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第一章:春
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しおりを挟む「四季展の準備は?できているのか?」
芯は鋭い視線を蓉に投げた。
四季展とは吉野原流が主催する生け花の展示会のことだ。三ヶ月に一回、春夏秋冬の花をテーマに芯や蓉、吉野原流派の華道家、生け花教室の生徒などの作品を展示する。直近は四月に開催されるため、春がテーマになっていた。
「心配しなくても、ちゃんとやってるよ」
蓉はうんざりと言うようにため息をつきながら答えるが、内心は焦っていた。
「来年からはお前も吉野原の名前を背負うことを忘れるな」
「はいはい」
「今年一年が勝負だぞ」
「わかってるって」
蓉は今年大学四年生になり、来年からは社会人だ。今は学生との二足の草鞋だが、来年からは華道家としてデビューすることになる。もちろん将来的には吉野原流の家元を継ぐ予定だ。
しかし、蓉は華道が嫌いだった。小さい頃は純粋に楽しかったが、芯の英才教育の厳しさに、物心つくころには嫌いになっていた。褒められたのは子供の頃だけで、今は何をやっても否定される。芯の子供に生まれたからには、華道家にならなければならない。蓉が自由にできる時間は、学生時代の残り一年だ。
「学校行ってくる」
芯の視線から逃げるように、蓉はリビングから足早に出ていった。
蓉の背中を見送った芯は、ふぅとため息を吐いた。いつまでも子供気分の蓉に頭が痛い。三日後に迫った展示会の準備は大詰めで、やるべきことは山積みだ。芯は作品を出品するだけでなく、展示内容のプロデュースや招待者へのフォロー、メディア対応などを一手に担っていた。細々とした業務は静夏が担当している。
吉野原流は芯の父が築いた流派だ。既存の流派に囚われない、自由度が高く、親しみやすい流派として細々と活動を続けていた。その父親の影響で、芯も小さい頃から華道に慣れ親しんできた。芯の父は生け花や流派の繁栄のため、いくつか生け花教室を手掛けていた。しかし病のせいで志半ばで逝去した。
父の意志を継いだ芯は野心的に活動した。芯は華道の腕だけでなく、経営手腕も兼ね備えていた。積極的にテレビに出演したり、若者向けに映える生け花を披露したり、またSNSを駆使し、爆速的に華道と吉野原流の名前を広げた。
同時に、定期的に展示会を開催、また高級ホテルや料亭に作品を展示することで、吉野原流の作品が目に触れる機会を増やした。芯の目論見通り、今ではすっかり顔も名前も知れ渡り、吉野原流はある程度盤石な地位を築いた。芯はバラエティー番組やワイドショーに定期的に出演し、蓉は芯の息子ということで、同様に注目を浴び、イケメン華道家として主にネット番組に出演していた。
順風満帆に見えるが、芯には懸念事項があった。それは蓉の今後だ。
蓉は致命的に華道のセンスがなかった。こればかりは生まれつきで、どうしようもないが、センスがないことに甘えて、努力をしようとしない。努力どころか、花を生けてすらない。学生らしく勉学に励むわけでもなく吉野原の名前に甘え、のらりくらりと生活をしている。
それだけではない。蓉は恥ずべき行為をしていた。それについて、芯は知っていたが、見知らぬふりをしていた。我が子ながら恥ずかしいと思いながら、身を亡ぼすなら勝手にしろと芯は諦めていた。
リビングを出た蓉は、広い家屋の廊下を大股で歩いていた。吉野原邸は平屋建ての日本家屋を改築した建物で、大小の和洋折衷の部屋がひしめいている。家屋に囲まれるように大きな庭があり、池には鯉が優雅に泳いでいた。庭園の青々とした樹々や色とりどりの花は、庭師によって日々手入れされている。
蓉は敷地の端にある離れに向かっていた。ちょうど廊下の先に静夏の背中を見つけたので、「おい」と呼び止める。
静夏は蓉の声に足を止め、振り返った。紺色のスーツを着た静夏は、髪型はショートでセンターパート。ぱっちりとした瞳と小さめの鼻のせいで幼く見られることが多いが、三十二歳だ。ホテルのフロントとして働いていたが、客として宿泊しにきた芯に気に入られ、吉野原家の使用人兼芯のマネージャーとなった。
「あいつの体調は?」
蓉は廊下の窓から見える離れを顎で指した。偉そうな蓉の態度に内心ムッとしながら、静夏は淡々と答える。
「いつもより発情がひどくて、辛そうです。抑制剤の量を増やせないですか?」
「それは無理だ。三日後は四季展だぞ?」
「そうですけど……」
不満そうな静夏に、蓉は舌打ちする。
「静夏に任せる。とにかく、四季展に合わせてくれ。俺が親父に怒られるんだから」
「わかりました」
「じゃあ、あと任せた」
蓉はそれだけ言うと、踵を返した。廊下に残された静夏は、離れへと足を向けた。
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