春夏秋冬、花咲く君と僕

えつこ

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第一章:春

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 二人は百貨店から移動し、地下鉄に乗りこんだ。幸い車内は空いており、二人は並んで座席に座る。
 秀悟は自己紹介がてら、スーパーマーケットで働いていることや一人暮らしをしていることなどを話した。椿は自らのことをあまり話さず、秀悟に尋ねられたことだけ答えた。会話の中で、秀悟が得た情報としては、通信制の大学に通っていること、宮古生花店でバイトしていること、吉野原の生け花教室に通っていることなど、当たり障りのない情報だけだった。椿が生け花教室に通っていることは嘘だが、静夏と同じで、椿も対外的にはそう説明していた。
「すごいよね、生け花教室に通ってるなんて」
 秀悟は尊敬の眼差しで椿を見つめた。
「七村さんは花を生けてみようって思ったことないの?」
「僕?ないない。センスが壊滅的なんだ」
「壊滅的……?」
「自慢することじゃないけど……」
 秀悟はスマホを取り出し、写真フォルダの中から一枚の写真を選ぶ。その写真には販促のために秀悟が作ったポップが映っていた。椿はスマホを覗きこみ、思わず難しい顔をする。
「これ、何?」
「キリン」
「うそ、亀じゃないの?」
 写真には、甲羅を背負った謎の生き物映っていた。どう見ても亀にしか見えないと椿は愕然とする。それに配色バランスが悪く、見ていて不安になるポップだった。
「こういう、図画工作みたいなのがすごく苦手で……」
「練習したり、たくさん作ったりすれば、上手になるんじゃない?」
 悲しげな表情をした秀悟に、椿は思わずフォローの言葉を返す。しかし、練習だけではどうにもならないと言うのが椿の正直な感想だった。
「あ、そういえば、うちで販売してる花束、椿くんが作ってるんだよね?」
 秀悟はぱっと表情を明るいものに変え、スマホを操作する。画面をスワイプさせ、新しく表示させた写真を椿に見せた。
「僕もよく買って帰るんだけど、ほら」
 映っていたのは、確かに椿が作った花束だった。今までたくさん花束を作ってきたので、一つ一つは覚えてはいないが、自分が作った花束は見ればわかる。
「この中に、椿くんが作った花束ってある?」
 秀悟は画面をスワイプしながら、椿に尋ねた。写真に撮られた花束は、そのどれもが椿が作った花束で、椿は嬉しくてたまらなくなった。頬が緩むのを抑えながら、椿は頷いた。
「ほんと?どれ?」
「……全部」
 椿の言葉に驚いて、秀悟は画面から顔を上げる。嬉しさがにじみ出るような椿の表情に、嘘ではないことがわかる。照れ隠しのように、椿はふいっと秀悟から視線を逸らした。
 宮古生花店からは五から十くらい花束を仕入れており、秀悟はその中から気に入った花束を買っている。日によって、これだと思うものがあったりなかったりするので、買わないときもある。なので、偶然にしても、椿の花束ばかりを選ぶというのは、不思議だと秀悟は思ったが、単なる偶然だろうと判断した。しかし、何かデジャヴを感じる。先ほどの展示会のどの作品よりも、蓉の作品に惹かれる感覚に似ている。
『俺の花に触るな』
 美術館での椿の言葉が、秀悟の頭を過る。あのライラックの作品にひどく惹かれたのは、椿の花束に惹かれるのと同じなのではないかと、再びデジャヴを感じた。しかし、あれは蓉の作品のはずだ。秀悟は一瞬の予感に、背筋がゾッとした。
「七村さん、降りよう」
 椿に声をかけられ、掴みかけた思考がするりと秀悟の手からすり抜けていく。目的の駅に着いたため、椿の後を追いかけるように、秀悟も電車を降りた。消え去ってしまった一瞬の予感を秀悟が取り戻すのは、もっと先のことだ。




 椿の案内で到着したのは、河川敷だった。天気は生憎で、空は今にも雨が降り出しそうに薄暗く、湿気が肌にまとわりつく。
 河川敷の歩道沿いに、色とりどりの紫陽花が群生していた。椿はそれが見たくて河川敷に来た。吉野原邸の中庭にも紫陽花は咲いているが、花の数や種類は少ない。
 家族連れやカップルが楽し気に紫陽花を見たり、写真を撮ったりしている。それを横目に、二人は並んで歩道を歩く。椿は時折立ち止まって、紫陽花に顔を寄せると、匂いを嗅いだ。
「いい匂い」
 椿は幸せそうに微笑む。花のことになると、無邪気で柔らかい表情を見せる椿を、秀悟は優しく見守る。
「七村さん、見て、綺麗だよ」
 目を輝かせた椿は、秀悟に手招きをする。好意的な感情は花に向けられているとわかりながらも、秀悟は内心嬉しくなった。今一緒にいると言うことは、少なくとも嫌われていないのだろう。はたまた嫌がらせの可能性も考えられるが、椿がそこまで性根が悪いとは考えられなかった。秀悟は椿の思惑を図りきれず、「そうだね」と優しく微笑み返した。
 二人は足を止めたまま、周囲の紫陽花を見つめた。傍の歩道を小さな子供たちがはしゃぎながら走り、高齢の夫婦が仲良く歩く。河川に掛かる鉄橋を電車が音をたてて走り抜けていった。平日の午後の河川敷は、ゆったりとした雰囲気で時が流れていた。
 椿と一緒にいることは、少し緊張するが、どこか心地いい。曇り空を見上げた秀悟が、不思議な感覚に揺蕩っていると、ふと椿が肩からかけていたトートバッグから財布を取り出した。先程のアフタヌーンティーの代金は、秀悟が全額支払った。社会人が奢られるわけにはいかないからだ。それを返すためだろうかと、秀悟は思ったが、椿が財布から取り出したのは五百円硬貨だった。ずいっと秀悟に突き出す。
「これ、明音が返しておいてって。この前のお釣り」
「え?あぁ、あの時の…」
 一ヶ月ほど前、生花店で花束を買った後、明音から釣りをもらい損ねたことを秀悟は思い出した。秀悟としてはどちらでもよかったが、断るわけにもいかないので、黙って片手を差し出す。しかし、椿は硬貨を手離さず、謝罪の言葉を口にした。
「あの時は、ごめんなさい。謝ってくれたのに、俺逃げちゃって……」
静夏に指摘された椿は、逃げてしまったことを反省していた。慣れない謝罪に、椿はそわそわと落ち着かず、視線が泳ぐ。
 対して、秀悟は突然の謝罪に慌てて「謝るのは僕の方だって」と返した。今日ここに来た目的としては、謝罪もあったのだと秀悟は思い出し、ぼんやり空を見ている場合ではないとすぐに謝る。
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