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1.落ちこぼれ聖女

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 ダルカン共和国の首都アクアメア。

 その中心に位置する王宮の隣に立っている大聖堂の礼拝堂で、秘密の除名式が行われていた。大司祭とそれから数名の司祭、そして――、一人の少女が膝をついている。

 美しいステンドグラスの窓からはきらきらと輝く陽の光が差し込んでいるが、礼拝堂を覆うのは物々しい雰囲気だ。ぴんと張りつめた空気の中、大司祭が俯いたままの少女に向かって、声をあげる。

「クレメンタイン=ナーディア、そなたには力の発現が見られなかったため、聖女候補から外すことが決定した」

 クレメンタインがびくっと震えると、ハニーブロンドの前髪が揺れる。

「申し訳ないと詫びるくらいはできないのか、この能なしが。として恥ずかしいと思え」

 司祭たちの誰かが呟いた。

 この国では【聖女】と呼ばれる予言者が若干名存在する。
 文字通り、未来を予言する国の行く末を握る重要人物だ。
 どのように予言するかは聖女それぞれで、水鏡を視るものも、星を詠むものもいる。

 この礼拝堂で行われる神託で名前を読み上げられる、聖女候補と呼ばれるその令嬢たちは大聖堂にて共同生活をして、はっきりとした力の発現を待つ。
 クレメンタインは十歳の時に神託が下り、聖女候補として引き取られたが、それから十年が経っても何の力の発現も見られなかった。
 文字通り、何の力の発現も、である。
 前代未聞のことで、クレメンタインは普通の少女のままだった。

「クレメンタイン、顔をあげろ」

 大司祭が促す。
 ようやくゆっくりと視線をあげたクレメンタインの瞳は、ちょっと見ないほどの澄んだグリーンアイだ。化粧っ気もなく、またアクセサリーの類もしていないが、その瞳はまるで宝石のように輝いている。
 貴族ではないがゆえに、司祭たちにとって何の価値もない。

「神託が下りお前を迎い入れたものの、力が発現しなかった。これはひとえにお前の信心不足によるもの。もともと養護院にいたお前を引き取ってやったことへの恩を忘れるな。あのまま養護院にいたら到底叶わなかった待遇を得られたことに未来永劫感謝しろ」

 クレメンタインが頷けば、大司祭の顔が侮蔑で歪む。

「口に出せ。つくづく最後まで落第者だな、お前は」

 その低い声がいかにも平民くさくて聞き苦しいから喋るな、と昨日まで言われていたのだが――。

「申し訳ございません」

 かすれるような声でクレメンタインが答えると、大司祭が続けた。

「この落ちこぼれ聖女が。恥を知れ、平民風情が」

 クレメンタインは再び俯く。
 こんな罵詈雑言は、日常茶飯事だった。大司祭に限らず、司祭たちも、他の聖女候補たちも、平民出身であるクレメンタインを蔑む。

 そもそも引き取られた時点からその傾向はあったが、クレメンタインが何の力も発現しないことが明らかになりつつあると、年々扱いは雑になっていった。

 最初は言い返していたクレメンタインに『この平民風情が』と罵る。だんだんクレメンタインは口をつぐむようになり、最終的にはほとんど使用人と変わらない扱いだった。

「幸い、我が国には優秀な聖女候補が何人もいる。卑しい平民なのはお前だけだった。仕方なく、クレメンタイン=ナーディアという名を与えたが、それは聖女候補だったからこそ。二度と名乗ることは許されない。もちろん、聖女候補だったことも口にしてはならない」

 いつものようにクレメンタインは頷きかけ、口に出して答えろと言われたのを思い出して、呟いた。

「心得ました」
「ふん、ようやくだな。見苦しいからさっさとここから出ていって、そして二度と顔を見せるな」

 クレメンタインが床を見つめている間に、大司祭たちは礼拝堂を振り返ることなく後にした。

 ◇◇◇

 クレメンタインに与えられた餞別の品などごく限られたものだった。

 数枚の洋服と数日分の路銀だけ渡され、厄介払いだと言わんばかりに、着の身着のまま放り出される。見送りもなく、大聖堂の入口に立ったクレメンタインは二歩、三歩前に進む。

 ようやく大聖堂が見えなくなる角に至って、クレメンタインは後ろを振り返った。

(ここまできたら、もう我慢しなくていいかな)

 それまで無表情だったクレメンタインの顔に、みるみるうちに笑みが浮かぶ。
 彼女は両腕をぐーんと上にあげて、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。

「あーーーー! やっと、出られたああ!!」

 喜びのあまり、思っていたより声が大きくなってしまった。

(式の間中、笑顔になるのを我慢してて、辛かった~~!)

 近くを歩いていた商人らしき男が、突然彼女が大声を出したことに、ぎょっとしたように二度見してくる。

(あああもうほんっと、長かった、長かったああ!! 十年よ、十年。陰険で陰湿で、意地悪で、特権主義のあいつら、ほんっとだいっきらい! なぁにが見苦しいから出ていけ、顔を二度と見せるな、よ! それはこっちの台詞だっての! ずっとこき使っていたくせにっ!!)

 ぷんすかしながらクレメンタインは、道をまっすぐ歩いていく。

(なぁにが、名前を捨てろ、よ。私の名前はクレメンタインなんかじゃないのに、貴族っぽいからってつけたのあんたらでしょ! 信じられないっ!!)

 彼女はそこで持っている袋に手を突っ込むと、古ぼけた金の指輪を取り出した。そのシンプルな指輪には【可愛い娘フィオナへ】と彫ってある。

 これは病弱な母が、父がくれたものだといって大事にしていた指輪だ。母は優しくたおやかな美貌の人だったが、いかんせん身体が弱かった。父は隣国の貴族だったとだけ聞いている。確かにこれは金の指輪で、それなりに高価そうだったから嘘ではないかもしれない。だが家紋のひとつも入っていないから、父が貴族だったという確証はない。

『理由があって一緒にはなれなかったけれど、貴女が生まれた時は本当に喜んでくださったの』

 母は本当に父を慕っていたのだろう。
 その証拠に、父を悪く言っているのを一度も聞いたことがない。

 その母は平民で、家族とは縁遠かった。
 母と娘は二人で、貧民街でひっそりと暮らしていた。だが大好きな母と暮らしている時は、貧しくとも幸せだった。そして五歳の時にその母が亡くなり、養護院に引き取られてからはこの指輪を両親の形見として大事にしてきた。

 平和な暮らしだった。
 けれど突然『お前を聖女候補として引き取りに来た』と慇懃無礼な神官たちが現れたのだ。

(私にはちゃんとフィオナって名前があるのに)

 平民の香りがする、といってフィオナと呼ばれることはついぞなかった。
 間違いなく、ただの嫌がらせだと思う。

 大司祭が適当につけた名前――クレメンタインは小さなミカンという意味があるが、何しろその時目の前にミカンがあったから名づけられただけで――で呼ばれ続け、尊厳という尊厳を傷つけられてきた。

 高等教育を与えたともったいぶっていたが、他の聖女候補たちに比べてどれだけよい成績を修めようとも、教師たちは平民である彼女を見ないふりをした。礼儀作法も厳しく躾けられ、必要がないところまで叱責された。

 何をしても罵られるばかりで、褒められることはついぞなかった。

(もううんざりだわ。この国から出ていく!)

 十八歳まで我慢して、それから自分の父がいるらしい、隣国へ向かう。

 それだけをよすがに、なんとか今までひたすら耐えてきたのだ。
 どのみち、聖女候補になるまでの養護院には年齢の関係もあって戻れない。
 待っている家族も、いない。
  
 この国にはもう未練はない。

 クレメンタイン――もとい、フィオナは顔をあげた。

(力が発現しなかった、ですって……? 当たり前じゃないの、誰があんたたちのために……っ!)

 フィオナはきゅっと口を引き締める。

 『フィオナ』

 死の床についた母の言葉が脳裏をよぎる。

『貴女にはもしかしたら不思議な力が眠っているかもしれないの』
『ちから?』

 やせ細った母が、笑顔になる。

『そう。ママの家系には、たまにそういう人がいるの……。もしかしたら初潮を迎えたら、目覚めるかもしれない。だけどね、その力については、決して人に言ってはいけないわ』
『そうなの?』
『ええ。でも大人になって必要に迫られたらいいわ。そして、どうか自分のためにだけではなく、人のために使ってね』

 それは母の遺言だった。
 ゆっくりと何度も母が頭を撫でてくれたのを思い出す。

 フィオナは手の中にある指輪をぎゅっと握りしめる。

(ママ、会いたいな)

 彼女は瞼をごしごしとやや乱暴にこすると、再び毅然と歩き始める。

(私、大人になったわ)

 そう。
 フィオナは、昨日成人したところだった。だからこそ、大司祭たちは彼女を放逐することを決めたのだ。

(見ていて、ママ。私……自分ひとりでもちゃんと生きてみせるから)
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