

年齢を偽って何店舗か面接を受ける。

複数の採用をとりつけ、住居を用意してくれるところを選んだ。

家出同然に飛び出した私に、母は半狂乱になって泣き叫んだ。

弟の宏之はその時小学校五年生。

一瞬にして変わった家庭の状況に、明るく活発な弟も一時期不登校になった。

置手紙はしてきたものの捜索願を出されては困るので、少し落ち着くと父に電話をした。


「母さんと宏之をそれだけ悲しませ不幸にしたのだから、真澄は必ず幸せにならなくちゃいけないよ」

その時の憔悴し切った父の声。

親として、決断せざるを得なかった無念の思い。

私は涙が溢れ続けて止まらなかった。

電話の最後に、居場所は言わなくて良いから、せめて半年に一度は無事であることを連絡して来て欲しいと父は言った。

「親として最低の義務は・・・子を想う気持ちだけは許してくれないか」

父のその言葉以降、私は泣くことはなかった。

どんなに辛いことでも、それ以上に泣けることなどなかった。





十六歳から夜の世界に入って、二十一歳までの五年間はホストでお金を稼いだ。

小柄な私は、特に年配の有閑マダムのお気に入りだった。

彼女たちはお酒の席で、しょっちゅうふざけて私の体を触った。

頬を撫でる手、胸を這う手、下半身に滑り込む手。

勃起など論外。気持ち悪さが先に立って、私は何も感じなかった。

女性と言うにはあまりにも崩れた彼女たちの姿態。

キスにいたっては鳥肌が立つほど嫌だった。

だけどキスはお金を稼ぐ最大の武器のひとつ。

する時は濃厚に、但し安売りはせず、それが返って私の価値を高めた。


客が付き指名が増えると当然妬みや嫌がらせはあったけれど、同じホストの同僚から言い寄られることもあった。

彼らの洗練された振る舞いは雰囲気と重なって、ほどほどの容姿も十二分に引き立たせた。

店の控え室や帰りの車の中で、キスは彼らからの方が何倍も感じた。

強い力で抱きしめられ、愛撫される手の感触。

体は男なのに、私の中の女が男を求める。

そして行き着く想い・・・透。


有閑マダムたちにも言い寄る同僚たちにも、体だけは許さなかった。

機能として女を抱けても、感情で抱くことが出来ない。

私の中の女が男を求めても、求める男は透だけ。

彼らは透の幻影。


揺ら揺らと頼りなげな瞳は積み重なる年月と共に、揺ら揺らと燃える炎に変化した。

刻一刻と男の体に支配されて行く。

女として感じる男の愛撫に、勃起する。

その男の象徴が初めての夢精で苦しんだあの日のように、早く早くと私をき立たせる。


―頭は拒絶するのに、体が快楽を求める―

― 精神と肉体を分かつもの―

―女の心と男の体―



二十二歳になる年にホストを辞めて、二十四歳で再び夜の世界に復帰した。

もう怖いものなどなかった。空白の二年間で私は女になった。

復帰は、ホストになりたての頃から連れて行ってもらっていたママのお店。

ママとマスターが快く私を女として迎えてくれた。

妬みも嫌がらせも、今さらそんな低レベルに付き合うほど私は暇ではなかった。

やっと手に入れた私の身体。稼いだ全てを投資する。

―誰よりも美しく、誰よりも良い物を身につけ、誰よりも教養高く―

私自身が資産と言われるように。





そして二十六歳で家に戻った。

父は私を見て驚いた。まさか身体まで女性になるとは思っていなかったようだった。

しかし母は、

「お帰りなさい」

と言って、私をきつく抱きしめ、

「ちゃんと産んであげられずに、すみませんでした」

と、滂沱ぼうだの涙で詫びた。

「お・・母さん・・、お母さん!」

十年間の思いが堰を切って溢れ、小さな子供のようにいつまでも母の胸から顔を上げることが出来なかった。

また父と母も、私のことで家を引っ越すようなことはしなかった。

人の噂も本当に七十五日で、いつの間にか私と宏之は兄弟から姉弟に、近所の目も変わって行った。

宏之だけが、私を認めてくれているのかいないのか、それがよくわからなかった。

「久し振り・・・」

再会の時の宏之の言葉。

小さかった弟は私の背をはるか追い越して、少年から青年になっていた。

「ごめんね、宏・・・」

手を取って抱き寄せようとしたら、クルリと背を向けられて、

「父さん、じゃ俺もういいよな、バイトに行って来る」

あっさり行かれてしまった。

「照れているんだよ、気にしなくていいから。宏之も、もう二十一歳だよ。大人だ」

私の背中に添えられた父の手は、暖かくそして懐かしかった。



家に戻って数週間滞在した後、近くのマンションに移った。

かなり整理して来たとはいっても、十年間で揃えた家具や衣装は実家の私の部屋には入りきらなかった。

マンションと実家を往復しながら、ゆったりと過す時間。

母は私を「真澄ちゃん」と呼び、今までの寂しさを取り戻すように私に構った。

一緒に買い物をして、夕食を作って。

「真澄ちゃん、お味噌汁のお出汁だしの取り方を教えてなかったわね」

「まぁ、真澄ちゃん、オムレツをフライ返しでなんて・・・。お箸でそう・・ゆっくりふわりと、そうね」

なかでも料理については、一生懸命私に教えようとした。

「もう、お母さん、私をお嫁に出す気?」

私は笑いながら冗談で言ったのに、

「当たり前でしょう。真澄ちゃんが、お嫁に行っても恥ずかしくないくらいには、お母さんがきっちり教えてあげます」

そんな夢のようなことを真剣な顔で言う母に、私は切なくなった。

どんなに教養ある事柄を知っていても、母には出汁の取り方を知らない娘の方がずっと心配のようだった。








「ねっ、お母さん見て。ほらこの宏の顔!笑っているのか泣いているのか、わかんないでしょう」

実家で母と、私の結婚式の時のアルバムを見る。

夢のようなことを真剣に言っていた母の言葉は、現実のものとなった。

純白のウエディングドレス、バージンロード。

バージンロードを父にエスコートされながら、忘れることのなかった言葉が、何度も何度も私の胸を一杯にした。


―母さんと宏之をそれだけ悲しませ不幸にしたのだから、真澄は必ず幸せにならなくちゃいけないよ―


バージンロードの先には透が待っていて、父の手が離れた瞬間、透の手が下から救うように私の手に重なった。


「お義父さん、真澄を幸せにします」


一同に揃った家族親戚の中央に、純白のウエディングドレスの私とネイビーグレーのタキシードの透。

母はこの写真を見るたび、恥ずかしいと言って顔に手を当て、頬を赤らめる。

写真を通しても母の目は真っ赤に充血していて、瞼が腫れているのがわかった。


「お義母さん、真澄はお義母さんを泣かせてばかりですね」

式の最後花束贈呈の時、透が母に言った。

流れる涙をハンカチで抑えながら深く頭を下げる母の両肩に、透は手を回してそっと抱き起した。


「お義母さん、真澄を幸せにします」





昨日のことのように思い出す、透と私の結婚式。

「ねぇ、お母さん、これはお色直しの・・・、お母さん?」

横で一緒にアルバムを見ながら話をしていた母がいない。

「真澄、いい加減で帰ったら?母さんだって、真澄の相手ばっかりしていられねぇよ」

宏之は弟のくせに私を呼び捨てにする。

小さい頃は可愛かったのに、いつからこんなに生意気になったのかしら。

「うるさいわね、宏は関係ないでしょ。それよりも、呼び捨てにしないでよ!」

「関係ないなら、いちいち俺に電話して来るな。送って行けだの、迎えに来いだの・・・。
どうせ、また真澄の我が儘だろ。義兄さんも大変だな」

宏之も私の我が儘と思っている。

どうして男はこうもみんな同じ思考なのかしら。

腹が立って、見ていた結婚式のアルバムを投げつけた。

「真澄ちゃん!大事なアルバムなのに!」

母が慌ててキッチンから出て来て、宏之の足元に投げつけたアルバムを拾い上げた。

「透がいけないのに、一方的に私が悪いみたいに言うんだもの!
それにお母さん!宏、未だに私を呼び捨てにするのよ!」

「あーっ、うるせったら。母さん、俺ちょっと出掛けて来るから、晩めしパスね」

「あっ、宏、ちょっと待って!ママのお店まで送って行ってって言ったでしょう!」








今日は透と夏の最終日を飾るハイアットパーク、夜のイルミネーションに行くはずだった。

二人だけの生活だから、二人の時間を大切にしよう。

そんなことを透は言いながら、

「真澄・・・」

耳元のキス、私の体に覆いかぶさり、触れる透の肌。

撫でるように上から下へ、あぁ・・・もうすっかり体が覚えてしまった透の掌、指先の感触。

大きな安心感が私を包み込む。

放出ではなく受け入れる喜びで、心と体がひとつになるエクスタシー。

抱き合い、語らい、まどろみの透の腕の中で朝を迎えた。


「ねぇ透、着て行く服だけど、夜だしもう秋の装いでいいかしら?」

今日の夜のことを話しながら弾む会話・・・になるつもりだったのに。

「・・・・・・うん」

眠そうにコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。

「服に合わせて、髪はアップにしようと思うのよ。で・・・」

食事の仕度を終えて、私がテーブルに着いた途端、

「行って来る。楽しみだな」

おあいそのような言葉を残して、透は会社へ行った。

この時点で少し腹が立った。でも普段から、朝は素っ気ないし・・・。

そう思って夜のデートに持ち込まないよう気持ちを切り替えた。



[ 家まで帰る時間がないから、現地で落ち合おう ]

昨日は迎えに帰って来れるって言っていたのに!・・・透からの電話に、仕事だからと自分に言い聞かす。


「もしもし宏、今日は家に居るんでしょう。ちょっとハイアットパークまで送って欲しいの」



[ ごめん、少しだけ遅れるから。何か先に飲んでいていいよ ]

二度目の透の電話で我慢の限界が来た。

「少しだけって、どのくらい?」

[ 三十分くらいかな。それまでには行けるから ]

「私は三十分も待たされたことはないわよ!」

[ ・・・・・・それまでには行けるって、言ってるだろう ]

透の少し抑えた声の向こうから、ざわざわと雑多な声が聞こえていた。

仕事が長引いているのは本当だと私にも理解出来た。でも前から約束していることなのに。

透は計画性がないから、いつもその時になって慌てる。

昔からそうだった。それを知っているだけに、理解出来ても腹立ちは収まらなかった。


「透の悪いクセだわ!準備が足りないのよ!だから当日になってばたばたするのよ!
透の行けるなんて、あてにならない!」

[ 勝手にしろ!! ]

都合が悪くなるといつも怒鳴って一方的に電話を切る。


「宏!!迎えに来て!そっちの家に帰るから!・・・何?今すぐに決まってるでしょう!」








「真澄は金持ちだな。ハイアットパークの一人三万円コースを放って、さらにママの店で豪遊か?」

玄関に透が立っていた。

「宏、電話ありがとうな。探す手間が半分で済んだよ」

「義兄さんは偉いな、尊敬するよ。俺にはとても姉貴の面倒なんて見切れないね。
俺は退散するから早めに引き取ってくれよな」

人を荷物みたいに・・・。でも、透には私のことをちゃんと姉貴って言ってくれている。

―照れているんだよ、気にしなくていいから―

生意気な宏之がとても可愛く思えた。


「お義母さん、ご無沙汰しています。宏之君から電話があって、真澄がこちらに・・・迷惑をお掛けして・・・」

また透がひとりだけいい子になって、お母さんに挨拶をしている。

「ちょうど良かったわ、透さん。お夕食まだでしょう、ご一緒に」

「お母さん!透が一緒なら私は二階の自分の部屋で食べるから」

「真澄ちゃん・・・」

困った顔のお母さん。そんな顔をさせるつもりはないのに。

お母さんの前では素直な娘でいたいのに。

お母さんの後ろで、ギッと睨む透が私に意地を張らせるの。

だって透がいけないのに!

「せっかくですがお義母さん、僕たちはこれから食事に行くんです。
もうひとつ別のところを予約して来ましたから」

透・・・・・・・・。

「あら、そうなの。お父さんは残念だけど、真澄ちゃん良かったわね」

一転、嬉しそうなお母さんの顔。

私のことに一喜一憂する。

「真澄、行くだろ?九時からだから十分間に合う」

お母さんの喜ぶ顔を味方につけて、透が私の腕を取り引き寄せた。

謝罪の言葉がないのが気に入らないけれど、お母さんの喜ぶ顔を見ると意地も張れなくなってしまう。

「そうね、行ってあげてもいいけど、その前にひと言くらい謝るべきでしょう」

「まあっ、真澄ちゃん!あなたまたそんなこと、透さんに・・・」

「いいんですよ、お義母さん。俺が悪かったよ、真澄」

透は母の見ている前で、私をぎゅっと抱きしめて謝った。

母は目のやり場に困ったように、慌てて顔を横に向けた。

「透ったら・・・もう。お母さんが、困っているじゃない」

私は思いもしていなかった透の大胆な行動に、嬉しいような、恥ずかしいような。

それでも母の手前、平静を装いながら透から体を離した。

「よし、それじゃ俺は謝ったから、次は真澄だ。お義母さんに謝れ」

「何言って・・・透」

どうして私が!・・・言いかけて透の目に気がついた。またギッと睨んでいる。

透が本当に怒っている時の目。

「透さん、私はちっとも迷惑なことなんて・・・むしろ・・・」

「お義母さんがそうやって甘やかすから、謝ることも出来ないんです。真澄、ほら、ごめんなさいは?」

私を庇う母の言葉など全く聞こうとしない透をそっと横目で窺うと、この上なく優しい眼差しに変わっていた。


もちろんそれは、母に向けられているものだったけれど。



―ちゃんと産んであげられずに、すみませんでした―

―お義母さん、真澄を幸せにします―




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